姫 桜-Himezakura-



 満月の光が闇と寒空を貫き、地上に落ちる。光は男の影を、地面に映し出した。
 「姫桜へは、この道でいいのですか?」
 黒いスーツに黒いネクタイ、そこに黒いトレンチコートを羽織った若い男が、道行く老人を引き留めて尋ねた。
「姫桜?! やめなさい。あんたも新聞ぐらい読んでいるだろう?」
「ええ。だから行きたいんです」
 男の長い紫の髪が、初冬の寒風に乱れる。
 細長い濃紫の、絹の袋を握る手に、言葉と共に力が入る。
「もう、五人。あの桜の辺りで死んでいるのを知っておられて行くのか?」
 老人の言ったとおり、この町の象徴とも言える姫桜-樹齢二千五百年の江戸彼岸桜-の側で、この月に入り、若い男が五人死んでいた。
 いや、死んでいると思われた。
 何しろ遺されたものが、片腕と片足だけだったり、両手両足の指と耳朶だけだったりと、あまりにも半端で、正確な生死の確認など出来ない状態だ。
 こんな物を遺して消えたのだから、恐らく死んでいるだろうとしか、言いようがない。
 元々姫桜には伝説があった。
 姫桜の本性は、美しい姫君の姿をした精霊。
 五十年に一度の年の冬、精霊に狂気が巡ってくる。
 生きた歳月の長さが、精霊に狂気を運んでくるのか、それとも深い業を背負ってのことなのか、それは誰にも分からない。
 ただ、狂気に囚われた桜の精霊は、若者達を美しい歌声で引き寄せ、その身を食らう。
 食らった血肉はその根にたまり、次の春には、ただ一度狂わんばかりに深紅の花を咲かせ、その後は再び次の五十年まで薄紅の花に戻るという。
 新聞でこそ、この話は書かれていなかったが、下世話な週刊誌には面白可笑しく書かれていた。
 それを読んで愚かな好奇心から、姫桜の元に行く者が、後を絶たない。
 そして行ったものは、戻ってこなかった。 
「知っています」
 男がやや甘く、良く響く声で応える。
「物見遊山ならやめた方がいい」
「物見遊山なら良かったのですが」
 口元に苦笑を浮かべながら、男の目はどこか遠い場所を睨み付けているかのようだった。
 その事に老人も気づいた。
「この道をまっすぐ行きなさい。あの小高い丘を登れば、姫桜がある。ほれ、見えているだろう」
 老人が振り返り、男は視線を上に上げた。
 眼前の丘の上に、大きく枝を広げた木の影。
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げると、男は歩みを進めた。




 男が姫桜のことを聞いたのは、死の床にある彼の祖父からだった。
「あの、悪食の姫の命を絶ってくれ。私の代わりに」
 今際の際の祖父からの頼みと、一緒に託された一振りの太刀。
「俺でいいんですか?」
 受け取った太刀の重みに、男は思わず眉をひそめた。
「おまえしかいない……おまえは若い頃の私に似ている……。声も、姿も……」
 祖父が目を細める。どこか遠くを見るような目。
 それでいて嬉しそうにも見えたのは気のせいか?
「姫を屠る方法を、今から教える……私が出来なかったばっかりに……世話を掛ける……すまん……」
 いつも毅然とした人だった。
 その人がこれほど弱り、自分のような不詳の孫に頭を下げる姿を、見たくはなかった。
「私がやらねばならないことだった。なのに、どうしても出来なかった。そのせいであの姫はまた罪を重ねる……。罪もない者の命が散らされる」
 細い声から伝わる五十年の後悔。
「頼む……」
 祖父の細い声が、耳の奥に残って離れなかった。




