久しぶりにハンドルを握って、道を走る。
街路樹や家々が現れては流れていく風景が珍しいのだろう、後部座席からミクの感嘆する声が聞こえた。電脳空間での移動は、ポイントを選んで跳躍するのが普通だ。当然趣味以外の運転は存在しない為、ミクは車に乗ることが初めてだった。
さすがにメイコやカイトは慣れたもので、今さら驚くことはない。バックミラーに映るカイトは笑顔でミクの言葉に頷いている。俺の隣に座ったメイコが、こちらに視線を投げると柔らかな表情を浮かべた。
「アカリに会うのも久しぶりね。今日はあの子の招待なんでしょう? 何か話があるのかしら」
「ああ、前から鏡音の二人をミクに紹介したいっていってたからな。いい機会だろ、俺もついでに済ませたい用があったしな」
本題はむしろついでの方だったが、それは言わないでおく。楽しい話ではないし、わざわざ水を差すこともないだろう。
「マスター、アカリさんはマスターの妹さんなんですよね。どんな方なんですか?」
後部座席から飛んできたミクの声に、俺は首をひねった。
「そうだなぁ、性格はとろいが、まあまあしっかりしてるかな。大学で助教授やってるけど童顔だから何時までも学生に間違われるらしい。あと、去年結婚したから姓は桜井に変わってる」
「うーん?」
俺の言葉にミクが小さく困惑したような声をあげた。カイトが苦笑しながら、フォローする。
「アカリさんはちょっとマイペースだけど、穏やかで優しい人だよ。僕たちボーカロイドに対しての造詣も深いし、ミクとも仲良くなれるんじゃないかな」
「そうね、外見はうちのマスターとは全然違って可愛らしいし。性格も素直で優しい良い子よ。無鉄砲な兄に似ず、慎重でしっかりした所もあるし」
無鉄砲と評された兄としては少々複雑な気持ちだが、メイコの説明にミクは納得したらしい。バックミラーに映る表情がぱっと明るくなった。
「わかりました! 外見は似てないけど、優しいところはマスター似な妹さんなんですね」
自信満々に主張するミクに、俺は危うく噎せそうになった。
「どうしてそんな結論になるんだ!?」
「え? だって、お兄ちゃんもお姉ちゃんもアカリさんは優しいって。だから、マスター似なんだなって思いました」
背後から聞こえる純粋無垢な声音に、俺はばりばり頭をかいた。居たたまれないというか、ミクに他意が無いことがわかるだけに、やたらと気恥ずかしい。メイコが小さく笑いながら、こちらに視線を寄越す。
「良かったわね、優しいってお墨付きよ」
「メイコ……わかって言ってるだろ」
「あら、何が?」
物凄く白々しい返しだったが、その笑顔があんまり楽しげだったので俺は文句を飲み込んだ。こういう場面でこの笑顔は、本当にズルイというか性質が悪い。わかっててやってるんだとしたら相当だ。
とりあえずミクに訂正をいれようとして背後に意識を向けた俺は、一気に脱力した。
「ううん、お兄ちゃんの方が優しいよ。お兄ちゃんは何時でも優しくて、本当にミクの自慢のお兄ちゃんだもの」
「いや、優しいのはミクだよ。僕が優しく見えているとしたら、それはミクが優しいからだよ」
背後では、カイトとミクがお互いを優しいと誉めあう奇妙な会話をしていた。アホの子兄妹なのかバカップルなのか判断に迷うところだが、ミクの性格からして超のつくブラコンなのだろう、多分。カイトはわからんが、まあ、病的なシスコンであることは間違いない。
ツッコミを入れるのも馬鹿らしく、俺は小さく嘆息した。
緑の多い郊外の一角、落ち着いた佇まいの一軒家がアカリの新居だった。結婚直後に一度訪ねたきりだが、一年前と変わらずよく手入れされた庭が明るい雰囲気を漂わせている。
車を停めて端末機からコールすると、すぐに扉が開き中から小柄な影が現れた。肩のあたりで緩く髪を束ね、チョコレート色のワンピースにカーディガンを羽織っている。昔より少し大人びた気もするが、大きな瞳も俺を見てぱっと浮かんだ笑顔も、変わらない妹のものだった。
「いらっしゃい、お兄ちゃん。めーちゃん、カイくん、久しぶりだね」
旧知のメイコは、ミクに向けるみたいなやわらかい表情でアカリの頭を撫でた。アカリはちょっと照れながらも、嬉しそうに目を細めている。
「リアルでは本当に久しぶりね、元気そうでよかったわ」
「お久しぶりです、アカリさん」
カイトは礼儀正しく、だが営業向けではない笑みを浮かべて挨拶した。
「アカリ、紹介する。うちの新入りのミクだ」
やや緊張した表情で後ろに下がっていたミクを、一歩前に押し出してやる。
「は、初めまして、ガーディアンタイプボーカロイドの初音ミクですっ。あの、不束者ですが、宜しくお願いします!」
真っ赤になって頭を下げたミクの横顔を見ながら、俺は首を捻った。
何故嫁入りみたいな挨拶? 緊張しすぎでオーバーヒートしたか?
