闇に荒い呼吸の音だけが響く。
首筋に押し付けられた刃の冷たさが、その存在を伝えていた。
振り向くことも出来ないままで、ミクは必死に背後の気配を探った。

「よく知りもしない場所で、正体も知れぬ者をひとりで追うなど、軽率に過ぎるんじゃないか」

刃よりも冷ややかなその声に、背筋が震えた。
弾む息を抑えて囁き返す。

「どんな格好をしていたって、あなたが判らないわけがないわ」

首筋に宛がわれた刃が僅かに緩んだ。
危険も顧みず、ミクは勢いよく後ろを振り返った。
息を飲んで刃を遠ざけた、その姿を声もなく見つめる。
黒々と闇に溶ける外套、朧に浮かび上がる白皙。そうして、冴え冴えと蒼い髪、蒼い瞳――まるで、あの秘された薔薇のごとく。まさしくボカロジアの血を象徴するかのような。

ああ、あれはいつのことだっただろう。その色を纏う薔薇を身に戴き、彼に手を引かれて踊った。あの夜の自分は、夢の中のように幸せだった。
あの時から、どれほど隔たってしまったのだろう。どれほどに自分は変わってしまったのだろう。
ただ懐かしく慕わしいはずの存在が、こんなにも激しく、狂おしく心を掻き立てるなんて。

「ミク・・・」

ただ一声、呼ばれた名に胸が高鳴った。
陶然とその声に酔いしれるミクに、けれど彼が向けたのは酷く険しい表情だった。

「どうして、お前がこんな場所にいる・・・! ここは戦場だ。お前が来るような場所じゃない」

苛立ち混じりの声が、この地にミクが居ることが、彼にとっては想定外だったことを伝えた。
微かな失望が胸を貫く。
自ら裏切った身で、そんなわけがないと判っていて、なお、束の間の愚かな期待をしたのだ。会いに来てくれたのではないかと。

「何故、王宮に残らなかった。あの男がお前を連れてきたのか」

憤りの篭る詰問に、ミクは項垂れ、小さく首を振った。

「私が行くと言ったのよ。戦場で君主の姿が前線にあれば、それだけで兵士の士気はあがるものだと言ってたでしょう。何をするよりも、姿を見せることが効果的なのだと。戦いの役には立たなくても、それくらいなら私にも出来るもの・・・」

それはかつて、他ならぬ彼から聞いた言葉だった。
他愛もない雑談に紛れて聞いた、彼にとっては何気なかっただろう一言が、こんな時まで自分を導き、動かしている。そう思えば可笑しかった。
目の前の人は、その一挙一動が、どれほどミクへ影響を与えているかなど、思いも寄らないに違いない。
なおも彼には、ミクの行動は理解できない――あるいは許容できない――様子だった。

「生命の危険を冒してまで、するべきことか」

まるで責めるかのように問い掛ける。
それは幾度となく危険と好機を秤にかけて、その命運を掛けてきた彼らしくない言い草で、ミクは過去に彼自身が口にした言葉をなぞり、答えを返した。

「どこだって同じよ。王宮だって戦場だって、結局いつも、誰かが誰かを殺そうとしてるわ。それが毒か刃かの違いだけ」
「・・・それが分かっているなら」

カイザレが苦しげに呻いた。

「何故、そうまで関わろうとする。国の政治も貴族共の駆け引きも、あんなものは本来お前が関わるべき世界じゃない。お前がわざわざ危険を冒す必要はないんだ。それなのに・・・自分がどれほどの無茶をしているのか、本当に分かっているのか!? どうして、安全な場所で守られていてくれないんだ!」

初めて聞く言葉の数々に、ミクは驚いたように彼の人の顔を見つめた。

「・・・まるで私に、政治のことに関わって欲しくないみたいだわ」

唇から我知らず零れ落ちた、その声が動揺に揺れる。
何かを堪えるように逸らされた視線の中に、無言の肯定を感じ取り、背中からじわりと冷える感覚が這い登った。

「私が口を出すのは嫌だったの?でも・・・、だったら、どうして・・・」

震える声でミクは問いかけた。

「だって、そんなこと一度も言わなかったじゃない。いつだって、私が言いつけられたとおり上手くやれれば褒めてくれたし、失敗しそうになったときには助けてくれた。そんな時は大抵、あなたは不機嫌だったけど・・・。でも、一度も手を出すなとは言われなかったから・・・・、私は・・・」

途切れ途切れになる言葉を捜し、震えの止まらない指先を抑えるように握り締める。
ただ、少しでも彼の役に立ちたくて、そして幾ばくかでも役に立てているのだと信じてきたものが根底から覆される。
彼女を支えてきた自負であり、最後の拠り所だったそれを否定されて、目の前が暗くなるのを感じた。

