夢見ていたい終わらない世界の夢。


―――夢桜―――


「凜!」
春の訪れを感じさせる季節。桃色の桜が美しく咲き始める頃、父が主催する社交会に出席していた少女は、ゆっくりと振り向いた。
肩のあたりで切りそろえられた綺麗な髪を後ろで結い、桃色と紺の袴を身につけたその少女は、声を掛けた人物の顔を見て、端正な顔を緩ませた。
「未来さん!」
未来さん、と呼ばれた人物は、凜と同じくらいの年頃の少女だった。未来は鮮やかな青の袴の裾を風に靡かせ、凜の元へ歩み寄った。
「お久しぶり、凜。しばらく見ない間に、また綺麗になったんじゃない?」
「未来さんこそ!町中の殿方が夢中になるのも分かるほど、お美しくなられました。」
「ふふ、ありがとう。」
長い髪を揺らし、笑う未来に凜は思い出したように問いかけた。
「未来さん、しばらく我が家にいらっしゃるの?」
「ええ。桜が散る頃まで、お世話になるわ。・・・あ、いけない。もう行かなくちゃ。あとでゆっくりお話ししましょう。じゃあ、またね。」
未来は上品な微笑みを残し、輪の中へ戻っていった。
凜は、一通りの出席者に挨拶に回ると、ひとり壁にもたれ掛かっていた。
「・・・あら?」
ふと、笑い声や音楽に混じって、聞き覚えのない音が凜の耳を突く。
視線を彷徨わせてみるが、何も変わったことはない。すると、もう一回、同じ音がする。
どうやら庭から聞こえてくるらしいその音に、凜はこっそりと会場を抜け出し、夜の庭へと出た。
石の足場を進んでゆくと、ほのかな月明かりに照らされ、昼間とは違う雰囲気を漂わせる桜、そしてその下にたたずむ人影が目にはいる。
恐る恐る近づいていくと、キィ、とまたあの音が鳴った。まるで、ぴんと張られた糸が震えるような、そんな音。
「綺麗・・・。」
凜は思わずそう呟いた。
すると、ぴたりと音がやみ、音を鳴らしていた人物が振り返る。
其処に立っていたのは、少年だった。髪を後頭部で小さく結び、バイオリンを手に持った少年。独特の空気を漂わせるその姿に、凜の胸は小さく音を立てた。
「ご、ごめんなさい。盗み聞きしていた訳じゃないの。ただ、貴方の音がとても綺麗で・・・。」
少年は慌てる凜を見つめてふっと微笑んだ。
「・・・ありがとう。」
優しげなその表情に、凜はゆっくりと言った。
「あの・・・もしよろしければ、もっと聴かせて下さらない?私、貴方の音を聴くととても心地が良いわ。」
少年は一度驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑った。
「面白い方だ。」

夜桜の下、響く音色。
凜の心は、いつのまにかその音に満たされ、包まれていった。



翌日、凜は父・母と共に、座敷に腰を下ろしていた。
向かい合うように座る男は、有名な富豪の一人息子であり、凜の許嫁である樂歩。
かこんと庭のししおどしが鳴ると、凜の父が口を開く。
「2周間後か。ついに、というべきか、やっと、というべきか、鏡音と神居の血縁となれば、これ以上はないな。」
「そうですね。僕が遠き東北へ旅していたため、遅くなってしまって申し訳ない。」
そいって樂歩は苦笑しながら軽く頭を下げる。
2周間後、というのは、凜と樂歩の婚約式の日のことだ。
富豪の息子である樂歩との結婚は、何年も前から聞かされていたこと。それに凜は樂歩の事は嫌いではないし、むしろ幼き頃から兄のように慕っていた。
樂歩と結婚すれば、何不自由のない幸福な未来が約束される。
昨日までは、そんな最高の幸せを思い描いていたはずなのに、凜の心は何故か迷っていた。
その原因は、昨日出逢ったあの少年だった。出逢ってまだ半日と経っていないのに、少年への思いは凜の心にしっかりと刻まれていた。
感じたことのない胸の高鳴りと、昨日の少年との記憶が凜の中を昨晩からずっと巡っていた。
「これが・・・恋?」
書物でしか読んだことのないその言葉の意味を、凜は胸の奥でずっと考え込んでいた。
「どうしました、凜?」
はっと我に返った凜は、不思議そうに顔を覗き込んでいる母に向き直った。
「あ、いえっ何でもありません、母様。」
「はっはっは、凜も久々に樂歩君に会えて嬉しいんだろう。なぁに、焦らんでもこれからはずっと樂歩君と一緒におれる。よかったな、凜。」
父の言葉に曖昧に答えた凜は、ぶんぶんと頭を振った。
いけないいけない。私は樂歩さんの妻となる者。他の殿方にうつつを抜かすなどもってのほか!
そうは思うものの、少年との記憶は一向に凜の中から無くなりはしなかった。

