また今日も使用人が処刑されたらしい。なんでもリリアンヌのドレスの裾を誤って踏んづけてしまったとか。
 リリアンヌが王女に即位して一年。私が知るだけでも相当の数の使用人がギロチンにかけられている。可哀想だなんて思わない。むしろバカな奴らだと思わず笑いそうになる。この我儘娘に取り入るなんて大したことないのに、それさえできないからあっさりと処刑されるんだ。私は目の前の王女の話に適当に相槌を打ちながら、そんなことを考えていた。
「…ということじゃ。まったく…ネイもそう思うじゃろ。」
「ええ。」
 ほら。こうして愛想笑いをして話に合わせてやるだけでリリアンヌは上機嫌になる。つくづく扱いやすい娘だ。リリアンヌは愉快そうに紅茶を一口。ソーサーに戻されたティーカップは空になっていた。
「お注ぎします。」
 私はそばにあったティーポットを取る。カップが空になったらすかさず継ぎ足してやる。こういうちょっとした気配りができるだけで王女のお気に入りになれるんだから、本当にちょろいったらありゃしない。まさか私がリリアンヌの命を狙ってるなんて、このおめでたい頭では想像もつかないだろう。
「ネイは…わらわのお姉様みたいじゃのう。」
 リリアンヌが何気なく呟いた一言。ちくりと胸の奥を刺す感覚だけを残して、ぷつりと思考が途切れる。私はまるでぜんまいの切れた人形のように体も頭も動かなくなってしまう。
「ちょっ…ネイ!!」
 リリアンヌの慌てた声にはっと我に返る。注がれる琥珀色の液体の先。そこには満杯になったカップと、どばどばと溢れて机を汚す紅茶。
「!!…申し訳ありません!!」
 私は思わず立ち上がって、腰を九十度曲げて深々と謝罪する。…まずい。これは下手したら私も断頭台の露に…。ひやりと冷たい汗が首筋を伝った。ああ、これまでに処刑された使用人たちも、些細な失敗であっけなくギロチンに送られたのか。初めて、哀れな彼らに同情した。
「ネイ、頭を上げよ。」
 ぽすぽすと肩をたたかれ、私は恐る恐る体を起こす。そこにいたのは、顔を真っ赤にして激昂する暴君じゃなかった。口をへの字に曲げて拗ねている、一人の可憐な女の子だった。
「別にわらわは怒っておらん。それより…さっさと後始末してくれ。わらわのティータイムが台無しじゃ。」
「は、はい!ただいま!!」
 布巾を取りに私はバタバタと部屋を飛び出した。それにしても、今のは一体…?
 普通の使用人なら「リリアンヌ様のティータイムを台無しにした罪」とかなんとかで処刑されていたっておかしくなかった。なのに怒りさえしなかったのは、もしかしたら――
「母親違いとはいえ、姉妹だから?」
 自分で呟いたそばから可笑しすぎて吹き出しそうになる。相手はあの、何も知らない我儘娘。私の正体に気付いてるはずがない。あんなのただの気まぐれに決まってる。
 私の使命はルシフェニアの滅亡とリリアンヌの殺害。全てはお母様のために…。お母様に認められることこそ私の唯一の存在理由。そのためなら私は、異母姉妹であろうとも手を下す。
 そんなことより、さっさと拭くものを持ってこないと。今回は我儘王女の気まぐれで許してくれたけど、次はない。私は息がつまりそうなほどに豪奢な廊下を駆け出した。

