She Side
よく、現実か夢か分からなくなる時がある。
だけど今は夢だと分かる。体は重いし、まぶたは開けようとしても開けられない。
一度、起きようかとしたが、面倒になってやめた。諦めて夢に体を預けると、夢がぐにゃり、と動き出した。
喉と肺の病気が発覚したのは、幼い頃だった。お偉いさんの前で歌っている最中に肺が熱くなって、急にむせた。
慌てて病院に運ばれて、医者が深刻そうな顔でその病気について語った。けれど、その時の私にはこの病気がどれだけ恐ろしいものか知らなかった。
もともと、あまり感情を出さなかった私は、深刻ささえ分からなかった。
その日から家族は私を軽蔑した。近寄らなくなって、私の部屋だけ離れに移された。悲しくもなく、気にもしていなかった。そういうものだろう、と受け入れた。この頃に唯と出会った。今と変わらず、元気で気さくな人だったからすぐに打ち解けれた。
何年も経って、自立できるようになると、私は一人暮らしをはじめた。唯にだけ住所を教え、夜逃げをするように家を出た。
私の心はほとんど成長しなかった。何も感じず、何も思わず、周りの流れに流されて生きた。
病院には変わらず行き、そのまま平穏に時を過ごした。
ある日の事だ。病院に行くと、医者はいつになく深刻な顔をして『症状が悪化している』と言った。
すぐ入院しよう、と言われたが、家族に居場所がばれるのが嫌で断った。頑なに断ると、医者は約束を守ることで了承してくれた。
『極力、話さないこと』
一人暮らしだった私は、喋る事なんてないだろう。と、その約束をのんで再び暮らし始めた。
だが、なかなか不便だった。
インターホンに向かって喋れないし、道は訪ねれないし、電話に出れない………。
唯には、心配をかけないようにと病気の悪化については言わなかった。
私は喋ってくれるロボットでもいないかと探しはじめた。そこで見つけたのがVOCALOIDだった。感情を持ち合わせていると言うところに目をつけ、青い色が印象的なKAITOを選んで購入。二日後には届いた。
起動させて驚いた。人のように動くし、人のように喋った。
「はじめまして。カイトです」
透き通った美しい声。キレイすぎる声でそう言われたら、医者との約束を忘れて、喋ってしまった。
「うん、はじめまして……これからもよろしくね」
「はい!」
笑顔で返事が返ってきて、こんなに優しい笑顔は初めて見たと思った。
そう思ってしまったら、カイトに『自分の代わりに喋らせるだけ』なんてことができなくて、カイトが私のことを呼ぶ度、愛しさが溢れた。
最初は『家族として』好きだった感情が、ふと自分の行動を思い返した時『恋』になっていた事に気づいた。人とロボットが恋をしてはいけないなんて、そんなのは分かっていたけど………。
幸せだったから。
『マスター』
そう呼んでくれるカイトが、本当に愛しかったから。
医者との約束を破ってまで喋って、寿命か縮んでいく事も知っていたけど、それでもいいかなって、思い始めた。
幸せであれば、それでいい。
このままカイトがこの気持ちに気づかなくても……いや、むしろ気づいてくれなくていい。
死が見えている私を好きになるなんて、無謀すぎるから。
ある日。ふと書きたくなった歌詞に、私は驚きながら鉛筆を走らせた。恋の歌だ。いつも衝動的に歌詞を書いていたから、どうして自分がこういう歌詞を書き始めたのか分からない。不安になりながらもその歌詞は完成し、カイトに歌わせた。
その途端、カイトが歌えなくなった。
歌えない理由が分からないと言うカイトに、自分の気持ちが気づかれていないと小さく安堵した。大丈夫。まだ気づかなくていい。そう思っていた。
だが、安堵もつかの間、唯が珍しく家に来て、カイトは外につれていかれた。きっと、唯は私が歌詞にのせた言葉に気がついたのだろう。言わなくていい、と止めようとしたが、その声は出なかった。
