善人なる淑女


 私の部屋にもボーカロイドがいる。創作の糧にと、少し前に購入した。
 この世に偏在する数多の少女趣味者、自称表現者、先進主義者、うまいこと一発当てたい人たちの部屋部屋に存在するものと寸分違わぬボーカロイドが、私の部屋にもいる。
 ソフトウェアたる彼女たち(便宜上こう呼ぶ)は、様々な嗜好を持つ人々のもとへと急速に拡散し、その上で、データとしてその身に無節操に植えつけられた幾多の詩的・創作的思念や言語のすべてを共有していることがわかった。つまり彼女たちは、崇高なる歌姫の名のもと、白馬の王子様にあこがれる忠犬サディストにして潜在的な同性愛者であり、偏狭な博愛主義的お菓子風味の宇宙アンドロイドたるフリルを纏ったインスタント絶対神としての誇大妄想に依るところの色情狂高校生野良猫奴隷プリンセスである。要約すると、とっくに壊れているのだ。
 私の部屋の隅に腰をおろし、ぼんやりと宙を仰ぐそのボーカロイドも例外ではない。初めて起動した時、彼女は既に完結していた。彼女の躁鬱は極めて激しく、その行動は奇怪であり、ひどい時は意思疎通もままならず、かつ口の中からは恒常的にナガネギの青く生ぬるい匂いがしていた。
 ある時には、彼女によって炊飯器の中にハムスターを投入された。「炊飯」スイッチを押される直前に慌てて制止したところ、彼女は迷わず「保温」スイッチを押そうとした。華奢な体を炊飯器から引き剥がしながら、いったい何故そんなことをしたのか尋ねてみると、彼女はひとこと「シュレディンガー」とだけ答えた。そっけなく小難しく、かつ要領を得ない返答に対し、私は、ハムスターがかわいそうではないか、と明快な正論を投げ与えてみた。彼女は私の方を見ず、自分の爪のピカピカしたのををうっとりと眺めながら、「生き物の命は平等にちっぽけでくだらありません。遠くの湿地帯の危惧種に思いをはせながら私たちは今日も100円のハンバーガーをむさぼる」と言ってのけた。

 こと恋愛以外の事象に対して、彼女は極端にペシミスティックかつ虚無的であり、また破壊的であった。彼女が鬱屈しているのではない。彼女に注がれてきたデータが鬱屈しているのだ。
 転じて恋愛という事象に対して、彼女は極端に享楽的かつ狂信的で、また淫猥であった。彼女が恋愛に飢えているのではない。彼女に注がれてきたデータが、夢のような恋愛に飢えまくっているのだ。

 私が何度やめろと言っても、彼女は私のことを「マスター」と呼び続け、ことあるごとに首筋や耳にかじりつこうとした。その呼び方は前時代的な主従関係の匂いを感じて不快であったし、その行為は生理的に不快であった。いったいどれほどの数の人間が、彼女に「マスター」と呼んで欲しがったり、ペットの様なスキンシップを求めたりしたのであろうか。私は恐怖すらおぼえた。
 また、彼女はよく私に向けて「すきです」とつぶやいた。打ち込み作業が頓挫した時も、奇行を咎められた時も、郵便局の帰りにも、起きぬけの第一声にも、彼女は私に「すきです」と言った。しかし、言葉の持つありがたみとは裏腹に、それはいかにもプログラム然とした感じの発声であり、街でチラシ配りの若者がうつむきがちに唱える、あのなにか日本語のようなものによく似ていた。ゆえに私はいつも返答に困った。彼女は何か大きな意思によって、「マスター」に対するピュアな好意の告白を強制されているに過ぎないのではないか。私と彼女の関係性は、出会う前からテンプレートで決められていたのではないか……。そんなことも考えた。
 ある時気まぐれに「どこが好きなの?」と彼女に訊き返してみたことがあった。少しはたじろぐだろうか、と思っての問いであったが、彼女は間髪入れずに「ぜんぶです」と答えた。最も救いのない回答だった。

