キライな空が、一気に晴れていった。強い風で雲が流れていって、真っ暗な空にいくつか穴が開いたように星が、その中に一際大きく月が穏やかにいた。その光が、もしかしたら、自分の存在意義すらも光りで包んで、何もかもなくなっているのではないだろうか。
「今日は…冷えるな」
マントを握り締めるように身体を縮め、レンは呟いた。
向かう場所は一つ、ミクの家だ。家、と一言で言っても、ミクの家はそんじょそこらの家とは違う。いうなれば、『豪邸』、『館』だろうか。この辺りで一番大きな会社の娘なのだから、そうあるほどの大きさの家ではないことは、誰にだってわかることだ。
むちゃくちゃな投資や株などに手を出しているとも言われていた時期もあったが、何故かその株が急に高値になり、運にも味方された向かうところ敵なしの会社だ。政治社会ともこれといった問題はなく、国民たちからの支持もあつい。今、この辺りで大統領選があり、それにミクの父親が立候補したとするならば、大差をつけて当選するだろうといわれるほど。
そんな父を持ったミクは、昔から人間(ヴァンパイア)不信だった。父親は純潔のヴァンパイアだったが、母親は人間だったのである。人間であったミクの母は、ヴァンパイア社会でけだもの扱いをされ、財産目当ての小汚い下等生物とみなされて、週刊誌などでも酷いバッシングを受けた。そんなストレスと、こちらの世界になれていけなかったという環境的な問題が重なり、重度の精神病に侵され、ミクがまだ幼い時になくなった。しかし、そんな妻を、ミクの父はさほど気にした様子もなくミクを執事たちに預け、仕事に没頭し続けた。それに同調するようにあれほど騒いでいたマスコミも、母などいなかったかのように平然と別の話題を並べていった。
そんな現実社会を見たことで、ミクは一体どれほどのショックを受けたことだろう。ハーフである彼女への社会の目は厳しく、彼女は恐らく、計略結婚以外では結婚することが許されないだろう。たとえミクや相手が本気であっても、相手の両親はそれを止めるに違いない。
彼女に今、自由はないのだ。
凍えるような風に身震いをして、レンは足を速めた。
パンやクラッカーをもってきて、ミクは微笑んだ。
「早速食べようか」
「うんっ!」
そういってリンがハチミツの瓶を開けようとすると、ぐっと力をこめて顔を真っ赤にしてまで瓶のふたを回そうとするが、どうも開く気配はない。大方、リンはここにたどり着くまでに何度も何度も瓶を落としていて、その衝撃で瓶のふたがきつく閉まってしまったのだろう。
「あ、あっれぇ?」
「開かないの?貸してみて」
そういって差し出されたミクの手に重たいハチミツの瓶をわたし、リンはちょっと心配そうにミクを見た。
今度はミクが顔を真っ赤にする。
「あ、開かない…」
「でしょっ!?どうしよう、わざわざ用意してもらったのに…」
二人が落ち込んでいるところに、ドアをノックするものがあった。
「はい?」
「お客様で御座います。ヴァンパイアの、といえばわかるとか」
「レンだ!」
「通してください。飲み物を三つ。暖かいものをね」
ドア越しにそう言って、ミクは話しかけた相手を早々に戻らせた。
どうしてここがわかったのか、という表情のリンを見て、ミクが小さな微笑をみせ、一枚のクラッカーを口に運んだ。ここで念のために言っておくが、クラッカーというのは紐を引っ張ると音が鳴って国旗やら紙ふぶきやらが飛び出すようなクラッカーではなく、しっとりしていないビスケットのような、あのクラッカーである。けっして、ミクが血迷って異常な行動を起こしたわけではないことを、ここで説明しておいた。
中に入ってきたレンはどことなく怒っているような雰囲気をかもし出していた。
「り、リン…。やっぱりここにいたんだな…」
そんなレンの空気を知ってかしらすか、リンはハチミツの瓶をぐっとレンのほうに突き出し、笑顔を作った。
「開けて。」
「何だ、こんなもん…っ!」
今回は、レンが顔を真っ赤にした。
また、開かないのか、とリンがため息をつくと、レンがいきなりふたを開けてリンのほうに突き出した。
「開かないわけ、ないだろ。はい」
「おおっ!レン、すごいね!食べよう、食べよう!」
「何、これ」
「クラッカーとパン。つけて食べるの。ね、ミクちゃん」
「うん。おいしいよ、きっと!」
ほのぼのとした空気に巻けたようにレンが肩を落として、その場に座った。
一番をとって、リンがパンに手を伸ばす。たっぷりのハチミツをかけ、幸せそうに頬張った。この上ないほど、幸せだという表情でリンが嬉しそうな笑顔を見せて、ミクやレンに食べるように進める。
「とても美味しい!」
「美味い」
「よかった。これ、ダイスキなんだぁ」
「――はい、何でしょう?」
突然の電話に出たのは、キカイトだった。基本的にかかってきた電話はキカイトにつなぐようにしてある。
「――婚約を、破棄します」
「は?」
「私と、お宅の王子様との婚約を破棄します。結婚はしません。要件は以上です。では」
「あ、あの、一体どういう――」
「ブチッ」
一方的に通話が切れた。
「キカイト、何の電話だった?」
「婚約を破棄する、と。恐らく、相手方の――ミクさんでしょう」
「実力行使でもして、撤回させる?」
「以前なら。…いいですよ、別に。王子には好きなお相手がいるようですし、相手方からの拒否ならば仕方がないでしょう」
その恋の相手が彼女ならば仕方がないかもしれないな、という意味をこめて、笑顔を作って言う。
それに気がついたのか、アカイトも追求はしなかった。その辺の加減が美味くできる辺り、二人の付き合いの長さがあるからこそできることである。
「…仕方ないときはあきらめとけ」
「ええ。…ところで、半年前に貸した本が帰ってきていないのですが」
「…仕方ないときはあきらめとけ」
「…。」
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