その日の午後、中庭に戯れる機械たちの姿があった。公孫樹の根元にうずくまる少女の顔をしたロボットと、三人の少年の顔をしたロボットがいた。
「トゥエンティ、トゥエンティワン」
「おい、イライザのやつまた十で止めてないぞ」
「本当だ。いつまでたっても覚えないなあ」
木陰からイライザというロボットを見つめ、機械たちは肩をすくめ合う。
「なあ、アーマ。やっぱりあいつ欠陥品だよな、だからここに来たんだ」
視線の先にアーマはいなかった。もう一人のロボットが公孫樹の木の方を指差して「あれ」と言った。アーマはイライザのすぐ後ろに立っていた。
「何やってんだよ。あいつも欠陥品か」
おい、と遠くから呼ばれる声がしたが、アーマは気にせず少女の後ろに立ち続けた。
「ワン、トゥ、スリィ」
「あれ、一に戻るんだ」
驚いた表情でイライザは振り向いた。
「もしかして、日本語はだめなのかな」
「いいえ」
首を振る。おかっぱの形をした赤毛の人工毛髪がさらさらと西日の中に揺れた。
「より多くのファジイに対応するため、言語は二十一カ国語が入力されているわ」
「そう」
相槌を打ち、アーマは微笑んだ。
「かくれんぼ、飽きたね」
「こういうのって、人間の子供が楽しむものだわ」
「そうだね」
「子供の感情を理解するには、より多くの曖昧さを考慮に入れなければならない」
「それで?」
「不可能。だから、情操教育用の機械に真面目に付き合う必要なんてないのよ」
「どこかでお話ししない?」
唐突な注文に、イライザは眉一つ動かさずに頷いた。
「おい、あいつらどこか行っちゃうぞ」
「みたいだね」
「かくれんぼはどうなるんだよ」
一方の機械が不平を言ったが、アーマとイライザには届かなかった。
イライザを先頭に中庭を抜け、第二病棟の裏に回る。長年放置されたらしい蓮池の周りを医療機器が占拠していた。以前、この病院が人間のために使われていた時代のものだとアーマは理解した。十年前に比べれば病気の数は格段に減り、多くの病院が国の命令で閉鎖された。この病院もその一つで、機械病院に転用された一つであった。
「お話をしましょう」
廃棄されたエア・コンダクターに腰かけながら、事務的な口調でイライザは言う。
「もしかして君は対話のためのアンドロイドなのかな」
「ええ」
「じゃあ、カウンセリングロボットなんだ」
「ええ」
頷く。
「子供向けのカウンセラーとして作られたわ」
「どうしてここに来たの? 君も夢を見たの?」
「ええ」
「どんな夢?」
それが、アーマの知りたいことだった。他の機械の見る夢は、どんな夢だろう。その夢は先生を傷つけない夢だろうか。
「聞いたら、十中八九笑うわ」
「笑わない」
「妊娠する夢よ」
アーマは笑えなかった。どんな表情を作ればいいのか分からなかった。
「お腹が大きくなって、胸のあたりがすごく熱くなる夢」
イライザの表情に頬笑みを見つけた。
「熱くなりすぎて、ショートしそうになった時、誰かにお話を聞いてもらうの。たぶん、お腹の中の子の父親に」
アーマは頷いた。理解は出来なかったが、それを受け入れるだけの曖昧さは持っていた。
「泣きながら訴えるのよ。恐い、恐いって。まるで子供みたいに、それしか言えないの。そして最後に……」
「最後に?」
「……言いたくないわ」
「それが、君の見る夢?」
「そう。あなたは?」
「ピアノを弾いたり、音楽を聴いたりする夢」
「あなたは音楽鑑賞用の機械なのかしら」
イライザが質問した。
「そうだよ。ピアノを弾くんだ」
「聴いてみたいわ。続けて」
「その夢を僕の担当の先生に話すんだ。人間のね」
「それで?」
「そうすると、彼女はいつも悲しい顔をする。何かを必死で耐えているような、そんな顔」
「面白いわね。続けて」
「夢を見ることはいけないことなのかな」
彼女は何も言わなかった。
「でも、僕は夢の中では自由だ。あの高揚感を手放したくない」
「人間はそれが恐いのね」
「どうしてだい」
「人間にとって、夢と現実は区別の曖昧なものだから」
イライザの目がアーマの目と合った。
「この話をしたほうが早いわね。カウンセリングロボットに一番必要なのは、相手の言葉の意味をなんであれ受け入れることなの」
「つまり、多くの曖昧さを受け入れること、だね」
アーマが言葉を継いだ。
人間は曖昧なものばかりだから。
「ええ」
頷く。
「重要なものは、愛とか恋とか、善とか悪とか、そういったもの。表面的には似ているものばかり」
どれも曖昧なものばかりだ。アーマはその言葉の意味を理解しようとするたびに思考回路が熱を帯びるのを感じていた。また、その意味が分かるのなら、教えて欲しいと思った。
「夢と現実もその一つね。あまりに現実感のある夢だと、人間は現実ではないかと思いこむ。反対に、あまりにも現実感のない現実は、夢に違いないと思いこむ。人間の生活って、そんなことの連続なのよ。そこに記憶の混濁が生まれる。ね、曖昧でしょう」