アカリがふんわりと笑ってカチコチになっているミクの手をとった。
「初めまして、ミクちゃん。こちらこそ、不束者な兄がお世話になってます。あのね、うちにも二人ボカロがいるの。仲良くしてくれると嬉しいな」
「はいっ」
こくこくと首を振るミクをほんわかした表情で見守るカイトを余所に、俺はアカリに異議を申し立てた。
「……おい、不束者な兄って何だ」
アカリは何故か溜息をつくと、やれやれという表情をこちらに向ける。
「お兄ちゃん、自覚ないの? めーちゃんに家事全般お世話になってて」
「うっ」
全部とは言わないが、かなりサポートしてもらっているのは事実なだけに反論できない。詰まった俺のフォローをしてくれたのは、隣に並んだメイコだった。
「いいのよ、あたしは好きでやってるんだし。マスターが栄養失調で倒れたりしたら、あたしの沽券に関わるもの」
そこが理由なのかと突っ込みたかったが、藪をつついて蛇を出しかねない。
「……いや、倒れたことはないぞ、念のため言うが」
小声で主張してみたが、メイコもアカリもまるで聞いている様子はなかった。
「まあ、めーちゃんがそう言うなら私は助かるけど。でも、無理しないでね」
「大丈夫よ、家事は手伝うけれど本分は忘れていないもの」
「うん、いつもありがとうめーちゃん。今度、お兄ちゃんに何かお礼させるから」
「あはは、そうね、お酒でも買ってきてもらおうかしら」
二人の会話は流れるように続いていく。反論は諦めて、俺は車を車庫に入れるべく踵を返した。
開いたドアの向こう側、よく似た二声が完全にシンクロしていらっしゃい、と響いた。金髪に水色の瞳、白い肌の鏡音リンとレンは、一見すると白人の子供に見えるが勿論人間ではない。瞳はよく見れば人間とは異なる虹彩を帯びているし、顔かたちは計算による完全なアシメントリーだ。
「アキラ久しぶりだな!」
やんちゃな笑顔のレンの隣、リンもよく似た笑顔を咲かせる。
「めーちゃん、カイ兄も久しぶり! あ、その子が新入り?」
カイトの隣で少し不安そうな顔をしていたミクだが、二人の好意的な様子に表情を緩めた。
「こんにちは、レン君、リンちゃん。はじめまして、初音ミクです。マスターのもとで起動して、半年になります」
お辞儀の見本みたいにぺこりと頭を下げたミクに、鏡音の二人は揃ってきょとんと青い目を丸くした。
「…………?」
きょとん、と小首を傾げたミクにぱぁっと目を輝かせたリンがいきなり抱きついた。正確には、勢いがよすぎてタックルしたような状態になっていた。
「ふぇっ!?」
倒れかけたミクを当たり前みたいにカイトが支える。リンはキラキラ輝く水色の瞳で、ミクを真っ直ぐに見上げた。
「かっわいい! ミクちゃん可愛いね!」
ぱっと頬を染めたミクがはにかんだ笑みを浮かべる。
「ありがとー。でも、リンちゃんの方が可愛いと思うな」
「えへへ、ありがと。あたし達、仲良くなれそうだね」
「うん、仲良くしてくれたらすっごく嬉しい。私、お姉ちゃんとお兄ちゃん以外のボカロに会うの、初めてなの」
「そっかー。まぁ、リアルでは確かにあんまり会わないしね」
実際のところ、リアルどころか電脳空間でも過保護な兄のおかげでミクは箱入りだったのだが、俺が勘違いを訂正する前にリンは片割れの腕を引いた。
「こっちはレン。あたしの弟みたいなもんだから、仲良くしてやってね」
「ちょっと待て、なんでお前がそんな上から目線なんだよ!」
レンはリンの腕を払うと、ミクに向き直った。
「鏡音レン、起動して一年ちょい立つ。よろしくな」
「うん、よろしくねレン君。私より起動期間は長いんだね、半年分先輩だ」
「そうだな、といってもメイ姉やカイ兄に比べたら全然だけど。俺にわかることなら、教えるから」
「ありがとう」
ふわりと微笑んだミクに、レンがちょっと頬を赤らめる。微笑ましい光景に、しかし、シスコン全開のカイトだけは大変大人げない反応を見せた。
「レン君、ミクはあげないからね」
がしっとミクを抱きしめて告げたバカ兄に俺が突っ込むより早く、メイコのチョップが落とされた。
「このバカイト!」
「めーちゃん痛いよ……」
「いや、メイコは間違ってないから」
わたわたと心配げにカイトを見上げるミクの頭をポンと撫でて、俺はきょとんとしているアカリに声をかけた。
「アカリ、とりあえずあがっていいか?」
「あ、ご、ごめんね。もちろん、どうぞ。リンちゃん、レン君、お茶の支度手伝ってくれる?」
ぱたぱたと奥に行きながら鏡音の二人に呼びかけたアカリに、リンもレンも嬉しそうにうなずいた。
「うん」
「ああ」
揃ってアカリに並んだリンとレンの後を追いながら、メイコがミクを促す。
「ミク、あたしたちも行きましょう」
「はい」
応接間に向かう二人の背中から視線をカイトに向けて、俺は肩をすくめた。
「カイト、お前ちょっと過保護すぎだろ。アカリの家族なんだし、リンレンの性格だってわかってるんだから、もう少し余裕もっとけよ」
誰も、お前からミクを取り上げやしないから、と小声で告げる。
カイトは蒼い瞳を見開いて、それから片手で顔を覆って俯いた。
「……僕、余裕、ないですか?」
「ミクに関してはな。大事なのはわかってるが、過ぎると束縛になるぞ」
「すみません、気を付けます」
しょんぼりしたカイトの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で、俺は笑った。
「しょぼくれんなよ、ミクの兄気なんだろ? 胸張って自信持ってればいいんだよ」
「……はい」
まだ少し気落ちした表情だったが、何とか笑ったカイトに頷いて、俺はメイコ達の背中を追った。
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