初 恋
感情、初恋、花、孤独……光ノ中デ震エテ揺レル……
それは少しだけ昔のこと。
その頃の俺の仕事は、留守番だった。
同居人であるボーカロイドMEIKOこと、めーちゃんは売れっ子で、家にいない事が多かった。
俺はと言うと、全く、本当に、笑いがとれるぐらい売れていなかった。
失敗とか、やっぱり男は売れないとか、言われていたが、俺自身その事についてさほど気にしていなかった。
と言うよりも、気にするほどの感情を持ち合わせていなかったように思える。
後からやって来た弟や妹達を見て気づいたことだが、どもうボーカロイドというものは、マスターたちから与えられる『歌』によって、内面や個が形作られてくるようだ。
もっとも、はっきりしたことは分からない。あくまでも俺の見る限り……のこと。
そんなわけで俺の日常は、留守番と家事全般。地道なボイストレーニング。その合間に時々仕事が来る。といった感じだった。
あの日もそうして過ごした一日が、終わろうとした時のことだった。
リビングの時計の針が、重なろうとしていた。
もう深夜十二時少し前。めーちゃんはまだ帰ってきていない。
恐らく仕事の打ち上げで、飲みに行っているんだろう。
そんなことを考えながら、俺はソファーに仰向けで寝転びながら、文庫本のページをめくった。
歌を歌った後ほどではないが、こうして本を読むことでも、内面経験値は多少たまるようだ。
ただ新渡戸稲造の「武士道」でたまる内面経験値が、どんな方向にたまるのかはよく分からない。
「ただいまーーーーー!」
玄関のドアが開くのと、上機嫌な声が聞こえるのはほぼ同時だった。
声が酔ってる。思った通り、飲んできたようだ。
起き上がって、文庫本を側のテーブルに置き、ソファに座り直す。
「ただいまーカイト、起きてるーー!」
予想以上の上機嫌ぶりで、めーちゃんがリビングに入ってきた。
「起きてるよ。お帰り」
「待っててくれたの?」
俺の隣に座りながら、首をかしげて話しかけてくる。
今もそうだが、始めてあった時から、めーちゃんは綺麗で可愛いくて、魅力的な人だった。
美人と言うことなら、めーちゃん以上の人はたくさんいると思う。
けれど一つ一つの仕草が可愛らしく、なんだか目が離せなくなって、見ているだけで幸せな気分になる。。
くるくると良く変わる表情も、太陽のように明るい声も、すべてがめーちゃんの魅力だ。
今の首をかしげて、俺の顔をのぞき込んでくる仕草もそう。思わず俺は笑っていた。
「本、読んでただけ」
「こら」
少し怒ったふりで、軽く拳を振り上げてくる仕草も可愛らしい。
俺はよけるふりをして立ち上がった。
「あっ、カイト、そのまま台所行って、お水持ってきて」
「はいはい」
基本、弟は姉に逆らえない。
ダイニングスペースを挟んだ奥にあるキッチンに入り、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
「遅かったね。今日は誰と飲んできたの?」
特に興味はなかったが、世間話的なノリで聞いた。
「……」
返事がない。
ソファの方を見ると、めーちゃんはそのままソファの上に寝転がっていた。
ペットボトルを持ったまま戻ると、やっぱり寝ていた。
「めーちゃん」
「……」
よく寝ている。
ペットボトルを文庫本の隣に置く。
「こんな所で寝たらだめだよ」
風邪を引かない、病気をしないが売りのボーカロイドだが、やはり不摂生なことをすると、体調や声に若干の影響が出る。
めーちゃんは、明日もレコーディングがあるはずだ。
「えーと」
とりあえず、部屋に運んだ方がいいだろう。
ソファから落ちた、彼女の腕を持った。が、すぐに放してしまった。
細い腕、小さな手。俺が力を入れれば、簡単に折れてしまいそうで……怖くなった。
「壊れない……かな?」
俺からめーちゃんの体に触れたのは、あの時が初めてだったと思う。
めーちゃんの方から、俺に触ることは良くあった。
場所に不慣れな俺の腕を引っ張ったり、背中を叩かれたり、頭を殴られたり、ヘッドロックをキメられたり……。
その時は彼女の体が、こんなに細くて小さいとは思わなかった。
「めーちゃん……」
どうやって運んだらいいんだろう。下手に抱き上げて、壊れたらどうしよう。
馬鹿な話だが、当時の俺は本当にそう思って、真剣に悩んだ。
「めーちゃん……」
今思い返しても、あきれるほど情けない声で、彼女を呼んでいた。
悩んだ末、俺は二階の部屋から毛布をとってきた。
寝ている彼女の体にかけて、俺は側の床に座った。
ソファはもちろんベッドよりは狭い。ソファからめーちゃんが落ちて、壊れたらどうしよう……。と思ってしまい、俺は自分の部屋に戻れなかったのだ。
本当に馬鹿だと思う。
「……カイト……」
いきなり呼ばれて、慌てて彼女の顔をのぞき込んだ。
起きていない。寝言だ。
「…………みんな……わかってないー……」
なにがだ?
