「……リンちゃん、何があったの?」
 レン君が部屋を出て行くと、お姉さんは少し落ち着いた口調で、わたしに訊いてきた。
「えっとあの……」
「軽くふざけあうぐらいで、椅子から落ちたりはしないでしょ? それにリンちゃん、さっきから肩を押さえているし」
 ぶつけたところが痛むからだ。……もしかして、痣になっているかもしれない。
「落ちた時に打ったんです」
「相当ひどく打ったみたいね。湿布取ってきてあげるから、ちょっと待ってて」
 お姉さんは部屋を出て行った。やがて、救急箱を手に、戻って来る。わたしはちょっと躊躇ったけど、レン君は当分戻ってこないだろうから、ブラウスを脱いで、お姉さんに湿布を貼ってもらった。冷んやりしていて気持ちがいい。
 ……そう言えば、レン君と劇場で会った時、わたしは足をくじいて、レン君に手当てしてもらったんだっけ。あれが、レン君と仲良くなるきっかけだった。
「あのね、リンちゃん」
「何ですか?」
「もしレンが、リンちゃんが嫌がるようなことをしようとしたら、その時ははっきり嫌って言っていいのよ」
 お姉さんの声は、気遣うような調子だった。……嫌がるようなこと? さっきのことは、別に嫌じゃなかった。混乱したし怖かったけど……お姉さんは何が言いたいんだろう。わたしが首を傾げていると、お姉さんがため息をついた。
「……なんだか、はっきり言わないとわからなそうだから、はっきり言うわ。もしレンが、リンちゃんのスカートの中に手を入れたりしたら、その時はひっぱたいてもいいってこと」
 わたしは、ようやく言われた意味を理解した。思わず固まる。やだな……また頬が赤くなってきた。
「そういうことを迂闊にしないように言い聞かせてはきたけど……こればっかりはどうしようもない時があるから。でも、嫌ならひっぱたいていいし、さすがにひっぱたかれて我に返らないほど、レンをマヌケに育てたおぼえも無いし」
 お姉さんは、今度はそんなことを言い始めた。
「あ、あの……スカートの中に、手を入れられたわけじゃありません……」
「じゃ、胸とか触られただけで済んだの? それでも、嫌ならひっぱたいていいから」
 お姉さんの話すことが、あまりにも遠慮が無かったので、わたしは言葉に詰まってしまった。お姉さんがため息をつく。
「ごめんね、リンちゃん。容赦のない言い方して。でもこういうのって、オブラートに包むと却ってわかりにくかったりするから」
「それも違います……キスされただけで」
「椅子から落ちたのに?」
「あれは、わたしがもがいたから……」
「どうしてもがいたの?」
 どうしてだろう? わたしにもよくわからない。自分のことなのに。
「あのね、リンちゃん。頼むから、自分を大事にして。リンちゃんはまだ高校生だし、一時の情熱に流されてほしくないの」
 お姉さんに言われたことが、わたしはよくわからなかった。
「さっきの繰り返しになるけど、レンが求めてきたとしても、リンちゃんが嫌なら無理に応じる必要は無いの」
 ……わたしは困ってしまった。お姉さん、レン君がわたしに無理強いしようとしたんだって、そう、思っているみたい。
「……変なことはされてません。本当にキスしてただけなんです」
 きちんと説明しないと、レン君がお姉さんに誤解されてしまう。でも、何をどう言ったらいいんだろう?
「ただちょっと……なんていうか……いつもより情熱的でした」
 これが一番あう言葉なような気がする。でも、口に出すと、ひどく恥ずかしかった。頬が熱い。
「わ、わたし……首とかにキスされたの初めてだったから、びっくりして……」
 わたしの言葉を聞いたお姉さんは、天井を向いてため息をついた。
「それは求めてたのとほとんど変わらないわよ」
「えーと……?」
「リンちゃん、男の子というのはね、抱きしめるとキスしたくなって、キスするとあちこち触りたくなって、で、あちこち触っていると、相手の服を脱がせたくなるものなの」
 お姉さんの言葉に、わたしはまた真っ赤になって俯くしかできなかった。
「これは、本能だから仕方ないといえば仕方ない。でもね、リンちゃんが言うなりになる必要はないの。嫌ならひっぱたくなり大声出すなりすれば、多分正気に戻るから。世の中には戻らない人もいるけど、レンは大丈夫だと思う」
「嫌じゃ……なかったんです」
 わたしは、さっきのことを思い返しながら答えた。怖かったし混乱したけれど、レン君にされたことは、嫌ではなかった。
「……リンちゃん?」
「だから、嫌じゃなかったんです……レン君にされたこと。ただちょっと怖かっただけで……」
「怖いって感じるのなら、まだやめときなさい。あせってもいいことないから」
 お姉さんはきっぱりとそう言った。
「あの……お姉さん」
「なに?」
 こういう話をしていいものだろうか。でも、お姉さんの方からしてきたわけだし、それに、わたしの周りには、他にこういうことを相談できる人がいない。ミクちゃんはこんな話をされても困るだろうし、それはハク姉さんも一緒だろう。
「わたし……さっき、レン君にキスされた時……怖かったけど、でも……」
 すごく言いにくかった。
「それって、レン君のことが怖かったのあるんですけど、同じくらい、自分自身が怖かったんです……」
 レン君がいつもと違う感じになってしまったのは、確かに怖かった。けど、自分の心の中に「もっと触れてほしい」という気持ちがあって、その事実が怖かった。
 わたし……どこかおかしいのかな。
「あの時……わたし、一瞬ですけど、レン君のされるがままになりたいって、そう思ったんです……。自分でも、どうしてなのかわからないんでうけど……」
 わたしがそう言うと、お姉さんは深いため息をついた。
「そういう感情自体は、自然なものだし仕方ないと思うけど、やっぱりまだ流されない方がいいわ。生殖と結びついていることだしね。せめて、高校卒業して大学入るまで待ちなさい」
 それから、お姉さんは色々な話をわたしにしてくれた。学校の授業では教えてくれなかったようなことまで。
「リンちゃん、罪悪感とか、自分はおかしいとか、そういう感情は持たなくていいの。さっきも言ったけど、お互いに触れ合いたいっていうのは、自然なことではあるから。けどね、同時にリスクも伴うわけ。そして、いざそういうことになったら、女の子の方が大変だし、失うものが多くてリスクも大きいってことは、憶えておいて。それとね……誰だって、自分の身体は自分のものだって、そう主張していいのよ。リンちゃんの身体はリンちゃんのものだから、嫌なら相手に好きにさせる必要はないの。決めるのはリンちゃんよ」