気づかれたくない気持ちと、そろそろ気づいてほしいという気持ちがせめぎあって、私を困らせていた。
「っ、」
急に肺が痛くなって、洗面台に駆け込んだ。むせると、薄く血の混じった胃液が吐き出された。カイトが来てから何度かあったが、最近血が混じりはじめて、本気でそろそろ危ないと思い始めた。
もし、私の気持ちに気づいたらどうしよう。
私はもうすぐ死ぬかもしれないのに。
気づいてほしい。
好きと言ってほしい。
側にいて。
私を、呼んで。
「はは、なんだぁ……」
こんなにも、人を思う気持ちが、私の中にあったなんて。
咳がおさまった後、私は外の空気を吸いに行こうと玄関に向かう。カイトはまだ帰ってこないだろう。少し家の周りを歩いて、落ち着いたらまたいつもみたいにソファで待っていれば………。
「マスター!」
目の前で勢いよく開けられたドア。私の好きなカイトの声。
「え、わっ!」
驚いた拍子にきつく抱きしめられた。衝撃が強すぎて、落ち着いてきていた咳がまた出てしまった。すいません、と謝られて、カイトの肩が震えていた事に気がつく。私の気持ちに気づけなかった事と、自分の気持ちにさえ気づいていなかった事が情けないと言う。私より大人な背中。なのに、心はとても幼くて。
あぁ、愛しいなぁ。
背中を撫でて。声を出して。
喋って。
「気づいてくれて、ありがとう。最初は気づかれなくてもいいかなって思っていたけれど、とても嬉しいわ」
そう言ったら、カイトの涙腺は決壊して、大声で泣いて、大好きと言ってくれた。
好き。
大好き。
大好きだよ。
大丈夫、私は君が、こんなにも大好きだから。
「っ!」
ふいに、肺が痛んだ。咳が出る。どうしよう。止まらない。
「マスター?」
カイトを呼んだつもりだが、声が聞こえない。私は口許を抑えた。
パタッ……
血が、こぼれ落ちた。
「―――!」
カイトが何かを言っているが、聞こえない。
足元がフラフラする。立っていられない。座り込むと、カイトは突然走り出した。
それを横目で見てから、私の意識は途切れた。
そうだ、あの時私は倒れて………。
不意に過去から現実に戻される。今寝ている場合ではないのでは?もしかして、もう私は死んだのだろうか?
いや、死んではないだろうな……。
私は左手にある感触を確かめるように、少しだけ力を込める。
暖かい、手。
誰のだろう?そう思って、一人しかいないな、と笑う。
『マスター?』
夢と現実の間で、愛しい声がした。
KAITO Side
もう、どれ程待ったか分からない。長い長い時間の中で、彼女は目の前で静かな寝息をたてている。左手に刺さる点滴と、心臓が動いている事を知らせる無機質な機械音がする。僕は彼女の左手をぎゅっと握った。
病気の症状も、今の彼女の状態も、僕は聞いてしまった。
「何で、約束…破ったんですか?」
彼女がお医者さんとした『喋らない』という約束。
喋らなければ、もっと長く生きられたかもしれないのに。
側にいてくれたかもしれないのに。
彼女の病気は、もう、手遅れの状態まで症状が拡大していた。
なのに。
「どうして、喋ってしまったんですか?マスター……」
ぽたり、と白いシーツを涙が濡らした。止まる気配はなくて、そのまま静かに泣き続けた。
「っ?」
不意に、彼女の左手が僕の手を強く握った。
「マスター?」
顔を見ると、うっすらとまぶたが開かれる。宙をさまよった視線は、数秒後に僕へと向けられた。へらり、と笑って彼女は口を開く。僕はとっさにその口を手で抑えた。
「喋っちゃダメです!」
呆気にとられたような顔をした彼女は、僕の頬を撫でて、さっきの涙を拭った。小さくため息をつくと、彼女は口パクで三文字だけ呟いた。
『ご・め・ん』
「っ、マスターのバカ。どうしてそんな風になるまで病気の事黙っていたんですか?どうして教えてくれなかったんですか?」
彼女はもう一度、ごめん、と口パクで呟いた。また溢れだした涙が彼女の手を濡らした。
「ますっ…」
