それは、六日の朝だった。


<空はブルー。だからこそ、>


おかしいのは私なの?
寄り添う温もりを感じながら、私はぼんやりと考えた。

本当に行くの、なんて言わない。
そんな事確認したって、答えは変わりはしないんだから。
行かないでよ、なんて言えない。
そんな風に縋り付いても、選べる道なんてないんだから。
彼は行く。行ってしまう。
―――そしてきっと帰ってこない。

帰ってこない。分かってる。いや、分かってる、と思う。少なくとも私は、彼が戻って来られるなんて夢を持てるほど強くない。
私は体に回した腕で、自分の体をぎゅうっと抱き締める。
この世界で夢を見ることなんて出来ない。希望を持つことだって出来ない。
何故だか知らないけれど、私は悟っていた。官僚たちがブラウン管の向こうで語る勝利なんてあり得ないのだと。
それは残酷で認めたくなんてないけれど、どうしようもない位に明瞭な未来。

おかしいのは、私なの?
もう一度自問する。

私はその問いにどうしても「そうだ」と答えられない。
本当は、そう即答するべきなのに。
それが今この時この国に生きる者としての模範解答なのだから。

だけど、大切な人を失いたくないと、何故願ってはいけないの?
誰もがそう願っているはずなのに、何故皆大切な人を送り出すの?
兵隊さんが一人もいなくなれば、戦争は終わる。それでどうしていけないの?

どうして、どうして、どうして?

ただひたすらに疑問を投げかける。
でもそれは、いくら疑問を感じたとしても私にはどうにもできない事だった。
私に出来るのは、こうして彼の隣で座っていることだけ。
その無力さが悔しかった。

―――誰か、世界を変えて。私を取り巻くこの世界を。

心の中で叫ぶ声がする。
でもそれはあくまで心の中でだけ。もしも外に出してしまったら、それは私自身の破滅を意味する刃となってしまう。
それでも私には納得なんてできなかった。
だって私が願ったのは彼の幸せだった筈で、「国」の幸せなんかじゃなかった。
ましてや、彼の死なんてどう転んだって願いやしなかったのに。

「リン」

彼は優しい手で私の頬に触れた。
灯火管制の薄暗い光の中、それでも薄まることのない優しい微笑みに泣きたくなる。
でも私は、なんとか微笑みを返す。

「この国を守るため、頑張るから」
「…うん」

唇を噛みたくなって、でもそれが出来なくて半笑いみたいな顔になる。
かわりに私は口を開いた。

「どうして、戦わなきゃいけないんだろうね」
「え?」

彼は私の言葉に、少し驚いた顔をした。
そしてすぐにその顔は苦笑に変わる。

「リン、俺達が生き残るには、この戦いに勝つしかないんだよ。戦いを嫌うなんて優しい君らしいけど」

違う。違う。
私は思い切り頭を振りたくなった。
私は優しいわけじゃない。そうじゃなくて、ただ単に非国民なだけなの。
でも、ねえ、本当に戦うしかないの?それしか道はないの?
目には目を、歯には歯を。これは本当にその理論に基づいた行為なの?
確かに私達の「国」は攻撃されて、傷ついて…
…でも、でもだからって、あなたが死にに行く意味なんてどこにあるの!?

どうしよう。私には分からない。分からないまま、あなたの手を離すしかない。
俯いた私に、彼は困ったように笑いかけてくれた。

「大丈夫。きっと俺がリンを守るから」
「……っ」

―――その言葉が私の胸を突き刺す。

辛かった。
彼はそうやって、躊躇いを捨てる。
この国を―――私を守る、と、そう心に誓って振り返る事を止める。
自分の全てでこの残酷な世界を変えようと、幸せな明日を手に入れようと、そう夢見て飛んでいってしまう。

でもそれは夢。
夢でしかない。

だから、私の涙に霞んだ目では…その先が見えない。

返事をしない私に彼は何を思ったのか、急に電気を消して、からり、と窓を引き開けた。
朝日は空を赤く染め始めたばかり。世界は早朝だった。

「もしも、」

彼の声が静かに空気を震わせる。
幸せな話題の筈がないのは、はじめから分かっていた。

「なあに?」

分かっていたけれど止める事はできなくて、私は彼を見つめた。

「もしも俺が戻って来なくても、リンは自棄にならないで欲しい」
「…な、に不吉な事を言ってるの」

血のような朝焼けの赤が怖くて、私は強がって明るい声を出す。

「負ける筈なんてないでしょう?神の国には勝利しか有り得ないもの」
「うん。それは勿論だけど、でも、約束して欲しい。リンは何があっても生き延びて、この戦争の終わりを見届ける、って」

