「公子に、伝令?」
「本国より至急の知らせを預かっております。恐れながら、殿下へのお目通りを願いたく」
謁見の広間に張り詰めた男の声が響く。
公子の故国から火急の知らせを携えてきたというその勅使を、玉座の王女は気のない様子で見やった。
当の公子は、またぞろ町や都市を見たいと言って城下に下りている。
外出の度にリンに対しても誘いはあったが、あの屋敷を訪ねて以来、一度も同行はしていなかった。古ぼけた建物やただの街並みをまじまじと眺めたって、面白くないのはわかりきっている。例え彼からの誘いでも、気の乗らないことには付き合わないと、リンはレンに約束した。
結局のところ、あの日、リンが狩りの誘いを断っても、彼はさして気にした風もなく笑っただけだった。
その様子に内心ほっとしながら、同時に物足りなさを感じたのも事実で、もやもやとリンの気は晴れないままだ。
あの男の、リンを前にしてのその余裕が気に入らない。もっと本気で乞うて、欲しがってみせればいいのに。
「彼は今、不在よ。渡すものがあるなら、こちらで預かっておくわ」
億劫そうに玉座の袖に立てた片肘に小さな顎を乗せ、王女は促すように片手を差し出した。
広間の床にひれ伏した勅使は一層深く頭を垂れて、その場に畏まった。
「いえ・・・大公閣下より仰せつかった書簡にございますれば、殿下ご自身に直接渡すまでは」
渡せないと拒否を示す言葉に、王女は頭をもたげ柳眉を持ち上げた。
「そう」
細い指が、ぱちんと音を鳴らす。
その途端、控えの近衛兵たちが一斉に勅使の周りを取り囲んだ。
男の身体を手荒に床に組み伏せ、その手から文書を入れた小箱を取り上げる。
それは恭しく玉座の王女の元まで運ばれた。
「何ということを・・・!」
「黙りなさい。私を誰だと思っているの」
身動きの取れない勅使の非難を一笑に付し、王女は受け取った文書の封を切った。
封蝋のされた羊皮紙を開けば、そこには挨拶も前置きもない簡潔な内容がしたためられていた。
大公が急な病のため速やかに自国に戻るようにということ、隣国に嫁いだ公女も看病のために帰国の途についている旨が、併せて書き連ねてある。
ざっと一読し、リンはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「大げさな年寄りだこと。娘が戻ってきてるんなら、別に良いじゃない」
手の中の紙を握りつぶし、玉座から放り投げる。
「もう良いわ。燃やしといて」
紙くずになったそれを拾い上げ、控えた家臣が絶対の命令に頭を垂れた。
兵士達に取り押さえられたままの勅使に、王女の目が向く。
あまりの暴挙に言葉もない勅使を、王女はその可憐な顔に残酷な笑みを浮かべて見下ろした。
「お前の務めは終わりよ。さっさと国に帰りなさい。それとも首を切られたいかしら?」
王宮内の小さな一室で、彼は落ち着かない様子で部屋の中をうろついていた。
王女自身の口から早々に立ち去るように命じられたにも拘らず、未だ王宮の一室に何故か留めおかれているのだ。
下働きの者達に与えられるような狭く簡素な一室の扉は外に立つ兵士達によって塞がれ、一つきりの明り取りの窓は細く、逃げられる場所はない。
どれほどしたものか、外で話し声がして扉が開かれた。
入ってきたのは、まだ年若い少年だった。
一見して城に勤める召使と思しき姿だが、何か身分とは異なる実権があるのか、扉の向こうに控えた兵士達の態度は丁重だ。
見張りの兵士へ指示をするような言葉を交わし、再び元のように扉が閉ざされると、少年はこちらを向いた。
「お待たせしたね、勅使殿」
不思議とかの王女に似通った面差しに、思わず青い顔で後ずさった勅使を見て、彼は小さく笑った。
「そう怯えなくても良い、さっきのはほんの冗談だよ。王女は言葉より、ずっとお優しい方だ。ちゃんとお前の仕事に対する報酬も用意している」
そう言うと、片手に余るほどの皮袋を取り出し、口紐を解いてみせる。
奥から覗いた、重なり合う金貨の輝きに、勅使は驚いた目を向けた。
「これは急ぎの知らせを間違いなく伝えてくれた礼だ。後はただ、帰って伝えれば良い」
何でもないような口ぶりで、少年が言葉を続ける。
「公子からのご伝言だ。『都合により今すぐに帰国することは叶いませんが、大公のご容態を心から案じております。御身をお大事にご静養ください』と」
「こ、公子・・・、殿下はご不在だと・・・」
動揺に掠れた声を、有無を言わせぬ少年の声が遮った。
「先ほどお戻りになられて、私から内容をお伝えした。そのご返答だ」
落ち着き払った様子で、彼は勅使の手のひらの上に、小さな何かを載せた。
「これが公子のご意思だという証拠だ」
渡されたのは、小さな指輪だった。
細く華奢な造りは、明らかに女物とわかる。
不審そうにそれを眺め、勅使はぎょっと目を剥いた。
「これは・・・ボカロジアの・・・!」
指輪の台座に小さく刻まれた王家の紋章を食い入るように見つめ、額に汗を浮かべた勅使が、指輪と召使の少年とを忙しく見比べる。
その目の端が金貨の詰まった袋をも捉えているのを見て取って、少年はひっそりとした笑みを浮かべ、勅使の耳元に囁いた。
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