「カイト君を泣かしとるんは、どこのだれさ?」
不意に、ドアの方から声がした。振り向けば唯が不機嫌そうな顔で立っていた。
「唯、さん」
「カイト君、ちょっと席はずして」
笑っているけれど、目だけは笑わずそう言われ、僕はそっと彼女から離れた。怒っているのがよく分かる。逃げるようにして僕は部屋をあとにした。
「一時間くらいしたら戻ってきてええから」
「……はい」
ドアを出たところでそう言われ、僕はあてもなく歩き出した。
She Side
カイトが出ていって、唯が私を見る。
「おはよう」
唯がそう言いながら、ベッドごと私を起こした。座った状態になると、足元にあった机が私の目の前までスライドされ、そこに画用紙とペンが置かれた。
「それで返事して」
なるほど、筆談ね。
納得して一頁目の端に『おはよう』と書いた。
「身体は?痛くない?」
『うん。全然平気』
何度も頷くと、唯は近くにあった椅子に座って、大きくため息をついた。
「カイトと一緒に医者から全部聞いた。あと、あんたの今の状態も」
『うん。そうだろうと思ってた。状態も察しがついてる』
「……もう、施しようがないって、サジ投げられた」
『自分でもそろそろ限界だなって思ってた』
「……なんで、そんな風になるまで喋ったん?約束破ってまで、あんた、そんなに死にたかったんか?どうして……っ!」
そこまで言って、唯の瞳から涙がこぼれた。泣かないつもりでいたのか、唯は一瞬驚いて、それでも涙を拭かずに私を見た。
それを見て、あぁ、この人は泣くんだ。って思った。
心が成長しなかった私は、何も感じたり、思ったりできなくて。
カイトが笑うと、私の方がロボットみたいで。
自分で笑っても、それは嘘みたいで。
「どうしてっ、そんなになるまで黙ってた……のっ?」
私は唯の涙を拭って、画用紙に書いた文字を見せた。
『それ、カイトも言ってた。あのね、最初はカイトに私の代わりで喋らせようとしていたの』
「じゃあ、何であんたが喋っとるん?」
そう言われて、不意にカイトとの出会いを思い出した。人みたいに動くロボット。笑って、泣いて、怒って…………感情豊かなロボットは、私にその感情を見せてくれる。それを見ていたら……。
『最初はただ私の代わりであればいいと思っていたんだけどねぇ………』
あの、きれいな声が、私を呼んでくれる。
『はじめまして、カイトです』
『うん、はじめまして……これからよろしくね』
『はい!』
手を握ってくれる。
側にいてくれる。
笑ってくれる。
泣いてくれる。
『マスター!』
あの元気な声が、私の声で返事をしてくれるなら。
私は画用紙を唯に見せて笑った。
「……っ、ばか」
涙が溢れだして、唯は私の手を握って泣いた。
『あんなに優しい笑顔をくれる子に、声をかけないなんて無理だよ』
そう書かれた画用紙を、私は静かに机に置いて、唯の頭を撫でた。
KAITO Side
病院内をあてもなく歩くと言っても、別に行きたい所があるわけではない。ぶらぶらと歩いて、困っている人を助けたりしていた。
「ありがとうねぇ」
「いいえ、どういたしまして」
笑顔でおばあさんと別れると、僕は部屋にむかって歩き出した。そろそろ一時間経っただろうか。彼女は大丈夫だろうか。
「マスター?」
そっとドアを開けると、彼女が唯の頭を撫でながら僕を見て、パッと笑った。さっきよりは表情が明るい。
「唯さん、寝てしまいましたか?」
聞くと、彼女は二度頷いて画用紙を見せてきた。唯にもらったのだろうか。
『毛布ないかな。寒そう』
「……ちょっと探してきますね」
彼女が頷いたのを見てから、僕は病院のカウンターに行く。その途中で、涙が溢れた。拭うけど止まらない。
いつも通りだった。
大丈夫だった。
安心したのか、涙が止まらなくて、僕はしばらく部屋に帰ることができなかった。
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