光とは、決して掴み取れないもののひとつだ。物理的な話だけではなく、例えば輝かしい未来や思い描いた希望、人生の道標なども光と言っていいと思う。
 僕にとっての光とは、突然僕の人生に現れた君だった。最後列の窓際の席は、片隅でひっそりと生きてきた僕の指定席だった。誰ともうまく接することができない僕には、親しくしてくれるひとなんていなかった。
 席替えをしても、「この席がいい!」と我先にクジを引きにいくクラスメイトたちを眺めていたら、いつのまにか最後のクジとして残った片隅の指定券を持っているのだ。
 普段友達と毎日楽しくお喋りをしているクラスメイトたちにとって、僕はただの空気だった。いてもいなくても同じ存在。もし視界に入っても気に留めることはない、街中ですれ違う通行人以下の認識しか持たれることはない。

「ねえ、何の本を読んでいるの?」
 最初は、名前を覚えることのないクラスメイト達が、たまたま僕の耳に届く音量で話をしているだけだと思った。
「聞いてる? というか、聞こえてる? ねーえ! ねえってば!」
 朝のホームルームが始まる四十分ほど前には僕は登校し、自分の席で読書をしている。ぼちぼち誰か来はじめたな、と思ったけどその声に対する返事がない。
 どうして誰も返事をしないんだ、なんでそんなに無視されているんだ。僕が顔を上げると、本の向こう、机の正面には一人の女の子が僕のことをじっと見つめていた。いや、見つめるどころか、少し拗ねているような。
「やっとこっち見た!」
「……え、僕?」
「そうだよ! きみしかこの教室にはいないでしょう。こーんなに話しかけているのに聞こえないなんて、よっぽどその本は面白いんだねえ」
 それが嫌味のようにはまるで聞こえなかった。純粋に疑問を投げかけているだけらしい。と、ここでようやくその女の子の顔が、記憶にあるクラスメイトの誰とも一致しないことに気がついた。
「というか、誰?」
「転校生だよ」
「転校生? ……いや、朝イチに教室に来たら駄目なんじゃない?」
「職員室の場所がわからなくて誰かに教えてもらおうと思ったら、だーれも見かけなくてね。試しに近くの教室を覗いてみたら、きみが一人だけ座ってたから、聞いてみようと思って。きみ、朝早いんだね」
「ああ、それで……職員室なら、案内するけど」
「やった! ありがとう!」
 やけに明るい女の子だな。それとも僕があまり接したことがないから知らないだけで、世の中の女の子ってみんなこんな感じなんだろうか。
 まあいい、それなら僕にわざわざ話しかけてきた理由も納得できる。今後は関わることはないだろう。そもそも同じ学年になるのかすらわからないし。ひとりで楽しそうに喋り続ける女の子の話を聞き流しながら、職員室へ案内した僕は、そのまま教室へ戻ることにした。ああそういえば、本に栞を挟み忘れたな。どこまで読んでいたか、思い出すのに時間がかかりそうだ。

「◯◯高校から転校してきました、巡音瑠花です。今日からよろしくお願いします」
 まさか同じクラスだったとは。しかも空いている席は僕の隣の席だ。もう関わらないと思った矢先、すぐにこんなことになるなんて誰が予想しただろう。
「ね、それで何の本を読んでいるの?」
 当前だが、彼女にとってこの教室で今一番話しかけやすいのは僕である。だから会話がさっきの途中から始まるのはこの流れでは予想できたことだし、僕が話をろくに聞いていなかったことを見抜いてか第一声の質問を再び投げかけてきた。
「そんなに気になる?」
「だってタイトルだけじゃわかんないし」
「別に、ただの小説だよ。学校の図書室にも置いてあるような、教科書で見慣れたタイトルの本」
「うーん……わかんないよ? 国語の教科書に載ってたっけ?」
「……間違えた、高校入試のときに問題に使われてた小説だよ」
「ああ、道理で知らないんだ」
「というか、あまり僕に話しかけないほうがいいよ」
「え、どうして?」
「ここでは誰も僕には話しかけない。僕はいらない存在なんだ。親しくしてたら、君も怪しまれるよ」
「じゃあ私、誰よりもきみと最初に仲良くなれるように、いっぱいわかんないこと聞いちゃおうかな」
「僕の話聞いてた?」
「じゃあまず……名前聞いてないな。名前教えて!」
「神威」
「神威くんかあ。珍しい名前だねえ」
 えへへ、と笑いながら彼女は僕の名前を繰り返す。名前ひとつでよくそんなに喜べるな。