―――――

 この日はアレンと二人で食器を洗っていた。アレンは水を張った桶に手を突っ込んでざぶざぶと食器を洗いながら、時折捲り上げた服の袖口で額の汗を拭っていた。
「はい。」
 桶に視線を向けたまま、アレンは濡れたグラスを私の目の前に突き出した。アレンが洗って私が乾いた布で拭き取る。そういう役割分担だった。グラスを受け取ってちらりと見たとき、私は眉をひそめた。
「ちょっとアレン。」
「どうしたの?」
 アレンは大儀そうに首を回して、胡乱な目を向けた。
「ほらここ。汚れ落ちてないわよ。」
 私はグラスの溝に残った茶色い汚れを指差した。このグラスは特別な装飾がされてる分、細かい凸凹が多い。普通に洗うだけではこういう細かい汚れは落ちない。
「見てて。」
 私はアレンをどかせて、グラスを持った手を桶に入れた。溝に残った汚れの洗い方を、私は解説しながら実際に見せてやる。アレンはいつもの無表情のまま、じっと私の手に目を凝らしていた。
「はい。」
 今度こそ綺麗に洗えたグラスをアレンに差し出す。アレンは驚いたようにぱっちりと開いた目で私の顔をまじまじと見ていた。
「…何?」
「いや…。ネイって姉さんみたいだなあって…。」
 またそれか…。ちくりとした違和感を感じる。
「あ、いや、変な意味じゃないんだゴメン!」
 アレンはひどく狼狽しながらグラスを受け取り、わたわたと布巾でグラスの水気を拭う。いつもは沈着冷静なアレンがこうも慌てふためくのは珍しい。どうやら私は無意識のうちに恐い顔をしていたらしい。
「昔ね、姉さんと一緒にこっそり抜け出しては外で二人、遊んでたんだ。」
 アレンはグラスを拭きながら、誰に聞かせるでもなく滔々と語り始めた。
「一回花の冠の作り方教えてくれたことあったんだけど…そのときの顔が今のネイにそっくりでさ…。」
 アレンはどこか哀愁のある横顔を見せながら、拭き終えたグラスを静かに置いた。
「アレンって…お姉さんいたんだ。」
「あ…じぇ、ジェルメイヌ姉さんだよ…。」
 そのときは「ふうん」と聞き流しはしたけど、私は何か引っかかるものを感じた。不自然に歪んだアレンの口元は、咄嗟に何かを取り繕ったかのように見えたからだ。
 アレンの正体がリリアンヌの双子の弟だったことを知ったのは、革命が終わってだいぶ後のことだった。そのときにアレンがリリアンヌの身代わりになったことも知った。よくよく考えてみればあのジェルメイヌが花の冠なんて乙女チックなことをするとは思えない。アレンの言った「姉」とはリリアンヌのことだったんだろう。そう。アレンは私の腹違いの弟だった。でも、それがなんだというのか。私は姉弟が死のうと関係ない。お母様さえいればそれでいい。

