第十章 04
「アンワル」
階段を駆け下りながら、焔姫が元近衛隊長の名を呼ぶ。
「はっ」
「ナジームは……まだ、軍におるのかえ?」
「そのはずです。辞したとの話は聞いておりません」
「ならば……ハリドはナジームの所じゃな」
焔姫は階段を降りきると、軍本部の兵舎がある方へと向かう。
「メイ……姫。なぜ彼の所だと?」
名前を呼びかけ、他の者たちに聞こえると思い男は“姫”と呼びなおす。
「ハリドはサリフを仕留めた。この前の襲撃で多くが死んでおる以上、王宮内で反抗出来るのはせいぜい状況を理解しておらぬ近衛兵どもくらいじゃ。となると、後は軍を掌握出来てしまえばハリドの反逆は成立する……」
焔姫は曲がり角の手前で立ち止まり、壁に手をついた。荒い息とともに、眉間には深いしわが刻まれる。怪我の完治していない身体で、無理を押しているのだ。つらくないはずがなかった。
「……余の後、将軍となったのはナジームじゃろう。ハリドはやつに従うか歯向かうか選べと、そう……かはっ」
息を整えながら話していると、焔姫が急にせき込む。その唇からは一筋の朱色がこぼれ落ちた。真夜中だったせいで男も気づいていなかったが、よく見ればその顔は真っ青で生気がない。
「姫!」
男だけでなく、その場にいた元近衛たちも血相を変える。
「これ以上の戦いは負担となります。もう――」
「……ならぬ」
焔姫は首を振ると、曲がり角の先をうかがう。広い通路に、粗暴な近衛兵たちがたむろしている。上階の広間での戦いなど、我関せずといった様子だ。
「しかし!」
「……ハリドをこのままには出来ぬ」
「それで姫が死んでは元も子もありません」
男の進言に、焔姫は彼をにらみつける。
「ハリドを殺すまで生きておれば、それで十分じゃよ」
そして男の事など意に介さず、曲がり角から飛び出そうとした。
「姫。……カイト殿の言う通りです」
「アンワル。貴様まで……」
呼び止める元近衛隊長に、焔姫は怒りをあらわにする。
元近衛隊長は剣を構え、背後の二人とうなずきあう。
「私は、ハリド公を討つ事まであきらめて欲しい、などと言うつもりはありません」
「ならば――」
元近衛隊長は、焔姫に反論をさせずに続ける。
「ですが、姫はこの後にも必要なお方です。私どもが彼らを排除します。せめてその間だけでも、お休み下さい」
「……」
「姫さまばっかりに頑張られちゃ、俺たちの面目も丸つぶれになっちまいます」
「そうですよ。俺らの活躍の場まで奪われちゃあたまりません」
元近衛隊長の後ろの二人も、そう言って笑う。それが明らかな強がりだと、ここにいる皆が分かっていた。だが、そこまでしてでも焔姫を想う彼らの意思に、焔姫も少しだけ笑う。
「まったく、余の仲間はおろか者ばかりじゃな。……死ぬでないぞ。汝らは、死せる英雄になるにはまだ早い。余の復権後にも、汝らの仕事は山ほどあるのじゃからな」
根負けした焔姫の言葉に、元近衛兵たちはどこか安心した様子でうなずく。
「承知しやした」
「……カイト殿、姫を頼みます」
彼らはそう告げるやいなや、返事も聞かずに飛び出していってしまう。
「ぐっ……」
「姫……メイコ」
曲がり角の向こうで、剣戟と怒号が響きだして間もなく、焔姫は剣を床に置いてがっくりと膝をつく。
男が焔姫の革鎧を外し、平服をまくりあげる。焔姫の体をおおう包帯は背中の傷跡にそって赤く染まり、じわじわとその範囲を広げていた。やはり、先ほどの激しい動きで傷口が開いてしまったのだ。
「……すまぬ」
「謝らなくていい。無理をするな、と言いたい所だが……」
「安静にするのは、ハリドを仕留めた後じゃ」
「……そうだな」
男は包帯を取り替えるべきだと思ったが、その時間もない。自らの平服を裂いて包帯代わりにすると、傷口を押さえつけるように包帯の上から巻きつけた。応急処置にもならないだろうが、やらないよりはましのはずだ。
焔姫は痛みをこらえるように時折うめき声をあげたが、文句を言う事もなく男に処置を任せていた。
やがて巻き終わり、平服を戻して革鎧をつける。焔姫は深く息をつくと、改めて剣を手にして立ち上がった。その顔色は決してよくはないが、ほんの少しとはいえ休憩が出来たおかげか、多少はよくなったように見える。
ほとんど同時に曲がり角の向こうも静かになり、二人は身を乗り出して様子をうかがう。
近衛兵たちは皆打倒されていた。だが、味方も犠牲なしとはいかなかったらしい。
元近衛隊長は立っているが、残りは一人が事切れて倒れ伏し、もう一人も傷を負って膝をついていた。
「……姫。先へ行きましょう」
焔姫と男が出てきた事に気づいた元近衛隊長が、振り返ってそう告げる。
焔姫が負傷した元近衛兵のそばへとやってくると、彼は痛みをこらえながら情けなさそうな顔をした。
「申し訳ねぇです。……ドジ踏んじまいました。俺がついていけるのは……ここまでみたいです」
彼はわき腹を斬られたらしく、赤く染まった平服の上から、傷口をなんとか押さえている有様だった。
「……無理をするでない。余がハリドを仕留めるまで持ちこたえよ。そうすれば、すぐに救護に帰ってくる」
「へへっ……。頼みますぜ、姫さま。あのクズ野郎、さっさとぶちのめして……下せぇ」
「無論じゃ」
それだけつぶやいて気絶する彼を、焔姫は優しく横たえると、立ち上がって二人を見る。
「……ゆくぞ」
男と元近衛隊長はうなずくと、焔姫とともに先に進む。
焔姫と男と、元近衛隊長。
十二人いた彼らは、とうとう三人にまで数を減らしていた。
焔姫 44 ※2次創作
第四十四話
とうとう文章量だけでなく、話数でも過去最多となりました。
ですが、自分の中では長編を書いた、という意識があんまりありません。
書くべくしてこの分量になったんだから、しょうがないよねー。みたいな感じです。
プロットの段階でこれくらいの話数になる事は分かっていたはずなんですけどね(苦笑)
最後まで書き終わってから読み返したら「ここ、こんなに書かなくてもよかったよね」とか「このシーン無くてもよかったんじゃね」とか思っちゃいそうです。
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