「私のしていることは、全部、余計な事でしかなかったの? 本当は私が邪魔だった?だから私を嫁がせて遠ざけたの?」
「何を、馬鹿な・・・!」
「私にこの国に嫁げと言ったのはあなただわ!」

叱り付ける声を遮って、ミクは声を荒げた。
その思わぬ激しさに、カイザレが言葉を呑む。
彼女の心の内など何一つ知りはしない相手を、ミクは悔しげに睨み付けた。

「あの時だけよ。もし、私が嫌ならやらなくてもいいと、あなたが言ってくれなかったのは。あの時だけよ、私に選択肢がなかったのは・・・!私が初めて拒否したいと願った、あの時にだけ!」

悲鳴のような叫びに、今度はカイザレが目を見張る番だった。

「・・・否と」

呆然とする唇から掠れた声が漏れた。

「君は答えたのか。あの時、僕がそう訊いていたのなら・・・」

蒼い瞳が食い入るようにミクを見つめる。
何かを確かめるように、同時に怖れるように、躊躇いがちに伸ばされた指先が、あと僅かで少女の頬に触れかけた時。

『ミクレチア・・・!』

遠く微かに聞こえた声が、時も場所も忘れていたミクの意識を引き戻した。

「レオン・・・?」

唇が無意識に呼んだ名前に、カイザレの表情が強張った。
その瞳から抜け落ちるように温度が消え失せる。
声の聞こえた方、外へ続く扉へと向けられた鋭い視線を追いかけ、ミクは唐突に理解した。

何故、彼がこの国にいるのか・・・今、この場所にいるのかを。

薄暗い視界に、細長い光の切れ目が差した。
見る間に広がっていくそれに向かって、ミクは叫んだ。

「レオン、逃げて!」

その声が引き金になったように、勢いよく開かれた扉から屋内へ男が飛び込んでくるのと、彼の手に掛けられた凶器が、扉の先を向くのとは、どちらが早かっただろう。
家屋の暗さに目が慣れず無防備な姿を晒した一瞬が、カイザレの勝機であり、レオンの命取りになる、瞬間――

―― そちらではない。

彼女は走り出し、立ち尽くす夫の前へと身を投げ出した。
振り返れば、迫りくる切っ先の向こう、驚愕に見開かれた蒼の瞳を不思議にさえ思う。

何をそれほど驚くことがあるだろう。その刃が向けられるべきは、他ならぬこの心臓だ。この瞬間をどれほどに待ち焦がれたことか。

勢い付いた剣は止めるにはもう遅い。
刃をその手に握りしめたまま、カイザレの凍りついた瞳が絶望に染まる。

交わる視線の間、振り下ろされた刃が、張り詰めた均衡を脆い硝子のように打ち砕いた。


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第22話】後編

第22話、後編です。
すぐにあげるつもりでいたら間が開いてしまった・・・。

次は第23話。お話もそろそろ終盤です。
http://piapro.jp/content/3zqzdp24lhok8w5v

閲覧数:1,260

投稿日:2009/09/12 23:33:27

文字数:2,924文字

カテゴリ:小説

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  • azur@低空飛行中

    azur@低空飛行中

    ご意見・ご感想

    >ことは様

    あ、良かった。ご本人であってましたv
    もしかしてそうかな?と思いつつ聞かせていただきました~。大変にキュンキュンくるかわういトエトでございましたv
    自分、音とリズムがどっちも取れない超絶音痴なので、歌ってみたの方々は大変、羨ましくも憧れです。いえいえ、こちらこそ耳の幸福をありがとうございましたv

    2009/09/26 22:37:11

  • azur@低空飛行中

    azur@低空飛行中

    ご意見・ご感想

    >ことは様

    いらっしゃいませ、ことは様。牛の歩みのよーな更新速度にもめげずにお付き合い下さって、本当にありがとうございます。

    ナイスなシャウト頂戴いたしました!
    そ、尊敬とかして頂けるほど立派な文章ではないのですが、ドキドキハラハラして頂けたら本望ですv
    恋愛モノ=メインカップリングはすれ違うべき。という私の認識ゆえに、二人ともねじれてこじれて大変なことになってます。
    ・・・べべべべつに私がカイザレ様を苛めたいだけだなんてそんなこと・・・←

    原曲様を歌いながら思い描いて頂けるなんて、なんと光栄な・・・!
    ことは様の歌ってみたマイリストに各曲が加わるのはいつ頃ですか・・・?(>▽<)正座してお待ちしますv(トエト、歌ってらっしゃいました・・・?よね・・・?)

    終盤は急展開で参ります。
    勢いに振り落とされず最後まで楽しんでいっていただけるよう頑張ります~。^^;

    2009/09/14 00:01:22

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