第十二部 名前

 すぐに蹴りが付くと思われていた暗殺未遂事件。しかしダヴィード護衛官はなかなか動こうとはしなかった。ヴィンセントの部下に見張らせているのだが、国境沿いどころか手紙の一つも受け取らない。
 もうマリルを吐かせようと思ったが、ディーが仕事をできないお陰でそれまでとも比較にならない仕事量を抱えたレンに、まとまった時間はさっぱり作れない。
 事件発生から二週間、遂に迫りくる報告書の数にレンは白旗を振った。
 証言から拘束したものの、その反証となるものが発見されたと発表し、ディーを解放した。
 マリルの諜報員としての優秀さもさることながら、ダヴィード護衛官の冷静さも大したものだ。所詮使い捨ての諜報員と、少々甘く見過ぎていたようだ。
「もうしなくて済むと思ったのに」
 夜も更けたこの時間、歓楽街を歩くレンはこう呟かずには居られなかった。しかし、革命が成されて以来王宮内では表向き、レンとディーは犬猿の仲ということになっている。レンが革命時に王宮務めだったと言う事は、ほとんど極秘扱いになっているためその原因を知るものは少ないが、とにかく二人きりで顔を合わせれば嫌味の応酬をしている。というのが役人、衛兵の共通認識だ。
 実際しているのだが、少なくともレンにとってはほとんど演技のようなものだ。失礼な話かもしれないが、彼とレンは良く似た性格をしていると思う。しかし、彼はレンと違って一定以上の信頼を集めることができる。そこに、王宮内の人間にしてみれば愛想の無い偉そうな宰相に、対抗できる総務大臣となれば、かなりの情報網を作ることも難しくないのだ。
 特にレンが『知らないはずの』情報は良く入ってくる。彼らからすればささやかな反抗なのかもしれないが、残念ながらそれは全てディーが報告してくれるのだ。
 そして青の国から来た王女が黄の国の王妃になって以来、何故か爆発的に増えた下士官からのレン襲撃。それも単純な暴力に任せたものにとどまらず、巧妙な手段で飲食物に毒物を混ぜられたりもしたのだ。セル始めとして、少しずつではあるが理解者を増やしていたレンにとって、どうも納得のいかない状況だった。
 ディーに調査を依頼したが、問題になったのはその連絡手段だった。今まではイルやアズリを通して報告書を受け取り次の指示を出していたのだが、どうしても文字のやり取りだけでは細かい情報が伝わらない。そして決定的な確信こそないものの、今まで問題にならなかった報告と指示のずれが、幾度か犯人を取り逃がすことになっている。
 顔を合わせて情報を出し合い、考察と意見を出し合う必要性を感じたのだ。だが王宮内でレンと彼が話す事はどうしても注目を浴びる上、国を運営する上で今までの共通認識を保っている方が都合が良い。
「苦肉の策、だよ。全く」
 王宮の外で話す。もうそれしかないのだが、今では珍しい金髪の人間が二人も集まれば注目を集め過ぎる上、下手な場所で相手に訊かせてしまう事にでもなれば取り返しがつかない。かといって人目を完全に避けられる場所に、成人した男二人が入るのは不自然である。
 用心に用心を重ね、髪を染料で黒く染めた。吐くほど嫌だったがこれもイルのため、そう自分に言い聞かせて女装したのだ。
「久々に外に出れましたよ。黒猫」
 金髪の大臣は、腹が立つ程いつも通りの格好だ。とはいえそれも打ち合わせ通りで、彼は外出自体を隠していないのだ。革命終盤、リンの脱出路として作った竪穴から研究所に降り、そこで着替えて化粧をして出て来るのはレンだ。
「それは何よりです。参謀殿」
 ディーの顔が笑いを堪えるように痙攣しているのは、絶対に気のせいではないのだろう。
「不愉快そうですね」
「もう、このふざけた格好はしなくていいと思っていましたから」
「ええ、私も前回が見納めかと残念だったのですが、また見れて眼福ですよ?」
「いい歳した男の女装、見てて面白いですかね?」
「いやいや、下手な女よりよほど美人ですよ? 暗殺の任務でもあれば、十分通用するんじゃないでしょうか」
「お褒め頂き光栄です」
 内容はここ特有だが、王宮内で見かけた時もこの程度の言い合いがある。もうお互い癖になっていると言ってもいいものだが、その分引き際も弁えている。
「驚きましたね。ダヴィード護衛官にここまでの度量があるとは思いませんでしたよ」
 不毛な言い合いはすぐに終わり、レンは本題に入った。
「ええ、共犯者が捕まったとなれば、すぐに泡食って上司に報告すると思ったのですが、全くと言っていい程動きがありません」
 今回に限って言えば、お互い吉報が無い事は承知の上で、報告というよりは相談に来たのだ。
「他にも協力者が居て、その人間を連絡係として使っているのでしょうか?」
「可能性は否定できません。調査を始めてはいますが、私はこの二週間全く動けませんでしたから、居たとしても特定までには一週間は必要です」
「僕も貴方の穴を埋めるために忙しかったので、ほとんど調べられませんでした」
 唇を噛む。その状況を作ったのは他ならぬレン達だ。マリルを確保し、その協力者を突き止めただけで決着がつくと思っていた、自分の考えの甘さに反吐が出そうだった。
「僕の失態です。もうダヴィード護衛官を拘束することも考慮に入れるべきかもしれません」
