遅れに遅れた仕事をようやくこなして、セシリアとカイルとのんびり夕食をとった後のこと。
「マリルもダヴィードも、悪いようにはしないで済むと思う」
 広間のソファに隣り合って座りながら、会議の結果を訊ねられたのでこう返すと、元青の王女はとても嬉しそうだった。
「ありがとうございます。彼らには、本当にお世話になりましたの。毒は飲まされかけましたけど、人質の命を救うためですもの。それで罰せられるなんてあんまりですわ」
 彼らを操った者に対する本気の怒りを滲ませている王妃は、イルにとって誇らしいものだった。
「レンが言ってたけどな、盛られた毒はものすごく分かりやすくて解毒剤もたくさんあるらしい。きっと気づかれる事を分かっててやったんだと」
「心底信頼しますわ。彼らと、彼らを私に仕わせて下さったカイル兄様のことを」
「俺もあの王子は気に入った。けどさ、お前ら本当に王宮ではほとんど会った事無いのか?」
「ええ、青の国では例え母が同じでも権威を争う事など日常茶飯事ですから、兄妹同士はほとんど隔離されたも同然で育ちますの。私達は兄様がおっしゃっていた通り、そこまでこだわりのある方ではありませんでしたので、パーティーの時などは多少話せたりもしましたわ。私が嫁いでからは、同じ母から産まれた妹のことも気にかけているようでした」
「はー、面倒くせえことするな」
 代々女王制であった黄の国には、王族だからと一夫多妻というシステムは無いし、イルとしてもそんなものを作る事は無いだろう。今まで考えた事は無かったが、今回の事件で確信した。自分の子供が何十人もできるのも気味が悪いし、何よりそんなにいれば一人一人と向き合うことも難しい。
『出来損ないが』
 父から何度も吐き捨てられた言葉が蘇る。産みの親から愛されない辛さは身に沁みて知っているし、己以上に苦しんでいた親友を見てきたのだ。
「イル?」
 柄にもなく記憶の断片を辿っていると、青髪の王妃が心配そうに呼び戻してくれた。頬に添えられる小さな手に自分の掌を重ね、口元まで導いて唇を押し付けた。
「少し嫌な事を思い出しただけだ」
 細い身体を引き寄せてしっかりと抱きしめると、相手のこれまた細い腕がイルの身体にも回された。白い首筋に舌を這わせていくと、熱のこもった吐息が耳に吹き込まれるようになっていく。
 ベッドに移ろうかな、青海色の瞳が蕩けるように焦点を結ばなくなってそう考えた時。
 ガチャン、と扉が開かれる音が響いて、セシリアの目にはあっという間に理性が戻ってくる。
「あ、丁度良かった」
 悪びれるでもなく、見たところ精神状態も特に問題無し。金髪の親友が寝間着を片手に入って来たとなれば、彼に殺意が湧くのも至極当然のことと言えよう。
「レンさん、こんばんは」
 できた嫁が挨拶し、レンもこちらには心底申し訳なさそうに返す。
「本当にごめんね。セシリア」
 がきいいいん!
 イルとレンの短剣が、火花を散らして激突した。レン程偏執的な周到さは無いが、イルも元レジスタンスの端くれとして睡眠時以外は武器ぐらい携帯しているし、部屋には愛剣も置いてある。
「何処が丁度良かったのか、その口で言ってみな。親友?」
 得物の性能はほぼ互角。しかし腕力と体重には決定的な差があるので、にっこりと笑いながら徐々に負荷をかけていってやる。必死に対抗しながら、しかし金髪優男は冷静だった。
「そんなに怒んないでよ。こっちも止むを得ない事情があったんだから」
 身長差で上から押し込んでいく。姑息に姑息を重ねたこの親友には常に全力を出させておかないと、空いた手で他の刃物を出される事を知っているからだ。
「ほー、国の存亡に関わる事か? 是非お前のためにもそうであって欲しいな、宰相兼外務大臣殿」
 腕の筋力に限界が近づいて来ているらしく、相手の短剣が震えだすが、レンは本日昼間の出来事を持ち出した。
「青の国の王子が来ると言う程ではありませんがね、国王陛下」
 長剣に込められた力がつい抜けた。言われてみれば、イルもアズリと寝台の上で密着していた所を邪魔した。それこそ止むを得ない事情だったとはいえ、一回は一回か。
「これで相子だからな」
 舌打ちして短剣を納めると、親友もそれに倣う。
「君の律義さに感謝するよ。それで用件なんだけど、僕のベッドが飢えた動物に占領されてるから、今日は君の寝室で寝たいんだよね」
