その数日後の部室で、私はハクちゃんとたまたま二人になった。
「そう言えばハクちゃんのお母さん、珍しいわね。普通、レギュラー陣でもなかなか応援に来ないのに」
 スポーツに力を入れているエリート校なら親も気合いが入るだろうけど、うちのような平均レベルの高校では、レギュラーでも応援に来るのは少数派だ。レギュラーでない子の親なら、皆無といっていい。うちの母だって仕事が忙しいから、そもそも応援にも来れないし。仕方ないけどね。……去年から、母子家庭になってしまったんだもの。もともと共働きの家庭だったけど、それ以降、母は今まで以上に仕事に打ち込むようになった。「しっかり稼いで、あんたたちを大学までは出させるから」って言うのが、最近の口癖。
 ……って、暗いぞ、私。落ち込まないって決めたんだ。私が落ち込んでたら、レンはどうなるの?
 ハクちゃんは暗い表情で、うつむいた。そしてぽつんとこう言った。
「……あの人は母親じゃありません」
「え?」
「父の再婚相手……つまり、継母なんです」
 私は呆気に取られた。こんなことを言い出されるなんて思っても見なかったから。
「え、え……」
「すいませんこんな話して」
「じゃあ、あの、リンちゃんだっけ? あの子とも血が繋がってなかったりするの?」
 今思うと、何を訊いているんだって感じだ。そんなデリケートなことを、ほいほい訊くものじゃない。とはいえあの時の私は混乱していて、何か喋らなくちゃという気持ちが強かった。咄嗟に口から出てきたのが、これだったのだ。
「リンは血の繋がった妹です」
「そうなんだ……」
 あのお母さんと、ハクちゃんのお父さんの子供なのかな。となると、色々難しいものがあるのかもしれない。
「あの……先輩、あたしの話、ちょっとだけ聞いてもらえますか?」
 ハクちゃんがそう言い出したので、私は頷いた。
「いいけど……」
「あたし、姉がいるんです。三つ上の。成績優秀で素行も問題無しで、おまけに美人です。レイディ・パーフェクトって言葉を進呈したくなるような、そんな人なんです」
 ハクちゃんには妹だけじゃなくて、お姉さんもいたのね。それにしても、レイディ・パーフェクトか……。
「姉は十二の時に榛崎中を受けて、あっさり合格しました。そして六年の間学年のトップを取り続けて、今年、これまた難関の大学にストレートで合格しました」
 榛崎といえば、有名な進学校だ。そこで学年トップ……どれだけ頭がいいんだろう、そのお姉さん。ハクちゃんより三つ上だから、私とは一つ違いか……うーん、世の中にはそんなに頭のいい人がいるのね。でも、それだと妹としては、辛いだろうなあ。私、優秀すぎる姉じゃなくて、良かったかも。少なくとも、私がレンのプレッシャーになることだけはないだろう。
「ちなみに、榛崎はあたしの父が出た学校です。父は、あたしにも榛崎を受けさせたんですけど……」
「駄目だったのね」
 受かっていたのなら、ここにハクちゃんはいないはずだ。ハクちゃんは頷いた。
「落ちました。それからの三年は針の筵にいるみたいでした。中学は仕方ない。でも高校は絶対受かれって言われ続けて。でも高校も駄目だったんです。別に榛崎に行きたかったってわけじゃないんですけど、いえむしろ、姉と同じ高校って嫌だったんですけど……だって絶対、比べられますから……」
 確かに、比べられるというのは気持ちのいいもんじゃない。私がまだ小学生の時、クラスに一人滅茶苦茶優秀な子がいて、担任の先生が何かというとその子を引き合いに出していたことがあったんだけど、あれは今思い出してもいらっとくる。もっともこれは学校内だけでのことだから、帰宅すれば関係無いし、学年が変わるとクラスが変わってその子とは疎遠になった。でも、ハクちゃんの場合、相手は血の繋がったお姉さんだから逃げ場がない。……想像しただけで鬱々とした気分になってくる。
「リンは小六です。父はリンにも榛崎を受けさせる気でいます」
 ハクちゃんはそう言って、震えだした。私はどう言葉をかけていいのかわからず、無言でその場に立っていた。
「リンは多分受かるでしょう。今の段階で、学校の先生も家庭教師も『合格ラインに達している』って言っているし……。あたし、最低な姉です。リンがどんなプレッシャーを感じているのかもわかっているし――あたしが落ちてから、父はリンの教育にやっきになりだしました――落ちたらどういう扱いを受けるのかもわかっているのに、リンが落ちればいいと思ってしまうんだから」
 うわ……ちょっと、それは……。
「なんであたしだけ、デキが悪いんだろう……小さい頃からそうでした。あたしは勉強ができないってずっと言われ続けて」
 えーっと……うちの高校も、一応そこそこのランクなんだけどな? 榛崎よりは下だけど。うちに受かったんだから、箸にも棒にもかからないってことはないと思うんだけど……。
「高校受験に失敗してからは、父はもう、あたしのことなんてどうでもいいみたいで。きっといらない子なんですよ、あたしなんか」
 参ったわね……こういう時、どういう言葉をかけてあげたらいいのかなんて、さすがにわからない。私はこの手のプレッシャーとは無縁だからなあ。勉強しろとか家事をしろとか、お前は姉なんだから弟の面倒を見ろとかは言われてきたけど、一番上だしパーフェクトな兄姉もいないし。レンとは年が離れてるし性別も違うから、そんなに比較されることもない。そもそも、レンは別にパーフェクトな弟でもない。学校の成績もそこそこだし、イタズラ好きな一面もある。本人も親も中学受験に興味ないから、公立に行くことは既に決定済みだし。
「うーん……でもねえ……私が見たところ、ハクちゃんは根気はあるわよ。それは私が保証するわ。だってこうして続けてるでしょ?」
 根気の無い子はすぐ辞める。今年も何人も辞めていった。
「先輩……そんな、無理に慰めてくれなくても……」
「無理な慰め口にできるほど、私器用じゃないから。ハクちゃんは確かに上達は遅いけど、それでも、前に比べたらサーブ入るようになってきてるし、ラリーも続くようになってきるわ」
 上達に近道はない。体力をつけ、練習をこなし、試合に出て経験を積む。
「けど……それって本当に些細な進歩だし……」
「あのね、ハクちゃん。例え世間から見たら些細なことでも、コツコツやっていけば、その後には何かが残るの。私はこの高校で三年間バドミントンをやって、一番いい成績で都大会のベスト8だけど、自分なりに全力は尽くしたって思いがあるし、それだけは胸を張って語れるわ」
 私はハクちゃんの背を軽く叩いた。
「だからハクちゃんも、とりあえず、やれることをやってみて。ね?」


 私は三年だったからこの後部活は引退したけれど、受験しなかったこともあり――早いうちに、高校を卒業したら専門学校に行くと決めていたのだ――度々部活に顔を出して、後輩の様子を見ていた。
 ハクちゃんは相変わらず上達は遅かったけれど、それでも頑張っていたし、私も練習につきあったりしていた。少なくとも、やる気だけはあったのだ。
 私の卒業式の日、ハクちゃんは涙ぐみながら「先輩がいなくなると淋しいです」って言って、他の後輩たちと一緒に花束を渡してくれた。それが、ハクちゃんに会った最後だ。
 ……何があったんだろう? もしかして、失踪でもしたとか? でも、リンちゃんは訊いてほしくなさそう。あんまりしつこく訊くとレンが怒るだろうし。
 そういやあの当時は考えてもみなかったわね。レンが榛崎高に進学するなんて。中学に入った頃からぐんぐん成績が伸びて、これならいい高校に行けると先生方から保証された結果、本人もその気になって、あそこを受けた。その頃にはハクちゃんのことは憶えていても、リンちゃんのことは忘れていたんだけど。まさか当人をレンが連れて来るとは……。中学からなのか、高校からなのか、どっちなんだろう。
 そう言えば、ハクちゃんの家は異常に厳しかったはずだ。以前部活のみんなで休憩中に漫画の話になった時、全然漫画を知らなくて「なんで知らないの?」って訊いたら「家で禁止されているんです」って答えたので、みんなびっくりしちゃって。勿体無いよね~という話になって、みんなで漫画を持ち寄って見せてあげたりしたんだっけ。姉妹の一人だけ禁止っていうのは考えにくいから、リンちゃんも同じなんだろうな。
 あれ……となると、今日、レンがリンちゃんを連れて来たのって、『RENT』を貸せないからなのかな? それに、あれだけ厳しい家の子じゃあ、交友関係もきつく制限されている可能性が高い。リンちゃん、今日、どこに行くのか誰にも言ってないんじゃないの?
 なんだか、ややこしいことになりそうな気がしてきた。う~、大体こういう予感って、当たるのよね……。とはいえ、私にできることなんて限られている。せいぜい警告と、何かあった時の手助けぐらい。
 で、やっぱり気になるのはハクちゃんだ。えーっと、ハクちゃんの連絡先、連絡先……このメールアドレス、まだ使えるのかな。駄目元で送ってみよう。

ライセンス

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  • この作品を改変しないで下さい

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投稿日:2011/09/29 18:37:06

文字数:3,762文字

カテゴリ:小説

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