 彼女は懲りずに、休憩時間の度に僕に話しかけてきた。趣味はどうだの、ここの先生はどんな人がいるかだの。無視をすると隣からひたすらちょっかいをかけてきて鬱陶しさが増すので、一週間で僕は彼女の存在を受け入れざるを得なくなった。僕が学校で読書に集中できる時間はなくなった。
 移動教室の時も彼女は僕の隣に引っ付いてきた。もうとっくに特別教室の位置なんて頭に入っているくせに、場所はどこだったっけと笑いながら僕の腕を引く。急速に距離が近くなった僕らを、クラスメイトがどんな目で見ているかなんて、まるで気にならないようで。
 他のクラスメイトと話していても、彼女は途中で僕に話題を振ってくる。その度に顔をしかめる彼らに彼女は気づいているのだろうか。彼らは本当は、僕と言葉なんて交わしたくないだろうに。
 君はお節介のつもりかもしれない。もしかしたらいじめを受けているとか、よくある正義感で行動したのかもしれない。だけどその気の迷いのせいで周囲に彼女自身が馴染めなかったら何の意味もない。

 そしてそれは現実になりつつあった。
 元より存在が無視されていた僕に唯一関わり続けた君を、クラスメイトは異端と感じ始めたのだろう。まだ彼女に対して話しかけはするものの、話題はだんだん個人的なものから事務的なものに変わり始めている。
「もうこんなことはやめてよ! 君が孤立したら、今度は君が周囲に見捨てられることになる」
 僕と同じ目に遭ってほしくない。僕みたいな存在に付き合わせた罪悪感に耐えかねて、ある日の放課後、僕はとうとう彼女を突き放そうとした。そうすればきっと彼女も本当のことを理解して、周囲へ溶け込むようになるだろう。
「きみ自身の心配より、私の心配をしてくれるんだね」
「別に僕は今までの生活を嫌だと思ってない。ひとりは気楽なんだ。そうすれば」
「そうすれば、誰にも失望されずに済むから?」
 どうして分かったのだろう。それとも、分かったつもりになって、憶測で言っているのか。
「確かにそれで新しく傷つけられることはなくなるかもしれない。だけどそれ、きみ自身の心が、寂しさで壊れちゃうよ」
「──寂しくなんかない! この感情が、そんな名前な訳がない……」
「認めなよ。そうすればもう自分ひとりで生き続けるのは苦しいことだって思えるから」
「……認めたところで、これからの生き方を突然変えられる訳がないだろう。僕は誰かに優しくされたことも、深く関わったこともないから、どうすればいいかわからない」
 そこまで言って、ふと疑問がわいた。先程の彼女の言葉。『認めなよ。そうすればもう自分ひとりで生き続けるのは苦しいことだって思えるから』それはまるで、彼女自身が経験した出来事かのような言い方だった。明るい彼女が、どうしてそんな仄暗い感情を知っているんだ?
「ねえ、どうして君は、僕に関わろうと思ったの? 最初の会話のきっかけじゃなくて、僕の隣で学校生活を送ろうと思った理由はなに?」
 今まで僕を見て、僕と視線を合わせて話しかけるひとなんていなかった。だからこれは単純な疑問だった。僕の目を真っ直ぐに見つめて、君はそれが当然のように答えた。
「だって、私も前の学校で、同じだったんだもん。似たもの同士なんだよ、私たち」
 彼女は語る。何を話しても周囲に存在を無視される日常を。自分ひとりが黙ることで世界が正常に周る日々を。僕とあまりにも重なる境遇の話。それは鏡を見ているかのように共感できて、心の奥深くに届く言葉。
 彼女は、自分で自分の生活を変える決心をした。そのために環境を変えようと、親と相談して転校を決めたのだ。
「過去の私にそっくりなきみは、私にとっての光なんだよ」
「君は、馬鹿だよ。せっかく手にしたチャンスを棒に振って、僕に構ったせいで、僕以外の人間との接触の機会が消えてしまう」
「それでも私は、きみに出会えたことで毎日がこれまでにないくらいきらきら輝いて見えるんだ。それに、言わなかったっけ」
 少しずつ近づいて、僕の手をそっと握るその手は、折れてしまいそうなほど細かった。
「誰よりも最初に、きみと仲良くなれるようになりたいの。私だけしか知らない、私だけのきみを、せっかく出会えたのに逃がすわけないでしょ?」
 意地の悪い、少し尖った言い方で、だけど少し切なそうに君は笑った。

この作品にはライセンスが付与されていません。この作品を複製・頒布したいときは、作者に連絡して許諾を得て下さい。

【がくルカ】鏡合わせの心

プロポーズボドゲでできた台詞をランダムに引いて、それをお題にしたワンライで書いた話です。
時間の関係で一部を省いて仮で完成させた話に、少しだけ加筆しました。
元になった台詞は「僕だけの眩しい君を逃がさない」だったのですが、思っていたよりも明るくなりました。

閲覧数:910

投稿日:2020/05/31 22:02:14

文字数:3,635文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました