俺は今、とても貴重なものを見ている、気がする。
そんな事を言っていられる状況でないだろうが、不覚にもそう思ってしまった。


―Naked―
後編


事は今から数分前、各自1~2缶空けた時間までさかのぼる。
とはいえ、それほど大掛かりな事を起こしてもいないし、起きたわけでもない。

「それにしても、随分買ってきましたね……」
「そうか? でも貰い物とか、元からあったやつもあるから、たいしたことないぞ。あとはめーちゃんの趣味がほとんどだし」

めーちゃんは日本酒が好きだから、そちらはよく買ってくる。が、たまに俺に合わせてカクテルを作って飲んだりもしているので、洋酒も何種類かある。たまに、なのでなかなか減らず、常備されているような状態なのだ。
それらを全部引っ張り出してきたのは、今回くらいしかないのではないだろうか。実際、今日買い込んできたものはめーちゃんの酒と、それ以外のほとんどは手持ちの酒を割るトニックウォーターやらジュースやらだ。

「そんなわけだから、気にすんなよ。ちょっと買うのが早くなったようなものだから」
「……いいんですか?」
「悪いならそもそも出してこないわよ」

からからと笑っためーちゃんに、帯人はおずおずと手近な瓶に手を伸ばした。
グラスの中に氷を数個落としてから、少しだけ考える素振りを見せて、瓶の蓋を開けてグラスに注ぎ、続いて烏龍茶でリキュールを割る。
レゲエパンチ。以前、美憂の家で飲んだときに教わっていた――ちゃんと教わっていたわけではなかったのだが――カクテルだ。
酒の量が多めなのが気になるが、以前より慣れた手付きだったので何も言わないことにしておく。

「帯人、そんなことできたんだ」
「ええ、まあ……」

この中で最も酒の知識に乏しいであろうカイトは、驚いたような感心したような顔をしていたが、直後、いっそ思い切りよくグラスをあおった帯人にぎょっとする。

「ちょ、そんなペース上げて大丈夫なの?!」
「はふー……どうでしょうね」
「どうでしょうじゃなくてだな……!」

コン、とグラスの底がテーブルを打つが、その音も普段の彼を思うとやや乱暴だ。
レゲエパンチはアルコール度数が低めのカクテルだという、が、飲むペースを考えなければあっという間に回るのはどの酒でも同じだ。そもそも彼は酒を多めに混ぜていたはずだ。いくら帯人が酒に強いとはいえ、酔わないわけではないというのに。
それとも、彼にそこまでさせるような事があったのだろうか。それほどの事があって、ここに逃げ込んできたのだろうか。

「た、帯人、しんどくなったらお茶あるから、ね?」
「大丈夫ですよ先輩。お気遣いありがとうございます」

おろおろしだしたカイトを笑顔でかわして、こちらが口を挟む暇も与えずに、帯人はまたグラスを傾ける。

「……お前、それそんな気に入ってたのか」
「マスター!」

我ながら的外れな問いだったな。口に出してから思ったが、すぐさま2人分の声が飛んできた。同じ事を考えていたらしい。
しかし帯人は気にしていないようで、僅かに肩を揺らしてくすりと笑った。

「結構好きですよ。あれからお酒の飲み方も勉強して、何回かうちで混ぜて飲んだりしましたけど、ついこれを作っちゃって」

可笑しそうに目を細めて、帯人は楽しそうに言葉を続けた。

「腕前はまだまだですけど、練習して少しは上手くなったんですよ? たまに美憂さんが横から取って飲んじゃったりするん、ですけど……笑って、美味しいって、言ってくれて、それで……」

美憂の名前が出てから、急に帯人が口ごもる。明るめだった表情も徐々にかげり、しまいにはうつむいてしまった。
そういえば今日、彼の口から彼女の名前が出たのは、これが初めてだ。

「……たい、」
「美憂さん、が、」

黙り込んでしまった帯人にめーちゃんが声をかけたが、それを遮るように声が発せられる。

「この間、こんな風に一緒にお酒飲んでたら、相談したいことがあるって、それで……」

ぽつぽつと言葉を並べていく声が、だんだん震えていく。ひくり、小さく喉が鳴って、少し驚いた。
とても貴重なものを見ている気がする、場違いながらそう思ってしまった。

「自分って、そんなに、魅力ないかなあって……なにが、いけないのかなあ、って……!」

きゅ、とグラスを握る手にぽたりと水滴が落ちた。彼の肩が、先ほど笑ったのとはまた違う震え方をしている。

「……つらかったな」

同情なんて余計だろうとは思いつつも、ぼろぼろ泣き続ける彼に黙っていられなかった。
が、いやいやをするように首を振って、帯人は嗚咽を漏らした。

「いいんです、僕がふられるのはいいんです。そうなるって、なんとなくわかってましたし、美憂さんは、あの人が好き、なんだろうなってことも、わかってましたから」

でも。
一度言葉を切って、唇を噛みしめる。だがその直後、一気に言葉が溢れ出した。

「わかってたのに、前からわかっていたのに……! あの人に勝てないって思いたくなくて、僕ならもっとちゃんと、美憂さんの事、見てあげられるのに、あんな泣かせたりなんかしないのに、なんで、あのひと……考えれば考えるほど悔しくて……!」

