それが罪でなかった筈がない。
<王国の薔薇.14>
「扉、開く?」
「ええと・・・ああ、大丈夫みたいだ」
力を込めて、引く。
隠し扉は重いながらもゆっくりと開いた。
扉は厚く、防音もしっかりしている。ただ一つ声を通わせることが出来るそう大きくない穴は何の変哲も無いような装飾で隠されていて、それを外せば扉を通してやり取りが可能、装飾をまた付けてしまえば再び防音になるというもの。
この扉の何がいいか。
それは、閉めてしまえば広間側からしか操作出来なくなるというところだ。
広間にいる人がここに気付いて開けさえしなければ、通路の存在は気付かれずに済む。
まあリンの変装の完成度を見るに普通に裏口から逃げても平気そうだけれど、何があるかわからない。
可能な限り危険は避けて通らなくては。
「じゃあ、リン」
開き切った戸口を示す。
と、そこで僅かにリンが尻込みした。
不安げな響きを孕んだ声が僕に問う。
「・・・ねえ、レン」
「うん?」
「ここから逃げるなら、一人だろうが二人だろうが変わらないわよね・・・?」
ゆっくりとその目が僕を映す。
そこには、疑惑の光があった。
気付かれた!
刹那、胸の奥をひやりとした感覚が満たした。
どうしよう。
―――いや、いける。
「貴方・・・まさ、きゃあっ!?」
僕に向き直ろうとした彼女に思い切り体当たりを喰らわせる。
勢いに負けて通路に倒れ込んだのを確かめ、引いた扉を全力で閉じた。
「レン!!」
リンの叫び声の残響は、扉が閉まった瞬間に切れた。
リンの脱ぎ捨てたドレスを拾い、謁見の間を走って出る。
廊下の窓から確認すれば、赤いマントを羽織った人影が何やら指示をしていた。
恐らく、もうすぐ彼等はここに来る。
時間は、無い。
召使の控室に走り込み、掛けてある服を全て床にばらまく。しかも、可能な限り綺麗なままにはならないよう、丸めたり踏み付けたりした。
―――よし。
まるで物取りが入ったような部屋の惨状に満足し、そこで僕も自分の服を脱いだ。
これなら大丈夫。きっと攻め入って来た人達が見ても、王宮を抜け出した人が荒らしたのだと解釈してくれるだろう。
着た痕跡と意図的に崩した痕跡の違いが分かる人なんて、きっといない。
まあ脱いだ服をそのまま他の物の中に混ぜておいてもよかったけれど、他の綺麗にセットされた服と比べると流石に目立つ。・・・まあ、目立つと思うのは僕が召使をして、皺だのなんだのにこだわっていたからかもしれないけど。
でも気になる部分には少しでも手を打たないと。
床に置いておいたリンの服を着る。
幸いな事に、生地をふんだんに使い贅沢に仕上げてある服は体格を隠してくれやすい。
いや、確かに腕とか肩とか腰とかきついけどね。なんだかんだ言って、やっぱり違う骨格だから。
でもまあ・・・
髪を下ろし、姿見で姿を確かめる。
十分過ぎるほどリンに似ていた。
服も、襞飾り等で違和感はなくなっている。これなら大丈夫だ。
最後に、彼女がよく付けていた薔薇の髪飾りを付ける。
さて、これで出来上がり、かな。
最後に姿見を一瞥し、ドレスの裾をたくし上げ、急ぎ足でもとの広間に戻る。
広いながら段差のない王宮はドレスでも歩きやすい。
やはりここは、こうして着飾った人々のための場所なんだと改めて感じた。当然と言えば当然だけれど。
広間に戻り、やっと一息つく。
一応扉に鍵はかけておこう。無駄なのは分かっているけれど、少しでも彼等を食い止められるはずだ。
―――リンは、まだいるだろうか。
確認のため、隅の壁の装飾を外す。といっても正直扉の位置が既に分からなくなっていたから、一つ一つ同じ形の飾りに手をかけては動くかどうか確かめて行ったのだけれど。
ぽっかりと開いた穴の向こうの様子はわからない。
そっと声をかけてみる。
「リン、いる?」
「レン!?」
返事はすぐさま聞こえた。
どうやら何らかの拡声効果があるようで、目の前にリンが居るような感じさえした。
