深夜。控えの間で休んでいたローラは、鋭い叫びに眠りを破られた。
俄かには夢か現かわからず、暗闇で目を開いたまま、ほんの一瞬前の記憶を辿る。
高く響く、若い女の声。場所は壁をはさんで、すぐ近く。――隣の部屋にはミクがいる。
一気に繋がった思考に、彼女は跳ねるように身を起こし、主人の部屋へ通じる扉へ駆け寄った。
「ミク様!?何事ですか!?」
「ローラ、留守をお願い・・・!」
扉を開け放った途端、叫んだ言葉が同時にぶつかって、二人はつかの間言葉を失い顔を見合わせた。
我に返ったのは侍女の方が早かった。
「留守!?こんな時間に、一体どこへ!?」
「クリピアへ。お兄様に会いにいくの」
間髪入れずに返された言葉に耳を疑う。
「そんな・・・いけません!危険過ぎます!!」
「今、行かなくちゃいけないの!」
「お待ち下さい!」
ローラは慌てて腕を伸ばし、聞く耳も持たず外へ出ようとする主人を押し留めた。
翠の髪を乱し、夜着に裸足のまま、何かに取り憑かれたように進もうとするミクは、どう見ても正気といえる状態ではない。
「ならば私が参ります。お言葉なら、ローラが命に変えてもお伝えいたします。ですから、どうか・・・ミク様!」
引きとめようとする侍女ともがく少女とが、互いに揉み合いになり、腕を振り払われたローラが声を上げる。
騒ぎが聞こえたのだろう、部屋の外から扉が慌しく叩かれた。
「ミク!?いったいどうしたと・・・」
「陛下!ミク様をお止めください!!」
主人を捕まえ損ねたローラが必死に叫び、闇雲に全身でぶつかってきた少女をレオンが扉の前で受け止めた。
驚きはしたものの、その程度の衝撃で鍛えられた身体が揺らぐはずもなく、出口を塞がれた形になったミクが悔しげに男の胸を叩いた。
「通して!行かなきゃ。行ってお兄様に会わなくちゃいけないのよ。そうでないと・・・!」
続く言葉を詰まらせて、少女の唇が空回る。
大きな碧の瞳が泣き出しそうに歪み、悲鳴のような叫びが堰を切ったように溢れ出した。
「・・・嫌よ!!結婚なんて許さないわ!あの人が私以外の誰かに笑って、私にしたように花を捧げるなんて!!」
ローラが息を呑んだ。
「今すぐお兄様をつれて帰るの!お願い、行かせて・・・!」
悲痛な声で叫び、少女は堪え切れなくなった様にレオンの足元へ泣き崩れた。
「嫌よ・・・誰も見ないで、誰も触らないで・・・!もうあの頃のように私を見てくれないなら、誰のものにもならないで!どうしてなの!?ずっと、ずっと私だけが傍にいたのに・・・!」
「――国王陛下。席を外してくださいませ」
硬い声音で侍女が告げた。
蒼白の強張った顔を、呆然と立ち尽くすレオンへと向ける。
「ミク様は少しお疲れなのですわ。このままお休みいただきます。どうぞご退室ください」
有無を言わせぬ言葉を突きつける侍女と、国王が睨みあう。
口を開きかけた男の言葉を、部屋に響く少女の嗚咽が奪った。
「傍に居たいだけなの・・・!我が侭なんて言わないわ、あなたがそうしろと言うから、あなたが言うから結婚だってしたのよ・・・!どうして目を逸らすの、私を遠ざけるの!?もう一度、ちゃんと私を見て・・・私だけを見て・・・! 私には一人しかいないの・・・お願い、行かないで、行かないで、行かないで!お兄様!!」
「・・・ミク」
レオンが低く呻いた。
泣き叫ぶ少女には、この場にいる誰も見えてはいない。追っているのは唯一人の面影だ。
打ちのめされたような苦痛を浮かべ、拳を固く握りしめ、部屋を出て行く。
飛びつくように扉を閉め、堅く鍵を掛けて、ローラは今にも崩れそうになる足をこらえた。
扉の向こう側で聞こえた壁を殴る鈍い音を耳を塞いでやり過ごす。
「公子・・・お恨み申します・・・」
堅く目を瞑り、彼女は長年仕えてきた主家の青年への恨み言を口にした。
いつか・・・、こんな日が来るのではないかと、心のどこかで思っていた。
かの人が只ならぬ想いで妹を見つめていると気付いたときから、ずっと。
あの昏い熱を隠した視線に、身を浸す毒のような執着に、それに気付かず無邪気に笑う少女に、まるで薄氷の上に立っているような危ういものを見ている心地だった。
いつまでも続くわけがないとわかっていた。少しずつ降り積もっていく毒が、いつか致死量に至るように、いずれその時はくるのだと。
分かっていても、出来るならばミクにはずっと何も気付かないままであって欲しかった。
気付いてしまえば、毒は一気に全身に回るだろう。どこにも逃げ場が無いとわかっていても、少しでもその時間を先に延ばしたかった。叶うならば、永遠に。
閉じていた瞼を開く。
どれほど嘆いたところで、既に均衡は壊れてしまった。平穏だったあの頃へ、二度と時間は戻らない。
それならば、彼女が願うのはただひとつだ。
「ミク様・・・」
ローラは女主人の傍らに膝を突いた。
「ミク様、大丈夫ですよ」
やんわりと手を取り、子供のように泣きじゃくる背中をそっと叩く。
「大丈夫、まだ間に合います、ミク様。・・・大公様にお手紙を書きましょう」
少女を安心させるように出来るだけ優しい声で、彼女は囁いた。
「大公様にお願いして、カイザレ様をボカリアに呼び戻していただきましょう」
その人の名に、ミクが顔を上げた。泣き濡れた碧の瞳が鈍くローラを映す。
「王女への求婚なんて、本気のわけがありませんわ。きっと、何かご事情がおありだったのです」
言い聞かせる侍女の声に、苦しげに少女の唇が震えた。
しゃくりあげる動きで、睫毛に残った雫が、また一粒零れ落ちる。
打ちひしがれて首を横に振るばかりの少女に、ローラは母親が幼い子供にするように、何度も何度も言葉を繰り返した。
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侍女→姫も良いよね。とか言ってみますv<待て
後編に続きます。
http://piapro.jp/content/1uypoqxhxa1b25w9
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