緑の兄妹
森を出たリンとレンは、はぐれた護衛騎士とようやく合流を果たした。騎士曰く、土地勘のない森の中を動くより入り口で待っていた方が安全だと判断した。らしい。
「レン王子の姿が見えなくなり、ご心配しておりました」
尤もらしい意見を述べた後にそう言われた時、レンの拳が微かに震えていたのに気が付いていたのはリンだけである。無論、リンもかなりの不快感を味わっていた。
レンにも責任があるとはいえ、この場合咎められるべきは職務怠慢の上に反省のかけらも見せない護衛騎士だ。自分は何も悪くないと言った態度は愚かな貴族に共通しているので今更だが、今回は別格に腹が立つ。
「そのお怪我は? 一体何があったのですか? 緑の国がレン王子に危害を加えようと?」
都合のいい時だけレンを心配して、怪我に必要以上に騒ぎ立てる声も耳障りだ。自分の失態を詫びようともしない。しかも緑に責任をなすりつけようとするのが見え見えだ。
「由々しき事態です! この事を緑へ知らせねば、黄の威信に関わります!」
それは大変だ。あんたら貴族の面子に関わるね。そのまま失脚すればいいのに。
勝手に決め付けて勝手に息巻く騎士に呆れしか湧かず、リンは冷めた心境で騎士を眺める。多分レンも似たような気分だろう。
そう考えていた為、ずっと黙っていたレンが放った言葉には驚いた。
「確かに知らせないといけないだろうな」
何を言っているの?
思わず口に出しかけた疑問を呑み込み、リンは目を見開く。まさかこの馬鹿騎士の言う事に同意なのだろうか。
「そうでしょう!」
騎士はさも得意気な表情になり、勝ったと言わんばかりにリンを一瞥する。見下した目を向けられたが、リンは顔色一つ変えずに受け流していた。
二人を見ていたレンが頬を緩める。優しく、心から笑っているような顔で、人を引きつける笑顔だ。しかしリンはその笑顔が酷く怖い。まるで悪魔が獲物を見つけて喜んでいるようだ。
「森での騎士の活躍を緑の王子に話しておかないとな。千年樹は素晴らしかったとも伝えないと」
満面の笑みで告げられた台詞を聞き、意味を理解した騎士の顔が引き攣る。一方リンは護衛に様を見ろと思いこそすれ、同情などする気も無い。
テメーの無能さを緑の王家に話されたくなかったら黙ってろ。それから、森では何もなかった。
レンは野盗の事は伏せた上で、これ以上詮索するなと命令している。やはり王子は怒り心頭のご様子だ。今の彼に逆らってはいけないと本能が叫ぶ。この怒気を前にしてまだ大丈夫だと楽観視していたら、そいつは手のつけられない馬鹿か現実逃避をしているかのどっちかだ。
悪魔の微笑みを向けられた騎士は咳払いをして取り繕う。
「そ、そうですね! 西側の森は素晴らしいです。さあ、そろそろ戻らねば遅れてしまいますよ」
早口で言って町へ帰るよう進言する。散策に時間を使い過ぎたのを分かっているので、レンは戻る事を承諾した。
まあ、あくまで緑の王家に話さないと言っているだけなので、帰国したら相応の処分を下すのは間違いないだろう。馬鹿騎士がそこまで気付いているかは知らないが。
予定より遅れて宿に到着した際、リンがその事をこっそり尋ねると、レンは当然だと嘲笑して答えた。
「俺がいつ黄の国に報告しないと言った?」
許す気などさらさら無い。レンの目は全く笑っていなかった。
幸いまた野盗に襲われる事も無く、レン王子一行は日程通りに緑の王都に到着した。大通りは黄の国の王子を迎える為に特別規制がかけられ、箱馬車は群衆の注目を浴びてなだらかに走る。
流石と言うべきか、王都周辺は街道が整備されているらしく、馬車が揺さ振られる事は無くなっていた。お陰でレンが体調を崩す事も無く、快適な馬車の旅を味わっていた。
整備された道に感謝しつつ、リンは流れる景色へ目をやる。
何だか、森の中を移動しているみたいだな……。
濃淡や色の混じり具合の違いはあるが、窓に映る人々の髪は緑一色。馬車の中から外を眺めると、集まった住人の頭が木の葉や草のように見えて来る。千年樹の森を歩いた影響もあるのかもしれない。
さり気なく隣へ視線を動かす。レンの蒼い目と左目の下に貼られた絆創膏が視界に入り、リンは頬に手を当てて同じ位置を指で撫でる。顔は正面に向けているので、後ろに座る護衛に動作は見えない。
あの傷、残るだろうな……。
怪我ひとつなんて安いもの。もしも自分が同じ怪我をした時、あんな風に言えただろうか? 顔に一生残るかもしれない傷を付けられて、大した事じゃないと受け止められただろうか?
