登校して、ミクちゃんとお喋りして、授業を受ける。授業が終わったら、部活のある日は部活動。それが無い場合、大抵は真っ直ぐ家に帰る。帰宅後は家庭教師の先生について勉強。それが、わたしの日常。何事もなく、日は過ぎていく。
 そんな、ある日の放課後。授業が終わって帰り支度をしていると、携帯にメールが届いた。差出人は運転手さん。「まことに申し訳ありませんが、車に問題がありまして、お迎えに行くのが遅くなります」と書かれている。今日は部活も無いし、ミクちゃんはミクオ君と約束があるとかで行っちゃったし……。どうしよう。
 ちょっと考えた結果、わたしは図書室に寄って行くことにした。あそこなら簡単に時間が潰せる。書棚に向かうと、わたしはざっと見回して、手ごろな本を探した。どれにしようかな。……これでいいか。
 近くにあった一冊を手に取って、わたしは閲覧席の方へと向かった。……あれ。
 鏡音君がいる。イヤフォンをつけて、何か……プリントの束かな? そんなものをじっと見ながら、ノートに何か書いている。
 立ったまま、わたしはなんとなく鏡音君を見ていた。なんだか、最近しょっちゅう顔をあわせている気がする。勉強中なら、邪魔したら悪いかな。そう思った時、鏡音君が顔をあげた。……目があっちゃった。
 どうしよう……。でも、無視するのも変な気がする。わたしは本を抱えたまま、鏡音君の座っている席の方へ歩いて行った。図書室の勉強用の机は四人がけだけど、鏡音君は一人で座っているので、他の三つは空いている。
「ここ……空いてる?」
 鏡音君が頷いたので、わたしは向かいの席に座った。持ってきた本を開いて読み始める。
「何読んでるの?」
 不意に、鏡音君がそう訊いてきた。もちろん、図書室だから声は小さい。わたしは本を立てて、鏡音君に表紙が見えるようにした。
「どういう話?」
「……さあ。まだ読み始めたばかりだから」
 そもそも適当に持ってきた本なので、あまり中身のことは気にしていない。時間が潰せればいいのだし。
 わたしは読書に戻ろうとしたのだけれど、どうも集中できない。さっきは向こうが声をかけてきたわけだし、ちょっとくらいなら、こっちが話しても大丈夫かな。
「鏡音君は、勉強?」
「いや、これはただの趣味」
 鏡音君がプリントの束を見せてくれた。英文がびっしり書いてある。……詩みたい。
「詩?」
「歌の歌詞。これのね」
 鏡音君は、ポケットから携帯プレーヤーを取り出した。さっきからイヤフォンで聞いていたのはそれだったみたい。
「聞いてみる?」
 わたしはどうしようか考える。断るのも悪い気がしたので、頷いた。鏡音君がイヤフォンを渡してくれたので、それを耳に差す。鏡音君が手元のプレーヤーのボタンを押した。
「……ひゃっ!」
 いきなり激しい音が鳴ったので、わたしはびっくりして声をあげてしまった。……何なのこれ? わたしはそのまま、鏡音君が停止ボタンを押して音楽を止めるまで、固まってしまっていた。
「……大丈夫?」
 気を使わせたいわけじゃないのに。……どうして、こうなんだろう。
「ごめんなさい。こういうの初めて聞いたから、驚いちゃって」
 わたしがそう言うと、鏡音君は怪訝そうな表情になった。
「巡音さんは、普段はどんな音楽を聞いてるの?」
「クラシックだけど」
 もっと小さい頃は童謡とかも聞いていたけれど、中学に入った頃からはクラシックしか聞いていない。
「クラシックが好きなんだ」
「……多分」
 他に選択肢はないというのもあるけれど……でも……多分、嫌いではない、と思う。
「じゃ、ちょっとこれ、聞いてみてくれる?」
 不意に鏡音君がそう言った。正直言うとあまり気は進まなかったけれど、もう一度イヤフォンを耳に差す。鏡音君がプレーヤーの再生ボタンを押して、また、音楽が始まった。
 ……さっきのとは違う曲だ。ゆっくりした曲調で、ずっと聞きやすい。歌っているのは男の人。残念ながら、部分部分の単語は聞き取れても、何を言っているのかまではわからない。あれ……? この旋律、どこかで聞いたことがあるような……? え? あれ?
「なんでミミの名を呼ぶの? ムゼッタのワルツでしょ?」
 プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』は、貧乏暮らしの若い芸術家たちを描いた作品で、ミミとムゼッタはこのオペラの登場人物だ。「ムゼッタのワルツ」は『ラ・ボエーム』で歌われるアリアで、タイトル通りにムゼッタが歌う。今の曲で途中から使われていたフレーズ、あれはかなり感じが変わっていたけれど、「ムゼッタのワルツ」に違いない。でもそれならどうして、ムゼッタではなく、ミミの名を呼んでいたんだろう?