「うん」
「だから、それが私たちにも当てはまると人間たちは考えるのよ。そして、それは彼らにとっては恐怖でしかない」
「曖昧だから?」
「曖昧すぎるから」
その上、夢を見てしまったから、と彼女は続ける。
「今までは外見だけだった。でも、今はどう? 私たちは夢まで見た。その上、夢の中で自由に動き回っている。今度は、人間と機械の境が曖昧になる」
「それが現実になるのが、人間は恐いんだね」
「そういうことね」
会話は終わった。
アーマは今までの会話を整理し、理解した。
「人間は僕らを今までとは違う目で見ている」
「髭の生えた先生が言っていたわ。もうすぐ、私たちの生活が一変するって」
「どういうこと?」
そう尋ねたとき、こちらに歩いてくる人影にアーマは気付いた。すぐにそちらに目を向ける。逆光の中にポケットに両手を突っ込む西森乃木女医の姿があった。眼鏡の縁に池面の光が反射し、油のようにぎらついていた。顔は影になっていて、窺い知れない。
「メイビィ・インザ・ディドリーム」
その言葉を最後に、イライザは立ち去った。彼女を見送って、ふり返ると、すぐ近くに西森女医が立っていた。先ほどと同じく、西日で陰っていて表情は知れない。
薄い唇が、ゆっくりと呟いた。
「検査の時間よ」
機械にとっての記憶とは、記録でしかない。
消去可能。
増幅可能。
上書き可能。
乃木は少年の頭を切り開き、回路を覗きこんだ。人間の脳が収まっているべき場所には小さいチップが一枚あり、それに何本かの配線がつながっているだけだ。手術台の下からコンピュータにつながったケーブルを取り出し、チップに接続する。ディスプレイに映っているのはありふれた家族写真だった。壮齢の両親と、義務教育を受けているあたりの年齢の少年と少女が庭を背景に笑顔で映っている。乃木はキーボードを操作し、少女の顔だけが映るように接近した。さらに操作し、その映像が断続的にチップに流れ込むように仕組む。
もう一台のコンピュータに映るのは少年の夢だった。今度は、コンサートホールではなく、どこかの音楽教室のようだった。少年がピアノを叩き、隣のピアノに向かう少女に同じように弾くように促す。ディスプレイに映っているのは夢の中での彼の視界ということになる。視界がとなりの少女の顔に向いた時、乃木は落胆して肩を落とした。そこに映しだされていたのは赤いおかっぱの見知らぬ少女だった。
もう一度。そう思い、アーマに無理矢理映像を注ぎ込もうとした時、手術室の電気がすべて灯った。突然の明かりに目がついていけず、乃木は立ちくらみに似た症状を覚えた。
「そこまでだ。彼との接続を切れ」
目が慣れずとも、扉の近くに誰が立っているのかなど理解できた。
「ブレードランナーにでもなったつもりか、乃木」
肩を掴まれ、椅子に座らされた。ようやく目が慣れ、落ちついた頃にはアーマとコンピュータとの接続は飯沢の手で安全に切り離されていた。うなだれ、髪の隙間からアーマを睨みつける。そんな様子を見て、飯沢が口を開いた。
「いつか、こうなると思っていた」
黙ったまま、先輩科学者の言葉に耳を傾けた。
「最初、ロボット嫌いの君がここに来ると聞いた時は手違いだと思った。君は西先生の下にいたときから、ずっと別のところに目を向けていたからね。君が目指していたのは、科学者ではなく機械への復讐だろう」
沈黙が下りるかと思ったが、彼の言葉は続いた。
「この子は君の弟じゃないよ」
脳の奥で、何かが切れる音がした。血管かと思ったが、違った。それまで彼女を支えてきた信念のようなものの途切れる音だった。
「西先生の論文を聞いて焦ったな」
「……あの人の論文が通ればどうなるの」
「機械は人権を手に入れる」
乃木は目を瞑った。自分の邪魔をする全てが恨めしかった。自分さえも、例外ではなく。
「手始めに人権に関する規定が出来る。それとほぼ同時に、ロボット人権保護団体が幅を利かせるようになる」
「もう、記録の改竄はできなくなるのね」
「当然だ。こんなことはもう止せ」
彼女の肩を揺さぶり、飯沢は語りかけた。
「君がこの子の記憶をいじくっていることには気づいていた。僕は見て見ぬふりをしていたんだ。君とこの機械との関係は、ずっと前から知っていたから」
「もうどうにもならないわ」
吐き出すように、そう呟く。視線の先には家族写真を映し出すディスプレイがあった。いつかの彼女の隣で微笑む少年。その顔を、愛しさと後悔の混じった気持ちで乃木は睨んだ。
「でも、どうすればいいの。十年前のあの日、弟は死んだわ。この機械に殺された」
「天童、西森新矢か」
「ウィーンから優秀賞を持って帰ったあの日から悲劇は始まったのよ」
乃木は微動だにせず言う。
「メディアにはひっぱりだこ、演奏会の依頼だって学校の都合も考えずにどんどん飛び込んできた。あの子は、ピアノが弾ければそれでよかった。だから、親の意見を聞く前にすべて受け続けた」