ごたまぜになった感情が、整理されないまま吐き出されていく。顔を上げようとはしないが、なんとなく、その表情は想像がついた。

「悔しくて、悔しいから、いつかしらないうちに、あの人を殺してしまいそうで、怖い……! あの人は好きじゃない、でも、こんなことだけで、これだけの事で嫌いになりたくない、憎みたくない、あのときみたいなことは嫌だ、嫌……!」

大好きな人をかっさらわれた、そんな、本人の性質に関わらない理由だけで、誰かを嫌いたくない。

「僕はニンゲンじゃないから仕方ないんだって、思おうとしたけど、どうしても……!」
「帯人」

泣きじゃくる帯人の名前を呼んで、隣に座っていためーちゃんがそっと頭を撫でる。

「優しいのね、帯人」
「そ、んなこと、ないです……」
「優しいわよ。私だって、カイトが浮気したら、相手を嫌いにならない自信なんてない……カイト、そんな顔しないで、例えばの話じゃない」

浮気、の単語にショックを受けたような顔をしたカイトを、呆れたように宥めて、めーちゃんは軽く息を吐いた。

「……お前、美憂のことは好きなんだろ」

なるべくキツい語調にならないように気を付けながら口にすると、彼はぱっと顔を上げた。右の頬が濡れていなくて、ああ、涙腺まで壊れてしまっているのか、と、少し胸がちくりとした。

「あたりまえです。美憂さんは僕をそばにおいてくれました、優しくしてくれました、嫌いになんてなれない」
「そうだろ? ……それだけ好きな人を取られたら、めーちゃんの言うとおり、悔しくて憎くて当たり前だ」
「でも……!」
「だから、今は悔しくていい、悲しくていい。相手を殺したいほど憎んだっていい。そのことに自信を持っていいんだ」

それだけ、あいつが好きだったんだからさ。
そう言った俺は、笑っていたと思う。

「そのうち、ゆっくり少しずつ、許していけるようになるはずだから。だから今は、気持ちを我慢しなくていい」

我慢なんかしたら、その分辛くなるだけだ。いつまでも慣れることができずに、ずるずる引きずる。

「こんな言い方もどうかとは思うけど……一回思い切り吐いちまえよ、少しは楽になる」
「……ぅ、」

あああああああ。
小さな呻きに続いたのは、慟哭。めーちゃんが優しく頭を撫でてやると、帯人は縋るように彼女にしがみついて、尚もわんわん泣いた。
彼がこんな幼子のような泣き方をするのは初めて見たが、構わないと思う。泣いてもいいときは、思い切り泣いた方がいい。泣くことができないよりは、その方が、ずっといい。
ちらりとカイトを見やると、やや複雑そうではあるものの、黙って2人を見つめていた。



しばらくの間泣きに泣いて疲れたのだろうか。やがて帯人はめーちゃんにしがみついたまま、眠ってしまった。

「お疲れ様、めーちゃん、カイト」
「マスターこそ」

帯人を起こさないように小声で会話する。お疲れ様、とは言ったが、2人に疲れた様子はない。

「しかし……しんどいな、こういうのは」

帯人が美憂を好いているのは、前から知っていた。それがどれほどの想いだったか、俺には推測しかできないが、簡単に切って捨てられるものではないのは確かだ。
その上、相手は自分のマスター……自分の世界に等しいほど大きい人で。それなのに諦めなければいけないことの、どれほどつらいことか。

「……さて、そろそろか」
「そろそろって……何が、」

ピンポーン。
カイトの声を遮るように、来客を告げる呼び鈴が鳴る。
このパターンは少しばかり予想外だが、相手の予想はついている。待たせるのも悪いので、すぐに玄関に向かって鍵を開けると、果たして、予想した通りの人物が立っていた。

「悠! 帯人知らない?!」
「……お前、メール見なかったのか……」
「いや見たけど! ちょっと遅くなるってうちに電話したら出ないし、心配になって帰ったらこんなメモがあるし!」

ずい、と突きつけられたメモには、機械的なまでに綺麗な字で『探さないで下さい』の文字。おいおい、なんつー書き置きしてるんだあいつ。せめて『そのうち戻る』とか付け加えろよ。
内心で呆れながら美憂に目を戻す。今にも泣き出しそうな顔の彼女に、俺はあからさまな溜息を吐いた。

