目を覚ますと、其処には緑髪にアイドルの様な格好をした少女がいた。
これは決して冗談ではない。本当に、今僕の目の前に彼女はいて、彼女が僕を変わった者を見るかの様な目で見ている。
「……誰ですか?」
あくまで冷静に僕は名称を尋ねた。
が、後で後悔した。僕は教師だと言うのに、自分が名乗るのより先に相手に名前を尋ねてしまった。
「ん~……めぐ、かな?」
予想通りの可愛い声で少女は答えた。
「そうかめぐか。僕はキヨテルだ。宜しく」
此処で手を差し出した。だが、今更ながらに何故僕は見ず知らずの彼女に、どうやって僕の自宅、そして寝室のベッドに忍びこんだのかも謎の、恐ろしい相手にこんな呑気に手を差し出し握手を求めているのだろうと気づく。
「宜しく? じゃあ、ここ住んでもいいの!?」
「……うーん、それはちょっと違うかなぁ」
いきなりの同居許可は驚いた。
不意打ちで言う辺りが、僕に、「うんう……ええええっ!?」なんて言うお決まりのセリフを返させようとしているのが見えみえだ。
しかし、今ので完璧に分かった。あ、どうやって彼女が侵入したかは一切分からないが、彼女が僕のところへ来た理由は分かった。
彼女はきっと駆け出しのアイドルなのだ。けれど、親御さんは彼女がアイドルになることを猛反対した。彼女はそんな親の束縛から逃げ出したいと色々家を転々とし、僕のところへと来たんだ。
うむ、ナイス推理キヨテル。
「お願い泊めて! 私宇宙でアイドルがしたかったけど、親に猛反対されて悔しくなってこの地球へ来たの!! 地球で名アイドルになってやるために強力して下さいマネージャー!!!」
ワオ。
推理はほぼ合っていたが、出身がまさかの宇宙。広すぎるよ範囲が、宇宙とか浮いちゃうよ僕の心まで。
「そうなんですか。でも、僕は教師をしているので、貴方のマネージャーにはなれません」
僕はなるべく普通に、そして優しくめぐと言う少女に返し、「それじゃあ冷蔵庫にある食事は持ってって良いですから早めに出て行って下さいね」と言い残してスーツに着替え、玄関を飛び出した。
今日は一体どうなっているんだろう。一日のスタートダッシュで自分の靴紐に引っかかって1回その場で前転して転んでしまった様な気分だ。
と言うか彼女、本当にどっからどう入ったのだろう?彼女意外と忍び込むのが得意な駆け出しアイドルなのかもしれない。
そんなこんなのポンコツ推理を脳内でコーヒーカップに乗せて回していたが、僕の背中に強い平手打ちがお見舞いされ、コーヒーカップに入っていた推理が一気に倒されて溢れてしまった。
「なーに朝っぱらから晴れない顔してんだよキヨテルっ!」
僕にしてみれば普通に歩いているつもりなのだが、さすがに幼馴染のコイツには分かってしまった様だ。彼女の名前は猫村いろはで、僕と同じ小学校教師だ。
見た目が可愛いのにハスキーボイスが男前なのに定評があるが、列記とした女性である。
だが、僕だけが知っている。彼女が実は休日はコスプレ三昧な上に何時も頭には猫耳を付けていることを。
僕だけと言っても、彼女は僕が知っている事を知らない。なんせ、僕も偶然そう言うイベントに友人に連れて行かれた時にその彼女を見ただけだ。
教えると本人のプライドとかもあるだろう?
