リンの抱えた問題を話し込んでいたせいで、この日は戯曲の話を進めることができなかった。リンは例によって散々恐縮していたが、原因の一端は俺にあったわけだし、それにリンが安定していないと作業どころじゃない。
さてと、どうしたもんかな……明日また部活休むか。とはいえ、リンの方の都合もあるよな。それを聞いてから決めよう。
リンを見送ってから帰宅する。家には姉貴がいた。マイコ先生はまだ寝込んでいるらしい。
「ただいま、姉貴。先生まだ具合悪いの?」
「ええ。でも昨日と比べてずいぶん良くなってはいるのよ。だから、来週には仕事に戻れるでしょうね。あ、そうそうレン。あんたの同級生の蜜音さんって子からメールもらったわ。チケットありがとうございましたって」
蜜音は早速メールしたらしい。
「ファンだとかで、すごく喜んでたよ。あれだけ喜んでもらえたらチケットも本望だろう」
「みたいね。私としてもちょっとほっとしたわ」
興味の無い奴に来られても、バンドも嬉しくないだろうしなあ。あ、そうだ。リンから聞いた話、姉貴にもしておこう。
「そうだ姉貴、お礼で思い出したけど、リンに今日、『ありがとう』って言われたよ。ハクさん、部屋から出てきてリンと話をしてくれたんだって」
俺がそう言うと、姉貴は真面目な顔になった。
「リンちゃん、どうだった? 喜んでた?」
う、うーん……参ったな……。姉貴がその辺りを気にするのは当然なんだが、この問題はかなりデリケートだ。全部話すのはさすがにまずい気がする。
「……ハクさんと話ができたことに関しては」
「何よその歯切れの悪い言い方」
案の定突っ込まれた。けどなあ。一番上のお姉さんのことは姉貴に話していいって、言われてないし。
「リンのところ、色々と大変みたいなんだよ」
「まあ、それはそうでしょうけどね……大変だからハクちゃん、引きこもってるわけだし」
姉貴はそう言って、うんうんと頷いた。引きこもってる理由とやらを教えてほしいが、話してはくれないだろうしなあ。訊くだけ無駄だ。
「……姉貴、一つ訊いていい?」
「何?」
「腹違いって、仲違いの理由になると思う?」
姉貴は、はあ? と言いたげな表情になった。……何もそんな顔しなくてもいいじゃないか。
「あんた、それ、リンちゃんから聞いたの?」
「……そうだけど」
「別にハクちゃん、そんなことを理由にリンちゃんを嫌ったりはしてないと思うけど」
……え?
「姉貴、ハクさんとリンは実の姉妹だよ。腹違いなのは一番上のお姉さん。今日リンからそう聞いた」
似てないからって勝手に腹違いにするなよ。
「え? だってハクちゃん、試合の応援に来た人は継母ですってはっきり言ってたわよ」
はあ? 何がどうなっているんだ。俺の前で姉貴も首を傾げている。
えーと、リンとハクさんが実の姉妹。リンとルカさんが腹違いの姉妹。リンを連れて試合の応援に来てた人がハクさんの継母ってことは……。
「……要するに、リンちゃんのお父さんが三回結婚してるのよ。そう考えれば辻褄があうわ。チャップリンの最後の奥さんのお父さんみたいに」
「なんでそこでチャップリンが出てくるんだよ」
つーかチャップリンだって四回結婚してんのに、なんで最後の奥さんのお父さんとかいう微妙なセレクトしてくるんだ。毎度のことながら、姉貴の考えることはよくわからん。
「他に手ごろなたとえが思いつかなかったのよ……身近で何度も結婚してる人っていないし……」
確かに俺も咄嗟に思い浮かばないが……。だからってチャップリンかよ。いやそれはどうでもいい。問題はリンのことだ。
「姉貴、なんでリンとハクさんが腹違いだって思ったの?」
「高校時代、試合に二人が応援に来てたって言ったでしょ? その時の雰囲気が――見たのは短い時間だけど――どう見ても親子だったから。ハクちゃんは複雑そうにしてたし、あの人は継母なんですって聞かされたもんだから、てっきりリンちゃんはあのお母さんの子供なんだと思っちゃったのよ」
そういや、前にクッキー焼いてきてくれた時「お母さんから教えてもらった」って言ってたよな。そのお母さんとリンは血が繋がってないのか。多分……リンにとっては、あんまり言いたくない事情なんだろうなあ。クッキーの焼き方教えてもらうぐらいだから、仲はいいんだろうが……。
「この前のクッキー……」
「ああ、あれ。美味しかったわね」
「リン、お母さんに作り方を教えてもらったって言ってたんだよね」
俺がそう言うと、姉貴はまた複雑そうな表情になった。片手で額を軽く叩いている。
「なんかさ……ちぐはぐな感じがするんだよな」
「それは私も思うけど……レン、あんまりリンちゃんの家の事情に首を突っ込まない方がいいわよ。こういうのは外の人間が口を挟むと、余計ややこしくなるから」
