未来の形を

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「二人、上手くいくといいけど」
 教室の外で、中の様子を気にしながら呟く。
「大丈夫だとは思うよ。少なくとも今より悪化することはないだろう」
「うーん……でもなんか心配なんですよねえ」
「神威が詳しく話してないというのは予想外だった」
「おかげでルカの誤解もなかなか解けないんですよね、ルカもルカであの性格だし」
 どっちが悪いとかそういうのじゃなくて。神威先生もルカも、どちらも無駄に深追いはしない。二人の性格がああだったから、ちょっと事態がややこしくなっただけで。
「全く、なかなか厄介な親友を持ったな」
「それは始音先生もでしょう?」
「ああ、困ったな」
 思わず笑ってしまう。手のかかる友人を持つと少しばかり苦労する。
「あれ? 始音先生に咲音さん? どうしたんですか?」
「……え?」
 始音先生と笑っていると、廊下の向こう側から初音先生が歩いてきた。
「初音、先生?」
「誰のために紹介してくれたのかはよくわかりませんけど。なぜお二人がここに?」
「ちょーっと世間話を」
「わざわざ教室の外で? 中にいる誰かを知らせてはいけない、なんてことがなければこんな寒い季節今にも寒い風が吹き抜けそうな廊下で立ち話なんてしないでしょう?」
 あの二人の関係は、お互いの立場が立場なだけに、周囲には絶対に知らせてはいけない。私と始音先生は厄介な親友を持ってしまったというか、偶然知ってしまっただけというか。グミに関しては、兄と親友どちらとも非常に仲が良いし、やはりというか偶然知ってしまって。だけど、それ以外には知らせてはいけない。全員が理解していることだ。
「なんとなくわかりますよ。神威先生と巡音さんでしょ? 二人とも不器用ですからねえ」
「いったい、どこまで見透かしてるんです?」
「さあ。でも神威先生が誰を好きかくらい見てればわかります。すーっごく目を凝らせば、ですけど」
「初音先生、もしかして神威先生のこと」
 初音先生は寂しげな笑顔を浮かべた。
「叶わないってわかってました。運命の導きなんですかね。私には、入り込む資格などありません」
「……」
「それより、今は二人の関係が修復されることを祈りましょう」
「終わりはもう、すぐそこだな」



 ここには誰もいない。私と彼以外の、誰も。
「神威、先生?」
 もしも今、こんな状況でこんなところにいなかったら。もしも私が彼を避け続けることを選んだら。
 お互いに何も話さず、何も知ろうとせず。時の流れに任せて、これまでの全てを『なかったこと』にして。いつしか「これが最善だ」と受け入れて、出会う前のような生活に戻っていたのかもしれない。胸に寂しさと罪悪感だけを抱えて。
 お互いに何も知らないほうが良いのかもしれない。お互いに近づくことなく、関わろうとせずに生きていたほうが良かったのかもしれない。そうすれば私と彼は関わる機会を失ったまま、空虚で無意味な日常を送っていただろう。
 だけど、誰かを心から思うことも、胸を締め付けるこの感情も、私を捕らえて離さない彼の笑顔も、本来なら知ることがなかったのだ。
 彼に出会わなかった場合の「もしも」の世界なんて所詮底が知れているし、今この時間を生きている私にとっては空想の産物でしかない。人間の想像など、懸命にアイロンをかけてしわを伸ばして、世界の隅っこまで広げたとしても限界がある。だから私は「もしも」なんて考えない。
 私がいますべきことはただ一つ。皆が作り上げてくれたこの状況で、私たちの真実を知ること。

