注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
レンの姉、メイコの視点で、外伝その八【あの子はカモメ】外伝その九【突然の連絡】の続きです。
この作品に関しては、『アナザー:ロミオとシンデレラ』を第二十三話【真実はいつも少し苦い】まで読んでから、読むことを推奨します。
【シンデレラごっこ】
日曜日。レンはミクオ君と遊びに行くとかで、さっさと支度をして、出かけてしまった。テストも終わったことだし、目一杯遊ぶつもりなんだろう。さてと、私も出かけますか。
外出用の服を着てメイクをし、家中の戸締りとガスの元栓を確認してから、私はハクちゃんとの待ち合わせ場所である、繁華街の喫茶店へと向かった。
喫茶店に着いてみると、ハクちゃんはまだ来ていなかった。目立つように入り口の近くの席に座り、ウェイトレスにカフェオレを注文する。ハクちゃん、いつ頃来るかな。
カフェオレが運ばれて来てからしばらくして、私の前に立った人がいた。
「……あ~、先輩。お久しぶりです」
「ハクちゃん?」
私は、ハクちゃんの格好を見て、あっけに取られた。なんていうか……ひとことで言うと、ものすごく野暮ったい。そういや、ハクちゃんの私服姿見るのって初めてなのよね。学校内で会う時は当然制服だったし、試合の時はジャージやユニフォームだし。
リンちゃんは、少なくともまともな格好をしていた。家に来た時の服装は、白地に黒いピンストライプの入った開襟ブラウスに、大きくフレアの入った黒っぽいロングスカートで、まあ、いわゆる「おとなしいお嬢さん」といった感じの服装。ちなみに今、私の目の前にいるハクちゃんは、薄手の濃紫のセーターにオレンジがかった黄色いスカートという、「その組み合わせはやめて」と言いたくなるような服を着ている。ついでに言うなら、服を着たまま寝てるんじゃないか、と思いたくなるような着こなし。髪の梳かし方も束ね方も適当だし……。服装の乱れは心の乱れというけれど、ハクちゃんの心境はどうなっているんだろう。単にセンスが無いとかだけの問題じゃないな。センスだけなら、あんな髪の束ね方はしないだろう。更に付け加えると……全体的になんとなく、不健全というか、不健康というか、とにかくそんな雰囲気が漂っている。
「あ……うん、久しぶり。とにかく座って」
ハクちゃんは一つ頷いて、私の向かいに掛けた。ウェイトレスが、注文を取りに来る。ハクちゃんはコーヒーを注文した。
「それで……どこから話したらいいでしょうか?」
私にそう訊くハクちゃん。どこからって……そんなの、決まってる。
「ハクちゃんは、今何をしているの?」
その質問に、ハクちゃんは深いため息をついた。そして、上目遣いにこっちを見る。これは自分に自信が無い時の、ハクちゃんの癖だ。
「……先輩って、本当に直球で訊きますね」
「この場合は直球が一番効果的だと思ったからよ」
必要なら変化球も使うけどね。でも、今はこっちの方がいいでしょ?
「で?」
「ああ、はい。わかってます。あたしも、先輩には全部話すつもりで、覚悟決めてここに来ましたから……」
言ってハクちゃんは、またため息をついた。よほど話しにくいみたい。でも、喋ってもらわないと。
「で、どうなの?」
私は重ねて訊いた。ハクちゃんが渋い表情で、口を開く。
「はあ……実を言いますと、あたし、今、引きこもりなんです」
引きこもり!?
