めったに怒らない養父母は、20時ギリギリに帰ってきた俺達に、喝を入れた。
それから、何処に行っていたのかを聞かれ、正直に答えると、何故地理も分からない遠方まで出かけたのかを聞かれた。
「ちょっとした旅気分を味わいたくて」と答えたら、養父は「そのために父さんの財布から金を抜いたのか?」と聞いてきた。
「それについては、言い訳はいたしません」と答えると、養父はしばらく考え込んでから、「レン。男の子の冒険心に、リンを巻き込むんじゃない」と言った。
「大変申し訳ございませんでした」
俺はリンに謝らせる隙を与えず、とつとつと述べた。
「俺…いや、わたくしの招いた不祥事でございます。姉も無事に日常に帰ってきましたので、この度のことはお許しくださいませ」
何処の商人だ。何処の記者会見だ。と、俺自身も思う喋り方で言い、俺は頭を下げた。
養父母は、呆れた顔をしていたが、養母がリンを家の中に連れて行き、俺は養父からこう言われた。
「お前も知っている通り、私達はお前達と血のつながった親子じゃない。だが、悩むことがあるなら、きっとお前達の力になる。少しは、私達にも気を許してくれ」
俺は、父さんもリンの「完璧ニンゲン」っぷりに気づいていたんだと知った。
12年間、起こさなくても毎日自分達より早く起きて、身支度を完璧にしてから「親」の前に姿を現す娘に、「違和感」を持っていたんだ。
そして、俺が不良にこそならないものの、あまり「望ましいニンゲン」になることを遠ざけていたことも知っていた。
誰かの親になるって言うのは、そう言う所に気づくようになるのかも知れない。
俺も、選ばれないことは、自由であることだと思ってた。誰かに命令されるわけでも、何かを期待されるわけでもない。
何でも自分で決めて良い。劣等生として扱われるのが、「自由税」なら、安いもんだと思ってた。
だけど、いつかは「選ばれなきゃならない時」が来る。それが、高校への進学だったり、就職だったり、もしかしたら、自分の理想を叶えるって事だったりするのかも知れない。
俺はリンの心配ばっかりしてたけど、俺も自分の人生をリンに助けてもらい続けることは出来ない。いつかは、別々の道を歩き始めることだってあるんだ。
その時、お荷物な弟のために、リンが自分の「自由」を代償にするのは、あまりにも不公平だ。
俺は「旅」から帰って来た日から、受験勉強を始めた。
俺に勉強を教える時間が必要なくなったリンは、宣言通り家事の手伝いを以前より頻繁にするようになった。
洗濯機を回している間に、家を掃除し、食事の準備を手伝う。料理の間に洗濯機が出来上がりを教えて来たら、すぐに洗濯物をベランダに干す。
食事が終わったら食器を洗い、その手伝いが終わったら、部屋に籠って勉強をする。
養母は、「そんなに無理しなくて良いのよ?」と言うが、リンは笑って、「無理なんてしてないよ。それより、お母さんはパート頑張って」と答えるのだ。
俺とモモの「学会」は、主に学校から帰る時、歩きながら行われることが多くなった。お互い受験生だし、モモは理科学系の大学まで行くことを目標にしていたからだ。
高校も、それなりの偏差値の場所に通う必要がある。モモは機転と応用の利く奴なので、勉強に関して困ることもないらしいが。
でも、話が白熱した時なんかは、帰る途中にある公園で、夫々のポケットマネーから飲み物代を捻出し、ベンチに座って徹底対談していた。
その様子を見ていた近所の兄さんが、声をかけてきてくれた事があった。
犬の散歩の途中らしく、ハの字眉の柴犬を連れて、「レン君。こんにちは」と言ってきた。
「こんにちは」と俺が挨拶を返すと、兄さんは「もしかして、デート中だった?」と冷やかしてきた。
「いいえ。宇宙の神秘についての弁論大会です」と、俺は答えた。「カイトさんも一緒にどうですか?」とふざけて聞くと、近所の兄さんは「宇宙の神秘って何?」と興味を示してきた。
俺が、ざっくり「テラ」についての説明をすると、意外とカイトさんは馬鹿にもせずに耳を傾けてくれた。
「へー。そんな不思議な星があったら、是非行ってみたいもんだね」
カイトさんはもっと話を聞きたそうだったが、連れていた犬が散歩を急ぎたがったので、「じゃぁ、また今度」と言って、犬と一緒に公園から撤退して行った。
俺は無事に入試をクリアし、高校に通えるようになった。就職希望のクラスに入り、普通の授業の他に、パソコンの扱い方を教わった。
実益のある事を学び始めてから、俺は「使える知識は面白い」と言うことに目覚めた。バイトをして貯金を貯め、自分のパソコンを買うと、養父がウェブ環境を整えてくれた。
