束の間、和んだ空気を破ったのは、慌しい足音だった。
「怖れながら、申し上げます」
扉の外から響いた兵士の声に、辺りの空気が一気に張り詰める。
「入れ」
入室した兵の報告を聞いていたレオンが、ふと肩から力を抜いた。
緊張気味に様子を見ていたミクも、それに胸を撫で下ろした。
最も懸念する事態、小康状態を保っていたクリピアの侵攻がまた始まったというわけではないらしい。
報告の兵を促して立ち上がった夫に問い掛ける。
「どうしたの?」
「城下でちょっとした揉め事があったらしい。少し様子を見てくる」
揉め事と聞いて、ミクは眉を潜めた。
「危険ではないの?」
「大したことじゃない」
「・・・だったら私も行くわ」
「ミク」
流石にレオンが咎める声を上げる。
「どうして?危険ではないのでしょう?」
「そういう意味で言うなら、危険はどこにでもある。私にとっては大したことでなくとも、君にとってそうだとは言えない」
「それなら、なおさら私がひとりでここに残るより、あなたと一緒に居るほうが安全じゃないかしら? 危険はどこにでもあるのでしょう?」
言葉尻を捕らえて言い返され、彼は口をつぐんだ。
確か、これと全く同じやり取りを、戦場に出向く前にもした気がする。
王が不在をするなら、せめて王妃が残って王城を守ってくれと言って、何とか思い留まらせようと足掻いてはみたものの、ああ言えばこうと言い負かされた結果、結局、二人揃ってここに居るのだ。
レオンは学習しない自分を心底呪った。
「・・・判った。その代わり私の傍から離れないでくれ」
連れ立って城門を出たところでのことだった。
物陰から走り寄ってくる低い影があった。
先ほどの話題のこともあり、とっさの反射で構えかけ、レオンはその人影へ視線を向けてすぐに緊張を解いた。
「お妃様、王様とお出かけ?」
そう言って二人の傍に駆け寄ってきたのは、幼い少女だった。
頬を真っ赤にして、好奇心と憧れに瞳を輝かせた少女の後方では、慌てて駆け寄ってくる見張りの兵士の姿がある。
髪や服のあちこちに枝葉を絡ませているところを見ると、この小さな侵入者は大人の預かり知らぬ抜け道か何かを通って、彼らの目を掻い潜ったのだろう。
何とも手ごわい伏兵に苦笑を零し、レオンはその兵士にしばらく控えて待つように命じた。
少女の着ている服は、この街の修道院が預かる孤児達のもので、王妃はそこへも足繁く慰問に訪れていたはずだ。
少女の顔の高さに合わせるように、ミクはその場に身を屈めた。
「そうよ。ちょっとだけお散歩してくるの」
「それって、『でーと』でしょ」
ませた物言いに、ミクは口元を綻ばせた。
「ずっと、ここで私たちを待ってたの?」
「あのね、これ・・・」
はにかんだ顔で少女が両手を突き出す。
小さなその手に握られていたのは、これも小さな花束だった。
「私にくれるの?ありがとう」
差し出された花束を片手で受け取り、空いた手で頭を撫でると、少女はきゃあとくすぐったそうに声を上げて首をすくめた。
レオンがその場に待たせていた兵士を呼び、少女を孤児院まで送る様に託し、彼女が潜り込んだだろう抜け道だけはきちんと確認しておくように念を押す。
促されて歩き出しながら背後を振り返れば、少女はまだ一心に手を振っていた。
手を振り返し、ミクが何気なく隣を見上げると、レオンは何やら複雑な表情だった。
「・・・どうしたの?」
「傍から見れば、私達は仲睦まじい夫婦に見えるのだろうと思って」
肩をすくめたレオンが、ちらりと何ともいえない視線をくれる。
「実際のところは、私は未だに寝室にも入れて貰えないわけだが」
「ごめんなさい」
口の端に浮かんだ苦笑が、それを軽口だと伝えていて、ミクも小さく笑い返した。
目を伏せ、手の中の花束を見つめる。
野に咲く名も知れぬ小さな花を草の葉で束ねただけの、素朴な花束だ。一つ一つの花は小指の爪ほどもない。
「あなたがくれた花束に似ているわ」
ミクの感想に、レオンが瞬いた。
彼女が言っているのは、以前、見舞いに贈った花束のことだろう。
「似ているかい?」
「ええ」
微笑む少女に、彼は納得のいかない顔で首を捻った。
さすがに野の花と見間違うほど地味なものを贈ったつもりはなかったのだが。
「私が贈った花は、あまり君の気に入らなかったんじゃないか」
「そんなことないわ。どうして?」
意外な問い掛けに、今度はミクが首を傾げた。
「君を迎えにボカリアへ行った時、屋敷のどこも白い薔薇で埋まっていただろう。見事な大輪の。ああいうのが君の好みかと思った」
ああ、と思い至ったように、少女が頷く。
「好みというのとは違うわ。あれは私達にとって、もっと違う意味合いがある花だもの」
ふいに思わせぶりで謎めいた笑みが、その頬に浮かんだ。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第21話】中編
第21話、中編です。
変なとこで区切ってすみません・・・orz
ちゃんと字数決めて書けないもので、一話毎のバランスが悪いです・・・。
すぐに後編へ続きます。
http://piapro.jp/content/hsp5oye7r0dp1al6
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