振り返れば、隣にはいつも君がいた。
楽しそうに笑う君が、僕のことをどう思っていたのか、それは本人にしかわからないけれど。
その距離感だけは、十年間ずっと変わらないものだった。
家が近所だったわけではない。
物心つく頃からの付き合いでもない。
ただ、小学四年生の春、席が近くなったことから仲良くなった。
最初の会話もどうやって仲良くなったかも、正直なところあまり覚えていない。
何か強烈な出会いでもない限り、子供の頃に関わりを持ち始めた人との出会いなんて、みんな強くは覚えていないものだろう?
ただ、すごく気が合って、毎日他愛ない話をし続ける。
それだけのことで僕らふたりは仲良くなった。
中学生になる頃、互いに共通ではない友人が増えた。
家から徒歩五分の距離にある、小さな病院の自転車置き場。
日差しを遮り雨粒を弾く、広げた傘が丁度二人分入るくらいの屋根の下、そこを待ち合わせの場所にして僕らは通学した。
最近話題のドラマの話。どうしても解けない数学の問題。少し憂鬱な体育祭の練習。
歳を重ねるにつれ会話の方向性も広がって、互いの知らない部分も多いのだと気付き始める。
自分に向けられているのはどの顔なのだろう。それが少し気になったけれど、それを僕本人が確かめるのは無理に等しい。
高校生になって以降、僕らは一緒の学校に通うことはなくなった。
だけど時々連絡を取り合って、無理のない範囲で集まっては話をした。
話をすることが当たり前になって。君の話を待ち続ける自分がいて。
なんてことない行動なのに、それが君以外の人間だと違和感があって。
そのもやもやとした感情の名前は、まだ知らなくていいと蓋をした。
僕は社会に出て、君は大学生になって。
「小学校の同級生」以外に名付けようもないこの関係を続けた十年目の夏。
すっかり忙しくなって休日も合わなかった月が続く中、君が「夏祭りに行こう」と誘いをかける。
地元の夏祭りは七月末に行われ、駅前の商店街を出店が立ち並ぶくらいのささやかなものだ。
それでも律儀に毎年都合をつけて、何かと屋台の食べ物を買い歩くのが僕らの習慣になっていた。
「ねえ、ちょっと思うんだけどさ、三年に一度くらいの頻度で新しい種類の屋台が増えると思わない?」
「新しい種類の屋台って、例えば何があるのさ」
「ほら、あの肉屋さんの近くの屋台。いつもなら綿菓子屋さんなのに、今年は揚げパンになってるよ」
「新しいって、配置が変わったって意味かな?揚げパン自体はむしろ昔の印象が強い気がするけど」
「うーん、これが新しい!って言えるかはちょっと見て見ないとわからない部分もあるから難しいな。あ、すいませーん、揚げパン一つくださいな」
「買うんだ。…あれ、昨日ドーナツ食べたって言ってなかったっけ」
「ドーナツと揚げパンは違いますうー!」
粉砂糖のたっぷりかかった揚げパンを美味しそうに食べる横顔は、何年経っても見飽きない。
「じゃあ僕はからあげを買ってくるよ」
「神威くんはいつも通りのメニューなの?」
「まあね。でもほら、あそこの屋台だと詰め放題で小カップ二百円だよ。お好みの量でお値打ち値段、食べ歩きには最高じゃないかな」
「へー、何種類か味が選べるんだね。でもなんかからあげ一個が大きく見えない?」
「ルカは特定のコンビニのからあげばかり見過ぎだよ。ここは祭りの屋台なんだよ」
「お惣菜屋さんかと思うレベルの大きさのからあげだね」
「随分大きさにこだわるよね? まあいいや、僕は買ってくるけどここで待ってる?」
「ううん、隣で見てるよ」
屋台のお姉さんにお金を払ってカップを受け取り、トングを手にからあげを選んでいく。
しょうゆ、しお、ガーリック、カレー、ピリ辛。近頃は何種類かからあげの種類が選べるらしいけど、僕はからあげはしょうゆ派なのでしょうゆ味を中心に選ぶ。
「こんなもんかな」
「ん?そんなもんでいいの、お兄さん?どうせならもう少し持って行きなよ。頑張れば小カップでも十個くらいは乗るよ。平均は五、六個くらいだけど」
「え、そんなに乗るんですか? このカップにいったいどうやったら…」
「無理だと思うから無理なんだよ。こういうことだよ、貸してごらん」
屋台のお姉さんに言われるがままにカップを手渡すと、お姉さんは竹串を構え、手近にあったガーリックのからあげを二つ刺し、そのままカップの中のからあげに突き刺す。
そしてもう一本の串を手に取ると、今度はしょうゆ味のからあげを一個刺し、カップの中で不安定になっていた他のからあげを固定するようにこちらも突き刺した。
「ほら、お友達と仲良く食べな」
「あ、ありがとうございます」
「すごい、お祭りの屋台で人生の格言を聞くとは思わなかったよ」
「大切なことは全部屋台のお姉さんが教えてくれたっていう話が始まるね」
「何その人情味溢れそうなドキュメンタリー」
最早「食べ歩きに最適な量」とはなんだったのか、カップから溢れんばかりのからあげを口に運ぶ。
せっかく串が二本あるので、と隣を歩く彼女にカップを差し出す。
串を持ち上げた彼女が目を丸くする。
「いっぱいからあげ刺さってるけど」
「好きなだけ食べていいよ」
