「今宵の月は、少し陰りが見えるな…」


 神威がくぽ、神威道場の師範。彼はいつもの厳しい稽古を和音マコに施した後、夜も更けた竹藪の入口の石に腰を下ろして休んでいた。僅かな夜風が、草木の葉を飛ばしてくる。そんな空気の中、がくぽは一人涼んでいた。彼は酒も飲まなければ、煙草も吸わない。口にするのは、一汁三菜の倹約した食事だけ。それは何故だろうか。酒煙草は油断と慢心を招き、余計な食べ物は身も心も肥えさせてしまうからだ。
 そして、がくぽは数日前、MARTの総長・カイトの願いで、共に理事会に戦いを挑むことを承諾した。しかし、彼はカイト本人にも伝えていたのだが、この決起は成そうが成さざろうが、確実に敵味方共に多くの犠牲を強いることになると懸念していた。争いと潰えた命を踏み台にしたその先に「平和」などというものがあるのか。言ってしまえばMARTも理事会も、やること考えることは違えど、人とアンドロイドの平和を目指そうという理念は変わらないのだ。でも、自分の耳に入ってくるほとんどが理事会の悪いような話。分かっている様々な事実も照らし合わせば、理事会は正に様々な諸悪の根源と言われてもおかしくないような組織。
 だが、そんな「明らかな悪であるはずの理事会」が仮に無くなったとして、本当に全てが良い方へ流れるのだろうか。真の平和というものに向かって。カイトやMARTに対しては信頼しているがくぽだが、どのように考えても、そうした疑問が出てきてしまう。


「…いかん。拙者が、このような雑念を持ってはならぬ」


 そう思い、目を閉じて再び瞑想に入った、その時だった。ふと、竹林の中から笛らしき音が、静かに聞こえてきた。それは龍笛と篳篥の音。雅楽のような、ゆっくりとした旋律。思わず聞き入ってしまうような綺麗で風情のある音色だが、それと同時に不気味にも感じられる。しかしこんなところで一体、誰が奏でているのだろうか? がくぽは、既に感づいていた。その表情には、険しいものがある。


「…いくつもの殺気が伝わってくる。物騒なことだ。間違っても、ここで居眠りするなどとは、とてもできぬでござるな」
「くくくっ…」
「誠に美しき音色だが、もう結構。余計な真似はいらぬ。さあ、いつまでも姿を隠さずに出てくるがいい」


 すると竹林の中から、奇妙な笑い声が聞こえてきたのだった。一体、どこから…がくぽは、刀にそっと手を当てた。久しぶりに過る、鮮血舞う戦いの予感。


「のーっほっほっほっほっ! まさか、我らの殺気まで感じていたとは。これは驚いた」
「笛の音も効いておらぬようだ。久しく、手応えのある者と巡り会えたかもしれぬな」
「ああ」

 闇に包まれた竹藪の中で、四方八方から聞こえる仲間内の声。この声の主たちは、口々に会話を始める。


「…我が道場の破りか?」
「ぬふふふっ…そうとも言えるし、違うとも言えるな」
「なるほど。さては貴殿ら、かの平和統括理事会の刺客でごさるな?」


 がくぽの勘は当たっていた。今の自分を狙うとすれば、理事会の連中ぐらいだろうと予測できたからだ。再び、竹林の暗闇から声が聞こえてくる。笛の音も、まだ微かに鳴っているようだ。甲高い声の主は、がくぽに問いかける。


「何故、分かる?」
「この現世に、忍者の真似事をしている片腹痛い暗殺部隊が、理事会に設けられていると聞いた故。貴殿らも拙者を殺めるため、こんな山奥まで足を運んできたのであろう?」
「ふっふっふっ、御名答…しかしまあ、まったく無礼な言葉だ。この世に比類無き、我の太刀筋を見ての台詞なのか?」
「ならば手合わせ願おう。これ以上、貴殿らの取り繕った話は、無用でござるからな」
「我らと剣を交えたことも無い侍擬きが、二度まで愚弄するか…笑止千万! ならば、その身をただの鉄塊に変えてしんぜよう!」
「そなたも拙者を愚弄した。ならばこれで貴殿らとも同格よな! いざ参らん!」


 がくぽは剣の鞘から、神威旋響流に代々伝わる宝刀「越天楽」を抜いた。彼は刃先に手を当て、竹藪の方に体を向けて構えた。月光が刀に降り注ぎ、暗闇に包まれた森に輝く灯をつける。そして次の瞬間、竹藪のそばにあった草むらの中から、何者かが勢いよく刀で斬りかかってきた。その容姿はまるで忍者のような、というよりはむしろ、現代の特殊部隊の格好に近いものだった。


「天誅! 神威がくぽ!!」
「ふんっ!」


 がくぽはとっさにその斬りつけを刀で防ぐ。忍者のような敵は一度弾かれた後、空中で反時計回りに回転しながら後退し、着地した瞬間の弾みで再び飛びかかってきた。侍は、忍の素早い一振りを咄嗟に見切る。