―――――

 革命後、ルシフェニアはマーロンの統治下に入り、暫定的にカイルが治めることとなった。私はマーロン本国に戻ったけど、数年後、カイルによって再びルシフェニアに召喚されることとなる。私は特殊工作部隊の隊長を任せられ、ミカエラを殺した犯人、ジェルメイヌ=アヴァドニアを捕らえる命を仰せつかった。
 …まあ、滑稽以外の言葉が見つからない。私の言葉を鵜呑みにして、血眼になって偽物の犯人を捜す姿は。ミカエラを殺したのは他でもないこの私だというのに。私は内心ほくそ笑みながらカイルに接見していた。
「それで、ジェルメイヌの行方は掴めたのか?」
 私が部屋に入るや否や、カイルは玉座に堂と座したまま開口一番に尋ねてきた。
「いいえ。全く。」
 私はわざと小馬鹿にするように笑い、大袈裟に肩をすくめた。
「ふざけるな!だったらなぜ私を呼びだした!?」
 カイルはこめかみに青筋を立てて、部屋がびりびりと震えるほどの怒声をあげる。少しでも気に入らないことがあるとこうして怒り散らすのはリリアンヌと大差ない。かつてリリアンヌを取りなしたときのように振る舞えば余計な角は立たないだろう。でも、わざわざそれをやってやる気にはなれない。
「ですが、別の対象者をレサタン要塞にて発見いたしました。」
「なんだと!?」
「つきましては、任務遂行のために一つお願いが。」
 私は意地悪な笑みを浮かべる。
「私をレサタン要塞の司令にしてください。」
「なに?あそこには既に司令塔が…」
「そんなのクビにすればいいでしょう。」
 私はフンと笑いながら、手刀を首の前で左右に振った。ギリギリと歯噛みしながら、なおも何か言いたそうにするカイルに止めの一言をふっかける。
「そういう条件…だったでしょ?」
 カイルはわなわなと震える拳を振り上げ、肘掛けに思いきり叩きつける。ドンと鈍い音が部屋にこだました。
「じゃ、よろしくお願いしま~す。」
 カイルに何か言い返されるよりも先に、私はひらひらと手を振り部屋を後にした。部屋の扉を閉めてもなお、扉の向こうからカイルの怒りのオーラが伝わってきた。
 別に任務のためだけなら私がレサタン要塞の司令に収まる必要はない。これは私の意地悪だ。なんでそんなことをするのかと言われても、自分でもよく分からない。ただ、カイルと顔を合わせると減らず口を叩きたくなるし、困らせてやりたくなるのだ。そして、私の言葉に振り回されるカイルを見るのが愉快でしょうがなかった。もしかしたらいっそ、前世で何か因縁でもあったのかもしれないけど、それじゃあ身も蓋もなさすぎる。もっともらしい理由を一つ付けるなら、ジェラシーということになるだろうか。お母様はカイルの――兄のことしか見ていない。どれだけお母様のために事を起こしても、お母様は兄が歴史に名を残す王になることしか考えていない。どれだけ求めても私では手にできないお母様。それをいとも容易く手に入れてしまえる兄に嫉妬してるんだろう。
 でも今になってみて、それ以外の理由にも気付いてしまった。私は…繋がりが欲しかった。人並みでいい。ささやかでも幸せな生活を送りたかった。憎まれ口を叩き合っていがみ合って、それでも最後は仲直りしてまた仲良くなれる人にそばにいてほしかった。もっと具体的に言うなら、兄妹が欲しかった。私は、無意識に兄を求めていたのかもしれない。人並みな兄妹喧嘩ができる兄を。だからカイルの反応の一つ一つを楽しんでいた。そういうことなんだろう。

―――――

 私はふうっと目を開けた。夢を見ていたらしい。形はどうあれ、私のキョウダイと接した記憶。目覚めて最初に気づいたのは、体をびっちりと縛り付けられていること。どうやら気を失っている間に私はベッドに拘束されたらしい。そんなことしなくたって、満身創痍のこの体はろくに動かないのに。
 どうにか首を横に回すと、カイルやジェルメイヌたちが床に伏し倒れていた。そして、見上げれば私のそばには一人の女。中身はおおかた、あの魔導士だろう。彼女の目的は大罪の器を回収すること。そして、私の口を塞ぐこと。
 ああ、私の物語はここで幕を閉じるのか。私は自分の死を確信した。最後に見た夢があの三人との思い出だなんて、神様は本当に意地悪だ。
 私はお母様に固執した末に錯乱して、ついにはお母様を手にかけてしまった。私にはお母様しかいないと思っていた。こんな私が心を預けられる相手は、お母様しかいないと信じて疑わなかった。
 でも、それは違った。たとえ表立っては言えない事情があったとしても、リリアンヌは私の妹で、アレンは私の弟で、そして、カイルは私の兄だった。今から思えば、私は三人に対して特別な何かを抱いていた。ああ、もっと早くこの気持ちに気付いていれば。少し手を伸ばせば別の幸せを掴めたかもしれないのに。
 もしも、もしも。人生はもしもの連続だ。でも、どれほどの“もしも”を重ねたって、これまでに起こってしまったこと、そしてこれから起こるであろうことは変わらない。それならせめて、その後の未来に“もしも”を託させてほしい。
 女は私の胸をめがけてナイフを振り上げる。不思議と恐怖はなかった。キョウダイとの思い出が、私に寄り添ってくれるからだろうか。そう思うと、場違いにも微笑してしまった。
 次の瞬間、ナイフが勢いよく振り下ろされた。

――もしも、生まれ変われたら…。そのときは今度こそ、四人で仲良く遊びたいな。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

近くにあった幸せ

悪ノ娘の物語の裏にあったであろう、ネイの気持ちをあれこれ妄想してみました。

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投稿日:2018/09/28 16:56:52

文字数:4,739文字

カテゴリ:小説

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