リンは必死な様子で続ける。
「レン、レン、どういう事なの!?開けて、ここを開けて!ねえ、レン・・・!」
悲痛な声。
聞きたくなかった。
でも、聞かないわけにはいかない。
「できない」
「!」
息を飲む音。
多分、リンは今この状態でも既に衝撃を受けているはずだ。傷ついているはずだ。
僕が言おうとしているのは、その傷をさらに刔り混む言葉だ。
リンを傷つけたくなかった。
護るためなら何だってしようと思った。
でも、
「リン、聞いて。君はそこから逃げるんだ。大丈夫、僕らは双子だよ?心配しなくていい、きっと誰にも分からないさ」
「そ、そんなこと聞きたい訳じゃない!」
返って来たのは、やはり、悲鳴。
「貴方、死ぬつもりなのね!嫌!そんなの絶対嫌よ!」
「でも、『王女』は死ななきゃいけない。・・・心配しなくていいよ、ばれっこな」
「ばれた方がいいに決まってるでしょ!?だって、気付かれなかったら・・・!」
だん、だんと響いてくる音。
リンが扉を叩いているようだ。
「貴方を身代わりにして逃げろって言うの?そんなの出来る訳無いでしょ!?」
「出来なくてもやるんだよ」
彼女の声に被せ、しっかりと言葉を伝える。
リンの声から滲み出す悲しみに引きずられそうになるけど、僕まで冷静さを失ってはいけない。
悲しみに引きずられてしまえば、伝えたい言葉を伝えられないままに終わってしまうかもしれないのだから。
「君がどう言おうと、僕は扉を開かない。君は生きるんだ、リン」
「レン!」
「もしも辛くても、耐えてくれ。きっとリンなら大丈夫だから」
「・・・そんな・・・!」
リンの声が涙声になる。
「・・・ねえ、何がいけなかったの!?」
ぴくり、と肩が震えたのを感じた。
リンは壁の向こうで訴える。
「一人を想って何が悪いの!?欲しかったものを手に入れようとして何が悪いの!?私は自分に出来ることをしただけよ!なのにどうしてなのよ!」
「―――駄目なんだ!」
リンの声に掻き消されないように叫ぶ。
そう、駄目なんだ。
権力を沢山持っているから振りかざしたらフェアじゃないとか、力尽くは駄目だとか、そういうことじゃない。
勿論それも望ましくない行為だ。
でも、それ以上に。
「駄目なんだ、リン!それじゃいけなかったんだ!」
叫んでいた声が止まる。
その静けさの中、僕は思いの全てを乗せて、言った。
「だって君は、『王女』なんだから!」
声が穴に吸い込まれ、消える。
暫くの沈黙の後、ぽつんとリンの声がした。
「・・・『王女』」
そう。
人の上に立ち、その命さえ握る存在。
立場に伴う義務、それは義務を負うものに無視を許さない。
「だから君は、望むままに生きちゃいけなかったんだ。一人を追っちゃいけなかったんだ。君には、守らなければいけない人達が沢山いたんだから」
「―――でも!」
「でも、じゃないんだ!僕だってリンを責めたくなんかない」
それでも、世界は君を許さなかった。
「リン、僕は嫌だ。君が死ぬなんて嫌だ」
「わ、私だって嫌・・・!レンが死ぬなんてそんなの、そんなのっ!」
しゃくり上げる声。
その声を聞いて嬉しかった僕は、酷いだろうか。
―――リンは、僕の為に泣いてくれる。
僕を失いたくないと歎いてくれる。
それだけで充分に報われた気がした。
「ねえリン。僕の頼みを聞いて」
溢れる笑みが押さえられない。
優しい君。
やっぱり君は、僕の1番大切な人だ。
「君の笑顔が1番好きだよ」
君が幸せな未来を手に入れられればいい。
その可能性に賭けさせてくれ。
「だから、・・・泣かないで・・・」
響く鳴咽はどちらのものか。
僕は涙を流せない。今泣いては涙の痕が隠し切れないから。
でも心は泣いている。
君との別れに、泣いている。
僕は、無言で装飾を再び穴にはめ込んだ。
広間に残ったのは、ただ、静寂だけ。
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