「ちょっと待って。ハクちゃん、引きこもりってのは家や部屋から出てこない人のことを言うのよ」
「ええ……だから、出てなかったんです。三年ぐらい、部屋に引きこもってました。だから今ここに出てきたのが、三年ぶりの外出です。お日様の光を浴びるのも、三年ぶりです」
淡々とそんなことを言うハクちゃん。そりゃ……不健康そうにもなるわよね。それに、リンちゃんが口ごもって何も言えなくなったのもわかるわ。姉の知人に向かって「姉ですか? 今引きこもってるんです」なんて、言えるわけがない。
「具体的には、いつから引きこもってるの?」
「高三の冬ですね……確か。お情けで卒業はさせて貰えましたけど」
まあ、高三の三学期って、授業は無いに等しいからねえ……行かなくても、問題はないか。
「その後は?」
「ん~、だから、引きこもりです。大学とかには行ってません」
はあ……他人事ながら、ため息が出る。
「ずっと部屋の中にいたの?」
「大体は」
「ご飯は? お風呂は?」
「食事は、夜中に冷蔵庫を漁って食べられるものを調達していました。大抵、何か入っているんで。風呂も夜中に入ってます。幸い広い家なんで、夜中に入ってても怒鳴られるようなことは無いんですよ」
……ため息が出てくる。ハクちゃん、それがどれだけ異常なことなのか、わかってるんだろうか。
「はっきり言うけど、異常よ、それ」
「あたしもそれはわかってます」
答えるハクちゃん。本当に? それにしても、家の中はどうなっているんだろう。
「家族の反応は?」
「お父さんは、ずっとあたしのことを無視してます。カエさん――あ、継母のことです――は、話をしたいみたいですけど、あたしが嫌なんで無視してます。姉さんは、お父さんと一緒であたしを無視してます。リンは、たまにあたしの部屋に来て話しますけど、ここ二週間ばかり、都合がつかなくて喋ってません」
私はテーブルに肘をつくと、額を手で押さえてこめかみを軽く揉んだ。事態は、想像以上に厄介みたいだ。そもそも、一緒に住んでる家族と喋ることがないってのが、異常すぎるぐらい異常だ。我が家の場合、毎日レンとは何かしら話すし、外国にいる母とも、小まめにメールなどで連絡を取っている。
「……そう言えば、お姉さんは今何をしているの?」
「姉さんですか? 大学を首席で卒業して、父の会社で、父のアシスタントみたいなことをやってます。父の薦める人と婚約したんで、そのうち結婚するでしょう」
引き続き淡々と語るハクちゃん。実の姉だというのに、他人事みたい……。なんだか、頭が痛くなってきた。
「ねえ、ハクちゃん……そもそも、どうして引きこもったりしたわけ?」
一番肝心なポイントはこれだ。引きこもりになるのには、何かしらきっかけがあったはず。
「外に出るのが嫌になったんです」
うん、そりゃまあ、そうでしょうね。でも、私が知りたいのは理由の方なの。
「だから……外に出るのが嫌になった、きっかけは何?」
ハクちゃんは視線を一度伏せた。それから、ため息混じりにこう言った。
「あたし、つきあってた人がいたんです。でも、父に仲をぶち壊されました」
「……え?」
思ってもみなかった話に、私は思わず訊き返した。
「つきあってた人って……」
「高校二年の時からだから、先輩は知らないと思います。クラスの友達が紹介してくれた人で、まあ、要するにその子の彼氏の友達だったんですけど。……初めての真剣な恋でした」
そう言うハクちゃんの声のトーンはひどく平板で、それが逆にハクちゃんの心の傷の深さを物語っていた。
「ハクちゃん確か、異性とのつきあいは禁止って言ってたわよね」
「はい。だから、誰にも言いませんでした。リンもこのことは知りません。でも……何故かバレたんです」
「で、どうなったの?」
ハクちゃんは、辛そうに視線を伏せた。
「父が、彼氏の家に怒鳴り込んだんです。聞いた話だと、彼氏にものすごい暴言を浴びせたそうで。このろくでなし、娘をたぶらかすなとか、なんとか。笑っちゃう話ですよね。普段はあたしのことなんてどうでもいいって思ってるくせに、こういう時だけ父親面するんですから」
う……きつい話だ。ハクちゃんは視線を伏せたまま、話を続けている。
「話はつけてきたと言われて、あたし、彼氏の家まで行ったんですけど……こう、言われました。あたしとはこれで終わりにしたいって。こんな面倒なオプションが、ひっついている女はお断りだって。あたし、なんかもう、全てが嫌になって。気がついたら、外に出られなくなってました」
その結果が「引きこもり」か。確かに、そんなことがあったら、外に出たくなくなるかもしれない。
「だから……弟さんに、リンのことは諦めるように言ってください。あたしと違って、リンは『いい子』で通ってます。リンに彼氏ができたなんてことになったら、父の怒りはあたしの時の比じゃないでしょう」
私は、もう一度ため息をついた。
「あのねえハクちゃん、恋愛ってのは、反対されると余計に燃え上がるものなの。『ロミオとジュリエット』だって、反対されなければ、ああはならなかったって言われてるぐらいなんだから」
レンの性格からいって、反対されたら余計意地になるだろうし。とりあえず、リンちゃんとは本気のつきあいしか認めないとは言っておいたけど。通じただろうか……。
「じゃ……どうするんですか?」
私は肩をすくめた。
「今の段階じゃなんとも言えないわ。まだどう転ぶかもはっきりしないし。最終的にはお互いの気持ち次第だしね。リンちゃんがレンに対して恋をしない可能性もあるし、恋に落ちても、一年ぐらいで冷めちゃう可能性だってあるし」
それだったら、大事にはならないだろう。まだ何といっても、二人とも高校生だ。
「レンが本気でリンちゃんを好きになって、何とかしたいって言うんだったら、その時はできる範囲で手を貸してあげるつもりではいるけれど」
果たして、私にできることってあるんだろうか……? うーん、お互いが二十歳になるまで何とか関係を隠し通してもらって、二十歳になったらすぐに籍でも入れさせるとか? これも無茶苦茶な話だけど。
「……いいなあ」
「どうしたの、ハクちゃん?」
「あたしが恋をした時は、親身になってくれる人なんて、誰もいなかった……」
ハクちゃんに淋しげな口調でそう言われ、私は絶句した。
「……あ、えーと……」
「あ、先輩、違うんです。ただちょっと、リンが羨ましくて。リンの方が、男運がいいのかもしれませんね」
私は、何とも言えない気持ちになった。ハクちゃんの恋、か……。
「ハクちゃんは、これからどうするの?」
「うーん、暗くなるまで待って、こっそり家に帰ります」
はい?
