「どうぞ」
「失礼します」
部屋の扉を開けて少女を招きいれる。執務室の中央、客人用の椅子に彼女を座らせた。彼女が部屋を物珍しそうに眺めている間に、気付かれないよう鍵をかける。
「お茶を淹れて来ますから、少しお待ち下さい」
「そんな、お気遣いなく…」
「駄目です。身体を暖めませんと」
少女に背を向けて、私室に入る。浮かべていた笑みを消した。窓際の机の引き出しから、ぐしゃぐしゃになった紙を取り出し、広げる。そこに書いてあるのは呪いの言霊。覚めない眠りへ誘う、封印の呪文。
「………」
呪文自体は簡単なもの。数秒もあれば唱えられる。
「ふふ…ふ…」
自然と笑みが零れた。先程あの少女に向けていたものとは違う、本当の笑み。
私は何を今まで躊躇っていたのだろう。
もっと早くにこうすればよかったのだ。
机に置いていた調度品を払い落とす。派手な音を立ててそれらは床へ落下した。
「ど、どうしましたか?!」
隣の部屋から驚いたような声が聞こえた。笑みを浮かべたまま、私は呼びかける。
「すみません、落としてしまいました。申し訳ありませんが、手伝っていただけませんか?」
「大変!火傷していませんか?!」
案の定、彼女は私室へ飛び込んできた。そして私と、床に散らばる調度品を見て目を丸くして固まる。
「あ、あの…?」
「素直すぎるのも、考え物ですね」
「え…?」
わけが分からない、といった表情を浮かべる少女。あの人を狂わせる歌姫。
どうせ先が短いのならば、私が今ここで終わらせてあげる。
「we M Se ja Ses t’i ja……」
紙に書かれた呪文を読み上げる。不可解そうに少女は私を見ていたが、不意に何かを悟ったようにさっと表情を変えた。さすが“歌姫”。言霊には詳しいか。
「mt’i e Sa tse M wi a」
少女が駆け出す。その後を追って私も駆け出した。私室を飛び出し、部屋を出ようと彼女は扉に手をかけたが、鍵がかかっているため開かない。少女が鍵を開けた瞬間に私はその肩を掴み、引き倒した。小さく彼女は悲鳴を上げる。
「we M Se ja wes tse a」
構わず私は呪文を紡ぎ続ける。効力が現れ始めているのだろう、彼女は身を起こせぬまま、顔だけをこちらに向けた。
「どうして……?」
か細く告げられた言葉に、私の中で何かが切れた。呪文を中断する。
「どうして?」
低く呟いた声に、びくりと少女が震える。気にせず私は続けた。
「どうしてと、聞くのか?全てお前のせいだというのに」
「……え」
「陛下はお前の延命の術を見つけるため、戦を始めたのだ」
少女の目が大きく見開かれた。そんな、と唇だけが動く。
「お前のせいで大勢人が死んだ。お前のせいで民は苦しんでいる。お前のせいで陛下は狂った!」
自然と声が荒くなる。惨めに横たわる少女に私は声を叩きつけた。
「お前のせいだ!全てお前が来てから始まった!お前のせいでこの国は、あの人はここまで壊れてしまったんだ!」
呆然とする少女の目から、ほろりと何かが零れ落ちた。もうその目は私を見ていない。そんな、どうして、と唇を動かすだけ。
「……それも、もう終わり」
一息ついて、私は呟いた。冷静さを取り戻す。いつの間にかまた握り潰していた紙を広げた。
「we M Se ja Ses t’i ja。Mt’i e Sa tse M wi a」
読み上げる呪文に、もう彼女は反応しない。全てを受け入れ、諦めたかのようにただ涙を流し続ける。
「we M Se ja wes tse a」
これで終わる。やっと、やっとこの地獄のような日々が終わる。
この少女がいなくれば、陛下は悲しむだろう。
けれど、大丈夫。私が支えてみせる。
だって、前王と前王妃が亡くなった時も、私が支えてきたんだもの。
国だってすぐに再建できる。
「i pe M tse…」
だから。
あなたはいらないのよ。
「…狂う王の為に、歌姫に永久の眠りを!」
びくん、と少女の身体が震えた。そのまま動かなくなる。
「…」
一呼吸した、その身体から力が抜ける。その場に座り込んで、私はしばらくぼんやりと少女を見つめた。陛下と同じ若草色の髪。若草色の瞳は、本当にもう開かない?