「男と寝る趣味はねえ」
 セシリアを娶るきっかけとなった噂を蒸し返させる気か。憮然として切り捨てると、レンは呆れたように肩をすくめた。
「それには僕も同感。けど君はこれからセシリアとお楽しみだろ? だから今日は彼女の部屋で寝て欲しいってだけだよ」
 天使の微笑みで俗っぽい事を言われたせいか、根っからのお嬢様育ちのセシリアは赤面して俯いた。
「襲っちまえば?」
 冗談半分本気半部で言うと、親友は両手を上げた。
「寝顔は可愛いんだけどさ、断続的に腹の虫鳴らして顔に触ろうとしたら喰いつく子には、さすがに手を出す気にはならないね」
 一度噛まれたのか、お手上げとでも言うように片手をひらひらさせている親友の指には、うっすらと歯形らしきものが見えた。
 いかにもあの万年欠食児童のアズリらしい行動に、イルはレンに同情を禁じ得なかった。
「分かった。使え」
 許可を出すと親友は当然のように頷きながらも、どこか安堵したように見えた。
「ありがとう。じゃ、良い夜を」
 レンは手をひらひらさせてイルの寝室の扉は閉じ、そして普段ほとんど使わない鍵がかかる音がした。疑問符を浮かべた王妃の手を引いて、国王の寝室の対となっている彼女の寝室に連れ込んだが、イルの予感としては『良い夜』を過ごせない気がしてならない。
「レンさん、どうしてわざわざここまで来たのかしら?」
 やっぱりな。すっかり思考が情事とは別次元になっている王妃を見て、一瞬親友への殺意が再燃しかけたが、すぐにどうでも良くなった。
「あいつはちゃんと鍵のかかる所じゃねえと眠れねえの」
 ひょいと抱えて共にベッドに潜り込みながら、青海色の美しい髪を梳くように撫でながら答える。
「レンさんの私室の広間にも、しっかりと鍵はかかると思いますわ。ベッドでなければ眠れないと言うのなら、客室を使っても良かったはずですのに」
 不満というよりは、心配が混じった疑問だった。来て欲しくない。王妃の言葉にそういう意味合いは感じられず、セシリアの寛大さに改めて感謝の念が湧いた。
「客室の鍵は女中なら全員取り出せる場所にあるだろ? 広間の鍵もサリーが持ってるしな。レンはそんな場所だと一睡もできないんだよ」
 外交先で泊まる時は、必ず鎖と錠前を持参している奴である。
「王宮の皆さんを、そんなに信じていないんですの?」
 セシリアは悲しそうだが、現実と彼女の認識は多少違う位置にあるだろう。
「信じていない、というよりは怖いんだよな。ガキの頃のトラウマでな」
「トラウマ?」
 少し悩んだが、まあ今ならただの笑い話で済むだろう。レンが知ったら怒るだろうが。
「革命が終わって、あいつが紅蓮の鉄槌首領補佐になった事は話したよな?」
 王妃が頷く。レンがアズリに革命の真実を話した時と同じくして、イルもセシリアに本当の歴史を告げていた。
「セシリアには想像し辛いだろうけど、どうにも寄せ集めの軍隊ってのは欲求不満が溜まりやすくて、しかもレンのあの容姿だろ? 歳もまだ十五だったし、今以上に小さくて細っこいもんだから何度か襲われかけたんだよ」
 セシリアの端正な顔が嫌悪に歪む。
「まあ、全部未遂だったんだけどな。一回本当にやばかったのがあって、それがたった一回レンが寝室に施錠し忘れた初回だったんだよ」
 体格には恵まれていないとはいえ、彼の剣技と武術は当時でも一流であったことは師であるヴィンセントが保証するだろう。しかしすっかり寝入っているところを、いきなり大の男数人に組伏せられてしまえば少年一人に抗する術は無い。
 助かったのは偶然で、イルが次の日の予定を聞き忘れていた事に気がついて、地下に間に合わせで作られた彼の寝室を訪ねたからだった。激昂したイルがその場で下種を斬り伏せようとしたが、親友は自分の心証に関わるからとそれを拒否した。
 納得いかなかったが、被害者であるレンに土下座せんばかりに頼まれて、絶対この事は口外しないと誓わせてから無罪放免にした。その後恐怖と嫌悪感に一晩中吐いていた親友を見て、これから彼らと顔を合わせる度に己の怒りを隠せる自信がなかったが、そんな心配は杞憂だった。
 その加害者とは、二度と顔を合わせる機会が無かった。
 次の日の昼には、二人とも原因不明の突然死をしたからだ。