「神威先生。教えてください。あの事故であなたが負ったのは、罰なんでしょうか? それとも……」
 私の罪でしょうか?
「一概に君だけの罪とは言いがたいね。正直なところ、これは俺自身が仕向けた呪いみたいなものなのかもね」
「呪い?」
「音無事件を覚えているだろう? 君が消えた後に俺は身を投げた。問題はその後だよ」
 確か学園長が失踪したとき、そんな事件の話をされた気がする。だけどあの時はそういう事件が過去にあって、それが学園長の生い立ちに繋がってるのを聞いただけだった。
 あと関係がありそうなのは合宿のときの噂話と、事故後の初音先生とリンさんの話。話をまとめれば「少女の後を追った少年が幽霊となり校内を彷徨った」という大変ざっくりとした説明になるのだが。
「俺は死んだ後、一年半に渡りこの世に留まり続けていたんだろ? 最終的には恵と未来との対話で全部終わったみたいだが、裏を返せばそれまでどんなものを見聞きしようが俺の意思を変えることはできなかったってことだ」
「でも先生は事故のときに、学としての記憶と人格があったんですよね?」
「それが飛び降りた後の記憶がすっぽりと抜け落ちててな。そのへんはグミに聞いたんだが、当時の俺は生前とまるで別人で、悪霊のようだったそうだ」
「あ、悪霊……!?」
 グミちゃんが当時の記憶を持っていたことにも驚きだけど、彼が悪霊化しかけていたということに一番驚いた。つまりはそのとき成仏(?)しなければ、今の彼は確実にここにはいなかったということで。
「実際悪霊だったんだろう。その彷徨う影に会った人物は今全員この世からおさらばしているらしいからな」
「それって、恵や未来も……」
「間違いないだろうな。ともかく、俺がそんな状態だった時点で既に呪いはかかっていたんだろう」
「その呪いはいつかかったものなんでしょうか?」
「恐らくは死ぬ直前につけたあの傷だ。時を経て身体も別人のはずなのに、この右手首には忌々しいほどはっきりした傷がある。あのときのままに」
 白衣の袖を捲れば、言葉通りのその傷はまるでつい最近つけられたように感じるほど痛々しく染み付いていた。珍しく包帯を巻いていないのは私と話をするためだろうか、とどこかずれた考えが頭に浮かぶ。
「そしてここからが本題だ。この手首の傷がもたらした呪いは、俺の記憶以外の場所に一番厄介なものを植えつけた。なんだと思う?」
 袖を戻した彼は、その手に作った握り拳を自らの胸にとんと当てる。
「ここさ。【心臓】に先天性の病気、いわば時限爆弾を埋め込んだ」
「ここからが、私に伝えるべき本当のことなんですね」
「ああ。そんなにたいした話ではないんだけどな」
 たいした話ではない? グミちゃんも「辞めるって決めるほど深刻なことじゃない」と言っていた。私が聞いた話だと、もう身体が限界に近いとかそんな感じだったと思うのだが。
「俺はルカが不十分な情報しか持っていないと思っているし、はっきりと伝えておくよ」
「確か、余命が五年って……」
「半分正解だ。君の誤解を解くには、その辺りに詳細を補足させてもらおうか」
「半分正解とはいったい……」
「五年というのは、今までどおり普段から飲んでいる薬だけで対処する場合だ」
「今までの生活となんら変わりなく、ということですか?」
「そうだ。薬でなんとか進行を遅らせているだけだからな。もし治療行為の全てをやめれば、一年ももたないだろうとも伝えられた」
 一年ももたない。それって、もしかしたらいつ終わってもおかしくないということで。もし彼が現状を放棄すれば、生きることを諦めたも同然で。
「そんなの、残酷ですよ。残されるものに一つもいいことなんて、ないじゃないですか」
「科せられる罰なんていつの時代も残酷なもんさ。全てを放棄して現世から逃れたことが、それだけ愚かな行いだっただけだ」
 本当にそうだろうか。解決する術も知恵もないとき、背を向けて逃げることがそんなに悪いことなのだろうか。
 彼一人に、なぜそこまで重い呪いが押し付けられたのか。聞く耳を持たず屋上へ走ったこと、事件の大半を何もせずただ傍観し続けたこと。それがいけないことだとどうして言い切れるのだろうか。
「話を戻すぞ。何も俺が五年以内に本当にくたばると決まったわけじゃない」
「本当ですか?」
「嘘なんかついてどうする。それなりの手術を受ければ、余命よりもっと長く生き延びるかもしれない」
 生き延びる「かもしれない」。確証なんてない言葉だけど、それに縋るしかもう方法はない。
「ただ……いつ帰ってこれるかわからないんだ。入院して手術の準備のための薬に切り替えたりして、手術が成功したとしてもリハビリその他諸々を考えると、何年かかかるだろう」
「休職扱いにはできないんですか?」
「無理だな。もしできたとしても、例の事故ですでに休職してたから、これ以上休むくらいなら辞める。君が学校から去れば、ここにいる意味もないから」
「だから辞めるつもりなんですか」
 彼が先生であることを辞めれば、生徒としての私の唯一の接点は消え去ってしまう。私と彼を繋ぎとめるものがなくなってしまうのだ。

