「ごめんなさい……」
……これはどういうわけだろうか。
目の前で言葉を濁す彼を前に、俺はこれまでの事を順に思い返してみる。
今日は夜勤明けで非番だった故に、朝方帰宅してシャワーを浴びて、それからすぐに寝て、目が覚めたのは夕方。少し寝過ぎたが、まだ普段通りの範囲内だ、問題ない。
小腹がすいたので何か軽いもんでも食うかと思って台所を目指したのも、毎度のことだ。その途中でカイトとめーちゃんを見かけるのも、同じ家で暮らしているのだから、不思議な事ではない。
「で……なんでお前がここにいるんだ……?」
「……ごめんなさい」
彼は蚊の鳴くような声で謝罪を繰り返して、膝を抱えた状態からさらに縮こまる。
いやはや本当に――何故、我が家に帯人がいるのだろうか。
―Naked―
前編
空腹ではあるものの、我慢できないほどではなかったので、飯は後回しにして、カイトの隣、帯人の前にしゃがみ込む。
「あー……どうかしたのか?」
先ほどの言動から考えると、俺たちに特別用があったわけでもないようだ。
彼が俺たちと知り合ってすぐ、まだ自傷癖の酷かった頃は、美憂の出勤中によく訪ねてきたとは聞いていたが、それなのだろうか。俺が居合わせるのは初めてだが。
そう思って問いかけたものの、帯人は黙り込んだまま、膝を抱えた腕に顔を伏せる。まるで小さな子供だ。
「ずっとこうなんですよ……私やカイトが聞いても、何も教えてくれなくて」
困り果てた、というような表情でめーちゃんが呟く。
ふむ。めーちゃんには悪いが、カイトに話さないならば、俺に話すかも怪しいところだ。マスターである美憂を除くと、彼がもっとも気を許しているのはカイトなのだから。
俺が信用されていないわけではないだろうが、やはり同じVOCALOID同士(それもカイトとはKAITO同士だ)、安心できるらしい。
さてどうしたものかと考え、何気なく視線をずらして、呼吸が止まるかと思った。
「帯人お前、これ……!」
包帯がぐるぐると何重にも巻かれた左腕、それを半ば無理やり掴んで持ち上げる。
手首に、じんわりと赤色が滲んでいた。
「カイトが巻いたのか?」
「いや、これはめーちゃんが……でも、こうなった理由もだんまりで」
流石に、傷口を見る気にはならないが、疑似血液の染みを凝視する。話には聞いていたが、彼のこんな一面を直接見たことはなかった。今はすっかり落ち着いたと美憂から聞いていたものだから、当惑と疑問しか浮かんでこない。
帯人自身は体をかたくしているだけで、身じろぎしないのが不安を煽った。
「おい、帯……」
「ごめんなさい……」
三度、耳に届いた謝罪の声は、微かに震えていて。
口から出かけた追求を、止めざるを得なかった。
「……何か、あったんだな?」
なるべく穏やかな調子で声をかけると、ひゅ、と息を吸い込むのが聞こえた。
「わかったよ、もう聞かない。美憂にも言わない。話したくなった時に話してくれればいい」
ぽん、と伏せられたままの彼の頭に手を置いてやる。返事はなかったが、小さく頷いた感覚が伝わってきて、溜め息を吐きそうになるのを堪えた。
今の彼の状態には、少なからず美憂が絡んでいるのだろう。一度彼女から離れて考える時間が必要と感じた。
「……そういや、他のみんなは?」
「帯人がこんな調子ですし、マスターもお休みでしたし、ちょっと出かけてくるって言ってました」
「多分、藤原さんのところか、アキラさんのところか……五十嵐さんは最近忙しいって聞きましたけど」
なるほど。それでやたら静かだったのか。帯人に関しては、傍で何か言ってやってもいいだろうと思わなくもなかったが、俺が惰眠を貪っていた以上、下手に騒ぎ立てられなかったのだろう。
それに、彼がこの調子では、何か言っても逆効果のような気さえしてくる。
ちなみに、藤原さんというのはうちの会社の係長だ。俺の直接の上司にあたる。
職場では上司と部下だが、彼ががくぽ……がくっぽいどを購入、インストールする際にミクたちを手伝いに行かせて以来、互いによく相談するようになった。
閑話休題。
「……よし」
しばらく考えた末、1つ呟いて立ち上がる。
「めーちゃん、ちょっと付き合え」
「はい?」
「カイトはここにいてくれ。ミクたちが帰ってくるかもしれないしな」
「あの、マスター?」
暗に帯人の傍についていてやれと言ったつもりなのだが、言い出したのが唐突すぎたか、2人からは困惑が返ってくる。