「………」
そっと少女の腕を取る。…脈はない。顔に耳を寄せる。…息もしていない。
「…ふ、ふふ……」
少女から離れる。自然と声が漏れた。
「ふふ…あはは…あははははははっ!」
こんなに大声で笑ったのは何時ぶりだろう。誰も来ないことをいいことに、私はしばらく笑い続けた。
やった。
ついにやった!
「あはははっ、はハッ、アハハハハハハッ!」
どれくらい笑い続けただろう。ふと、あることに思い至って私は笑うことを止めた。
もし。
もし、この呪文を解く魔術があったら?
それを陛下が見つけたら?
「…………」
先程までの高揚感が嘘のように冷めていく。私は眠り姫と化した少女を見つめた。
殺さなければ。
こんな魔術じゃ生温い。本当にこの娘を殺さなければ、また同じことが繰り返される。
「殺さないと」
立ち上がって剣を抜く。少女に向けて振り下ろそうとした、その時だった。
バタンッと、勢い良く扉が開いた。
「…何をしている」
「……へ、いか」
陛下の様子は、今までとまったく違っていた。振り乱した髪、荒い息を収めるように、肩を上下させている。
「…彼女が、」
びく、と身体が震えた。
「彼女がいなかったから、探していた。お前が連れて行ったのを見かけたと、兵から聞いて、ここに来た」
がらがらと何かが崩れていくのを感じた。陛下が横たわる彼女を見る。そして、私を。
「何をした」
「………」
剣から手を離した。カラン、と無機質な音を立ててそれは彼女の横に落ちる。
冷たい声に、瞳に、声が出ない。
「お前は、何をした」
「…わ、わたしは」
「彼女に何をした!」
声と共に強く押しのけられる。バランスを崩して、私は床に倒れこんだ。
「おい……おい!目を開けてくれ!なあ!」
彼女を抱き起こして陛下は呼びかける。しかし少女は目覚めない。当たり前だ。私がそう呪いの言霊をかけたのだから。
「あと…あと少しだったんだ。あと少しで、君を救えたかもしれないのに…!どうして…!」
陛下の綺麗な瞳から、大粒の涙が落ちる。悲しみの感情。だけどそれは一瞬にして、憎しみの色に染まった。呆然としている私を睨みつける。
「…お前が、したのか」
「………し、て」
今まで見たことない、聞いたことのない陛下の表情と声に、私は思わず呟いていた。
「赦して…ください、陛下……わ、わたしは、私は陛下の、あなたの為に…」
「嘘だ」
ぴしゃりと叩きつけられた言葉は、氷よりも冷たい。私は更に必死になって言い募った。
「ちがう、違う嘘じゃ、嘘じゃありません!嘘じゃないの陛下!陛下、ねえ聞いて――」
言いながら手を伸ばす。
お願い。
お願いだから、傍において。
嫌わないで。
また、昔みたいに名を呼んで、笑って――
「触るな!」
そんなささやかな願いは、陛下の一言で砕かれた。少女を抱きかかえて立ち上がり、陛下は私に背を向ける。
「お前は私を裏切った。その罪は重い」
淡々と陛下は告げた。
「騎士団長の任から外す。牢の中で自らの罪を認識するとよい」
そのまま陛下は部屋から出て行く。何かを叫んでいるが、耳に入ってこない。
「どうして…?」
どうして?
どうして、こうなるの?
兵士が部屋に入ってきた。私を両側から捕らえ、立たせようとする。それを見ることもなく、陛下は歩き出した。
「待って…!」
「団長!おとなしくしてください!」
左の腕を掴んだ兵士が叫ぶ。振り払おうともがくが、敵わない。
「いや!離して!陛下…陛下!」
私の声など聞こえていないかのように、陛下は振り向かない。
どうして。
こんなに想っているのに。
あなたのために全て捧げたのに。
あなたのためにあの女も殺したのに。
「……う…あぁあぁぁああぁあぁあああっ!!」
或る詩謡い人形の記録『雪菫の少女』第六章
長いです…orz
呪文は『賢帝の愛顧』のコーラスから取らせて頂きました。ちょっと書き換えてます。
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