夜、わたしは自室で、レン君が貸してくれた『歌う船』というSF小説を読んだ。身体に重度の障害があるけれど通常の知性を持って生まれた赤ん坊は、すぐに金属の殻に入れられて、神経シナプスをコンピューターと接続されて、一種の人間コンピューターみたいな状態で生きられる世界の話だ。この作品では、そう言う状態で生きている人間のことを殻人――シェルパーソン――と呼ぶ。主人公のヘルヴァはこの殻人で、子供時代が終わると宇宙船に組み込まれて、宇宙船が彼女の身体となる。
 ヘルヴァには通常の人間のような身体が無い。いえ、あるといえばあるのだけれど、金属の殻の中で栄養液に漬かり、動くことはおろか、感じることもできないのだから、無いと言っても間違いではないはずだ。でも、ヘルヴァは自分のパートナーとなった男性と恋をする。それが何なのか、最初のうちはわかっていなくても。触れ合うことはできなくても、その感情は確かにそこにある。暖かくて優しくて、同時に激しくもある。……そしてヘルヴァは恋した相手を失って、いっそ死んでしまいたいとすら思う。どちらもそれまで、全く縁のない感情だったはずなのに。
 ……恋って、何なんだろう。ずっと一緒にいたいって思うこと? 相手が死んでしまったら、自分も死んでしまいたいって思うこと? この話の中には、『ロミオとジュリエット』を上演するシーンがある。ジュリエットはロミオを失ったと思って、絶望して胸を突いた。劇を上演する役者たちは、二人の間に流れる熱情を表現しようと苦心する。そして、ロミオを演じる男性がジュリエットを、自分に恋する女性に演じてもらった時、その場には不思議な説得力が満ちる。真実と虚構が入り混じって。ううん、もしかしたら、その二つは、この二人にとってはもう区別のつかないものかもしれない。そして、未来を求めて、二人は自分たちの身体を捨てる。
 そこまで、できてしまうんだ。もちろん、これは作られたお話にすぎないけれど……。
 この話の中には、もう一つわたしの気になる設定があった。ヘルヴァと音楽との関わりだ。だからレン君は、わたしにこの本を貸してくれたんだろう。ヘルヴァは「歌う」船なのだ。
 金属の殻の中に入っているヘルヴァは、通常の人間のような発声はできない。けれど周りの人間と意志の疎通をするために、コンピューター合成された音声を与えられている。それはあくまで話をするためのものだったけれど、ヘルヴァはそれを使いこなして歌を歌う術を習得する。生まれながらの声がないから、ヘルヴァはソプラノからバスまで、ありとあらゆる音階で歌えるようになるのだ。疲れを知らないから、一人でオペラを歌いこなしてしまうことだってできてしまう。
 わたしからするとちょっと……いえ、かなり不思議に感じてしまうけれど、誰もヘルヴァに「それはできない」なんて言わなかった。だからヘルヴァは一人で努力を続けて、「歌う」ことを習得した。その歌で、パートナーを救ったこともある。その時は、かつてのヘルヴァと同じように、恋した相手を失って、狂ってしまった殻人が出てきた。
 何なのかな……恋って。グミちゃんは、恋はハートでするものだって言った。ヘルヴァは、最初の相手と恋をした時は、相手が自分の方を見てくれたのがきっかけだった。二度目の恋の時は、相手がひねくれた態度ながらも、ずっと気遣い続けてくれたことで、感情が少しずつ変わって行った。
 やっぱり……よくわからない。でも、わからないって思うと同時に、胸の奥が淋しくて痛くなる。泣きたいような、そんな妙な気持ち。泣くようなことなんてないはずなのに。
 なんだか、自分で自分の気持ちすら、よくわからなくなってきた。どうしてなのかな。


 クリスマスが近づいてきた。もちろんその前に期末テストがあって、成績を下げるわけにはいかないから、わたしは今までと同じように勉強した。下がったら、クリスマスイヴにミクちゃんの家に行かせてもらえなくなってしまう。
 期末テストが終わると、わたしはテスト休みを利用して、ミクちゃんへのクリスマスプレゼントを買いに出かけた。ミクちゃんにあげるんだから、やっぱり可愛いものよね。幾つかお店を見て回って、わたしは結局、サテンのリボンを使った華やかなシュシュを選んだ。少しデザインの違うものを、二つずつ。きっとミクちゃんに似合うわよね、これなら。
 ケーキはどんなのにしようか迷ったけど、エンジェルケーキを焼くことにした。卵の白身だけを使って作る、真っ白いケーキだ。これにやっぱり真っ白な生クリームでデコレーションをする。どこもかしこも白いから「天使」のケーキ。
 そういうわけで、わたしは二十三日、キッチンを借りてエンジェルケーキを焼いた。デコレーションは、明日早起きしてやればいい。
 わたしがケーキが焼きあがるのを待っていると、お母さんがキッチンにやってきた。
「リン、ケーキはどう?」
「今焼いているところ」
 お母さんは、オーブンの中を覗き込んだ。
「この膨らみ具合なら大丈夫よ。綺麗に焼けるわ」
 お母さんにそう言ってもらうと、やっぱり安心する。
「余った黄身は?」
「ラップをかけて、冷蔵庫の中に入ってるわ」
 お母さん、多分この後でマヨネーズを作るんだろうな。黄身がたくさん余った時は、いつもそうしているから。イヴのディナーのつけあわせは、これを使ったサラダになるだろう。
 ……また少し、胸が苦しくなった。お父さん、今年のクリスマスは家にいるのかな。親不孝な考えなのはわかってるけど、わたしは、お父さんと一緒に食事をしたくない。だって、気が詰まるんだもの。
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもない」
 言えない……お父さんと一緒に食事するのが嫌だなんて。わたしは暗い気持ちを胸の奥に押し込んで、オーブンに視線を向けた。ケーキが焼きあがるまで、後ちょっとだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第五十二話【どのような悲しみが来ようと】

『歌う船』を書いたアン・マキャフリーは、昨年の十一月にお亡くなりになりました。
 私にとっては、大きな影響を受けた作家さんの一人でした。謹んでご冥福をお祈りします。

 なお、ミクが話してないので、リンはレンが来ることを例によって知りません。信頼してる人の言うことは基本的に疑わない子なんです。

閲覧数:868

投稿日:2012/02/09 19:31:50

文字数:2,425文字

カテゴリ:小説

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    こんにちわ!はじめまして!

    今日以前から気になっていた皐月さんの作品(ロミオとシンデレラ)を一話から読みました!

    とても初々しくて、考えさせられて、見てて飽きない作品でした
    大好きになりました!

    これからも拝見させていただくと思いますがどうかよろしくお願いしますm(._.)m

    2012/02/21 18:30:41

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