intro Andante
1-1.
『私の恋を悲劇のジュリエットにしないで
ここから連れ出して……
そんな気分よ 』
私はふと思い付いたそんな言葉を、声には出さずにつぶやいて、自嘲気味に笑った。
――くだらないわね。
きまぐれに読んでいた戯曲、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の文庫本。それを読み終えて、私は本を閉じた。
昼休みの教室は、どこか雑多で騒がしい。本を読むのなら図書館に行ったほうがいいのだろうとは思うけれど、私は教室のそんな雰囲気が嫌いじゃなかった。
「あー未来ったら、また本読んでる。未来って読書好きだよね」
私の前の席に座る女の子、愛が――愛、という字で「めぐみ」と読むのはちょっと珍しかった――紙パックのカフェオレをストローですすりながら、振り返って私の読んでいた本をパラパラとめくる。
「今度はなに読んでんの……って、シェイクスピアぁ~? 未来、あんたってホント、休み時間でも優等生なのねぇ」
愛は、私の数少ない……というか、ほとんど唯一の友達だ。友達なんて呼べるのは愛しかいないって言ったって、あながち間違いじゃない。彼女はすらりとした長身の美少女で、肩まで伸ばした髪を栗色に染めていた。目鼻立ちの整った顔にはうっすらと化粧をしていて、耳には派手すぎないデザインとはいえイヤリングをしている。そのせいで、高校生の基準からすればあまり真面目な子だとは思われていないのかもしれない。事実、先生からは身だしなみについて何度か注意を受けているらしいが、本人はあまり気にしていないみたいだった。
「メグ、そんなんじゃないったら」
けれど、私はそんな愛のことが好きだった。彼女は虚勢をはったり誤魔化したりせず、いつもまっすぐだ。そんな彼女のとなりにいるのは、きゅうくつな家にいるときよりも、よほど居心地がいい。
「なーにがそんなんじゃないのよ。あたしだったらそんなの絶対読まないわよ。タイトル見ただけで眠くなっちゃう」
「またそんなこと言って」
そう言って、私達は笑う。
愛はひとしきり笑うと、私の机に「ロミオとジュリエット」しかないことに気付いて、眉をひそめた。
「あれ、未来ってば、お弁当は?」
何となく、聞かれるだろうなと思っていたので、私は肩をすくめて返事をする。
「今日はちょっと寝坊しちゃったから、作るヒマがなくて」
それに、愛は「げー」と少しばかりみっともない声を上げた。
「あんた、今まで弁当自分で作ってたの?」
「そうよ。あれ、言わなかったかしら」
私がしれっととぼけると、愛はぶんぶんと首を横に振った。彼女の艶やかな栗色の髪の毛が、ふわりと宙を舞う。
「きーてない。未来、お昼ご飯が無いとかそーゆーことは早く言いなさいよね……ほら、これあげるから」
そう言って愛は、自分の机に置いていたメロンパンの入ったビニール袋を「ロミオとジュリエット」の真上にポンと載せる。
「え? メグちょっと、いいわよ、そんな気を使わなくたって」
私は慌ててメロンパンを愛に返そうとしたが、彼女は私の頭を軽く小突いただけで受け取ってくれなかった。
「いたっ」
「未来、あんたにいいこと教えてあげるわ」
「……なに?」
愛は、くわえたままのストローをピコピコと動かしながら、私の目の前で右手の人差し指をピンと立てた。
「人の好意はちゃーんと受け取っておくものよ」
まさか愛から諭されるなんて思ってなかった。
「わかったわ。……ありがと」
「よろしい。じゃ、おかえしにあたしのお弁当もつくってきてね」
その、図々しいわりには嫌味の感じられない物言いに、私は思わず苦笑する。
「そんなことだろうと思ったわ。メグ」
愛は、右手に左手をあわせてかわいらしく小首をかしげて見せる。
「ダメ?」
「いいわよ。三つつくるのも四つつくるのも変わらないから」
私のセリフに、愛は露骨に顔をしかめた。
「げ。未来っていつもそんなにつくってるの?」
「うちの両親、共働きだから」
「孝行娘ねー」
私はまた「そんなんじゃないわよ」とつぶやいて立ち上がる。
「それじゃメロンパン、ありがたくいただいていくわね」
「んー。お弁当よろしく。未来、どっか行くの?」
私はメロンパンを抱えたまま肩をすくめる。
「生徒会室。明後日の学園祭のことで、実行委員と打ち合わせがあるから」
「なるほどねぇ。なんてゆーかもう、お疲れ様」
「どう致しまして」
そう言って教室を出ようとしたところで、愛は「ロミオとジュリエット」を手に、また声をかけてきた。
「そういえばさ、よく知らないけど、これってハッピーエンドじゃなかったわよね」
私はつまらなさそうに「そうよ」と言った。
「眠ってるジュリエットを見て、ジュリエットが死んだと勘違いしたロミオは毒をあおって、目がさめたジュリエットは死んだロミオを見てナイフで心臓をひと突き。二人とも死んでしまうわ」
「うえー。なにそれ」
「気になるなら、読んでみたら?」
愛は、きっぱりと首を横に振った。
「それはムリ」
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