第十四部 青の王子
鬼も逃げ出しそうな殺気を放ちながら、嬉々として謁見の間を出て行く親友の背中を見送った。
運の悪い奴だな。その外交官も。
内心で呟く。他国から来る外交官に毒を盛られたことなど、レンは普段きっちり記録しつつも感情的には全く気にしてはいない。
今回あれほど憎悪を漲らせているのは、偏にアズリがその火の粉を被ってしまったからだ。
「しっかし、セシリアとの婚姻関係で一度話したけど、まさか自分の母親を無理やり正妃にしてまで王になろうとする人間には見えなかったけどな」
レンとのやり取りを見守っていたカイルは、どこか懐かしげに目を細めた。
「そうですね。正直情けない事に、私は王族の者としては珍しい程権力というものに興味がありませんでした。私の母は王妃の中でも若く、そして欺瞞だらけの政治そのものを好いてはいませんでしたから、私も与えられた立場を全うすることだけを考えていたのです」
「別に自分の役割をこなしてたなら、何も情けなくねえよ。組織を自分の思い通りにするために、誰かを蹴落とそうとする方がよほど問題だ」
紅蓮の鉄槌時代、そう言う輩を何人見てきたか、そしてその内の何割かはイルがその手で処分する羽目になった。
「ありがとうございます。例え国を己が意志で動かそうとする野心は無くとも、愛国心だけは王族の者として恥ずかしくないものを持ち合わせております。赤の国から話を持ちかけられ、王宮の半分以上の人間はその案を支持しました。しかし、私にはそれが正しい判断とはどうしても思えませんでした」
そうか? イルは頭の中だけで首を傾げた。国を再建した直後、一体何人の赤の国外交官が手助けという名目で、内政干渉の乗り出してきた事だろうか。
当時十六歳だったイルは今以上にそう言った厚意に見せかけた悪意に鈍く、レンとディーがいなければ早々に赤の国の傀儡になっていた事は間違いない。それも今から思い返せばそう気がつくだけで、四年前はその危険性すら認識していなかった。
レンが政治やら経済やらを、実地訓練を積みながら辛抱強く教えてくれたからこそ、今となってはそれなりに駆け引きというものもできるようにはなったのだが。こんな風にあの宰相が他国の政治家とイルを二人にしておく事を許すなど、本当につい最近の事だ。
その事実を踏まえれば、他国から黄の国の政治がいつ倒壊するか分からない、極めて不安定なものだとみなされても文句は言えない。イル本人がそう思うのだ。レンという至高の天才の存在を良く知らない青の国が、長期的に見て信頼に足りないという判断を下すのは不自然ではない。
そこに赤の国という大国から飴を差し出されれば、そこに乗ってしまうのも頷ける話だ。
「そりゃ、そう思ってくれて光栄だな」
こう言ったが、内心の疑問が表に出てしまったらしい。青の国の王子はそれを見透かしたようで、追加に説明しだした。
「恐れながら、もし私が婚姻パーティーで陛下と宰相閣下にお会いしていなければ、国の決定に従い黄の国侵攻の片棒を担いでいたかもしれません」
「物騒な話だな」
当たり前だが、イルは戦争が嫌いだ。十四の頃に半年間、たったそれだけの期間だったがもう殺し合いはお腹一杯だった。仲間が傷ついて死んでいき、そしてその骸に縋って泣く遺族を見るのは、できればあの革命を人生最後にしたかった。
「私は王宮の中、内部の人間達の薄汚い権力闘争を間近に見て参りました。先程も申し上げた通り権力そのものには興味がありませんでしたが、冷静な分彼らを良く観察できました。その所為か、人を見極める目は良く養われたと自負しております」
「そういや、レンもそんなこと言ってたな。俺は人間に関わらず、何かを黙って見ることができなかったから、羨ましい」
心からそう言うと、カイルは苦笑いした。
「人を陰からこそこそ見て分析するなど、陛下には相応しくありませんよ」
「どこかの宰相と同じ事言うなよ」
「申し訳ありません。パーティーで陛下とお会いした時、貴方の素晴らしいお人柄には驚かされ、同時に意外でもありました」
世辞はいいっての。そう言いたいが、彼に効果があるとは思えないので無視することにする。
「意外?」
「復唱になってしまいますが、陛下は幼いと言っても過言ではない程の若さで、有史上最大と言われた革命を成功させました。その産まれたばかりの脆弱な国政で、黄の国が弱る所を狙っていた赤の国からの強引な交渉をやり過ごすなど、どれほどに聡明で威厳の持った方なのかと想像しておりました。ですがそれをするには、陛下はあまりにお優しく真っすぐな方に見えたのです」
「そりゃ、意外にも思うだろうな」
軽い笑いが漏れた。数多の権謀術数を駆使してそれをやってのけたのは、イルではくレンだ。
「宰相閣下にその後でお会いし、初めて合点がいきました。全ての政治的な功績は、陛下と同じくらいお若い彼のものなのだろうと」
「良く分かるな。あいつは能ある鷹はなんとやら、だと思ってた」
その本心のみならず、レンは自分の有能さもぎりぎりまで隠し通す癖がある。
