彼女は今日もベルスーズを訪れていた。
カウンター席に座り、雑誌を広げてそれに目を落としている。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


声をかけると、彼女―芽衣子は振り返って私の姿を一目見て、ため息をついた。


「あんたならわかるでしょ?いつものよ」
「かしこまりました。アイスコーヒーをお一つですね」
「違う、ホットのコーヒーを一つよ。あとこれ置いてくれる?」


彼女から先ほどまで読んでいたであろう雑誌を手渡されたので、元の台の上に置く。
何故私に…と思ったが、私の後ろに台があったからだろう。確かにわざわざ立ち上がって私を避けて戻すのは遠回りだろう。彼女だって面倒だったに違いない。


「ではすぐにお持ちします」


伝票に注文を書いて厨房へ足を向ける。
今日の彼女がいつもと少し違う気がするのは、私の気のせいではないのかもしれない。






「お待たせしました。こちらコーヒーでございます。ご注文は以上でよろしかったでしょうか」


淹れたてのコーヒーを彼女の前に置き、彼女が頷いたのを確認して伝票立てに伝票を入れる。
本来ならここで一礼して他の仕事に移るのだが、私はあえて彼女の隣を動かなかった。
店員としては失礼とかそういう問題ではないのだが、彼女はそんなことは気にも留めずに、コーヒーをずずっとすすった。こら、音を立てるでない。
よく見ると、彼女がガムシロップや砂糖に一切触れずにコーヒーカップを手にしていることに気づいた。


「珍しいわね、あなたがブラックで飲むなんて」
「別に。たまにはいいかなと思って。…苦いわね」
「いつもガムシロとか入れてる人にとっては当たり前でしょ」


私は彼女と大学生からの仲だが、彼女がブラックのコーヒーを飲んでいるのは初めて見た。
しかし苦いといいつつ飲んでいるところを見ると、苦手というわけではなさそうだ。


「店員さーん、お勘定お願いできますかー」
「あっ、はい!ただ今!」


走らずになるべく急いでレジまで移動。
一言詫びを入れて、仲が良さげな主婦二人の勘定を済ませる。
幸いにも優しいお客様で、「あら、そんなに急がなくてもいいわよ~」とまるで子供を見守る近所のおばさまのように許してくださった。

しかしお客様に呼ばれるまで気づかないとはなんたる失態。
店長にばれたら…ある意味で私の命が危ない。背筋が凍る思いだ。


「お待たせ。よいしょっと」


厨房で紅茶を淹れてカウンターまで運び、芽衣子の隣の椅子に座る。
そして一口。うん、やっぱりここで淹れる紅茶は美味しい。
そもそもあの人の選ぶ茶葉に間違いは無いのだ。
美味しくないわけがない。


「それよりあんた、接客はいいの?私とばっか喋ってたらお客皆いい顔しないわよ」


隣でのんきにお茶を飲む私を見て、無表情で芽衣子が一言。


「いいのよ。お客様は芽衣子以外は先程の奥様方だけだったし。それに今の時間帯はいつも暇なのよ。三時とか、ティータイムから混み始めて夕方までは忙しいから、今のうちにしっかり休憩しとかないと、ね」
「今しっかり暇って言ったよね?暇って言っちゃダメよね?」
「芽衣子だからいいかなーって思って」
「一応私客なんだけど…」
「あら、そうだったかしら」


さらりと流しながらまた一口。


「…ずいぶん美味しそうに飲むわね?」


…どうやら口元が少しにやけていたらしい。
あんまり美味しすぎてつい。


「確かにここの紅茶は美味しいわね」
「あなた飲んだことないでしょ」
「…まあそれは置いといて。普通そこまで幸せに飲めるかしら?」
「べ、別にいいじゃない。私、紅茶好きだもの」
「ふ~ん?」


じろじろと、探るような目でこちらを見る芽衣子。
何か変なところでもあるのかな?


「流歌はそこまで紅茶好きってわけじゃないわよね?何か特別な事情があるのかな~…あっ、わかった」
「な、何?」
「神威くんでしょ」
「…俺がなんだって?」


びっくりして後ろを振り返ると、厨房を出てすぐのところにコーヒーを飲みながら立っている男性――この店の副店長、神威さんがいた。
つまるところ私の上司である。


「深川さんいらっしゃい。さすがに明るいうちからは飲まないみたいだな、安心したよ」
「ちょっとちょっとちょっと!私をただの飲兵衛だと思ってるんじゃないでしょうね!」
「冗談だよ。でももしかしたらってこともあるからな。巡音をとっ捕まえて、カクテルグラス片手にくだをまいてる可能性もなくはないだろうさ」
「さすがに時間を考えるわよ。第一、バーが開かないと酒は飲めないじゃない。それに肝心の縁もいないし」


その後、どこか見せ付けるようにコーヒーを喉に流し込んだ後、彼女はこちらにカップを突き出してきた。もう一杯ということか。
彼女の傍らの伝票を抜き出して追加分のコーヒーの値段を書き込み、神威さんの隣を通ってカップに注いだ後、再び同じ道を戻って彼女にそれを差し出した。


「おい巡音、他の客が来たらすぐに反応できるようにしろよ」
「はい…えっと…?」
「そこで休んでることを気にしてるのか?別にそのことについては何も言わんよ。それに俺だって、あの店長の雷が落ちるところは見たくないからな」


今は客がいないしな、と付け加えて再び芽衣子に目をやる神威さん。


「うちの巡音が迷惑かけるな。深川さん、お詫びといっちゃなんだが、これ、サービス」


彼はそう言ってカップを置いて、厨房からトレーを持ってこちらへ。
トレーには少し不恰好なマフィンが二つ乗っていた。


「別に迷惑とは思ってないわよ?でもこれサービスって、いいの?商品として出さなくて」
「構わんよ。どうせだから巡音も食べるといい。…ま、ちょっとした失敗作でよければな」


それだけ言って厨房に引っ込む神威さん。
フォークで一口に切ると、底のほうにドライフルーツが少し沈んでいるのがわかる。


「だから失敗作って言ったんですかね?」
「でも、客に出せないほどじゃないわよね。…そういえば、ここのお菓子っていつも流歌が作ってるって話だっけ」


だから何だというのだ、と思ったが…私はドライフルーツ入りのマフィンは作らない。
食べてみると、ふんわりと広がる香りと共に、ちょっとだけ強い甘み。


「わざわざ作ってくれたみたいね。私ではなく、あなたのために」


なんかちょっとかわいいわね、という声はとりあえずスルーしよう。


「…あの人いつも冷静なの。だから何考えてるかわかんないし、なんというか…」
「何よ、悩みならはっきり言いなさいよ。ちゃんと聞くわよ」
「ううう…今度の月曜のシフト、二人とも入ってないんだけど…」
「あーあーチャンスじゃないのー」


どうやら今日は、夜のバーで長い話になりそうだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイメイ】Distance【Ⅲ】

今回カイメイ要素はないですよ!
そしてここに何かこうとしたか忘れましたてへ。

閲覧数:890

投稿日:2014/07/14 22:33:17

文字数:2,815文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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