その晩、凜は屋敷を抜け出し、昨日の桜の下へ向かった。
月明かりに浮かぶ、人影。
「凜。」
凜に気付いた少年は、笑いながら振り返った。
「こんばんは。」
凜は挨拶を交わすと、ちょこんと庭石に座る。
少年はバイオリンを持つと、美しい音色を奏で始める。
目をつぶってその音色に聞き惚れる凜は、演奏が終わるとパチパチと拍手を送った。
「なんて素敵なの。ずっと聴いていたいわ。・・・そういえば、貴方、お名前は?」
少年は、布で丁寧にバイオリンを磨きながら答えた。
「僕は蓮。」
「蓮、いいお名前ね。」

あの頃の私は、この時間が何時までも続くと信じていた。
ずっと子供のままではいられない。
でも、大人になっていくことが、貴方とのこの時間が終わってしまうことが、ただ怖かったの。

数日が経った頃、凜は未来の部屋へと呼ばれていた。
「未来さん、入っても宜しいかしら?」
「ああ、凜。いいわよ。入っていらっしゃい。」
静かに襖を開けると、未来は縁側で本を読んでいた。
顔を上げると、柔らかい微笑みを浮かべる。
つられて凜も未来の隣に座ると、そうだ、と未来は呟いた。
「今、お茶を入れるわね。」
「あ、未来さん、私が・・・。」
「あら、いいのよ。」
そんな会話をしていると、ふいに襖が開けられた。
「失礼いたします。お茶と茶菓子をお持ちいたしました。」
「ああ、ありがとう。」
凜が体を半分曲げて振りむくと、そこに立っていたのは蓮だった。
「凜・・・?」
「蓮?」
「あら、2人はお知り合いなの?」
蓮が持ってきたお茶を飲みながら、未来が問いかける。
「あ、はい、まあ・・・。」
凜が歯切れの悪い答えを返すと、未来はあることを提案した。
「じゃあ、調度良いし、自己紹介をしてみたらどうかしら?しばらくここにお世話になるのだし。」
「あ、そうですね。」
連がきちんと座り直すと、凜も慌てたように姿勢を正した。
凜と連が向かいあうような形で座ると、未来はじゃあしょうかいするわね、と切り出した。
「彼は連。震災孤児になっていたところを父様が拾って、今は私の家・・・初音家で書生をやっているわ。」
連はペコリと頭を下げた。
未来の書生。何故連が桜の下にいたのか、凜はやっと納得がいった。
「彼女は凜。この鏡音家の娘よ。近々、神居家とのご結婚もきまっているのよね。」
「鏡音家、の・・・。」
連は目を見開いた。
「・・・未来様、私は旦那様より呼ばれておりますので、これで失礼いたします。」
「あら、そうなの?」
連は未来と凜に向き直り、深く一礼した。
「失礼いたしました。未来様、・・・凜様。」
凜の胸はズキンと痛んだ。
連との関係が壊れてしまった気がして。
そして、知らず知らずに両目からは涙が溢れていた。
「凜!?どうしたの?」
未来が慌てて涙を拭ってやる。
「未来さ・・・わ、私、ふしだらな女なんです。樂歩さん、との、結婚が決まっているのに・・・連に・・・恋をしたみたいなのです。」
ぴた、と未来の手が止まる。
「凜・・・。今、貴女にこんな事を言うのは、私の自己満足なのかもしれない。でも、同じ女として、これだけは言わせて、。」
ひっく、としゃくり上げながら、凜は未来を見つめる。
哀しげに瞳を潤ませながら、未来は震える声で告げた。
「ごめんなさい、凜・・・。私・・・。私も、連が好き。好きなの・・・。」

貴方だけを想って生きてゆくために、家も、家族も、大切な人も、全てを捨てることは許されるのでしょうか。

「凜。綺麗よ。」
「幸せになれよ、凜。」
三面鏡に映る凜の姿を見ては、父と母は代わる代わるそう言う。
鏡に映る、純白の白無垢を身に纏い、真っ赤な紅を引いた凜は、何処か寂しげに、落ち込んでいた。
そんな凜の様子を気にもせず、式は着々と進んでゆく。
鏡音家、神居家、初音家、その他富豪や良家の人間が所狭しと並ぶ部屋の中、凜の視線はただ1人、連を探していた。
「凜?」
不思議そうに樂歩が凜に声を掛ける。
「あ・・・すいません、何でもありませんわ。」
「そうか?」
凜は式後の宴に酔う人々の間をなんとか抜けだし、庭へと走った。
何故か分からないけれど、2人が出逢ったあの日のように、連の音が聞こえた気がして。