 良いように踊らされている気がしてならないのだ。これ以上手をこまねいていれば、最悪ダヴィード護衛官すらむざむざ取り逃がしかねない。
「しかし、緑の国とは未だに確執が抜けませんし、赤の国はその古くからの同盟国です。貴重な友好国である青の国との関係は、何としても良好に保つべきかと」
 ディーの言う事はもっともだ。いかに大陸最強とは言え、それは国力を単体として見ている場合だ。黄の国が単体で世界と敵対すれば、当然ながら敗北は必至だろう。
 やむを得なかったとはいえ、あの革命で緑の国と黄の国の政治的友好は徹底的に破壊された。和平調印は行われ貿易も盛んに行われてはいるが、王家の感情としては未だに黄の国を快く思ってはいないのだ。一応努力はしているものの、あの侵略を忘れさせるにはどうしてもまだ時間が必要だった。
 そして革命前同等の国力を持っている赤の国は、黄の国の大躍進を気に入ってはいない上、今指摘のあった通り緑の国との同盟国だ。あの金属・燃料の資源に恵まれている好戦的な国は、黄の国が弱るところを虎視眈々と狙っていることだろう。
 例えば、黄の国友好国筆頭の青の国といがみ合いが始まるとか。
「おっしゃる通りです。どうしても、黄の国は青の国の内情を知らないといけません。それまでは迂闊に手を出せない」
 額に手を当て、盛大にため息をついた。
「少なくとも、ダヴィード護衛官が我々の動きに気がついた様子はまだありません。まあ、状況的に確たることが言えないこともまた事実ですが、少なくともヴィンセントの子飼いの部下が二十四時間体制で張り付いている以上、逃亡を許す事は無いでしょう」
 妥協案だが、レンにしてもそれ以上の対策は思いつかなかった。
「気に入りませんが、まだ待つしかありませんね」
 苛々と前髪を掴むと、意図せず舌打ちが漏れた。本人は気が付いていないが、本来持つ臆病さとアズリが拉致された時の精神的動揺で、今レンは酷く気が立っていた。
「焦りは禁物です。案外ダヴィード護衛官の方も頼りにていた相棒が居なくなり、腰が引けて動くに動けないだけかもしれませんよ?」
 彼らしからぬ、問題外の希望的観測に思わずまじまじと見てしまった。
 落ち着け。冷静でいなければ、勝てる勝負も勝てない。
 しばらく経ってようやく、そう言外に言われている事に気がついた。
「はは、かもしれませんね。……少々取り乱していたようです。申し訳あしません」
 予想外の人物に、自覚している以上に崩れていた精神を立て直してもらったことが分かり、苦笑が漏れた。
「能力が高すぎるのも考えものですね。どうせ、これほどまでに思う通り進まなかった事は初めてなのでしょう?」
 第三者が訊けば嘲弄に聞こえるかもしれないが、レンにとってはこれ以上無いフォローだ。
「能力云々は買いかぶり過ぎですよ。単純に、僕は守るものがある状況での行動に慣れていないだけです」
 一国の滅亡を再現したあの時さえ、レンには守るものが一切存在しなかった。というよりは、それらはレンに守られる必要が無いくらい強いものだった。全てを恨んでいたあの時は、壊すことだけを考えればよかったからだ。
 しかし、今必要なのは壊すことではなく、守る事だ。それがレンにとっては存外難しい事に、今更ながら気づかされた。
「それは嫌味ですよ、黒猫。貴方は呆れるほど賢いです。ただまだ若いだけだ。もう少し我慢と寛大さを身につければいいのです。今のままでも十分以上に働いていますしね」
 殊の外寛大な励ましを言われ、絶句してしまった。それに留まらず、口を半開きのまま赤面してしまった。自分でも何をそんなに過剰反応しているんだと思ったが、相手はそれ以上に驚いたようで、眉を顰めて眺められている。
 レンには『褒められる』という経験がほとんどない。養父母はどれほど養子が課題を完璧にこなそうが、そんな不必要な会話をしようともしなかった。イルから頭がいいとよく言われるが、それは褒めると言うより羨望に近いものがあるし、言っている本人も褒めているとは思っていないはずだ。
 ヴィンセントは、特に記憶を取り戻した後は良く褒めてくれるのだが、『父』の褒め言葉すらレンにとってはまだまだ照れくさいのだ。特にレンを叔父の仇としているディーからそんな事をされるなど、全くもって想定外。
 完全な不意打ちだったのだ。
「お褒め頂き、光栄です。参謀殿」
 俯きながらも、やっとのことでそう言ったレンの心情を、厄介なことに彼は朧気ながらも察したようだった。くすくすと笑う大臣の声を聞いていると、羞恥のあまり頭がおかしくなりそうだった。
「イルの方が精神的にまだ子供だと思っていましたが、案外そうでもないのかもしれませんね」
「さあ、その判断はお任せしますよ」
 ただでさえ正体を知られたら自殺ものの格好をしていると言うのに、この緊迫感の無い会話内容は何だと言うのだろう。
「さて、方針は固まりましたし、もう帰ります」
 目的は果たした以上、もうこの場から離れたかった。

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悪ノ召使 番外編(12-1

閲覧数:163

投稿日:2011/04/04 06:41:06

文字数:4,276文字

カテゴリ:小説

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