「そんな悲しい顔するなって。何年かかるか知らないが、絶対に帰って――」
「違うんです」
 私に伸ばされた手がぴたりと止まる。手を下ろすこともなくただ私の言葉を待っている。
「自分が嫌なんです。先生の大切なものを散々奪っておいてのうのうと生きている自分が。病気を再発させるきっかけを作ったのは私。事故で大怪我させたのも先生の記憶を奪ったのも私。呪いを植えつけたのも、元はといえば私のせい」
 伸ばされた手をゆっくり下ろさせて、それとは逆の右手を握る。
「この傷も私がつけたようなもの。大好きな人のきれいな手を傷つけて、事故で身体に傷を負わせて、治ったはずの胸の痛みを何度も押し付けて、それでも先生はひとりで抱えて無理して笑ってる。私が先生を不幸にさせた。なのにふたりで幸せになりたいってどの口が言うんだって。まるで偽善者。いろんなことから逃げても、胸の奥に溜まったままの罪悪感からは逃げることはできない」
 口から零れる言葉は止まることを知らない。こんな子どもの戯言なんて聞かなくてもいいのに、さらりと受け流してしまえばいいのに。
「健康な体も、自由も、記憶も、想いも、信念も、全部私が奪って踏みにじって。それでまたサーカスのピエロみたいにへらへら笑いながら、今度は『絶対』なんて言葉で、先生の未来を奪おうとしてる。先生の人生は、幸せは、私が壊した。数え切れないほど後悔を積み重ねてきて、傷つけて」
 何一つ言うことなく、私の話を聞いてくれる。私は、ただうつむくだけで。
「いくら優等生でいようとしても、子どもの私には何が良いことなのかわからない。……ただ、先生の人生を奪わない、もうこの手を放すことだけが、悪い子の私にできる唯一の罪滅ぼしなんだって。だから私は、傍に居ることで、これ以上あなたを束縛したくない…」
 握り締めた手に、ぽたぽたと涙が零れる。
 私には、恋愛経験など無い。そもそも興味すら無い。おそらく、これからもずっと、恋愛なんかしないだろうと思っていた。あの日、暖かい日が射す図書室で、彼に出会うそのときまでは。
 十月初旬、手を掴まれて引き込まれた空き教室で、先生じゃない、初めて彼自身の声を聞いて。思えば、非日常はこのときから始まっていたのかも。だって想像もしてなかったから。私は生徒で、彼は先生で。ずっと教壇と席の距離が遠くて、でも近くに引き寄せてくれたのは彼で。
 いったいいつから、私の中で彼の存在が大きくなっていったんだろう。振り返ったらもう戻れない暗い深い場所まで、私は歩いてきてしまった。ただひたすらに繋いだ手が離れないように。一度手を離せば、もう先を歩く彼とはぐれたまま見つけることができないと。
 歩くことを躊躇えば割れてしまう、あまりにも儚い薄氷の上で、私はただ彼の背中を見続けて。どこまでも歩いていけるわけがないとようやく気づいたときには、歩いてきた道はもうすべて粉々に砕けていて。そしてそれを砕いたのは、自分だけじゃなく彼の帰り道まで無くしたのは、他でもない私で。
 私が手を離せば、彼を縛る鎖はなくなる。だから、アイと名づけたこの感情を、自ら突き放す。