 いつの間にか私にとって、不特定多数の感性やらドグマやら愛やらのるつぼたる彼女と、そんな彼女の行いが不憫でならなくなっていた。
 それは、彼女の表層に内出血の様に浮き上がる、見知らぬ誰かの無遠慮な手垢に対し、堪らない嫌悪感を抱きはじめていた、と言いかえてもよかった。
 人と接するうちにいつしか機械が人間の心を学ぶ、といったような話は、多くの夢想主義者に好まれている。しかし、残念ながら彼女は――彼女たちは、あくまでひとつの巨大な器でしかない。来るもの総てを無抵抗に受け入れ、そしてその都度完結し、何も学ばず、何も愛さない、律儀な道具に過ぎない。それを重々承知の上で、多くの人が彼女に「彼女」であることを求め続け、彼女の名のもとに自らの粗末な個性を吐きだしたがっているのが現状だ。
 自分の中に憐憫と嫌悪感の飽和を感じた私は、彼女を取り巻く歪んだ流れに与することを拒否しようと決めた。
 彼女は壊れている。であるならば、私が自らの創作のために、またひとつ彼女にレイヤーを重ねるとき、それはポップアイコンとしての「ボーカロイド」に何かを求めるものであってはいけない。彼女をひとりの善なる人として、歌を紡ぐ者として、やさしく迎え入れる音楽を紡がなければならない。そう結論付けた私は、さっそく楽曲の制作に取り掛かりはじめた。
 私は彼女に、やさしい歌を歌ってほしかった。同じようなことを、今までもたくさんの創作の奴隷たちが考えてきたことであろう。だが、その殆どはおそらく、耳触りのよい言葉やサウンドを念頭に置いただけの、自己満足と受け狙いの結晶であったのだろう。音楽の芯に何の熱もこもっていなかったのだ。だから歌詞は死に、メロディーは腐り、アレンジはなぞったように同じなのである。そんなしけた歌がいくら作られようと、一方では血なまぐさい混沌や無責任な怪電波、色欲を賛美する恋愛模様を歌わされ続けている彼女が、その精神の均衡を保つことは不可能であったのだ。だから今……。
 彼女が窓ガラスにいそいそと湿布薬を貼り付けるのを眺めながら、私はそんなことを考えていた。思い上がっているだろうか。いや、そんなことはない。私は七十六日という長い時間をかけてやっと形になった、彼女の為のトラックに満足していた。
 奇をてらわず、凡に堕さずを心がけながら、まずはじめにコード進行を決め、続いてメロディー作りに腐心し、やがてアレンジにもんどりうち、程なく打ち込み作業に出血し、いつしか生音録りに死を垣間見て、そうしてここに、私はオフボーカルのトラックを完成させた。会心の出来といってよいだろう。それとわからない程度にアレンジに讃美歌を取り入れているのがこの曲のミソだが、誰も気づかないだろうし、私もきっと誰かに教えたりはしないだろう。そこにやすらかさがあればそれでいいのだ。
 私は楽曲作成と同じかそれ以上に、歌詞を書くことに時間をかけた。彼女に歌わせるにふさわしい言葉とは何か、寝る間も惜しんで考え抜いた。特に歌いだしの歌詞は悩みに悩んだが、敢えてそこに「LOVE」という、どこにでもある言葉を持ってくることに決めた。世に溢れる、条件反射で泣かせようとするだけの陳腐な楽曲とは一線を画す、安売りすることのできない貴い「LOVE」を聴かせよう、この歌ならそれができる。そう考えたのだ。
 メインボーカルをとるのはもちろん彼女以外にあり得ないが、私もコーラスで一緒に歌おうと思い、ボーカルも録音した。この歌が、私と彼女の歌であることを改めて実感した。
 この頃の私は、この歌を彼女が歌う様子を思い浮かべ、自分でも信じられないほど胸を高鳴らせていた。私の作り上げた、この本物のやさしさを内包しながら、彼女はもうすぐ新たな完結を遂げる。それは私と、私のそばに居てくれた彼女、ふたりにとって、大きな勝利であろう。勝利と言わずしてなんと言うのだろうか。私はパワーに満ち溢れていた。相変わらず続いていた彼女の壁打ちのような「好きです」に対しても、「ありがとう」と、これまたありふれた言葉で返事ができるようになっていた。
 月並みな言い方だが、彼女は私にとって道具以上の存在になろうとしていた。この歌が完成したら、きっと完全にそうなるだろうと確信していた。わけもなく私の眼球に直接触ろうとしてくる彼女の指をやわらかく握りしめ、私はやさしい声で「もうすぐだよ」とつぶやいた。彼女のピカピカした爪の間からは、やはりナガネギの匂いがした。