「さっき揚げパン食べたから、揚げ物は今はそんなに食べられないよ。とりあえず一個もらうけどこれ何味かな?」
「食べて見たら? 多分そのへんはしょうゆ味が多いと思う」
「…ん、多分ガーリックだと思うけど、そんなにガーリックの主張は激しくないよ」
「まあお祭りの屋台のからあげだからね」
好き好きに意見を並べて中身のない会話をする時間でさえ、大切なひとときになったのはいつからだろう。
話し方も距離感も変わらないのに、背と声の高さは互いにもう重なることはない。
最後に互いの部屋に行ったのはいつだろうか。特に目的もなくどこかへ出かけて、話をするだけでよくなった。
これだけ長い付き合いなのに、遊園地だとか家に泊まりに行くだとか、一般的な長年の友達とこなしていそうなイベントには縁がない。
その大まかな理由は「驚く休日の予定が合わない」に尽きるのだが、それが解消されるのはいつになるだろうか。
「ねえ、雨が降ってきたよ」
「雨の予報なんて出てたっけ」
「通り雨じゃない?…ひとまず屋根のあるところに避難しよう」
彼女が駆けて行った先、そこは昔からこの商店街に立ち並ぶ呉服屋だった。
店内はひんやりとした空気で満ち、丁度祭りの時期ということもあってたくさんの浴衣が並んでいる。
「ついでと言ってはなんだけど、浴衣を見て行ってもいいかな。来年は着てみようかなって思ってるの」
「いいんじゃない? でも着付けできる人、周りにいたっけ?」
「私はできないけど、『着付けは任せて』って言ってくれる友達がいるから」
「頼もしいね」
店主らしき男性が奥から出てきて、「しばらく雨宿りしていきな」と外の様子を見て笑う。
しばらく店内の浴衣を思い思いの感想を投げ合って眺めた後、店主が彼女へ声をかける。
「あれ?お嬢さん、昨日浴衣を着ていなかったっけ?」
「ああ…昨日は友達のを借りて歩いたんです。昨日が初めて浴衣を着た日でして」
「もしかして、ルカの言ってた着付けのできる友達って」
「うん。昨日浴衣を貸してくれた友達だよ。一緒に祭りを見て回ったの」
成る程、道理で唐突に「浴衣を着てみたい」と言い出す訳だ。
店主が「今ならお手頃なものが多いよ」と店内の浴衣を勧めていたけれど、今は手持ちが少ないのと、もう少しいろいろ見てから決めたいと彼女が断った。
確かに一度着ているのならどんな柄が好みで自分に合うかイメージが湧きやすいだろう。
何より、今までなんだかんだとタイミングを逃していたらしく、買うにはいいきっかけになるだろう。
「これは神威くんに合うと思うよ」
「僕まで着る流れになってない?」
「二人で浴衣着て遊びに行くのもいいかなって。きっと楽しいよ」
「うーん、ちょっと財布や家の人と話し合ってから考えるよ。買うのと見るのは話が別だろう?」
「まあ確かにね。ちょっと残念だけど、気が向いたら教えてね。私が浴衣選んであげるから」
「そのまま全身コーディネートされそうだね」
「え、なんでわかったの?エスパー?」
「なんでって、ルカは昔からそういう性格じゃない」
他愛ないやり取りの間に雨は随分弱くなった。
店主に別れを告げて店外へ出ると、同じく雨宿りをやめた人々で通りは賑わっていた。
「これ本当に通り雨だったのかな」
「ちょっと止まって。一回調べてからにしよう」
スマートフォンを取りだして天気アプリ立ち上げ、雨雲レーダーを確認する。
最近は天気予報より、六時間先までの雨雲の様子がわかる雨雲レーダーのほうが正確な情報が掴める。
この地域付近の雨雲は、早ければ十分後にはまた上空へかかり出すらしい。
「今見てみたんだけど、雨が降ったり止んだりを繰り返しそうだよ」
「じゃあ今のうちに引き返す? 今のうちにバス停に行けば濡れずに済むと思うし」
「僕は構わないけど、ほかに見て回らなくてルカはいいの?」
「私は昨日友達と来てるし、何より毎年来てるからもう満足かな。別に夕方から何かイベントがあるわけでもないでしょ」
「今日はイベントはないはずだよ。じゃあ、帰ろうか」
一時間弱だけの夏祭りを終えて、帰りのバスに揺られる。
商店街を離れるにつれ、通りを歩く人影は少なくなる。
それはこの時期には何ら珍しくはない。
元々通勤・帰宅ラッシュ以外の時間帯に、この商店街に通行人は少ないのだ。
「ねえ、来年も一緒に行こうよ」
「僕が浴衣を着るかはわからないよ」
「まあそれは期待してないかな」
「言うと思った」
くすくすと笑いながら、話題は次の休日の予定へと移って行く。
その横顔は少しだけ大人になって。だけど優しい話し方と、僕に向けられる思いは変わらないままで。
彼女の語る未来には、当たり前のように僕がいる。
されどその関係性はきっと、僕が望むものとは違うのだろう。
バスを降り、歩いてすぐの喫茶店で僕らは話の続きをして宵を待つ。
この関係の変わる頃なんて、きっとどちらかが変わらない限り訪れない。
胸に秘めた思いを告げる日は来るのだろうか。
だけど無邪気な君の表情を崩したくなくて、その一言はコーヒーと一緒に喉の奥へと流し込んだ。
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