「連・・・。」
連は桜の木の下で、バイオリンを片手にぼんやりとしていた。
「・・・っ凜様!?」
一瞬、驚いた表情を見せたが、連はすぐさま苦そうな顔をした。
「婚約式はどうなさったのですか?・・・神居様がお待ちです。お戻り下さい。」
「っ連!」
凜は連の胸に顔を埋めた。
「凜様・・・っ。」
「私はっ、・・・貴方が好き・・・!」
「っ駄目です、凜様!」
ばっと、連は凜の肩を掴んで引き離す。
「あ・・・。」
凜の目から零れる幾筋の涙を見て、連の動きが止まる。
ぐっと、何かを堪えるように連は瞳を細ませ、静かに言った。
「お戻り・・・下さい・・・凜、様・・・。」
腫れ物に触るようにそっと、本当にそっと、連は凜を抱きしめた。
その様子を、未来は庭の木の陰で眺めていた。
「・・・っ」
ぎゅっと、未来は眉間にしわを寄せると、屋敷の方へと走っていった。

「凜。・・・説明してくれるな?」
夜の暗闇の中、ランプの小さな明かりだけが、部屋を灯す。
父は、鬼のような顔で凜と向き合った。
「・・・はい。」
か細い、消え入りそうな声で、凜は答えた。
「お前が・・・婚約式の最中、初音家の書生と秘密裏に会っていたと言うことは・・・本当の話なのか?」
「・・・本当のことです。」
パン、と乾いた音と、母の甲高い声が響く。
「あなたっ!」
じんじんと、頬が熱くなってゆく。
「出て行け!!大切な婚約式中に、書生などと密会しようとは・・・!お前は鏡音家の恥さらしだ!」
凜は、畳の上に蹲ったまま、何も答えない。
「神居家には式をやり直すと言ってなんとか承諾していただいたが・・・。問題は初音家だ。初音家のご令嬢、未来様はあの書生と婚約の仲にあるそうだ。御当主はこれを重大に考え、大変お怒りになられている。鏡音家との縁も切るそうだ。・・・どう責任をとってくれるんだ、凜!?」
「あなた・・・!もうおやめになって下さい・・・。」
涙ながらに母が父に訴える。
「うるさい!!黙っていろ!・・・凜!待て!何処へ行くんだ!」
父の叫びを耳にも掛けず、凜はふらふらと庭へと出て行った。

あの桜に行っても、蓮には会えない。
そう頭では分かっていても、凜は桜の下へ向かわずにはいられなかった。
あの桜を見れば、蓮との思い出が蘇ってくるような気がしたから。蓮との思い出が、消えずに残っているような気がしたから。
夜桜は、あの日よりもかなり花びらは散り、夏に向けての青葉が、艶やかに生え始めていた。
初音家がいた部屋の明かりは消えていて、余計に凜の胸を締め付けた。
「・・・っ」
涙が溢れた。
明日はきっと、今日までとは違う夢を見て眠るのでしょう。
貴方のいない、色褪せてしまった世界の夢を。
ざあぁっと強い風が吹いて、凜は思わず目を強くつぶる。
静かに目を開けると、辺りは一面、散る桜の花びらで彩られていた。
「や・・・っ」
凜は立ち上がり、桜の木に手を当てた。
「やだっ・・・まだ、まだ散らないで・・・!」
自分でも驚くほど、必死だった。
「きゃああっ」
再び強い風が吹いた時、舞う花びらの中、凜は確かに見た。

あの日見た、連の姿を。

十六夜の、儚い桜の様に散った、叶うことのない恋の物語。
貴方だけを想って生きていきたい。
刹那の夢の中で、形もなく消えていく、夢桜のように。
それでも、それだとしても、今だけは・・・。
此処で、全てを終わらせる為に。




想っていたい、夢見ていたい。


終わらない世界の夢。




糸が 震える音
夜桜のむせ返る中で
たった一瞬で
始まった 恋の物語

全て 彩られてく
あなたの音色に包まれてから
想い描いてた幸せは
色褪せて崩れさっていった

いつまでも 綴くと信じていても
子供のままでいることはできない…
大人になってゆくことが
ただ 怖くて…
不器用な優しささえ…
見失いそう

あなただけ想って 生きていくために
なにもかも捨てることは 許サレルノ…?
明日は きっと 違う 夢をみるの でしょう
あなたの居ない 色褪せたセカイの夢 


夢桜
どうか散らないでいて…
十六夜の儚い恋物語は
刹那の夢の中 消えてゆくけれど 
今だけは…今だけは…
想っていたい… 

あなただけ想って 生きてゆきたい
叶うことのない 恋の物語を
今此処で 全てを終ワラセルタメニ… 
夢見ていたい
終わらないセカイの夢



ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【自己解釈】 夢桜 【ひとしずくP】

この雰囲気が好きすぎる!
涙腺崩壊です・・・><:
蓮ver.は後でうpします。
時間があれば未来vwr,もうpしたいなぁ・・・。



本家様→http://www.nicovideo.jp/watch/sm6835178
歌い手様→http://www.nicovideo.jp/watch/sm8071130


蓮視点→http://piapro.jp/t/Ds6C

閲覧数:2,402

投稿日:2011/04/24 14:34:09

文字数:5,427文字

カテゴリ:小説

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