すい、と伸ばされた小指。男児にしては細くて白い指。だから彼は、今まで私のそばにいる事が出来た。
一瞬だけ躊躇ってから、私もその指に自分の小指を絡ませる。

「分かった、約束する。…あなたも、絶対帰って来てね」

それは、本当なら言うものかと思っていた言葉。
何故なら、破られるのだと分かっている約束にしかなり得ないのだから。
でも私の口は反射的にその言葉を紡いでいた。

そう。
どれだけ無意味な願いでも、それは私の心からの思いだった。

彼は小さく頷いて私に身を凭れさせる。
その瞳にも、声にも、静かな自信が満ちていた。
彼は信じている。自分が生きて帰ってくることを。そして、この国が勝つことを。
彼が見つめる希望は翳りなく輝いていて、……直視するのは、私の目では辛すぎる。

「俺が帰ってくる時にはリンに綺麗な青空を見せてあげるから。こうして、次の時代の朝焼けを見せてあげるから」

彼の言葉に促されるように空の全体が朝焼けの赤に染まっていく。
その空の色も、朝の静けさも、彼が見せた真っ直ぐな瞳も、全てが私を恐怖させた。
それらが私から彼を奪うのだと、直感的に気付いてしまったから。

私は目を閉じた。
強く強く閉じた。祈るように。

私は感じていた。
この世界の終焉は、もうすぐだ。
それまで生きていれば、きっと彼の言う新しい世界の黎明を見ることが出来る。
私にはそれが可能かもしれない。

でも。
でも、彼は―――…


きっと、帰ってこない。


彼の背中に擦り寄りながら、心の中で祈る。

ねえ、せめて、少しでも長く私と同じ世界で呼吸をしていて。
少しでも長く、この世界を生きていて。

それが、希望を持てない私の唯一の望み。









時は無情だ。人間の思いなんて無視したまま季節は移ろっていく。
あっという間に梅雨が終わり、夏を迎え、





そして彼はいなくなった。









私は電気を消して窓を引き開ける。
そこには朝焼けを迎える前の暗い世界が広がっていた。
かつて彼が希望を語った、あの時と何も変わるところのない世界。

ただ、光がないだけ。

お伽話や活劇の主人公なら、こんな時は必ず生きて戻ってくるのだろう。どんな困難な戦いであろうと、きっと生き残るのだろう。
でも、私は知っている。
現実はそんなに甘くも優しくもない。
彼は名も無き存在として、消えてしまうのだ。
私は傍らの机の上を見た。
そこにあるのはぺらりとした一枚の紙だけ。彼の温もりも優しさも何も宿らない、たった数行の言葉だけが墓碑銘として手向けられていた。

は、と唇から重すぎる吐息が漏れる。

やっぱり奇跡は起こらず、彼は永遠に奪い去られた。
彼の姿は、もうここにはない。
もう二度と戻ってこない。
彼のあの、温もりさえ―――…

「…ねえ」

唇から、吐息と共に苦痛の声が漏れる。

「あなたは今でも…夢見ているの…?」

彼は最期まで夢見ていたのだろうか。
死の先でも夢見ているのだろうか。
私と一緒に、新しい世界を見る、夢を。
光に満ち溢れた、希望で彩られた、夢を。
否定してほしかった。夢は夢では終わらないのだと。現実になり得るのだと。

でも、やっぱり夢は夢のまま終わってしまった。


私は泣いた。
淋しくて。
悲しくて。
余りにも―――世界が暗くて。

どうせ、みんな死んでしまうのに!
私は声には出さず、半ば麻痺した頭で泣き叫ぶ。
なのにどうしてあなただけ先に行かなければいけなかったの!?
暗闇の中で何度も何度も彼の記憶を繰り返し思い出す。
二度と上書きされることのない記憶を掘り返しては涙する。
飽きるほど笑顔を、言葉を、感触を思い出し、やがて涙は涸れた。

彼は私に夢を語った。
彼は私に希望を語った。

私は縋るように空を見た。

何に縋ろうとしたのか、私自身よく分からない。
ただ、ここ数日空は曇っていた。昨日は晴れていたとはいえ、一昨日までには雨さえも降った。
まるで私の心を映すかのように。

彼の語った輝く光を、私は今でも受け取ることが出来るだろうか。
―――縋ることは、出来るだろうか。

あまりにも世界は暗すぎた。
夜なんて明けないんじゃないかと思った。
光なんて二度と差さないんじゃないかと思った。
でも私は暗闇に怯えながらも―――静かに祈り続けた。

早く、早く、早く、朝が来て。
私はひたすらにそう願う。
泣きながら、光だけを希う。
彼を慕うのと同じだけの強さで、光だけを希う。

―――晴れて。

閃くようなその思いが、私を貫く。



やがて、太陽が姿を現した。












周囲の喧騒を耳が捉えて、そこで初めて私は扉を開けて外へ出た。
市街地の中心を通る川沿いに人々が歩く。
遠くの方では学生達が色々な作業をしているのだろうけれど、私の家の近くではそういった気配もなくごく平穏な朝の風景だけが存在していた。

空はどこまでも深く鮮やかな青に染まっていた。
遮るものもなく降り注ぐ光に、私は目を細める。
真夏の日差しは少し目に痛い。彼の言葉と同じ位眩しい日差しが私の体を温めた。
この街の上はぽかりと雲が晴れて、青空が覗いている。
まるで奇跡みたいに。

―――奇跡、なのかもしれない。

ふと私の頭をそんな考えが過ぎる。
馬鹿みたい、と否定しようとして、もう一度空を見上げる。

空は晴れた。
私の願いを聞き届けるように。

ねえ。
もしもこの青空が奇跡なのだとしたら、この空の何処かにあなたは存在しているの?
私に希望を語ったあなたは、まだ、そこで私に変わらずに輝きを与え続けてくれるの?
諦めるなと。
泣くんじゃないと。
そう私を励ましてくれるの?
今になっても、元気付けてくれるの?

…分かっている。こんなのは自分に対する欺瞞に過ぎない。
英霊が戻ってくるにしても、彼一人の思いで空をこんなに綺麗に晴らすことはできな
いだろう。

でも、私は信じたかった。

この美しい青さが、強い温もりが―――彼の想いだと。

私は目尻に溜まった涙を拭って空を見上げた。
太陽は蒼空を昇り始め、世界を照らす。

綺麗な世界だ。
私は素直にそう思った。
私の涙さえ吸い込むような果てしないブルーに染まる、文字通りの蒼穹。





今、何時だろう。
八時を少し過ぎた位だろうか。






これから始まる今日を、私はきっ

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

THE DYING MESSAGE より

その空には本当は希望とともに絶望さえも飛んでいて。
だからこれがわたしの、

「空はブルー。だからこそ、六日の悲劇は起きてしまった。」


これ、リンの描写が本当に落とされる直前の描写で…うう…

歌詞がかなり凄いと思いました。メロディも流石。
というか、とりあえず本家に行くといいと思います!衝撃。

六日に投稿できてよかった。

閲覧数:943

投稿日:2010/08/06 00:00:48

文字数:4,556文字

カテゴリ:小説

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  • Aki-rA

    Aki-rA

    ご意見・ご感想

    危ない危ない。
    バスの中で泣きそうでした。うう‥


    そして私の中の神様の1人、鬱P様ではありませんか!ナイスチョイスです!


    それにしてもネタから感動作まで、やはり翔破さんは天才神様マスターですね。そしてまたいつかきっ

    2010/11/13 14:56:11

    • 翔破

      翔破

      メッセージありがとうございます!
      良いですよね、鬱Pさん!いつもの鬱Pも綺麗な鬱Pもどちらも好物です。
      私、初めてこの曲を聞いた時、思わず友人数人にメールしてしまいました…で、翌日「ちょっと落ち着け」って言われました。

      そしてバス…バス、か…バスは顔色見られやすいのでご注意を!
      でも、私の作品で泣きそうになってくださるというのは、物書きとしてとても光栄です。

      ちなみにネタや真面目系まで書くって言うのは、単にどっちか一方だけだとテンションがもたないからです。テンション乙!

      2010/11/13 21:05:12

  • 梨亜

    梨亜

    ご意見・ご感想

    はじめまして、梨亜と申します。
    いつも読ませていただいてます。

    今回、ラストのリンちゃんの「きっ 」で終わった瞬間に目からブリオッシュでした!!!
    つまるところ、感動しました!!

    ………あぁ、ぶっちゃけ感動してそのノリで書き始めたので文がまとまらないです(汗


    では、乱文失礼しました。

    2010/08/14 00:24:49

    • 翔破

      翔破

      はじめまして!
      この話は、私としても原曲を聴いてそのノリのまま書き上げたものだったので、梨亜さんにその衝撃の一端でも伝わっていれば嬉しいです。
      しかもいつも読んでいただいているとは…!ちまちまとですが、地道に書いていきたいと思っています。

      2010/08/14 20:43:46

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