2008.12.14 16:48

「……雪」
とうとう降ったか、と、私は暗くなり始めた空を見つめる。
何か用事があったわけではないのだけれど、ただ何となく、外に出てみたかった。それだけの理由で人通りの多い大通りを歩くのはいささか馬鹿らしいだろうか。
私は人混みがあまり好きでは無い。流れる人々に、くらくらする。耳を掠める話し声に、怯える。
小さな人間だ。
人が怖いと思ったのは中学生の頃だったろうか。友人に裏切られた時に、人に心を開くのはなんて残酷な行為なんだろうと思った。
裏切られた、と言ったら少し大袈裟な、たいしたこともないことだったのかもしれない。でも私にとっては、とても重大なことだったのだ。
裏切られたくない、失望されたくない、傷つきたくない、そう思ったら、人と関わるのが疎遠になってしまうのも必然だ。
これで自分が守れると思ったのに、心は痛むばかりだ。こんなジレンマ要らないのに。
私は雪が降りていくのを感じながら、流れてゆく人々を頑なに拒絶した。
何故止まらないのだろう。
みんな何処へ向かっていくのだろう。
私は何処へ行きたいのだろう。
こんなところへ、来るのではなかった。
私は手袋をはめた両手を握って、立ち止まった。
ちょうど交差点にさしかかるところだった。私は引き返そうと踵を返した。そこで一少年に目が止まってしまったのは、偶然なのか、必然なのか。
彼が立ち止まっていた所以である。
流れる人が、私と彼をおいて消える。また流れて、遠くへ行ってしまう。その空間の中で、彼と私は確かに同じ時間を共有している様に思えた。
彼の表情は窺えない。俯いていたからだ。しかしこの真冬には寒すぎるだろう、と彼の服装が目から離れない。半ズボンに、シャドーストライプの薄汚れたブラウスを纏うのみなのだ!! あり得ない……親は何処だ? なんて格好をさせているのだ、このままじゃ凍え死ぬだろう……そんな偽善じみた感情が、私を彼の元へ向かわせた。
「君、親は?」
近づいて、彼と目線を揃えるために、しゃがんだ。近付いて見ると、案外幼い様な気がした。遠目から見れば12、3かと思えたが、近くで見れば10歳になっているのかも怪しい程、華奢な体だった。
少年は何も言わない。
「寒くないの、」
私は先ほどの彼の返答を待たずに次の質問をする。
彼はしばらく黙り込んで、静かに首を横に振った。
「名前は?」
彼は首を横に振る。
「なぜここにいるの」
少年は首を横に振る。
「なにしにきたの」
少年は首を横に振る。
「いつからいるの」
少年は首を横に振る。
「友達と来たの」
少年は首を横に振る。
「じゃあ親と?」
少年は首を横に振る。
「親はいるの?」
少年は止まった。
私は彼の手を取った。冷たい。氷のようだった。
「君は一人なの?」
少年は頷いた。
私は氷のように冷たい彼の手に、私の手袋をはめさせて、マフラーを首に
巻いてやり、彼の手を引いた。
私は自分でも何をしたいのか分からなかったけど、彼を此処にいさせてはいけないと思った。だから手を引いている。
私はきっと、彼を家に連れて行くのだろう。
「おいで。」
そう一言呟いて、私は彼と共に、流れる人に抗いながら歩いた。


2008.12.14 18:08

彼は話せないらしい。家に連れてきてから、何も話さない。
ただ、私の質問には、答えた。一方通行のコミュニケーションというわけではないから、私は安堵する。
風呂に入れてから、お下がりの服を着せた。
私の家という空間に、私以外の生物がいるのを、私は不可思議に思った。自分が連れてきたのにな、と思ったら、笑ってしまった。彼に見られた。
私はこほん、と一つ咳払いをして、部屋の隅で蹲っている彼の前に座った。
彼に表情は無いように思えた。少し長い髪が顔に掛かるのを邪魔そうにもしないし、此処へ連れてこられたことに怯えたりもしないし、私が彼に触れても反応もしない。
彼は一体何者なのだ? 私より世界を頑なに拒絶する、彼は一体何者なのだ。
「暖かくなったでしょ」
私は彼の隣に移動して、問うた。
彼は頷く。
私は彼の顔を覗き込む。光のない機械のような目をして、彼は無を保っていた。私は彼に向かって微笑んで、手を取る。冷たい。あれ、暖かくないのかな、そう思って頬に触れた。冷たい。……あれ?
私は彼という謎の人物に、とうとう興味を持った。
人間嫌いの私が、何故か彼を嫌いにはなれない。
「きみ、なにか、得意なことはある?」
私は彼の機械の目を見て問う。彼は首を横に振る。
「じゃあ、いろんなことをしようよ」
私の目を見続ける。焦点は合ってるんだよなあ。
「君の好きなことを探そう」
私は彼の顔に掛かっている髪をかき上げて耳にかけた。
「君を捜そう」
何でこんなに私が楽しいと感じるのだろう。少年は未だに無表情だったが、彼が私を不思議そうに見つめたのを、見逃さなかった!……私の思い違いかもしれないけれど……。
取りあえず、と、私は彼の冷たい手にペンを掴ませて、紙を手に取った……――