幼馴染でも超えてはいけないラインはキチンと弁えているつもりなのだ。
「ごめんごめん、何だか朝変なのいたんだよね」
「ん? 何だよもしかしてゴキか?」
「いやぁ……ゴキよりは綺麗だと思う」
そもそも、ゴキと比べるのが間違いな気もする。
だからと言っていろはに細かく言っても意味は無いと思うし、僕も超えて欲しくないラインくらい持っているからこれでいいだろう。
「へぇ~? 潰した?」
「潰せては無いけど、出て行かせたつもりだよ」
「お前いっつもそうだな~出て行かせたって他の変なの入って来たり戻って来たりするとも限んないのにさぁ」
確かに、あの駆け出しアイドルは一度出てけと行って折れるメンタルには見えなかった。
だが、もしまだ家にいたとしてもいい留守番くらいにはなるだろう。帰ってきて、もし居たらもう一度追い出そう。
「あ、キヨテル先生といろは先生だ! おはようございます!」
二つ縛りの髪を揺らしながら歌愛さんがやって来る。歌愛ユキ、僕のクラスの生徒の一人だ。
「歌愛さんおはようございます」
「ユキちゃんおはよ~……ってあれ? ユキちゃん目の下クマ出来て無い? どうかしたの?」
さすが声の割に純朴乙女ないろはさん。
歌愛さんの本当にうっすらと浮かんでいるクマに気づいてしまうとは。
「実はね、もうすぐテストが近いから、夜遅くまで勉強したの。リンちゃんには負けたくないから」
リンちゃん……ああ、カイトのクラスの子か。確か鏡音リンで、男の子と双子のはずだ。男の子の名前はレン、だったはず。
「だからって夜遅くまで起きてちゃ駄目だよ? 若いうちなんだから肌が綺麗なのは」
純朴乙女ないろはさんは言う事は結構現実的なのがショックだな。
「うん分かった!」
分かるんかい。
「よしよし! んじゃキヨテル、ユキちゃん、学校までダッシュだよ!!」
「え!? だって時間、」
そう言って腕時計を見ると、時間はチャイムの鳴る10分前を切っていた。
先に駆け出す女子二人を、僕は必死に追いかけた。
「すみません! ギリギリ登校になってしま……はぁ、ひぃ……」
かなり走ったため、息が上がり、デスクの前に来ると即座に椅子に座り、冷たいデスクに頬を摺り寄せる。
「弱すぎるぞキヨテル~」
俺と同じく走ってきたはずなのに、いろはは全く息が上がっておらず、その上隣のデスクに頬杖を付き、デスクに頬を付けている僕をニヤニヤとしながら見下していた。
「大丈夫ですか先生。肩が上がっておられる様ですが……あ、そうだ、」
後ろから妖艶な声が聞こえた。振り向いた瞬間に首に冷たさが一気に走った。
「えっ!?」
「驚きました? 飲み物を持ってくる時の保冷剤なのですが、もし必要でしたらどうぞ」
茶髪のショートヘアーがこれまた妖艶に微笑む。咲音メイコはこの学校のいわゆる“保健室の先生”だ。
いや、別にいやらしい意味はないが、何となくこんな感じの説明が合う気がした。
余談になるが、数日前の夜遅く、僕は学校にどうしても必要な忘れ物を取りに行こうとして、夜の学校に潜入した。その時、何故か灯っていた理科室を覗いてみたら、メイコ先生が理科室内に酒を持ち込み、一人酒をしながら泣いているのを目撃してしまった。
メイコ先生が呪詛の様に何度も呟いていたのは、「ミクやリンちゃんみたいに可愛くなりたい……」と言う、彼女の内から溢れ出る願いであった。
「メイコ先生にはその大人っぽい妖艶さがありますし、それだけで十分だと思いますよ」
僕は心の中でそうメイコさんに呟き、静かにその場を去り、忘れ物を取って帰って行った。
「有難う御座います。ですが、僕はただ走っただけですので、大丈夫です。お気遣いありがとう御座います」
「そうですよメイコせんせー、キヨテルあんまし甘やかさないで下さい」
いろははおもちゃを取られた子供の様ないじけた表情で言った。って事は僕はおもちゃか、メガネのついたおもちゃか。
「うふふ、ごめんなさい。あ、そうそうキヨテル先生? 貴方に可愛らしいお客さんが来てましたよ?」
メイコ先生が頼もしそうに笑っていると、何だか以前の酒に泣かされるメイコ先生とは対照的すぎて時折悲愴の感情になる。
と、それはさておき、僕にお客さん……?一体誰だろうか。
「時間が近くなってきていたし、彼女は教室へ案内したわ。だから、生徒の皆さんの元へ行ってらっしゃい」
母性的なメイコ先生の笑みで送られて、僕は教室へと向かった。そして扉からちらりと覗くが、お客さんらしき人物は見当たらない。
とりあえず、扉を開け、上から落ちてくる黒板消しを見事にキャッチして教壇の前に立つ。
生徒達が「つまらなーい」と駄々をこねる声を他所にして挨拶をしようとした時、その存在に気づいてしまった。
「キヨテルすごーい! 伝家の宝刀黒板消しバフンを受け止めちゃうなんて!!」
そう、其処にいたのは今朝何故か僕の目の前にいたあの駆け出しアイドルだった。
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