「私の唯一の得意な事でしたから、辛うじてと言ったところです。彼程の交渉術と知性があれば、決して不可能なこと、いえ、もしかすると難しい事でもなかったのかもしれません。しかし、私はそれに感心した分と同じだけ、恐怖も抱いてしまいました」
「へえ?」
疑問符を返しながらも、その理由はなんとなく検討が付いていた。それでも先を相手に任せたのは、カイルに対する興味からだった。
「失礼ながら宰相閣下には、その優秀さと反比例した脆さがあるように思えたのです。更にそこに隠されているのは、御自身でも制御しきれない憎悪のように見えました」
心底、目の前に居る青の王子の人を見る目には感心した。一度会っただけで、レンの内情を底まで見抜くことができるとは、並大抵の観察眼では無いだろう。
「ですが同時に、宰相閣下には信念もあるようでした。己の信じる絶対の主を、しっかり持っている事に気がついたとき、私は黄の国の強靭さを見たのです。同時に、お恥ずかしい話ですが無気力でただ定められたものに唯々諾々と従っていた私は、お二人を見て祖国の奉仕という志を新たにすることができました」
そんなに大層な事をしたつもりはないが、あの時何気なく関わりを持った事が今の状況に繋がっているらしい。つくづく、何がどう転ぶか分からないものだ。
「とは言っても、私が立場を超えて動いても王宮に混乱を招くだけだとは知っておりましたので、具体的な事は何もしませんでした」
青の王子が頭を掻く。その落ち着きこそ、イルには器の大きさの証明に見えた。
「で、その王宮の混乱に目を瞑ってでも、黄の国との戦争は回避するべきだと?」
「もちろんです。確たることは分かりませんが、少なくとも楽な戦いには絶対になりません。いくら赤の国に兵器を作る資源があったとしても、人間食べなければ生きていけませんから」
今や食糧確保において、全く黄の国に頼っていない国は大陸にほとんど存在しない。戦争が起きればその瞬間全ての輸出は即時中止され、どれほど備蓄があったとしても国民達には日常生活において負担を強いることになる。
もし黄の国制圧を試みるとすれば、それは時間との戦いだろう。三国同盟すればもちろん黄の国の戦力を凌ぐが、一度戦いが長引いてしまえば消耗戦になる。カイルの指摘する通り、人間食べねば生きていけない。黄の国が輸出を停止するだけで、他国は補給の無い籠城戦をさせられるも同然なのだから。
更に、真っ先に飢え始めるのは言いだしっぺの赤の国だ。国土のほとんどが砂漠と荒野であるあの国は、自国で取れる豊富な資源と食糧を交換することでしか生きていけない。
結論として、黄の国の敗戦条件は二つ。三国の同盟が一部の隙もなく成立することと、奇襲を成功させる事だ。仮にも大陸最強の黄の国だ。一度身構えてしまえば、相手が備蓄を使い果たすくらいまでは持ち堪えられる。
後者は、今黄の国が戦争の可能性を察知した事で潰れた。そして同盟だが、この王子様が居る限り一枚岩の成立はあり得ないだろう。
「もう一度言うが、知らせてくれて本当にありがとうな」
「いえ、私自身のためにした事です。付き合ってくれた部下に、友人にとんでもない事をさせてしまいました。彼らの家族にも、どうお詫びしていいか分かりません」
大義のために、身近なものを躊躇なく切り捨てる。これがどれほど難しい事か、そして同時に組織を形作っていくためにどうしても必要である事を、イルは嫌という程知っていた。
そして『父』から教えられた、人の上に立つ者としての心構えも忘れていない。
いくら必要だと理解していても、それを当然と思ってしまえば、いくら崇高な理想もただの我儘に成り下がる。
忘れる事は許されないのだ。犠牲にしてきた者の痛みは、それを与えている自分達より遥かに辛いものだと。
だから友人達が傷ついた事を、守ることができなかった事を心から悔やんでいるカイルに、イルは並々ならぬ敬意を抱いた。
「カイル王子が、次の王様になれるよう心から祈るよ」
「ありがとうございます。どうか私の事はカイルとお呼びください」
「そっか? じゃあカイルも俺のこと名前で呼べ。あ、様も無しな。カイルの方が年上だろ」
レンが聞いたらまた『威厳が無くなる』と怒られそうだが、イルの中ではもう彼は友人だった。
「いえ、しかしそれは」
さすがに一国の主を他国の王子が呼び捨てにするのは、簡単に了承できるものではないらしい。が、その事情を酌んでやるほど赤毛の青年は優しくなかった。
「いいからいいから、怖―い宰相はこの手の事では俺にしか怒らねえよ」
「は、はあ」
青の国の王子が困り果てていると、謁見の間の扉が開いた。入ってくるのは金髪の大臣達だった。
「宰相殿からのお達しで、国境警備軍を倍に増員し斥候も精鋭部隊を送りましたので、その報告に伺いました。……挨拶が遅れましたが、お初にお目にかかります。王子殿下」
巨漢の武人が敬礼しながら報告しカイルに頭を下げ、隣の細身の元参謀役も賓客に会釈だけして続いて口を開いた。