「あ……やっぱりわかるんだ」
 そう言って鏡音君は、プレーヤーを止めた。
「……かなり感じが変わっていたから、名前が出てくるまでは自信がなかったんだけど」
 あの「ミミ」と名前を呼ぶ声で気がついた。これは「ムゼッタのワルツ」だって。
「作中でもそう言われるけどね。『それじゃムゼッタのワルツだってわからないよ』って」
 ……どういうことだろう?
「これ『RENT』っていうミュージカルの曲なんだよ。『ラ・ボエーム』を現代に翻案した作品。ちなみに、前に巡音さんと劇場で会った時に見てたのもこれなんだけど。で、今のは主人公のロジャーが、最後の方でミミに歌う曲」
「ロジャー……ロドルフォのこと?」
 詩人のロドルフォは、『ラ・ボエーム』の主人公で、ミミは彼の恋人だ。二人は愛し合うのだけれど、貧しさが若い恋人たちを引き裂いてしまう。そして、ミミは最後は結核で死んでしまうのだ。
「そうだよ」
「どうしてロドルフォがムゼッタのワルツを歌うの?」
「さあ……何でだろう? でも、三回ぐらいこのフレーズ弾いてるよ」
 鏡音君にもわからないらしい。それにしても、ロドルフォがこの歌を歌うのだろうか? あんまり想像したくないかもしれない。
「ロドルフォが、『わたしが街を歩くと、誰もが立ち止まって、わたしの美しさに見とれるの』って歌うの?」
 わたしがそう言ったら、鏡音君は笑い出した。
「……さすがにそれはないよ。あくまでギターで弾いてるだけ。その台詞自体は別の曲にあわせて、ムゼッタに当たるキャラクターが歌ってるけどね」
 ちょっとほっとした。
「この曲の歌詞自体は『君こそが探し求めていた歌なんだ』とか、そんな感じ」
「その台詞、『ラ・ボエーム』にも似たのがあるわ。『詩をみつけたんだね』ってみんなが言うの」
 第一幕の最後の方で、ロドルフォの芸術家仲間であるマルチェロやコッリーネやショナールは、ロドルフォとミミが一緒にいるのを見て、そんなことを言う。
「へえ……『ラ・ボエーム』は見たことがないからなあ。一度見てみたいとは思ってるけど」
 鏡音君がそう言った時だった。鞄の中に入れておいた携帯が振動し始めた。
「あ、ごめんなさい。携帯に着信入ったみたい」
 わたしは携帯を取り出して中を確認する。運転手さんからで、迎えに来たとのことだった。あ……じゃあ……帰らなくちゃ。
「誰から?」
「運転手さん。今日は車の調子が悪いから少し遅れるって、少し前に連絡があったの。で、今、迎えに来たって」
 なんだか少し淋しい気がする。わたしは鏡音君にさようならを言って、本を書棚に戻し、帰宅の途についた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第七話【わたしが街を歩くと】

 このネタをやりたいばっかりに、冒頭でレンが見ているミュージカルを『RENT』に設定しました。実はプロットを考えた時は、『ウェストサイドストーリー』だったのです。ただこれだと、共通する楽曲がない! というわけでこういうことに。

まあ一発で聞いてもわからないような気がするんですが……。情けない話ですが、私は何度も巻き戻して聞きなおして、やっと「あ、同じ曲だ」と理解できました。

ラ・ボエーム「ムゼッタのワルツ」
http://www.youtube.com/watch?v=sdnHvxmo2N0
(演奏会形式、日本語字幕あり)
http://www.youtube.com/watch?v=znLx0zds0dQ
(舞台版。2008年度メトロポリタンのもの。字幕無し。珍しくムゼッタがちゃんと美人)

RENT「Your Eyes」
http://www.youtube.com/watch?v=8eKiJfUYtS4
(1:50辺りで流れ出すメロディーが、「ムゼッタのワルツ」)

おまけに、レンが最初に聞かせた曲はこれ。
『RENT』より「RENT」
http://www.youtube.com/watch?v=fBe4bYLd91k&feature=related

閲覧数:1,250

投稿日:2011/08/15 23:15:57

文字数:3,030文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

もっと見る

クリップボードにコピーしました