確かにリンの家庭のことは、俺が口を挟んでいい問題じゃない。……でも、苦しんでいるリンを放っておくのは嫌だ。
「姉貴、この前借りたCD、ほらあの『折れた翼』って曲が入ってる奴。あれ、リンに貸してあげてもいい?」
CDなら自分の部屋で聞けるだろう。あの曲を気に入ったみたいだから、貸してあげたら喜ぶかもしれない。姉貴のだから許可取っとかないと。
「別にいいわよ」
姉貴はあっさり承諾してくれた。ついでに『RENT』のサントラも貸すか。選択肢は多い方がいい。
翌日、俺は鞄に姉貴から貸してもらったCDと、『RENT』のサントラを入れて登校した。教室で、リンにそのCDを差し出す。
「良かったらこれ貸すよ。例の『折れた翼』の入ってるCDと、『RENT』のサントラ。たまにはクラシック以外を聞くのもいいと思うんだ」
リンはCDを前にして、例によってためらっている。俺は言葉を続けた。
「リンの部屋にもプレーヤーぐらいあるだろ?」
「それは……あるけど……」
「イヤフォンで聞けば、家の人にはわからないよ」
映像ならともかく、音楽だけなら何とかなるはずだ。それにしても、リンの家は戦時下か? ある意味戦時下だよなあ。
「嫌だってんなら無理強いはしないよ。だから借りるか借りないかは、自分の意思で決めてくれ」
どうするか決めるのはリンの権利だ。
「じゃ、じゃあ……貸してもらうね。ありがとう」
リンはしばらくの間悩んでいたが、やがて結論が出たようで、そう言ってCDを大事そうに受け取った。
あ、そうだ、こっちも渡しておかないと。俺は鞄から、印刷しておいた歌詞を取り出した。
「じゃあこれも渡しとくよ。印刷しといた歌詞。そのCD、輸入物だから歌詞カードついてなくって。歌詞があった方がわかりやすいと思うから」
リンは渡した歌詞カードをさっと見た。表情を見る限り、大丈夫そうだな。
「あ……うん、色々とありがとう」
リンはそう言って、歌詞を印刷した紙の束とCDを自分の鞄へとしまった。
「レン君、戯曲は今日はどうするの? 演劇部って、確か木曜は活動日よね?」
あ~そうだった。どうしたもんか……。
「リンの方は、今日の予定は?」
「わたしも今日は部活があるの」
リンも部活なのか。この前休ませちゃったしなあ。
「じゃあ、今日はお互い部活に出るということで。戯曲の話は明日以降ってことでどう?」
「わかったわ」
リンが頷いたので、この話はこれで決定ということになった。
放課後、部活でグミヤたちに衣装の話をすることができた。当たり前といえば当たり前だが反論はなく、マイコ先生に頼むことで話がまとまった。
「なんか申し訳ない気がするなあ。本当にいいのか?」
「向こうはいいって言ってる。ただ忙しい人だから、話は早めに通した方がいい。女性役の分だけだから……五枚か」
俺とグミヤがそう話している傍では、女の子たちが話をしている。みんな、プロのデザイナーってことに興奮しているようだ。
「レン、台本は?」
「今調整をかけているところ。ちょっとこっちも色々あって。とはいえ、今週中には終わらせられると思う」
「鏡音君、ちょっといい?」
二年女子の、雪歌ユフが声をかけてきた。
「なんだ?」
「そのデザイナーさんのお手伝いとか、わたしたちもやった方がいいんじゃないかしら。頼みっぱなしは何だか申し訳ない気がするわ」
「私もユフに賛成。高校生だから大した役には立てないだろうけど、雑用ぐらいならできると思う」
蜜音が雪歌の意見を後押しする。うーん……。
「向こうに訊いてみないとわからないな。姉貴に話をしておくよ。……あ、そうだ。蜜音、俺を通すより、姉貴と直接話をした方がよくないか? 間に色々挟まると話がズレていくし」
蜜音はしばらく考えていたが、やがて頷いた。
「仕事は分散した方がいいわね。躍音君、衣装に関しては私がまとめるってことでいい?」
「あ~、俺も分散した方がいいと思う。じゃ、蜜音、衣装に関してはお前が責任持つってことで」
「わかったわ」
じゃあ帰ったら姉貴に話して、今後は蜜音と直接連絡取ってもらおう。
「あ、そうそう。言ってなかったけど蜜音に雪歌、そのデザイナーさん、トランスヴェスタイトだから」
あらかじめ言っておかないと。本人に会った時にトラブルになったら大変だ。俺の言葉を聞いた二人は、顔を見合わせている。
「ああ、そうなんだ」
「やっぱり多いのかな? その手の人」
あれ、二人とも全然驚いてないぞ。まあいいか、これなら無用なトラブルは避けられそうだ。
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