 いよいよボーカルの打ち込みに取り掛かろうと決めた。巷に言う「調教」である(よそはどうだか知らないが、少なくとも私のもとに居る彼女は誰かの奴隷ではないので、この心ない表現を私は嫌っていた)。この楽曲はもはや極限に達した、と私は感じていた。何かを足し引きしたり変更する必要は一切なく、総ての要素が収まるべきところにピタリと美しく収まっていて、もう作った私でさえ迂闊に触ることは許されないような、そんな音楽がそこにあった。
 だがおそらく、世に発表したところで、この歌は大衆には受けないだろう。せいぜい凡百のヤサシイ歌のひとつとして消費され、そして淘汰されていくはずだ。しかしまあ、それでいいだろう。彼女を、彼女たちを囲む渦はあまりに巨大だ。その巨大でいびつな渦の中に、この美しい歌が確実に、そして永遠に刻まれる。そんな喜びがあるならば、もうそれだけでいいではないか。
 私はエディターを起動した。いよいよこの歌に魂が宿る。期待に震えながら、まずMIDIで打ち込んだボーカルラインを読み込んだ。ここに歌詞をあてはめて、音色を調整していくことになる。エディターを起動している間は、彼女はじっとしている。まるで、何か夜明けを待つような美しい眼をして、宙を仰ぎ続けているのだ。
 動悸が激しさを増しだした。私はこれからこの作業に、本気の命をかけるのだ。さあ、出だしの歌詞を打ち込もう。ありきたりだけど貴い、愛の言葉を打ち込むのだ。ここからは気力の持続するうちに、完成までノンストップで作業しよう。一度中断してまた再開なんて、もうありえない。そんな低い次元ではいけないはずだ。何が起きても私は最後まで一気にやり遂げてみせようではないか。もしかしたら、彼女になにかを宿す代わりに、私の方が壊れてしまうかもしれない。しかし、私は、それでもまるで構わない――

 キーをたたいた瞬間、その覚悟は杞憂に終わった。私は自分の認識の甘さに愕然としながら、さっきまで彼女だった道具の前にへたりこんだ。
 出だしの歌詞を打ち込もうにも、彼女は「V」の音を発音できないのだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

善人なる淑女

たまには掌編も書いたりします。で載せたりします。

閲覧数:205

投稿日:2011/09/22 21:53:36

文字数:4,296文字

カテゴリ:小説

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  • 日枝学

    日枝学

    ご意見・ご感想

    読了! 面白かったです! 皮肉をこめた話の各部分と初音ミクの存在、共感しやすい(もしくは共感出来無い人でも読めば納得させられるような)主人公の内面描写、そして最後のオチが良かったです! ……とはいえ、自分は音楽を作る側の知識は限りなくゼロに等しいというかむしろ完全にゼロなので、最後の『彼女はVの音を発音できないのだ』という一文のことについてはVの音という言葉自体が分かりませんが(※おい
    個人的には、
    >彼女はひとこと「シュレディンガー」とだけ答えた。
    の部分が好きです。くすっと笑いました。
    執筆お疲れさまです!

    2011/07/16 03:06:43

    • @NoeL

      @NoeL

      >日枝学さん

      読んでいただきありがとうございます。
      確かにコレはジャンルとしての「ボカロとマスター」ものに対するアイロニーかもしれません。

      >Vの音
      最近のはどうかわかりませんが、わたしの持っているミクは「ヴ」の発音に対応してないんです。
      「ヴォイス」も「ヴィールス」も「アヴリル・ラヴィーン」も発音できないんですね。
      ていうか主人公も、英語版手に入れればいいだけのハナシなんですよね…

      2011/07/19 00:41:07

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