「少し遅いが、進学祝だ」と養父は言っていた。
モモとメールでやりとりをし、「ホームプラネット」についての新しい学説を、常に吸収していた。
宇宙空間にある天体望遠鏡で、「テラ」を撮影できたと言う情報がモモから送られてきた時は、俺は思わず両の拳を空に掲げた。
情報漏洩につながるので、写真は添付されてなかった。俺は約束を取り付け、約2年ぶりにモモの家を訪れた。
モモの家で見せてもらった「テラ」の写真は、不思議な色をしていた。真っ暗な空間に、青く鈍い光がある。
「『テラ』自体は光を発さない星だから、たぶん近くの恒星の光を反射してるの」と、モモは言う。「この星からの距離は、光の速さで5.7億年。この写真は、5.7億年前の『テラ』なの」
「壮大な時間だな」と俺は言って、ちょっと頭を働かせてみた。「それだけ離れてるとなると、この星みたいな『移住地』が他にもあるって事か?」
「そうだと思う。私、大学に行ったら、その事、調べてみる」と、モモは約束してくれた。
社会人になって、数年が経過した。俺は収入を得るようになってから、養父母の下を去り、一人暮らしをはじめた。
ある日、リンが失踪したと連絡を受けた。3日前、会社に行ってから、家に帰っていない。
養父母は警察に連絡し、リンは行方不明者として登録された。
俺は、まさかと思いながら、14の頃、リンを連れて行った湖に向かった。
其処に、リンは居た。正確には、倒れていた。俺がそっと近いて傍らに膝をつくと、リンは閉じていた眼をうっすらと開けた。
「レン…。来てくれたんだね」と、リンはカサカサの声で呟いた。何日も飲まず食わずだったらしく、唇は薄皮が裂け、頬は痩せて、手首は今にも折れそうな細さだった。
「リン。何があったんだ?」と、俺は姉を抱き起して聞いた。
「私ね、ご飯が食べれないの」リンは今にも途切れそうな声で言う。「水を飲もうとしても、吐いちゃうの。何日か前は、涙がダラダラ出てきて、止まらなかったの。だから、『家』に帰れなかったの」
「馬鹿女。だから言っただろ」と、俺も泣き出しそうになりながら、歯を食いしばった。
「うん。レンの言ってた通りだった」リンはそう言って、うっすらとほほ笑んだ。「私の知ってた『自然』って、全然『自然』じゃなかったんだね」
「『家』に帰れないなら、俺の所に来ればよかっただろ?」と俺が言うと、リンは笑ったまま言う。「やだよ。泣き腫らした顔で、会いたくないじゃん」
「だからお前は馬鹿だって言うんだ!」俺はリンを抱え上げた。「リン。良いか、絶対に死ぬなよ」
そう声をかけて、目印になる建物のある場所までリンを運ぶと、電話で救急車を呼んだ。
病院に搬送されたリンは、極度の栄養失調と脱水症状を起こしており、点滴で栄養剤を投与され、眠ったきり起きなかった。
時々、閉じたままのリンの目から、涙が流れた。医者の話では、栄養を補給しても、健康な状態に戻るには数ヶ月かかると言われた。
養父母に連絡を入れると、タクシーを走らせてリンの入院先に駆け付けてくれた。二人は、自分達の存在が、リンに圧力をかけていたんだと言って、ひどく落ち込んでいた。
「私は言ったことがあるんだ…。娘が茶を煎れてくれる生活に憧れてたんだって」と、些細なことを養父は気にしていた。
だけど、その言葉は、リンには無条件な枷だったんだろう。「亡くなった娘さんの代わりに、自分が理想の娘であってあげなきゃならない」と言う、暗示のような。
俺も、リンから離れることは、弟と言う重荷を無くすことだと思ってた。でも、それは違った。いずれ年老いる両親を、リンに任せきり、リンを一人ぼっちにしただけだった。
孤独の中で、耐えて、耐えて、リンは自分が壊れるまで「理想の娘」であろうとした。俺に対しても、「理想の姉」であろうとした。
決して弱みを見せず、完璧であろうと。
俺は、リンを、自分の自由の代償にしていたことに気づいた。
涙が出そうになって、俺は片手に拳を握ると、自分のこめかみを殴った。今一番苦しんでるのは、リンだ。俺が泣いててどうする。
聞こえてるかは分からないが、俺は眠ったままのリンに声をかけた。
「リン。お前、俺のねーちゃんだよな?」そう言って、点滴を受けているリンの冷えた手を握った。「生まれる前から一緒だったんだ。これからだって、俺はいつも、お前と一緒にいる」
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