ありえた事態を想像したリンは手を下ろし、目を閉じて首を横に振る。
多分、無理だ。言えたとしてもやせ我慢が表に出てしまう。
「……強いな」
薄く目を開いて呟く。囁き声が聞こえたのか、景色を眺めていたレンが怪訝な顔で振り返った。
「ん? 何か言った?」
何でも無いと言おうとして、リンは別の言葉で誤魔化す。
「そろそろ緑の王宮に到着してもおかしくないですね」
体感時間で大分経っている気がするので何気なく言っただけだが、「おっ」とレンに驚かれた。
「良い勘してるな。後ちょっとで王宮前に着くよ」
何度か来ているので感覚で分かるらしい。その言葉から間もなくして、門が開く重厚な音がリンの耳に届いた。
馬車を降りたレン王子一行を迎えたのは、緑色のドレスを着た少女と、同じく緑色の王族衣装を纏った少年。二人共西側生まれの例にもれず緑髪で、少女は浅葱色、少年は翡翠色。後ろにはこれまた緑髪の使用人達が控えている。
あの二人が緑の国の王女と王子かと判断し、リンは自然と王女へ目を送る。両耳の上で結んだ髪は足元にまで届く程の長さで、隣に立つ短髪の王子を見ても注意がそちらに向いてしまう。
リンはレンや護衛に気付かれないように深呼吸をする。今回は一国民として青の国へ行った時とは違う。遊びではなく、黄の国王子の付き人として緑の国へ来たのだ。失礼が無いようにしなくてはいけない。緊張で鼓動が激しくなる。誰かが胸の中で太鼓を叩いているようだ。
緑の王女と王子が進み出る。近くで改めて見てみると、二人揃って綺麗な髪だ。森の草木と言うより、宝石のような輝きをしている。
「ようこそお越し下さいました。レン王子」
挨拶を述べたのは王女。優雅な頬笑みを前にして、リンの体に緊張感が走った。
傍に行っても良いのかと躊躇ってしまう程、容姿も声も美しい。だが何故だろう。その美貌に恐怖を感じ、心が微かに淀んだ気がした。
状況は全く違うが、前に似たような感覚を味わった事がある。原因は何かとリンが考えていると、レンが胸に手を当てて挨拶を返した。
「お久しぶりです、ミク王女。クオ王子。祝いの席にお招き頂き、ありがとうございます」
レンの嘘偽りの無い笑みに安心感を覚え、リンは不安を振り払う。
気のせいだ。きっとミク王女が美人過ぎるから羨んでいるだけだ。生まれは王女の自分が同じ立場にいられないのが悔しいのかもしれない。
リンはクオ王子へ意識を移す。隣に並ぶ妹王女に引けを取らない端正な顔立ちで、街を歩けば女性の注目を集めそうな美形だ。しかし異性と言う違いもあってか、ミク王女に覚えた近寄りがたさは感じられず、むしろ人好きのする印象を受ける。レンやカイトに何となく雰囲気が似ている気がした。
クオ王子がレンに挨拶を述べ、リンを見て不思議そうに眉を上げる。
「レン王子、彼女は? いつもの侍女の方ではないようですが」
リンは深々と礼をする。いつもの方とはリリィの事で、クオ王子は彼女の顔を覚えているのだろう。
姿勢を戻したリンを手で示し、レンはメイドの紹介をした。
「彼女はリンベル。新しく王宮に入った侍女です」
リンは再び礼をする。いつも通りにしていれば良いとは言われたが、他国の王族に会うのはメイドとして初めてなので緊張してしまう。粗相が無いようにと頭で言い聞かせながら面を上げた。
「長旅でお疲れでしょう。部屋を用意しておりますので、晩餐会が始まるまでごゆっくりとお休み下さい」
ミク王女が従者数人に馬車を厩舎へ移動させるよう指示し、クオ王子が王宮の案内の為に先頭へ移動する。リンが護衛と共にレンの傍に控えた時、ミク王女と視線が交わった。瞬間、リンは妙な恐怖心に襲われて息が詰まる。
ほんの一瞬だけだったが、髪と同じ浅葱色の目に宿っていたのは嫌悪と侮蔑。それはかつて嫌という程向けられた眼差し、人を人として見ていない眼差しと全く同じだった。
思い出した。この感覚は王宮を追い出された時、貧民街で過ごしている時に散々味わった。スティーブや上級貴族、道行く人から理不尽な屈辱と嘲りを受けた時の感覚だ。間違えようが無い。
でも、どうして緑の王女がレン王子の侍女にそんな目をする必要がある? 初対面の彼女に軽蔑されるような事をした覚えは無い。それとも気が付かない内に何か失礼な事をしてしまったのだろうか?
リンが内心の困惑を隠してレンの様子を窺うと、何事も無かったような表情で緑の一団の案内を待っている。おそらくミク王女の目に気が付いたのは自分だけで、他の人達は緑の王女が負の感情を持つとは考えてすらいないのだろう。
緑の王女と王子を先頭に緑の一団が動き出し、レン王子一行が続く。付かず離れずの距離を保って歩くリンは、ミク王女への疑念を打ち消しながら足を動かす。
長旅で疲れているんだ。ミク王女が美人だから、レンを取られると思っているんだ。
嫌な子だな、とリンは顔に出さずに自嘲する。自分が王女じゃないからって他国の王女に嫉妬して、愚かな貴族連中と同じだと思うなんて。
とにかく今は仕事の事を考えよう。自分は王女じゃなくてただのメイド。レンの付き人としての役目をこなすのが第一だ。
暗い感情を頭から追い出し、リンは緑の王宮へと足を踏み入れた。
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