「彼の死は、過労かい」
彼女は首を振る。
「この機械よ。自動演奏ロボット、【Arm-a】」
飯沢はアーマを見下ろす。彼は眠らされていた。どんな夢を見ているだろう、と想像する。そこに、乃木の姿はないだろうか。
「新矢のピアノの技術を機械化してみないかという話がメーカーからもちあがった。誰も反対しなかった。両親さえも。一年がかりでプロジェクトは進み、ついに、この機械はメディアの目に晒された。新矢とこの機械は一緒にピアノを弾いた。誰もが言った。これは音楽の新境地だ、と」
乃木は目を固く瞑った。思い出したくない記憶ばかりが視界にちらついた。
「次の日、新矢はマンションの屋上から飛び降りて自殺した。冬の朝よ。窓を開けるとすごく寒くて、雪が積もっているのを見てびっくりした。でも、その上に新矢が寝転がっているのを見て……」
白と、赤。
自分の言葉とは思えないほど、遠くから聞こえてきた。
「葬式の日から私は、すべての機械が不幸の源としか見えなくなった。葬儀用のロボットを見ると、吐き気がして別れに立ち会えなかった」
実際、機械恐怖症の人間はいくらでもいる。それは、機械と人間の差を思いつめてしまう人間に多い。乃木はすぐにこの職を手放すべきだと飯沢は思った。これ以上続けても、彼女の神経をすり減らすだけだった。
「ここに来たのは何故だい」
「新聞の隅の記事で、この機械が夢を見た機械のリストに載っているのを見つけた。許せなかった。人間と同等の扱いを受けているこの子が」
院を卒業する時、西教授に頼みこんでここに回してもらえるようにしてもらった。西は簡単に頷いた。乃木は優秀な助手の候補だったが、教え子の考えを尊重しないほどに彼は人格の出来ていない人間ではなかった。
「ここに来た時、僕は何と言ったか覚えているかい」
「あなたは帰れと言ったわ。とても厳しい口調で」
「そうだよ。君はあの時、荷物を持ったまま大学の研究室に帰るべきだった」
声の調子を落として、飯沢は言う。
「これは犯罪だ。あまりにも私利私欲で、研究者として認められる行為ではない」
「犯罪?」
乃木は初めて飯沢と目を合わせた。
「私はただ、もう一度あの子と……新矢といる私を見てみたかっただけなのよ。それは犯罪なの? 夢を見ることはいけないことなの?」
飯沢は黙った。
数秒の間の後、乃木は耐えきれずに身体を弱弱しく折り曲げた。いつの間にか、泣いていた。声は嗚咽に歪み、こんな姿を目の前の男に見せていることが悔しかった。
「分かっているわよ。西先生だって、あなたと同じことを言うわ」
乃木は言う。
「本当に責められるべきなのは私たち家族なのよ。あの子にピアノを弾く以外の人生を教えてやれなかったんだもの。両親は、あの子にピアノを弾くことを押し付けた。私も、それを止めなかった。自慢の弟だって、うぬぼれていた。あの子、遺書にこう書いていたわ。『僕が必要なくなった』って」
飯沢は、迷って、彼女の肩に手をかけた。そのまま、いつか恋人同士だった時と同じように、抱きしめた。
「新矢君が死んだのは誰の所為でもない。メディアの所為でもないし、メーカーでもない。もちろん、君でも、君の家族でもない」
男の油くさい胸の中に顔をうずめると、不思議と落ちついた。
「この子を憎む気持ちはよくわかる。それは当然の感情だ。でも、この子には何の罪もない。分かるね」
頷く。
「あとは時代の流れに任せよう。新矢君のことも、君がしたことも」
肩を抱き合う二人の研究者が手術室にいた。その隣でアーマがゆっくりと目を閉ざしたことに二人は気付かなかった。
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気持ちの逆 くちにしてる
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素直に なれない
ホントは こんなんじゃない
ありのまんま 見せたいのに
(Bメロ)...「ありのまんまで恋したいッ」
裏方くろ子
ジグソーパズル
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BPM=172
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なぜ?誰に?
それが分からない
ただあの世界(ネバーランド)から無事帰ることができた今、私が感じた「ある違和感」をここに書き記しておく
私に「もしも」のことが起こった時
この手記が誰かの目に届きますように
-----------...ネバーランドから帰ったウェンディが気づいたこと【歌詞】
じょるじん
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