「言っとくが、俺はちょっと怒ってるぞ」
「は?!」
「詳しい事は本人に訊け」

元はといえば、美憂がこうなるまで何も気付かないのが悪い。責め立てるつもりこそないが、もう少し彼の事を見てやれただろうとは思う。
家の中を示した俺に、美憂は一瞬ぽかんとしたが、すぐに靴を脱ぐのももどかしく、室内へと駆け込んだ。
俺も後を追ってリビングに戻ると、帯人の寝顔を見て気が抜けたのか、彼女はめーちゃんの前で床にへたり込んだ。

「よかったぁ……!」

こいつも泣くんじゃないか、とも思ったが、美憂はただ、めーちゃんから帯人を受け渡されると、彼を抱きしめるだけにとどまった。
それを見て少しだけ、胸がすっとした。これだけ大事に思われているのだ、きっと彼らなら、ちゃんと話し合えば大丈夫。

「ごめん悠、迷惑かけて」
「別に迷惑じゃない。家族みたいなもんだろ」
「そうですよ。帯人も、私たちの弟のようなものですから」

俺の言葉に、めーちゃんが微笑して告げる。それを聞いて、美憂が消え入りそうな声でありがとうと口にした。

「ほら、早いとこ帰れよ。もう遅い」
「え、でも、話があるって」
「言っただろ、帯人に訊け。……ちゃんと聞いてやれよ」

流石の美憂も、何かあったのだと感じたらしい。それ以上は何も言わずに、帯人を半ば引きずるようにして玄関へ戻った。

「あ、なんだ、靴あったんだ。気が付かなかった」
「慌てすぎなんだよ、お前は。気を付けて帰れよ」
「うん。……ありがと、ね」

いいから帰れと手で示すと、美憂は苦笑して、路駐してある車に歩いていった。カイトがその後からいそいそと手伝いに出て行く。

「……いろいろ、やりたい事ができたな」

誰に言うでもなく、呟いた。
帯人の言う"あの人"。俺の大事な身内をあれだけ泣かせて、こじらせて、つらい思いをさせた男。
だてに20年以上(というか30年近い)彼女と従姉弟をやっていない。"あの人"が誰か、大体想像はつく、というか思い当たる奴が1人しかいない。

「あの野郎、一発殴ってやろうか」

それが俺の勝手な感情だとわかってはいるけども。あの2人を見ていると、ふつふつと彼への怒りがこみ上げてくる。
だがそれ以上に。

「あー……」

室内に戻って、天井を仰ぎ、意味のない声を漏らす。うっかり、寂しいなんて言葉にしないために。
2人を見ていて、寂しくなった、会いたくなったなんて、そんな事。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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【オリジナルマスター&】Naked 後編【亜種注意】

どうも、桜宮です。
立て続けのうpになってしまいましたが……LとMをすっ飛ばしてのN、後編です。

帯人→帯人のマスター、という構図はよくありますし、マスターの方が絆されていくのも嫌いじゃない、というか好きなのですが。
私の中の大前提の1つに、「ボカロさんたちは限りなく人間に近い、けれど突き詰めれば機械」という要素があるので、敢えてこういった展開を選ばせていただきました。
こうすること自体はAccidentを書き終えたくらいには既に決めていました。機械としてのプログラムを外れた結果が白瀬家のカイメイならば、逆にプログラムを外れることができなかった、機械の壁を超えられなかった存在もいてほしかった。

人間と機械が結ばれるケースなんて、その時は幸せかもしれないけど、本来あってはいけないことだという現実にぶつかってほしかったんですよね、黒部家帯人くんには。
Bittersweetで一見マスターとボカロが結ばれたように書きましたが、あれも「いずれは関係を崩す」前提の話を少し出してますし。
夢がないかもしれませんが、そこまで盲目になって互いを愛して、で、それが丸っきり幸せなのかと考えると、ノーだというのが私の考えです。
ニンゲンという生物の本質と、ボーカロイドという機械の本質を、崩してはいけないと思った、その結果が、このお話です。

長々と堅苦しいことを書いてしまいましたが、こういった甘くない話も一度入れたかったのですよ、ということです。
彼には、壁に思い切りぶつかって、痛い思いをして、そこから這い上がってほしかった。恋人でなく、良い相棒同士でいてほしかったんです。


最後になりましたが、名前だけとはいえ、オリジナルキャラの出演を快く許可して下さったつんばるさん(http://piapro.jp/thmbal)、+KKさん(http://piapro.jp/slow_story)、本当にありがとうございました。
特に+KKさん、ありがたいと同時に、こんな役回りですみません……(´・ω・`)

では、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

閲覧数:591

投稿日:2011/07/10 22:28:13

文字数:4,936文字

カテゴリ:小説

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