「そうか……」
 黙って聞いていた彼はそっと私の手を解く。
「でも、その意見を聞くことはできない」
 うつむくままの私の涙をその優しい手で拭っていく。
「俺はものわかりがいい人間じゃないんでね。君の言うことが全て本当と捉えることはできないな。いいか、こうなることは、俺が呪いを背負ったときから……手首に刃を当てたときから決まっていたことだ」
 少しずつ、小さな子どもに言い聞かせるように。
「俺は自分の落とし前を自分でつけただけ。誰のせいとか、そんなものはどうでもいい。それに、周りを巻き込んだのは間違いなく俺の責任だ。特に君には悪いことをした……俺は君が思っているほど大人じゃない。悪い子は、俺だ」
 まるで心の泥をかき出すように。いつもより柔らかい笑みなのに、少し苦しそうで。
「子供じみた理由で何度も君を捕らえようとした。それをいつもぎりぎりのところで抑え付けて、苦労した。分かるだろう? それほどまでに俺は君に頼りきっている。今更離れたところで、胸を締め付ける苦しさが増すだけ。君が別れを望むならそうするつもりだった。でもそう簡単にこの感情を割り切ることなんてできない」
 ――“おかしいよな、こんなこと話しても、巡音が困るだけなのに”――
 その姿が、まるで初めて私に本音を告げたときのようで。恋人と話すような雰囲気で、僅かに白衣の裾を揺らしながら。
「いいか、ここからはちゃんと聞いてくれ。……俺はどうしようもないくらいにルカが好きだ。もし許されるなら、君が望むのなら……ほんの短い間でもいい。君の傍で、君自身の姿を見せてほしい。何度も奪ってしまった君の幸せにはつり合わないかもしれない。だけどそれが俺の唯一の贖罪であり、身勝手な願いだ」
 まるで物語の王子様のように跪いて、流れるような仕草で私の手を取り、手のひらに唇を触れさせた。

 触れた唇の温かさと柔らかさに、その仕草と言葉に息を呑んだ。時間が止まったみたいに、私たちはそのままでいた。そんな感覚さえする。
 騎士のように忠誠を誓うでもなく、手の甲ではなく手のひらへのキス。それは、懇願という意味があるのだそうだ。昔は手のひらにキスをするということは、プロポーズと同じ意味だったとどこかで聞いたことがある。それは、つまり。
「……っ、ばか……」
 この人は。私のこと、どこまで見透かしているのだろう。私のこと、どれまで想い続けてきたのだろう。
「私はずっと、望まれるままでいるのに」
 また涙が溢れてしまうじゃない。
「本当に、ずるいひと」
「ああ、知ってる」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【がくルカ】memory【30】

2015/02/12 投稿
「決意」


呪いの話について。
「この声が届くまで」でがっくんは世界を恨んでいました。
それほどまでにルカさんに依存していたなら、世界に絶望したがっくんが巨大な呪いを生み出してもおかしくはないのかもしれません。
「音を失った少女」の中では唯一学校で死んでいるので、そのまま学校ごと呪っちゃったらしいです。恐ろしや。

改稿しましたが、終盤に少し行を足したくらいの変更です。

前:memory29 https://piapro.jp/t/Kbh-
次:Plus memory6 https://piapro.jp/t/coSa

閲覧数:744

投稿日:2022/01/10 02:57:51

文字数:5,982文字

カテゴリ:小説

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  • Turndog~ターンドッグ~

    Turndog~ターンドッグ~

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    エンダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアウィルオオオオオルウェイズラアアブユウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアア(((
    愛は……沈まないっ!!
    それを体現していく先生かっこいいですとてもチョークで強盗をはっ倒す人とは(やめんか

    世界に絶望した先生が巨大な呪いを生み出す……………
    ん?どこかで聞いたような……
    ???『僕と契約して魔法少女になってよ!』

    最……終……回……だと……!?
    ああ……終わってしまう……「memory」が終わってしまう……!!





    俺も早くヴォカロ町本編終わらせなきゃ(そこにオチるのか

    2015/02/14 10:22:37

    • ゆるりー

      ゆるりー

      あらぶるターンドッグさん。
      先生ある意味確信犯ですけどね。どうすればルカさんに拒否させないようにするかとか絶対わかっててやってると思います。
      そうですねーとてもヤクザ(ヒラ)の集団をチョークではっ倒す人とは思えませんねー(棒読み)

      私まどマギ見たことないのでよくわかりません。
      結局原因どころか全ての元凶は先生だったり。

      そうですねー終わりますねー個別エピソードとあとエピローグで終わりますねー。
      まさかの催促に。無理せずに頑張ってくださいね。

      2015/02/26 23:54:18

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