 レン君が買い物から戻ってきた後、わたしたちは三人でお昼ごはんを食べて、それからまた戯曲の修正に戻った。違うのは、部屋のドアが開けっ放しになったことぐらい。
 午後は何事もなく、作業自体は順調に進んだ。でも、ちょっとわたしたちのやりとりは、ぎごちなかったかもしれない。
 作業が終わり――完全に終わったわけじゃないから、明日の放課後も使わないといけない――帰り支度をしながら、わたしは、思い切ってレン君に言った。
「……レン君、あの」
「うん?」
「わたしね……その、嫌じゃなかったから」
 レン君は、びっくりしたように瞬きした。
「リン、それって……」
「あ、あの……だから、嫌じゃなかったの。でも、わたしたち、まだ高校生だし……やっぱり……ちょっと怖いの」
 幸い、レン君にはそれで伝わったようだった。
「……あ、うん、わかってる。さっきのは、俺が先走りすぎた。リンを怖がらせたいとは、思ってなかったんだ。ただなんていうか、気がついたらああなっていたというか……」
 わたしは、レン君の手をそっと握った。
「駅まで送っていってくれる?」
「当たり前だろ」
 答えて、レン君は上着を肩にかけた。わたしたちは、連れ立って廊下に出る。物音を聞きつけたのか、お姉さんが自分の部屋から出てきた。
「……姉貴、俺、リンを駅まで送って行くから」
「わたし、今日はこれで失礼します。色々とありがとうございました」
 お姉さんに頭を下げる。お姉さんはくすっと笑った。
「そんなにかしこまらなくていいわよ。それじゃあね」
 わたしはお姉さんにもう一度頭を下げて、レン君の家を出た。


 帰宅したわたしは、楽な格好に着替えると、クローゼットの隠し場所からミミを取り出した。お父さんはまだ帰ってないから、いきなり部屋に入って来ることはない。ミミを抱えてベッドに座り、膝に乗せて、撫でてみる。
 ぬいぐるみは柔らかいから、こうやって撫でたり抱きしめたりしたくなる。わたしはミミを撫でながら、お姉さんから聞いた話を思い返してみた。
 キスの先に何があるのかぐらい、わたしだって知っている。学校で習ったし、本の中にも出てくる。ただ、それが実感としてわからないだけで。
 考えると、やっぱり怖い。
 でも……。レン君になら……。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第六十二話【カリンと梨】

 ……これがミュージカルだったら、めーちゃんが "Love Type Situation" を歌い出すのかなあ。
 多分もう憶えてる人も少ないでしょうが、私はあの曲好きです。

閲覧数:1,047

投稿日:2012/03/24 19:50:09

文字数:3,711文字

カテゴリ:小説

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