そういえば、命令形でものを言うことは避けていたな。驚かせてしまったか。これは悪いことをした。
まあ、だからといってその命令を撤回する気はないのだが。
「たぶん、30分ちょっとで戻る。1時間はかからないと思うから、留守は任せたぞ」
「……あの、よく意味がわかりませんが」
「じきにわかる」
短く返すと、2人は未だに腑に落ちない様子ではあるものの、素直に頷いた。
それを確認してから、簡単に身支度をして(とは言っても、着替えて財布と鍵を持つくらいだが)、めーちゃんを連れて外へ出た。
「マスター、何をするつもりなんですか」
疑問、というより呆れを含んだ問いに、俺は少し笑って答えてやる。
「昔、めーちゃんにしたこと」
余計に困ったような顔をして首を傾げた彼女に、すぐわかると、先ほどカイトに言った言葉を繰り返した。
※
自宅に戻ると、なにやらぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。出かけていた3人が帰ってきたらしい。
「ただいまー」
「おかえりなさい!」
「ぱたぱた」が一瞬止まり、玄関に向かってくる。少し低い位置の金髪を代わる代わる撫でてやりつつ、声を潜める。
「あいつはどうしてる?」
「昼間よりは落ち着いてきてたけど……まだ帰りたくないみたい」
「何も言わないけど、絶対そうだぞ、あれ」
今はカイ兄とミク姉の手伝いしてる、という双子の言葉に、そうかと相槌だけ返す。
「マスター、やっぱりやるんですか?」
「おう」
「……大丈夫だったんですか? その……」
「……何とかする。悪かったな、付き合わせて」
「いえ、私の事は気にしないで下さい」
全く平気と言えば嘘になるが、家の中で済ませるだけマシだ。
めーちゃんの手からもう1つ紙袋を受け取って、リンとレンも連れてリビングに向かう。
「あ、マスター、おかえりなさい」
「おう、ただいま」
邪魔にならないように、一度袋を部屋の隅に固めて置いて、夕飯当番2人に目を向ける。
普段は1人で回している当番だが(ちなみに今日はミクだった)、カイトが手伝いに入ったらしい。もっとも、帯人の気分転換のために2人して加わったのだろうが……。
その帯人はというと、隣でざくざくキャベツを千切りにしている。以前、美憂が「自分より料理が上手い」とぶすくれていたが、なるほど、たかが千切りだが確かにかなり手際がいい。
しかしだ。
「……お前ら、狭くないか?」
「そりゃあ、まあ……」
それほど広くない台所に3人が集まって作業をしているのだ、行き来をするのも一苦労に見える。
「狭くないとは言えませんが……突然押しかけてしまったのはこちらですから、これくらいは」
まだ少し疲れたというか、やつれたというか、そんな雰囲気を残してはいるものの、にこりと笑ってみせた帯人に、内心で少しだけ安堵する。
本当は安心していいほど立ち直ってなどいないのだろう。が、取り繕う余裕すらなかった先ほどの様子を考えると、幾分かましだ。
「まあ、確かあいつ今日はバンドの練習があるとか言ってたしな……せっかくだから夕飯食っていけよ」
「え、いや、そこまでお世話になるわけには」
「いいからいいから」
彼が押しに弱いのはわかっている。それに今は……彼を1人にしない方がいいだろう。
正直、包丁を持たせている今の状況が少し危なっかしいというか、怖い。
「よし、決まりな。じゃあ俺、練習部屋にいるから」
「はーい」
気の抜けた返事を聞いてから、宣言通り練習部屋へ向かう。
扉を閉めてから、俺はこれからの事に考えを巡らせた。
帯人はああ言ったものの、家に戻りたくないという気持ちを隠し切れていない。むしろ、帰りたくない故に、かえって俺たちに迷惑をかけてしまっている意識が否めないのだろう。
彼は美憂に似て、何かと自分で考えるクセがある上、前から俺たちにはやたら気を使う。話したくなった時に話してくれればいいとは言ったものの、仮に、以前色々溜め込みすぎた結果が自傷なら……なおのこと、このまま帰すわけにはいかない。
今1人にするわけにはいかないのはもちろんの事、もし帰してしまったら、俺たちには、下手をすれば誰にも何も言ってくれなくなるだろう。
つまり、ただ帰宅を先延ばしにするだけの時間稼ぎも意味がない。
「って……ああいう手しか思い付かない俺も俺だよなあ」
少しだけ笑って、俺はパソコンを立ち上げた。
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