「こちらも不愉快なことに宰相殿からの指示で、三国への輸出量と推定国内消費量から、無補給での戦闘可能期間を算出いたしました」
「二人ともご苦労さん。あいつ、もう尋問は終わったのか?」
まだレンがここを出てから丁度一時間しか経ってない。親友の仕事が早いのは今に始まった事じゃないが、あの様子なら必要不必要に関わらず宣言通りの時間は『尋問』に費やすと思っていた。
「いえ、途轍もなく迷惑なことに、拷問室に彼共々呼び出されましたよ」
ディーはこれ以上ない程渋面だ。そう言えば総務大臣はもちろん、悲惨な戦場を見慣れているはずの国防大臣ですら少々顔色が優れない。
「確かに情報収集に効果的とはいえ、飯が不味くなりますな、あれは」
唯一イルに比肩し得るレンの理解者であるヴィンセントすら、うんざりしたように天を仰いだ。
「あー、まあ、ご愁傷様。アズリがその外交官から貰った毒菓子食っちまったからな」
イルのフォローに、ヴィンセントだけはほんの少し嬉しそうに顔を綻ばせたが、隣の元参謀役は不愉快ここに極まれりと言わんばかりだ。
「悪趣味にも程があります」
きっぱりと切り捨てながらも、無理やりに気を取り直したようでカイルに向き直った。
「王子殿下につきましては、宰相殿からダヴィード護衛官との御歓談の場を設けるようにと承っております。ご案内いたしますので、今からおいで頂いてもよろしいでしょうか」
ほとんど選択の余地の無い提案に、青の王子は即座に了承した。
「もちろんです。これ程の御厚情を頂けるとは、想像もしておりませんでした。しかし、マリルはどうなっているのでしょう」
「そちらも可能な限り早く手配いたしますが、何分彼女は国王陛下暗殺の首謀者であると王宮の人間に知られております故、少々お時間を頂くことになります」
ディーに出口を促され、しかしカイルは再びイルに向き直った。
「陛下、迷いがなかったわけではありませんでしたが、陛下の器の大きさと自分の判断を信じてよかった。そう、心から思います。どうお礼を申し上げていいか分かりません」
「双方良い話だったと思うぞ。もし感謝してくれるなら、名前で呼べよ。カイル」
イルの人生において、同年代の知り合いというのは非常に貴重なのだ。紅蓮の鉄槌時代も、たったの十四歳であった彼と同じ年齢で同じ場所に立てる戦士は居なかった。
礼儀正しい青の王子の中で、どういう葛藤があったのかは分からない。しかし、謁見の間から退出する寸前に、なんと彼はこう言った。
「イル、貴方は剣術の天才と聞いています。今度一度手合わせ願えませんか?」
思わぬ申し出に、昔と変わらず武術訓練を愛してやまないイルは、満面の笑みで応えた。
「おう、この滞在中に一回は必ずな。楽しみにしてるぞ」
イルの言う一回の稽古というのは半日単位だ。それを知っているディーが憐憫の目でカイルを見るが、結局何も言わずに扉を閉じた。
「こんなときだと言うのに、楽しそうだな。それほどあの王子殿下が気に入ったか? イル」
イルにとっても最大の理解者の一人である『父』は、ほとんど確信しているようだった。
「ああ、俺にとっては数少ない友人だ。あいつが王様になったら、もっと仲良くなれるかもな」
仰々しい玉座から降りて、部屋に戻り始める。手合せ楽しみだ。と心から言うと、イルの心情とは違ってヴィンセントは心配そうだった。
「頼むから、怪我をさせないよう気をつけてくれ。彼がレンと同じく、君の攻撃を避わすことが異常に上手いとは限らないからな」
定期的に、レンはイルとの剣術訓練に付き合わされている。もっとも、イルの趣味以前の問題としてよく襲撃されるらしい宰相にはあって損は無い技術だ。
そして幼少からずっとイルに木剣で殴られ続けているためか、親友は近年イルの剣撃をほとんどその身体に受けることがなくなった。それも身体能力の向上によるものだけではなく、動きを読んで回避行動に入るのが早いのだ。
これだけ長年見て来て、ようやく君の攻撃手順を覚え切れたんだよ。
強くなったなあ、と、そう声をかけたイルにレンはこう答えた。イル本人すら自覚していないものを、レンは十四年がかりで全て記憶したらしい。
我が親友ながら、全くもって意味不明な程頭の良過ぎる化け物だ。
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【ネバーランドから帰ったウェンディが気づいたこと】
恐らく私は殺される
なぜ?誰に?
それが分からない
ただあの世界(ネバーランド)から無事帰ることができた今、私が感じた「ある違和感」をここに書き記しておく
私に「もしも」のことが起こった時
この手記が誰かの目に届きますように
-----------...ネバーランドから帰ったウェンディが気づいたこと【歌詞】
じょるじん
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