 知る者にとっては分かりやすく、そして恐ろしく親友らしい粛清を思い出したが、そこまで言うと笑い話ではなくなってしまう。
 余りにでき過ぎている話に親友を問い質すと、金髪の少年は天使の笑顔でこう答えた。
『僕の所為で君に処刑される構成員はいちゃ駄目だけど、不幸にも心臓発作で死んだ構成員は何の問題も無いでしょ?』
 憎悪の滴る毒々しい笑みは、見る者の背筋を凍らせる凄味があった。
「アズリさんと馬車でお話しして、レンさんにものすごく心酔している事はすぐ分かりましたの。そして彼を目にして納得がいきましたわ。本当に美しい方でしたから。けれど、綺麗な殿方にも大変なものですわね」
 もちろんイルもレンは容姿に優れた者だと思う。しかし人生経験上からかは変わらないが、本人は中性的なあの顔立ちが気に入らないらしい。ま、二十一歳にして女装があれほど似合ってしまえば、少なからず屈辱なのかもしれないが。
 運よく一度だけ見ることができたレンのドレス姿を思い出すと、今でも笑いが込み上げてくる。その時は羞恥極まる親友からナイフが飛んできて、危うく怪我をするところだった。
「みたいだな。因みに俺も反政府軍結成直後は襲われかけたし」
 笑いながら言ったが、励起されて甦る記憶に意図せず顔が歪む。同性の一回りも歳の取った大人に押し倒された時は、思考停止してしまった。相手が一人だったのは幸運だっただろう。組伏せられながらも、持ち前の身体能力で突き飛ばして脱出し、相手の顔面の造りを変えてやった。
 訳が分からず混乱するイルに、ディーは遠回りに彼らの目的を教えてくれた。
 冗談でもなんでもなく、親友と同じように吐いた。
 その後しばらく部屋に籠っていたが、その間は当時の参謀役が上手くやってくれたのだろう。
 つくづく、ディーは貧乏籤を引かせている気がする。新生された黄の国の立役者はもちろんレンだが、紅蓮の鉄槌は彼無しには維持できなかっただろう。
「国が建国された後は、そういう事件はもう起こりませんでしたの?」
 頷きかけて、レンが兵士達から襲撃を受けた事を知らされていなかった事を思い出した。イルが今回知ったのはそれとは意味が違うが、目的が別であったとしても『襲撃』には違いない。それも含めてあの親友が黙っている可能性は高い。
「さあ、どうだろうな。まあ、今となってはそんな命知らずは居ねえと思うけど」
 そんな隙を見せることも無いだろうし、そんな輩は悪夢も霞むような壮絶な死に方をしている事は、想像に難くない。
「いつも思うんですけど、レンさんってどうしてあんなに怖がられてるんですの? 確かに言い方がきつい時もありますが、優しい方ではありません?」
 王妃の意外な言い草にぎょっとしたが、考えてみればあの宰相はセシリアには気を使っている。
「自分にとってどうでもいい奴には、とことん冷淡だからだろ」
 他は非の打ちどころが無い有能な仕事人であり親友だが、人間関係の構築だけはどうしても要領良くいかない。何でもできるはずのレンが唯一できない事は、『他人を信じる』ことだ。
 時間という積み重ねたものが無い人間を信じるには、あの金髪の麗人は今まで裏切り裏切られ過ぎていた。誰かに騙されることに怯えて、そして疑うことができなくなる事にすら恐怖している。
「ま、そんな宰相が居たからこそ、俺なんかが君主で居られるんだけどな」
 レンが皆に受け入れられるのは理想だが、イルにとっては彼の割り切り方は『強さ』だった。本人は否定し、周りを信じて臣下の死を悼む国王陛下に羨望を見せるが、イルだってレンが羨ましくて仕方が無い。
 結局、お互い様なのだ。
 お互い正反対と言っていい性格・能力を持っていて、認め合って補い合っているのだから。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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悪ノ召使 番外編(15-2

閲覧数:130

投稿日:2011/04/04 06:57:29

文字数:5,150文字

カテゴリ:小説

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