寝言なんて脈絡も無いものだが、なんだが意味深だ。
「カイトは……すごいんだからね……」
昼間に誰かから、俺のことで何か言われたんだろう。
実際に外では、俺に聞こえる所でも、俺が売れていないことを笑うやつもいた。
売れてないのは本当で、俺は別に気にしなかったけど、めーちゃんはそんな時いつも言ってくれた。
あんなのは気にするな。カイトはすごいんだから。私はちゃんと知っているから。と。
ついでに、言った相手がスタッフなら、鉄拳制裁を入れていたし、マスター達にはさすがにそれは無いけれど、あからさまに不機嫌な態度をとって見せていた。
めーちゃんのマスター達は、彼女に思いっきり甘い。その人達が、めーちゃんの機嫌を必死でとっている姿は、なかなか見ていて楽しかった。
めーちゃんの白い頬に、そっと指で触れてみた。柔らかくて、温かい。胸の奥まで温かくなる。
俺以上に俺の事で怒ってくれて、俺の力を信じてくれている人。こんな細くて小さな体で、俺を守ろうとしてくれている人。
でもめーちゃんは?
この世でたった一人のボーカロイドとして生まれ、一人で頑張っていためーちゃん。
めーちゃんが俺を信じて守ってくれているように、めーちゃんを守って信じてくれる人はいなかったよね。
寒くなかった?怖くなかった?
突然、頬が熱くなるのを感じた。
慌てて手の甲で拭う。
俺は泣いていた。
なんで泣くのか分からない。どこか壊れたかもしれない。
涙は止まらなくて、俺は闇雲に、手で涙を拭い続けた。
しばらく馬鹿みたいにそんなことを続けていたら、涙は止まった。
めーちゃんは幸せそうな顔をして寝ている。
「……カイト……」
また俺を呼んでくれた。
「めーちゃん、俺、ここにいるから」
売れていなくて、力もなくて、馬鹿で、多分何も出来ない俺だけど、側にいるから。
それだけしかできないけど、側にいるから……。
今はめーちゃんの事を守れないかもしれないけど、必ず守れるような男になるから。
だから……。
俺はそのまま眠ってしまったようだった。
あれからうちにはミクが来て、リンとレンが来て、めーちゃんは益々逞しく、頼りになる姉さんになっていった。
俺はと言えば、弟妹達の大ヒットに引っ張られるように、露出も増え、すばらしいマスター達に出会って可愛がられ、妹達ほどでもないが、たくさん歌わせて貰っている。
そのせいか、あの時、俺が泣いた理由が今になってはよく分かる。
俺はめーちゃんの事が……。
頭を振って、考えるのをやめた。
コーヒーと、アイスと、ジュースが三つ乗ったトレイを持って、俺はキッチンを出た。
「お茶、入ったよ」
リビングには俺の大事な、姉と弟妹達が待っている。
そう、どこまでも俺たちは姉と弟。
それ以上の気持ちを彼女に伝えれば、彼女を煩わせてしまうだけ。
この世界の全てから彼女を守る力のない俺だから、せめて彼女の平安と安定だけは壊したくない、守りたい。
俺の想いを地獄の底に封じ込めてでも……。
狂気、静寂、夢、激情……スベテ闇ガ生ミ出ス
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