「王女様」
呼び止める声に、リンは振り返った。
視線の先には人気のない回廊が、歪みなく続いている。
柱越しに続く内庭の方にも視線を漂わせるのだが、やはりそこにも声の主と思しき姿はおろか人影ひとつも見えなかった。
奇妙なほど静まり返った周囲に眉を潜め、視線を先に戻そうとして、リンはぴたりと足を止めた。
等間隔に並ぶ柱の影に同化するように、黒い影がひっそりと佇んでいた。
「・・・お前?」
この国では見慣れない服装、上背はあるものの猫背気味の崩した姿勢。
その姿にどこか見覚えがあると、記憶を探り、リンはすぐに思い出した。
いつぞや公子が自国から呼び寄せたという商人だった。
「・・・また、あの人が呼んだのかしら。私は特に呼んだ覚えはないわよ。今は、あれこれ物を見たいような気分じゃないの、下がりなさい」
記憶と共にかの青年を思い出した途端、胸を塞ぐような重い気分に襲われて、リンは憂鬱な声で命じた。
拒否を示す彼女の意思に反して、商人は王女の足元に畏まって跪いた。
「それは申し訳ございません。ですが、先日に姫君が興味を持たれておいでだったものが手に入りましたので、是非に、お目に掛けたいと思いまして」
その厚かましさに不快な顔をしながらも、僅かに気を引かれて王女は問い返した。
「私が?」
「はい」
商人が声を潜めるようにして囁いた。
「ボカロジアの蒼い薔薇を・・・お持ちいたしました」
「青い薔薇を?」
リンは思わず声を上げた。
「左様にございます」
大げさなほどに勿体をつけて、商人が頷いた。
「まず、先日の刺繍の謂れの方からご説明いたしましょう」
ふわりと手の上に広げられた薄いハンカチーフ。
その隅に、見覚えのある手刺繍の小さな花びらがぽつりと浮き上がっている。
「これは、ある貴婦人の象徴です。元はその方へ捧げられた花をモチーフにしているのだそうですが、彼女のための花をそのまま描くのは庶民には畏れ多いとして、花びら一枚を描くようになったと。まぁ、ありそうな話です。・・・そして、その元となった花こそが――」
手元を覆っていたハンカチーフを取り払い、商人はその手に乗せた小さな物を恭しく差し出した。
「これが、ボカロジアの蒼い薔薇です」
それを目にして、リンは身じろぎを忘れた。
両手に納まるほどの、それは陶製の額縁に収められた小さな貴婦人の肖像画だった。
年の頃はリンと同じほどだろうか。あどけなさの残る微笑は今よりも幼く、髪を上げ露になった細い首筋に危うい美しさが漂う。
丁寧に結い上げられたその翠の髪に、鮮やかな蒼い薔薇が咲き誇っていた。
「どういう、こと」
軋むような喉の奥から、震える声を絞り出す。
商人が答えるように顔を上げた。
長い前髪の下から覗く、意外にも若く整った顔立ちが底の見えない笑みを浮かべている。
「まだ、ほんの2、3年前のことです。ボカロジア家の公女が初めて公に姿を現した夜のこと。彼女の髪を飾ったのが、世にも珍しい蒼い薔薇だったと言います」
商人というよりも詩人か役者の朗読を聞くかのような、優雅ささえ覚える声が笑んだ形の唇から流れ出る。
まるで物語を語るような口調、芝居がかった仕草で彼は手を広げた。
「偶然の生み出した奇跡を手中に納めたのか、はたまた何処かの細工師が粋を凝らして作りあげた芸術品であったのか。その薔薇の出自は一切が不明ですが、彼女がその花を身に飾ったのは、その一夜きり。蒼い薔薇が世に姿を見せたのも、その幻のような一夜きり。その美しさは、彼女の手を引いた兄公子をして、この薔薇に相応しい貴婦人は彼女をおいて他になく、また彼女に相応しい花はこの薔薇をおいて他にはないと言わしめたほどでした」
リンは弾かれたように顔を上げた。
唇が声もなく戦慄き、大きく見張った眦に怒りにも似た朱が浮きあがる。
「後にその話を伝え聞いたものや、幸運にも夜会で彼女を目にしたごく一部のものたちによって、彼女とその薔薇のことが共に語られるうちに、いつしか密かに彼女自身をさしてそう呼ぶようになったのですよ、『ボカロジアの蒼い薔薇』と」
身を震わせて立ち尽くす少女に、長く伸びた前髪の下から紅い瞳を覗かせ、商人は薄っすらと唇を吊り上げた。
「一説には彼女にその花を捧げたのは、他ならぬ公子その人だとも言われています。・・・真偽の程は、不明ですが」
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第19話】前編
長らく更新停滞してました~。
第19話、前編をお送りいたします。停滞期があんまり長かったので、書いた分だけでもせっせと上げていきます。
この先、展開は割とダッシュ(の予定)です。流れが速すぎるときは、ちょっと前辺りから読み直して頂けると良いかも・・・(<ヘタレ)
中編へ続きます~。
http://piapro.jp/content/42sbxhr6ceppmtbd
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