 姫桜までの道は、さして険しくもなく、革靴でも簡単に登って行けた。
 初冬のこの時期、桜は枯れた枝を伸ばし、落ち葉を地面に散らせていた。
 その桜の根元に、白い打ち掛けを纏い、膝を崩して座る女がいた。
 遠目にも分かる、桜色の長い髪。細く優美な姿。
 女は膝の上に、横たわる人間の頭を乗せていた。
(いかん!)
 高い位置で束ねた髪をなびかせながら、男は走り出した。
 が、遅かった。
 若者の目の前で、人の頭が、霧のように少しずつ消えて行く。
 頭、首、肩、左腕。
 男の足は間に合わなかった。
 贄と鳴った人間は、右の足首から先と、左の手首を遺し消滅していた。
 女は男の手首を拾い上げると、少し小首を傾げてそれを見て、すぐに放り投げてしまった。
 まるで幼女が、面白くもない玩具を打ち捨てるように、その姿はあどけなくも残酷だった。
「姫桜……」
 若者は思わず呟いた。
 恐らくこれが祖父の言っていた、悪食の姫なのだろう。
 姫は立ち上がると、真っ直ぐに若者を見た。
 夜目にも鮮やかな桜色の髪、細く白い面、冷たい狂気を孕んだ深紅の瞳。
 白い一重の上に纏った打ち掛けは、遠目では純白に見えたが、裾にはうっすらと紅が入っている。
 たおやかやかな気品と、背筋の寒くなるように禍々しさを放つ姫から、目が離せない。
 袋に入った太刀を持ったまま、若者は姫を見つめ続けた。
 姫の唇が、ゆっくりと開く。
 若者は我に返った。
(まずい!)
『姫が歌を歌う前に行動を起こせ』
 祖父の声が耳に甦る。
 袋から太刀を取り出しながら、若者は走り出した。
『そして、呼べ。そうすれば……』
 袋を投げ捨て、太刀を鞘から抜いた。
「るかー!」
 祖父から教えられた、姫の名を呼んだ。 
 姫の動きが止まった。軽く口を開いているが、その唇から声は流れない。
『姫は歌えぬ。姫の動きを止めたら、その太刀で姫の体を貫け』
 鞘を捨て、太刀の柄に左手を添え、若者は姫の体にその刃を突き刺した。
 姫の細いからだが折れ曲がり、刃は楽にその身を貫く。
『そのまま木の幹を刺せ』
 勢いのままに、姫の体ごと、太刀を桜の幹に突き立てる。
弾みで束ねた若者の髪が、乱れ落ちた。
 (これで……良かったのか?)
 たったこれだけのことなのに、息が乱れる。
 柄を握ったまま、若者は顔を上げた。
 目の前には姫の顔があった。
 その顔は、優しく、穏やかに微笑んでいた。
 真っ直ぐに若者を見つめてくる瞳は、柔らかに澄んだ、優しい碧へと変わっていた。
「やっと……来てくれた。私を殺しに……」
 姫は首を伸ばし、若者の唇に、唇を重ねた。
「ありがとう……」
 姫の体が、桜の木に吸い込まれるように消えていった。
 祖父の言葉を思い出す。
『姫を倒す方法は、五十年前、姫自身から聞いた。その名前と一緒に』
『なぜ、姫がそれをわざわざ教えたんですか? 教えて貰いながら、なぜ、お祖父さんはその方法を使わなかったのです?』
『……姫に会えば分かる』
 幹から太刀を引き抜く。
 名刀は刃こぼれもなく、そのきめ細やかな地肌に、月の光を映し出していた。
「……分かったような気がします」
 呟くと、姫が触れた唇を指でなぞった。
 目に焼き付いて離れない、たおやかな姫の姿、非の打ち所無く美しくも、どこか哀しく儚げな面。
 恐らく祖父は……。そしてかの姫も……。
 踵を返し、鞘を拾って、太刀を納める。
 その時、背後の気配に気づいた。
 慌てて振り返る。
 そこには深紅の花を満開に咲かせた桜の木があった。
 闇に浮かぶ、紅の炎。
 真冬の寒空に咲く、五十年に一度の徒花。 
「姫桜……るか」
 その名が聞こえたように、次の瞬間桜の花が、弾けるように一気に散った。
 血の色をした花片が、月光を受け、闇を舞う。
 若者が差し出す手に、花片が舞い落ちる。
『あなた……がく……』
 祖父の名を呼ぶ姫の声が、聞こえたような気がした。
 
 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【神威がくぽ】姫 桜-Himezakura-【巡音ルカ】

12月2日にコラボ「.:*:・☆.:*:・’小説を書いて、見せ合いましょう.:*:・☆.:*:・’」の大会用に投稿した作品です。

ありがたくも優勝をいただきました。

と言うわけで、審査も終わったことですし、修正改訂版を自分の所にも投下しました。

コラボの方にも投下しています。そちらには修正点を書いておきました。

閲覧数:253

投稿日:2012/12/29 19:17:16

文字数:3,104文字

カテゴリ:小説

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