翡翠が望む明日

 木々が生い茂る森の中、少年は目の前で蹲る少女に訊ねた。
「どうして隠しちゃうの?」 
 少女が頭を押さえて涙ぐむ。
「……皆と違うから。緑髪じゃなくて、変だから」
 少年は知っていた。少女が必死で隠そうとする髪の色を。それはこの国ではまず見ない、草木に映える金髪だ。少年自身、緑髪以外の人を見るのは初めてだった。
 相手は東側の人。驚きはしたけれど、嫌いだとか嫌だと言う気持ちはちっとも無かった。むしろ違う国の人と仲良くなれたのが嬉しい。
「もったいないよ。花みたいで可愛いのに」
 跳ねたように振り返った少女に笑いかけ、少年は歩み寄る。森に溶け込む緑髪が風に揺れた。
「あっ! そうだ、まだ名前言ってなかったね」
 すっかり忘れていたのを思い出し、慌てた少年は名を告げる。教えられた礼儀作法通りに、自分が名乗ってから少女に訊いた。
「君の名前は?」
 問われた少女が俯く。恥ずかしいのかやや間を置いて、小声で名前を口にした。

 緑の王宮、高官や特別な許可を得た者のみが立ち入りを許される一室で、ウィリデは報告を受けていた。天蓋付きのベッドで上半身を起こす彼は眉根を寄せる。
「クオが戦争について嗅ぎ回っているだと?」
「はっ。特に千年樹の虐殺に関する事を調べているようです」
 傍らに立つ側近は緊張した面持ちで続ける。
「戦争経験者へ聞き取りを行っていると言う報告が私の元に届いています。……もしや、気付いたのでは?」
 真相が明らかにされようとしている。焦りを浮かべる側近に対し、王は冷淡に言い捨てた。
「捨て置け。以前にもやっていた事。真実に辿りつく事は有り得ない」
 淡々とした口調には息子への愛情や関心が微塵も込められていない。感情が存在しないかのようなウィリデ王に、側近は冷や汗を滲ませる。
 十年前の戦争で起きた虐殺事件は、王の命によって行われた作戦である。緑の国の兵を敵兵に偽装して自国の町を襲い、黄の国の仕業に見せかけ、疲弊した兵達を煽り立てた。結果町は一つ消えたが、黄の国の部隊を殲滅させ、騎士団長を討ち取る事に成功した。
 全ては緑が大陸を統べる悲願の為。作戦に巻き込まれた民は平和の為の小さな犠牲だ。
「立証は不可能。それにクオも王子。何が西側の為になるかを理解しているだろう」
 ウィリデが無表情で告げる。十年前の虐殺事件の証拠になりうる情報は処分と改竄を行い、真実は闇に葬った。王子がいくら調査した所で、行きつく答えは変わらない。
 すなわち、緑の民を虐殺したのは黄の国だと言う事。責を負うべきは東側であり、西側は被害者だと。
「東を手に入れる絶好の機会、逃してなるものか」
 宿敵の黄を滅ぼし大陸を統一する。自身が生きている内に史上初の偉業を成し遂げるのだ。血を分けた存在など、緑を繁栄させる駒に過ぎない。
 後は東側の革命が終わるのを待ち、政治補佐の名目で黄の国を乗っ取るのみ。娘は実に良く動いてくれた。操りやすい人形が身近にあったのは正に天命。悪ノ王子を討てば王女も報われるだろう。そして息子は。
「奴には私が統一した大陸を継承して貰わねば、な」
 悲願成就の時は近い。王子が筋書き通りに生きる事を露ほども疑わないウィリデは、側近に退室許可を出した。

