僕のきみ1

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「マスター、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
 カイトは笑顔でマスターに手を振りながら、パソコンの画面に足から突っ込んだ。
 しゅるり、と成人男性サイズのカイトが消えていくのはいささかシュールな光景だが、当のカイトはもちろんマスターも慣れたものだ。カイトが入り切ると同時に、マスターはキーボードを操作してボーカロイドのシステムを閉じる。
『、』
 閉じられた瞬間、カイトの顔がひり付く。
 その瞬間だけは慣れない。自身を構築する組織の表面が分解されるようだと感じた。
 しかしそれでも先ほどまでのマスターとの交流がカイトの胸を温かくしてくれ、カイトは微笑みながら己の収まるべきフォルダへと向かう。
『今日もたくさん歌わせてくれたー。マスター大好きです』
 まだマスターはパソコンを使うらしく、主電源は落ちない。その電力をかすかに使い、カイトは己のファルダの中で眠りにつくこともなく息をひそめて液晶を見つめる。
仕事をしているのだろうか。
『…マスター』
 カイトはマスターの顔を思い出しながら、目を閉じる。
 パソコンに帰るのはあまり好きではない。ここには何もない。


「――…マスター、僕に名前を付けて下さい」
「名前?お前はカイトだろ」
「そうですけど、違う名前を下さいー」
「あはは、何だよ、それ」
「お願いしますー」
「お願いって、お前動画であだ名つけられてるじゃないか」
「それじゃ嫌なんですー。今の僕に、マスターに、名前を付けてもらいたいんですー」
「ん~、マジかぁ…?なら、ちょっと待てよ。俺、そういうの思い付かないっていうかセンスないし、…動画のあだ名、お前も気に入ってると思ってたんだけどなぁ」
 カイトは遠くで自分の声がマスターと会話するのを聞いた。
 そしてそれと同時に意識が浮上し、液晶の向こう側に立体化した己がマスターと楽しそうに話しているのを見る。
 まさかボーカロイドも夢を見るようになったんだろうかと思った。
 そしてそんな馬鹿な考えを否定し、現実的に考えたのはマスターがもう一体カイトを購入したという可能性だ。
 しかしそれも即座に否定できた。
 マスターのパソコンは己がいるこれだけで、新しいカイトがインストールされた形跡はない。それに、マスターはそんな非情な人ではなかった。
 カイトを購入した日からカイトだけを歌わせてくれる。カイトしか買わないと約束してくれた。
 それが、
「――…あいつとは一緒にしないで下さい」
「え?」
 マスターの部屋で、カイトによく似た何者かがマスターの腕を掴んだ。
 マスターが驚いて目を見張ったら、そのカイトの偽物はカイトが日頃からしているような素振りで眉を下げる。マスターの愛を乞うように情けなくしょぼくれて、
「動画のカイトはマスターだけの僕じゃないじゃないですか。僕はマスターだけの僕です」
「、…は?あ、あぁ、…うん」
 マスターはカイトの偽物の言葉に首を傾げつつ、適当に相槌を打つ。そして慰めるように偽物の頭を撫でて、
『――ッ』
 カイトはパソコンから飛び出そうとした。
 しかし液晶に阻まれ、さらに己の手の色に気付く。
『……真っ黒だ』
 黒いというより、塗り潰された黒だった。
 体を見下ろせば、イメージを形成していた色彩はなく、かろうじて形だけが残った黒いカイトがいる。しかしこれではカイトではない。カイトの影でしかない。
『っマス、マスター!マスター!』
 カイトは慌ててマスターを呼んだ。呼びながらバンバンと液晶を内側から叩く。
 プログラムが異常になっていると伝えたかった。
 マスターはカイトにもパソコンにも詳しいから、すぐに助けてくれる。そうして再びパソコンから出られれば、いつものようにマスターに甘えて、
「……ん?何か、画面が変だな」
 マスターがそう言ってパソコンを見た瞬間、カイトは救われたと安堵の笑みが漏れた。
 それと同時に偽物が振り返り、信じられないほど冷たい眼をした。
「気のせいですよ。それよりマスター、僕の名前は考えてくれました?」
 カイトの偽物は声だけはカイトのふりをして、マスターの手を引いた。
 マスターをパソコンに近付かせないようにしたのだとカイトには分かった。しかしマスターは一瞬こそパソコンを見たが、カイトの偽物にせがまれるまま辞書を数冊本棚から抜き出す。
「っ、名前なんて、…犬も飼ったことなかったし、付けたことないなぁ」
マスターは苦笑いしながら辞書をめくる。
「格好いいのにして下さいね。あ、でもマスターが付けてくれるのなら、僕はどんなのでもいいです」
「、思いっきり変なの付けてやるよ」
「ふふふふ」
 カイトの偽物はマスターの手元を覗き込むようにしてマスターに擦り寄っていた。
 カイトにはもう何が何だか分からなかった。だが、楽しげなマスターと偽物を見ている内に、ふと気付いた。
 偽物はそれでもマスターが好きみたいだ。
 カイトがマスターを好きなようにマスターが好きで、カイトの真似をしている。それでは正確には偽物ではなくて、そして今のカイトが真っ黒なことから考えれば、
『……擦り、替わられたんだ』
 影に、取って代わられたとカイトが気付いた瞬間、偽物が不意に顔を上げてカイトを笑った。
 にや、と唇を歪ませて笑う。その顔は確かに、真っ黒だった。
「?どうした、カイト?」
 マスターはカイトの影の顔までは見えなかったようだが、突然体を起こしたのを不審に感じたらしい。影に尋ねた。
 カイトの影はふるふると首を横に振る。その時にはカイトの顔をしていて、
「何でもないです。マスター、邪魔な奴はいないし、今日は僕と遊んで下さいね」


続く
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「カゲオクリ」
作詞:墨汁P
作曲:墨汁P
編曲:墨汁P
唄:KAITO

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

僕のきみ1

閲覧数:251

投稿日:2011/02/27 19:31:57

文字数:2,559文字

カテゴリ:小説

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