「せいっ!」
「てぇやぁぁぁ!」


 ぶつかった二本の刀に火花が散り、両者との間に息を飲むような鍔迫り合いと沈黙が起こる。紫色の瞳と、ヘルメットの向こうに隠れた黒色の瞳が睨み合う。風は次第に強くなり、がくぽの方から追い風になって吹いてくる。


「そなた、なかなかの動きをするでござるな」
「恐縮ですな…しかしこれは、ほんの小手調べ!」


 両者は一歩も引かない。ただ微かに、じりじりと刀の擦れる音が聞こえるだけ。どちらが先に動くのか、息を飲むような時間が過ぎる。だが、この沈黙を破ったのは侍でも忍でもなく、暗闇から現れた、もう2つの影だった。


「…んっ!?」
「のーっほっほっほっほっ! 去ねい! 去ねえ!!」


 2人の鍔迫り合いは終わり、新たに飛び出してきた忍者。先程がくぽと戦ったのとは、少し容姿が違った。そして独特の声と口調。がくぽは察すると、最初に竹藪の中から聞こえてきた声の主だと分かった。2人の忍は猛攻を加え、それを受け流すがくぽ。常人の肉眼では、とても追えない剣劇が始まった。

「くっ…!」
「我が主に仇なす、愚かな侍よ! 無駄な足掻きもせぬうちに散れい!」
「刀しか持たぬ侍など、忍の前には為す術なし! 我が使命のため、潔く腹をくくれ!」


 忍者たちは突然、腰元からマシンピストルを取り出し、発砲してきた。侍は高速で飛んでくる無数の鉛玉を避け、流れ弾を寸分の狂いも無く刀で弾く。そこへ飛びかかってくる忍者の攻撃も、カウンターで返す。両者とも、人間離れした動きを見せる。もっとも、お互いに人では無いのだが。


「くくくっ、神威旋響流の師範でも、我らの攻撃を防ぐのがやっとであろう?」
「のーっほっほっほっ! 最早これまでよのぉ、神威がくぽ!」
「辞世の句は、もう詠んだか? 何なら、時間を与えてやらんこともないぞ」
「…外道な。鉄砲を使い、数で押すとは」
「ふっ、つべこべ言わずさっさと散れい!」


 飛びかかる1人の忍者。死角をとったぞと言わんばかりに、目は勝利に満ちていた。しかしその瞬間、がくぽの目が鋭く紫炎に輝いた! 忍の刀は頭上に、侍の刀は胴体を目掛けて振られる。どちらが先に、相手の身を断つのか。


「てぇやぁぁぁっ!!」
「ぐはっ…ああ…っ………」


 一刀両断、電光石火。神威がくぽの方が一枚上だった。体の中心を切り捨てられた忍は、刀と共に地面へと落ち、最後には力尽きる。がくぽは血糊を振り払い、再び構えに戻る。忍のリーダーは、がくぽの剣捌きに関心を示したのか、他の仲間に呼び掛けた。


「みな見たか! あれが神威旋響流の太刀筋よ!」
「…人の死角は頭上もしくは背後。だが拙者に対しては、どんな方向から斬りかかろうと同じでござる」
「ほっほっほっ! 随分と立派であられるな。これはなかなか手強い相手だ…だがそなたは、まだ我々の全てを知らない!」
「そうか。では貴殿ら忍者の紛い技を、もっと見せて貰おうか。それもまた一興」
「くっくっくっ…その減らず口も、しばらくとせぬうちに悲鳴と化すだろうか」


 連中のリーダーらしき忍者は木の上に飛び乗り、一息ついたところに、見下ろす形で話を始める。そこへ更に、他の忍たちが姿を現す。


「ふっふっふっ…では名乗らせてもらおう! 我は平和統括理事会が主の隠密部隊の長、ソガシ! 神威旋響流の師範、今宵あなたの御首を頂戴致す。覚悟なされよ!」
「また余計な客が増えたでごさるな」


 忍の長は律儀に名を名乗ってきたものの、がくぽにとって、それはどうでもいいことだった。彼はそれよりも、また敵の数が増えたことに、頭を悩ませていた。少し馬鹿にされたと感じた忍は、侍に問いかける。


「何を、まさかそなたは多勢に無勢とでも仰るのか」
「そうではない。拙者が無益な殺生をしてしまう数が増えるのに、気が進まないからでござる」
「ひっひっひっ…失礼だが師範殿、貴方は自分に酔っているのではなかろうか」
「酔っているのではなく、事実を言っているだけでござる。過信でも何でもない。貴殿らには分からぬでござろうが、そなたらと拙者では既に勝敗は見えている」
「…まったく、その自信はどこから湧いてくるのか。不思議で仕方ないものだ」
「ならば来い。それで分かるだろう」