 やっぱり何かおかしい。
 資料に目を通すクオは、もう数えもしなくなった違和感に捕われた。机の上には書物が堆く積まれ、多くの資料が広げられている。
 最近は父王の代わりに政務を行う事もあり、以前ほど回数は減ったが、クオは少しでも暇があれば資料に目を通し、時間を作っては十年前の戦争を調べていた。
 千年樹の虐殺と呼ばれる悲劇。最前線の部隊に所属していたとされる兵達に話を聞いて回ったが、内容は判で押したように違いが無い。黄の国の軍が悪逆であったとか、緑の国はいかに勇猛に戦ったとか、代わり映えしない話を何度も聞いて辟易し、最後の方では先が読めてしまった程だ。
 資料と照らし合わせても矛盾は全く無い。だが、違和感は解消されずに疑いは深まる。
 完璧過ぎるのだ。兵達は用意された台本を朗読している感じさえする。まるで、誰かに訊かれた時の答えを始めから決めていたかのように。
「何で生き残りがいないって決め付けてるんだ?」
 事件が起こった町の住人は全員死亡。生存者は存在しないと緑の国は記録している。地図から町が消える大参事。それを踏まえればあり得る事なのかもしれない。
 しかし当時の資料と兵の話から察するに、緑の軍の調査は杜撰だったようだ。緑と黄の両軍から大勢の戦死者が出たのも災いして、住人の捜索をほとんど行わずに断定している。
 助かった人がいたら困るのか? だとすれば理由は?
「何を隠している……」
 黄の国に敵愾心を持っていれば、クオは教えられた歴史を信じていただろう。資料や兵達の話を疑いもしなかった。時に王族の自覚が足りないと窘められる程、彼は黄の国に好意的である。
 未だに東側を滅ぼそうと考える強硬派には好まれないクオだったが、東側と良好な関係を築こうとする改革派には、控えめながらも確実に支持されていた。
 あの事件には何かある。緑の国にとって不都合な事が。正当性を根底から崩す秘密が。
 虐殺事件が起きたのは戦争末期。黄の国の部隊が暴走した原因は、泥沼の戦で統率が乱れつつあったからだとされる。発端は軍の疲弊だった。
 だが、兵士が疲れていたのは緑の国も同じだ。何度も読み返した資料によると、戦争末期は脱走兵も少なくなかったらしい。長引く戦いに士気が相当落ち込んでいたとクオは推測する。
 そんな状況で発生した悲劇。無関係な住人が犠牲になった怒りで緑の軍は奮起し、町で黄の軍と交戦。当時の騎士団長を討ち取る戦果を挙げた。
「ん?」
 この二年間、繰り返し読んで暗記した事件の概要。おかしいと思いつつ理由が分からない違和感は同じだが、今までとは違う感覚がする。答えが頭を掠めた気がした。
 それを逃がさないようクオは考える。事件の後に黄の国が休戦を持ちかけ、緑の国は協定に異論は無かった。苦しいのはお互い様で、割とすんなり休戦条約が結ばれたらしい。
 黄の国の陰謀。一瞬その可能性が浮かびはしたが、易々と疑われては策略としてお粗末もいい所だ。緑の国の杜撰さと不自然さを見ると、自国に疑問を持ってしまう。
 虐殺を逃れた人がいたら困る理由。生存者はいないと断定したのは、事件の追究を諦めさせる為ではないのか? 国家と言う組織で蜥蜴の尻尾切りは珍しく無い。
「おい、まさか……」
 辿り着いた結論にクオは総毛立つ。こんな凶行があり得るのか。答えが間違っているのではないか。だけど、こう考えれば辻褄が合う。
 結束が乱れつつあった時に『偶然』暴走した黄の軍が町を襲い、住人は虐殺された。
果たしてそんな都合良く敵軍が動くだろうか。
 例えば、緑の国が膠着状態を打開する為に自作自演をしたとしたら。疲れ切った兵士達を煽る為に町を襲撃し、それを黄の国の仕業に見せかけたとしたら。
 証拠は何もない。しかしクオは導き出した推測に確信を得る。
 全ては緑の国の狂言。おそらくは黄の国を滅ぼす正当性を得る為に。
「何でそんなに大陸を征服したいんだよ……」
 東西は一つになるべきである。幼い頃は父から東側に対する不平を聞かされた。緑の国が大陸を支配するには黄の国が邪魔なのだと。終戦の後は恨み節を耳にしなくなり、黄の国と親和を深める姿勢を見せているが、腹に一物抱えている気がしてならない。
 ミクを密かに黄の国へ行かせたのは、緑の兵を東側に送り込む為。クオはそれを防ごうと妹を引き止めていた。説得は失敗し、逆にレンを憎む感情を高めてしまったのは兄の落ち度だった。
 悪ノ王子と言う呼び名が定着してしまった友人。レンと会ったのをきっかけにして、クオは十年前の戦争と事件を調べ始めた。長年誤魔化し続けた疑問にけりを付ける真実を求めて。
 自国の歴史に疑念を持っていたのに、ずっと何もしなかった。目を逸らすのを止めたのは、レンの隣に立つ彼女の姿を見た時だった。
 戦争が始まる更に前。千年樹の森で出会った女の子。もしその子と会わなかったら、黄の国は悪だと鵜呑みにしていた。きっと東側と仲良くなりたいと考えなかった。
 アーシェと名乗った女の子は、緑の国では珍しい金髪を持ち主だった。だからこそ印象は強烈で、クオは現在でも彼女を覚えている。
 あの町に住んでいると話していたから、アーシェは虐殺事件に巻き込まれて死んだと思っていた。
 黄の国王子レンの侍女、リリィと会うまでは。
 初対面の際、クオは目を疑った。年月が経って当然成長して外見は変わっているし、名前も違う。だけども並々ならぬ予感が駆け抜けた。
 リリィはひょっとしてアーシェではないのか。
 確証は持てなかった。しかしアーシェの片親は黄の国の人だと聞いている。故に緑の国生まれでありながら金髪なのだと。それにリリィが持つ蒼と黒の特徴的な虹彩は、幼少期に間近で見たアーシェの双眸と同じだった。
 西側だと金色の髪は非常に目立つ。彼女は虐殺事件の真相を知っていて、身を守る為に東側へ逃げ込んだとしたら。同胞からの追跡を逃れる為、名前を変えて黄の国の人間として生きていたとしたら。
 飛躍しているかもしれないが、事件が緑の国の謀略だったのならあり得る可能性だ。
「そこまでして大陸が欲しいのか」
 湧き上がったのは自国への嫌悪。虐殺事件があったから、結果的に戦争は終結したのかもしれない。だけど、緑の国のやり方は間違っている。排他主義がはびこっているのは国内の結束を保つ詭弁。異民族を嫌っているのは、差別を正当化する言い訳に過ぎない。
 たとえ緑の国が大陸を統一しても、悪癖が東側に広がるだけ。そして西側に淀んだ空気を生み出しているのは、他ならぬ緑の国だ。
 多分、父は正しいのだろう。黄の国を滅ぼすのは緑の国の悲願で、東側を緑の国に併合しようとしているのだから。
 だけど、正しいのは緑の国にとってだけ。黄の国や異民族には苦痛や犠牲を強いる歪んだ平和。暴力で弱い者を従わせているだけだ。
 そんな身勝手で傲慢な平和は認めない。僕なりの方法で、父とは違うやり方で、僕は緑の国を繁栄に導く。
 クオの翡翠色の目に、決意の火が灯っていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第55話

 裏方で頑張ってます緑の王子。
 出番が少ない、前回の登場から大分空いているので、クオが忘れられていないか心配です。

 レンって仲間や友達には凄く恵まれてるよな……。

閲覧数:637

投稿日:2013/09/06 11:49:01

文字数:4,251文字

カテゴリ:小説

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