2009.01.12 05:00

少年が音楽に興味が在ることが判明したのは、つい先日のことだ。
彼が台所で家事をしていた時に歌った鼻歌に反応したときは(確かあのとき歌っていたのは……言うにも恥ずかしい)、喜びを隠せなかった。
その時だけ、彼の機械の目が、煌めいた様な気がした。
私は家事を放り投げて、少年を電子ピアノの前に座らせた。
姉の電子ピアノだ。半年前に彼女が、もう弾かないから、と言って捨てようとしたのを、私が譲り受けた。電子ピアノが私を見つめて「嫌だ」と言った気がしたからだ。杞憂ではないと思う。だって、確かにその時、聞き慣れた旋律を紡いで悲しんでいるように思えたから。
私はピアノを弾けないけれど、この電子ピアノが家へ来てから、少しずつ少しづつ練習を重ねていた。
そんな電子ピアノの前に、彼を座らせる。
見本、と称して、簡単な曲を弾く。彼は目を輝かせた……気がした。弾いてごらん? 少年に言うと、彼は冷たい手の指の中から小指を選択して、白鍵に乗せた。鳴った音に、少年は感動している……と思いたい。
その時から、彼の居場所は、電子ピアノの隣となった。夜は流石に近所迷惑だからやめなさい、といっても、彼は私の目を盗み、無表情で電子ピアノを鳴らした。私は仕方なく、彼にヘッドホンを与えて、暗くなったらこれを付けて弾きなさい、と言った。
彼は今でも、電子ピアノを飽きずに鳴らしている。

今朝私が起きたとき、少年は既に電子ピアノを鳴らしていた。
私は彼に気付かれないように(彼が気付いたのか気がつかないのかは反応が無いので私には分からないけど)彼の姿を見た。
使う指は、未だ小指だけである……。

私は、ふと、彼に電子ピアノを弾かせよう。と思い立った。
「ほら、」
私は電子ピアノを鳴らしている、彼の目の前に一冊の本を手渡した。姉がピアノ練習に使っていた楽譜だ。
「これがド、これがレ、これがシャープ、半音上がると、黒」
私は一つ一つ、彼に楽譜の見方と音を教えた。彼は反応も表情も無いから、のれんに腕押ししている様な違和感に苛まれたが、根気よく教え込んだ。

少年は、なかなかに器用なヤツだと判明する。
数時間放置していたら、彼はもう電子ピアノを弾いている。
私にその事実は衝撃的だった。熱心に彼がピアノを弾いているのを見て、彼は楽譜とピアノと格闘し続けたことを悟る。
彼は無では無かった。
彼の隣に座って、彼の電子ピアノを弾くのを見た。
「凄い」
私は彼に言った。
「上手だね、これ、好き?」
彼は私を見て、頷く。
「あげる。」
電子ピアノを指さして、いった。
「君にあげるよ。」
もう一度言って、彼を見る。私は、目を疑った。
彼が口端を上げてえくぼを作り、目を細めたのを、私は目に焼き付けた。


 

つづく

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

「Breath of mechanical」書いてみた1

ジミーサムPさんの「Breath of mechanical」を書かせていただいた。聞いた瞬間感動して、なんかもう感動した。俺なんかが「Breath of mechanical」を書いてサーセンでもホント感動した。感動して泣いた。自己解釈も結構あるけど、歌詞をなぞらせてもらいました。初音ミクオリジナル曲 「Breath of mechanical」http://www.nicovideo.jp/watch/sm15938520
続きあるので見てくれると嬉しいな

閲覧数:247

投稿日:2011/11/05 17:23:57

文字数:3,249文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました