「ただいまー」
夜遅く、仕事を終えた私は、疲れた足で家の扉を開けた。
挨拶こそしたものの、この家に住んでいるのはたった二人、そして、あいつが私より先に家に帰ってきている筈がない。なにせ、同じ会社で働いているんだから。
倒れるようにソファの上に突っ伏し、そのまま目を閉じたくなる衝動に駆られる。
「駄目よ……ご飯、用意しなくちゃ……」
重い身体に必死に言い聞かせ、冷蔵庫から朝作っておいたサラダやおかずを取り出し、冷凍してあったご飯をチンする。量は当然、一人分。
「いただきます」
簡素な夕飯を今のテーブルの上に配膳し、テレビの電源を点ける。
政府の現状を批判してばかりの薄っぺらいニュースを眺めていると、自然とあいつへの愚痴がこぼれてきた。
「カイトの奴……」
久々に一緒に帰れると思ったのに。
同じ会社で働いているのにも関わらず、あいつと私が同じ時刻に家に帰れる事は不思議な程少ない。それは、あいつが社長で、私が一般の社員であるのも原因の一つかもしれない。でも、それ以上に、あいつの行動に問題があった。
「何が『彼が無事マスターを見つけられるまで、目を離す訳にはいかない』よ……」
今日、あいつはアポもなしに突然会社を訪れ「我が仕える主を探しているのでござる!」などと騒ぎ出した神威がくぽを、会社から追い出すどころか暖かく歓迎し、自ら彼のマスターを探しに行ってしまったのだ。
「そういう勝手な行動をとるから、一般客から不評を買うってのがなんで理解出来ないのかしら……」
私たちの勤める会社は、ボーカロイドに対する仕事の斡旋や、ボーカロイドの日々の悩みについての相談、マスターなしでの生活を始めようとするボーカロイドの生活応援、逆にマスターのいないボーカロイドへのマスターの紹介などの、近年複雑化するボーカロイドの様々なあり方を支援する事を目的とした会社だ。
立ち上げたのは二年程前で、従業員は、カイトに、私に、ルカに、グミに、リリィだけ。
カイトは気取って「この会社は、ボーカロイドの、ボーカロイドによる、ボーカロイドの為の会社だ」などと言っているが、私から言わせれば、会社を立ち上げたのがボーカロイドで、従業員が全員ボーカロイドで、ボーカロイドに関わる仕事をやっている会社でしかない。
こういった企業が未だ少ないせいか、今は小規模経営にもかかわらず予約待ちになる顧客が出てくる程繁盛している。カイトはそんな状況でありながらルールを破ってがくぽの対応を優先したのだ。
当然の事ながら会社の評判も下がる。そりゃあ誰だって自分が列に並んで待っているのに横から割り込んだ奴も同じような対応を受けていたら気にくわないだろう。
(そして……)
その後苦労するのはいつも私なのだ。悪びれないカイトの代わりに必死に顧客に謝り、予定外のサービスもいくつか付け足す。こんなことを何度もやっているせいで、会社の利益もなかなか上がらない。
「もっと、自分の立場を考えなさいよ……はぁ」
酒でも飲もう。
そう思って冷蔵庫を開けると、安酒の中に一本、高そうなワインが紛れ込んでいるのに気づいた。
「あれ?これって……確か……」
思い出した。1ヶ月程前、たまたま二人で出かけた時買ったものだ。珍しく、あまり酒を好まないあいつが、「一緒に飲みたい」と言って購入したものだ。しかしそれ以来なかなか二人で飲む機会がなく、ずるずると今日まで封が開かれずにいたのだ。
(……飲んじゃおうかしら)
ふとそんな考えが浮かび、慌てて私はそれを振り払おうとした。
駄目よ、一緒に飲むって決めたんだから……
しかし、一度浮かんだその思いは簡単には消えてくれず、寧ろ膨れ上がり始めてゆく。
イイジャナイ、スコシクライ。イツモカッテナコトバカリシテイルアイツガワルインダシ……
(……)
気付けば私は、夢遊病者のようにふらふらとワインを冷蔵庫から取り出していた。身体が勝手にグラスを用意し、栓抜きをコルクに突き立てる……
(……っ!だ、駄目よ!)
そこで私はふと正気に帰り、栓抜きを慌てて引っ込めた。しかし今度は、怒りに似た黒い感情が私を蝕み始める。
(なんで私は、あいつなんかの為にこんなに我慢してるの……!)
会社の経営とかは社員に任せっきりにしているくせに今後の経営に支障をきたすことばかりするし、私との約束は破ってばかりだし……この前、結局行けなくなってしまった遊園地の事は本気で楽しみにしていたのに。
『とっても楽しかったよ!ありがとう!!』
先日リンがかけた電話から響いた、嬉しそうな声すら今は妬ましかった。
(もう、嫌よ!)
私は一思いにワインの栓を抜き、グラスに注いだ中身を勢いよく飲み干した。
湧き上がる罪悪感。それから逃げるように、私は何度もグラスを空けていく。
しかし、途中から最初の勢いはなくなり……すぐに手は止まってしまった。
「なによ、もう……」
本当はわかっている。あいつは、絶対に自分勝手な理由で他人に迷惑をかけたりしない。いつでも、あいつが約束を破る時には、きちんとした理由があった。
助けを呼ぶ声に手を差し伸べずにはいられない、困っている人を放っておけないお人好し。そんなのは、出会った時から気づいていた事だった。
(でも……)
彼を独占したい。カイトがそういう行動をとる度に、そんな思いが私の胸を貫く。
それが、どれだけ矛盾した願いであるかも理解している。
だって、私が好きになったのは、誰かの助けになるために必死で奮闘する、そんな彼の姿だったのだから。
「でも……!」
望みもしないのに、私の目から熱い液体が流れ出て、グラスの中に波紋を作る。
噛み締めた歯と歯の間から、私の思いが漏れ出した。
(どれだけ短くたっていい……1日だって、一時間だけだって、一瞬であってもいい……!)
「お願いだから……私だけの『特別』でいてよぉ……カイトォ……!」
「めーちゃん……」
聞こえる筈のない声が聞こえた気がして顔を上げると、滲んだ世界の中にカイトが見えた。酔いが、幻覚でも見せたのだろうか。
「カイト……きらいよ……あんたなんか……だいっきらい
……!!」
心にもない言葉が口から零れた。溢れた涙で前が見えなくなる。
「……ごめん」
質量などない筈の彼の幻影に、抱きしめられた気がした。
◆◆◆
「うー、ん……」
私は、テーブルに突っ伏した状態で目を覚ました。頭がガンガンして、身体の節々が痛い。
「お、ようやく目が覚めたみたいだね。気分はどう?」
「最悪よ……ってかあれ?帰ってたの?」
身を起こすと身体から毛布が滑り落ちた。カイトが被せてくれたのだろうか。
「うん、無事に彼の事が決まったからね。どうなったか知ればきっとめーちゃんも驚くよ」
「ふーん……ってか、今何時?」
「ん、十時」
「十時っ!?」
余裕で会社の始まる時間をオーバーしている。窓の外を見ればすっかり明るい。
「ちょっと、なんで起こしてくれなかったの!ていうかあんた何のんびりしてんのよ!」
「大丈夫大丈夫。今日は有給使ったから。めーちゃんの分もね」
急ぐ私にカイトはのんびりと答えた。
「そ、そう……ってかあんた私に断りもなく私の有給を……はぁ、まあいいか」
急に力が抜け、また私の身体はソファに収まった。どうせ、今日は仕事する気分じゃない。
「でも、なんでまた急に休んだりしたの?」
「いや、前買ったワインまだ飲めてなかったなーと思ってさ」
「あ……ごめん……」
「何が?」
「いや、その、あれは……」
(やっぱり、楽しみにしてたんだ……)
昨日、勝手に飲んでしまった、と私が躊躇いながら伝えると、カイトは不思議そうな表情をした。
「何言ってるんだい?ここにあるじゃないか」
「え……?」
そういうカイトの手には、何故か未開封のワインが握られていた。
私が昨日空にした筈の、あのワインが。
(どうして……)
その時私は、微笑みを浮かべるカイトの目の下にクマがあるのに気づいた。服も全体的に汚れているし、よく見ればなんだか疲れているように見える。
(カイト……)
恐らく、夜中探し回ったのだろう。全く同じものを見つけるなんて、大変だっただろうに。
「さて、空けちゃっていいかな?」
「……勿論よ。ずっと楽しみにしてたのよ、これを飲むの」
「僕と一緒に、だろ?」
「バーカ、何格好つけてんのよ、似合わないくせに」
「酷いなぁ……そんなにバッサリ切り捨てなくても……」
子供のように落ち込むカイトの姿を愛しく思いながら、私はグラスをかざした。
「はいはい。それじゃあ、乾杯」
「うん、乾杯」
昨日とは違い、ワインを一口、味わうように口に含んだ。とても舌触りのいい、上品な味だった。
「うん、美味しい!こりゃいいや!」
「ちょ、もっと味わって飲みなさいよ!!」
ワインをジュースのように飲むカイトをたしなめながら、わたしはまた一口、澄んだ赤い液体を口に運んだ。
「……でも、やっぱり早く起こして欲しかったかな……」
「え、なんで?」
「だって……」
少しでも長く、君とこうしていたいから。
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ご意見・ご感想
絢那@受験ですのであんまいない
ご意見・ご感想
カイメイ!カイメイおいしいよもぐもぐ。
めーちゃん可愛過ぎる!!2828!
てか兄さんかっこいい!いつもバカイトしか見てなかったからすごい興奮www
次回楽しみです。wktk!
2011/05/25 20:49:23
瓶底眼鏡
どんどんお食べー♪幾ら食べても太らないからねー♪←
頑張って可愛くしました!
チミーさんに喜んでいただけたのは嬉しいですが自分のカイトのイメージは基本バカイトなんだあああ←
次回の短編では絶対に兄さんのキャラを崩してやる……!←
しかし次は陰謀の更新のつもりなんですすみません←
2011/05/25 21:09:17