 刀で語る。それが神威がくぽの信条だ。彼は一度剣を交えれば、本人やそれに関わる者のことは、大体推し測れる。いかに外見だけが、剛の者に見えるような相手でもだ。がくぽは再び剣の鞘に手を当てて、視線を目の前にいる2人に定めた。その目線は、少しも揺らぐことはなかった。


「ほっほっほっほっ…では神威殿、今一度ここで貴殿と我らとの差を証明しようではないか」
「望むところでござる」
「ほう、威勢のよきことだ…しかし分が悪くなってからでは、泣き言は聞きませぬぞ?」
「それは己に向かって言うが良いのではないか?」
「くくくっ、よい返事よ……」


 忍たちは、一斉に刀を抜いた。腰を落とし、手は剣先に。侍は刃先を上にし、上段の構えを取る。そして虫の息も聞こえないほどの、奇妙な静寂が訪れる。このような空気に満ちた場で、果たしてどちらが先に動くのか。それは誰にも分からない。ただ感じられるのは、夜風が深い森を吹き抜け、月が暗闇を僅かに照らすだけ。それ以外に、何も感じられるものはない。そんな空間で最初に聞こえてきたのは、忍の奇声だった。


「はぃやぁぁぁぁ!!」
「はぁっ!」


 一瞬。一瞬だった。まるで数秒、時が止まったようだったのだ。忍者の甲高い奇声が切れる前にはもう、剣はがくぽに届いていた。だが、単に届いただけで、侍の体を貫くことは出来なかった。剣先は、がくぽの首を僅かに逸れていた。


(こやつ…何者!?)


 動揺を見せるソガシ。がくぽは、忍の体を強く押し返す。忍は後ろに退き、木の真下へ。ソガシは、目を細めて口を開いた。


「やるではないか、神威殿。凡の目では捉えられぬ、こやつの突きを見切るとは」
「そんなものでござるか、理事会の暗殺部隊とやらは」
「案ずるな、まだまだこれしきよ…くくくっ」


 また不気味な笑みを浮かべる忍たち。既に切り捨てられた部下の骸が目の前に転がっていても、身動ぎどころか、動揺すらしない。彼らから凄まじい殺気は感じても、死への恐れはないように感じられる。たった1つの命を奪い、奪われる戦いにおいて、死を恐れぬ者ほど、強い者はいない。


「…神威殿、我々はそなたを少し甘く見ておったわ。皆の衆、やはりこやつは一筋縄でいかぬぞ!」
「上等! 我が命に代えてでも、必ずやその首を持ち帰らせて頂こうぞ」
「…よかろう。だが、拙者の首が欲しいのならば、己の欲望にまみれた、その醜い魂さえも斬られることを覚悟せよ!」
「くっくっくっ、なんとまあ、何を言い出すかと思えば…ああ、望むところよ、神威殿」


 両者、睨み合う。果たして、どちらがこの山の土となり、消え行くのか。刀の利用価値が薄れてしまった現世において、侍と忍達の真剣勝負が今、始まろうとしていた。


「…貴殿らの力が本当のものならば、拙者の首を討つことなど容易かろう。さあ、改めて来るがよい」
「ふっ…では、推して参る!」

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「VOCALOID HEARTS」~第30話・陽忍部隊~

というわけで、今日は! いや、最近マジ寒くてたまらんですわ…
それで、手もカサカサになるって言ってたら、友人に「女子か」って言われました(笑)

今回は久しぶりの殿の回でした。平和統括理事会から送り込まれた、トリプルエーにも匹敵する強力な刺客。がくぽは、この不気味な忍達を退けることができるのか?
そして迫る、更なる黒い影が…

めちゃくちゃ久しぶりの更新になりましたが、次回の続きも近いうちにうpしたいと思います。
…でもこれを言うと大概、嘘フラグになるようで←

閲覧数:819

投稿日:2015/01/07 00:13:15

文字数:4,920文字

カテゴリ:小説

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    enarin

    ご意見・ご感想

    こんばんは! コメントではお久しぶりになってしまって、恐縮です (_ _)

    さて、今回は殿の回ということで、緊迫した、

    侍vs忍道はぐれ武装集団

    なんですが、この敵である、はぐれ忍者達、そこかしこで、

    ”死亡フラグ”

    を出しまくっていて、緊迫の中に、

    ”あ、こいつ、どうやってやられるかなぁ”

    なんて楽しみもありました。

    敵って、死亡フラグ、たくさん出すほど、面白い戦いになりますよね。特に戦隊ヒーローとかライダーとか格闘アニメとか。

    それにしても、こっちの殿は、格好いいなぁ。戦いの描写がとても繊細で丁寧だからだろうなぁ。私も見習わないとね。私の方、最近、ギャグ戦闘ばかりだから…。

    次回も楽しみにしてますね?

    ではでは~?

    2014/01/30 16:50:08

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