「ちょっと待って。今日出てくること、誰にも言ってないの?」
「言ってません」
あっさりとそう言われ、私はまた言葉に詰まった。
「で、でも、家を出てくるところ、誰かに見とがめられたりしなかったの?」
「あはは……それが嫌だったんで、朝の五時に起きて家から出て来ちゃいました」
あっけらかんとそう言うハクちゃん。……朝の五時って。
「まだどこも開いてないんじゃ……」
「駅前まで歩いて、二十四時間営業のファーストフードショップで時間潰してました」
まあ、確かにそういうところはあるけれど……そうまでして、誰にも見られたくないなんて、ハクちゃんの家族に対する拒絶反応はかなりのものみたい。
でも……ハクちゃんだって、問題意識ぐらいあるはずよね。でなければ、私の誘いだって拒絶していただろうから。心のどこかに、「このままではいけない」という気持ちぐらい、あるはず。
「じゃあ、日が暮れるまでは暇なのよね?」
「そうです……」
そう言ったハクちゃんの身体が、ふらりとよろめいた。
「ハクちゃん!?」
慌ててハクちゃんに声をかける私。どうしたの!?
「あ、先輩。すいません……ちょっとめまいが。久しぶりに外に出たせいかもしれません」
ハクちゃんの口から出る言葉はとにかく異常なんだけど、本人はその異常さをあまり自覚していないみたいで、それが痛々しかった。
「どこかで一休みする?」
「どこかって……どこでです?」
私はさっと考えを巡らせた。休ませるのに一番向いている場所は、多分私の家だ。でも、ここからは結構距離があるし、ふらついているハクちゃんをそこまで移動させるのは酷かもしれない。もっと近場で、横になれて、簡単に入れるところ……。うーん、あそこしかないか……。
「考えがあるの。ついてきて」
私はハクちゃんを、繁華街のラブホテルに連れて行った。え? と思われるかもしれないけれど、咄嗟に浮かんだ横になれる場所、というのがここだったのだ。ラブホテルならベッドがあるからハクちゃんを寝かせてやれるし、完全な個室で防音もしっかりしてるから気を使わなくてすむ。受付が自動化されていて、誰かと顔をあわせなくて済むのもありがたい。それに一晩泊まらなくてもいいし。
ハクちゃんはふらふらしていて、私がどこに連れて行ったのかもわかってないみたいだった。ラブホテルの部屋に連れて行って、ベッドに寝かせてあげると、五分で眠ってしまった。……やれやれ。
さてと、これからどうしよう。ハクちゃんはずっと暇みたいなこと言ってたし、つきあうとしますか。あ、そうだ、どうせなら……。
私は携帯を取り出すと、メールを送った。しばらくすると、返信が来る。うん、いいわね。それじゃあ、午後に伺いますって、返信をしておこう。
準備完了。後はハクちゃんが目を覚ますまで、テレビでも見るかな。あ、ここケーブル放送入ってるんだ。何か面白そうな番組はと……これがいいわ。字幕だから音量ギリギリまで落とせるし。
……そんなわけで、私はハクちゃんが目を覚ますまでの数時間の間、ずっとドキュメンタリー専門チャンネルを眺めていた。なかなか面白かったわ。世の中って広い。
「うーん……」
あ、ハクちゃん、起きたみたい。
「ハクちゃん? 具合はどう?」
「あ……先輩……」
ハクちゃんは起き上がって、周りを見回し、唖然とした表情になった。
「先輩、ここって……」
「うん、ラブホテル」
笑ってそういうと、ハクちゃんは引きつった表情になった。
「せ、先輩……何考えて……」
「ここなら静かだし、ベッドもあるし、ゆっくり休めるでしょ?」
「だからって……!」
「いいのよ、別に。料金はちゃんと払うんだから、ホテル側だって別に文句ないでしょ」
文字通りの休憩に使ったってね。
「それはそうと、ハクちゃん。具合はどう?」
「あ……はい、大丈夫です」
確かに、ハクちゃんの顔色は寝る前よりもずっと良くなっていた。
「良かった。で、今日はこの後も暇なのよね」
「はい、そうです」
と、頷くハクちゃん。ふーむ、じゃあ……。
「ねえ、ハクちゃん。だったら、私と一緒に『いいこと』しない……?」
ハクちゃんの目が、点になった。
ロミオとシンデレラ 外伝その十【シンデレラごっこ】前編
主役が遊園地に行っていた間、めーちゃんはハクと会っていたわけです。
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