帰ろう、と大和がそう思ったのは、弟・柳二の同級生に偶然出くわしたことが原因だった。
「弟さん、結婚されましたよね。おめでとうございます」
実家とは5年間全く連絡を取っていなかったから、そんなことはもちろん知らなかった。
それは、大和がずっと恐れていた終わりだったし、望んでいた終わりだった。
柳二がそうやって片付いてしまえば、大和にはもうどうしようもできなくなる。それでいいのだと思っていた。それが柳二のためにも自分のためにもなるのだと。
そうなるのを待っていたと言っても過言ではないかもしれない。
5年前、とうとう耐え切れなくなって飛び出したあの家。
柳二を、竹乃を置いて、本来なら寺を継ぐべき長男という肩書も捨て、逃げ出してきた。
代わりの温もりを求めて、人の波をかき分けた。
そしてすぐに気付いたのだ。やはり柳二でなければ駄目だった、と。
ならばどうするか。
完全に手が届かなくなるまで、待てばいい。
そう思っていたのは事実だ。だから、柳二が結婚したと聞いて、肩の荷が下りた気さえした。
柳二の新妻が、非の打ちどころのない女性ならば尚いい。可愛い子どもが産まれて、寺も安泰となれば尚いい。
待ち焦がれた春は永遠にやってこない。
それで良かった。
聴いてほしい言葉はあったけれど、寂しさに押し潰され消えてしまいそうな夜もあったけれど、大和は、わざと吹雪の中に身を置いた。
すべて、隠れてしまえ。
そう思っていた。
だけど、
「待ってんで」
と柳二の声がそう言った時、大和の中に鳴り響くものがあったのだ。
自分にも見えないように隠していたつもりだった気持ちは、その一言で一気に氷解してしまった。
だからもう、逃げ回るのはやめることにした。
帰ろうと思った。
帰って、向き合う時が来たのだ。
もうすぐ、毎日のように潜っていた寺の山門が見える。
――――――――――――――――
柳二が途中で言葉を切ったので、竹乃は、「とうとうか」と思った。
こちらに近付いてくる人物の顔はよく見えなかったが、大和に違いなかった。
兄らの秘密は俄かには信じがたい。しかし、大和が家を出た理由としては頷くことができた。
柳二がこの寒い中、こうして待ち続けている理由としても。
柳二は立ち上がった。
それで大和も門の脇にいる柳二と竹乃に気付いたようで、一瞬歩が止まった。
竹乃は、大和が引き返してしまうのではないかと思い、柳二と同じように立ち上がっていた。
見慣れた道に兄妹三人がいるのに、その道を三人で手を繋いで歩いた頃と、どうしてこんなに違っているのか。
心臓が痛いほど鳴っていた。
「大和」
顔がはっきりと見えると、柳二は大和を呼んだ。
髪型が少し変わった大和は、ちょっと口ごもったあと、「風邪引くで、二人とも」と言った。
紛れもない兄の姿だった。
「大和が遅いからやろ」
「しゃあないやん。ニュース見てるか?雪で電車、」
「遅いわ!アホ!」
叫んだ柳二の声が震えていた。竹乃は、横を向いて柳二の顔を見ることができなかった。
泣いてはいないだろう。こういうところで泣く男ではない。
しかし、今の柳二の表情を見て傷つくのは、大和一人でいいと思った。
「……遅いって、ほんま……俺、結婚してもたやん」
「知ってる。おめでとう」
竹乃には、その「おめでとう」が大和の本心からの言葉であることが分かった。
だがそれは、柳二と竹乃の思う「おめでたい」事態とは違っているのだろう。
柳二の幸せが自分の不幸せに直結していることを悟りきった上での「おめでとう」だ。
5年間の、否、家を出るそれまでの大和の苦しみを思うと、竹乃はもう、叫び出したかった。
「なんやそれ……アホやで、大和」
「何がや」
「あん時……家出る前に、『ついて来い』て俺に言うてくれれば済む話やったんやぞ」
大和も竹乃も、言葉を失った。
先程柳二が言いかけていたのはこのことだったのかもしれない、と竹乃は思った。
「寺なんか竹乃が継げばええねん。こいつが今度受けるん、仏大やし。……なのに、何も言わんと出て行きよって。……せやから『遅い』言うてんのや」
わっ、と。
泣き出したのは竹乃だった。
夜中だというのに、屋外だというのに、そんなことは忘れて、気付けば大きな声で泣いていた。
「うわ、おい、竹乃、何でお前が泣くんや」
「寺継ぐん、そんなに嫌なんか?嘘やで、寺は俺が継ぐんやで」
急におろおろとし始めた兄二人は、困ったように顔を見合わせた。
ああ、ああ、覚えている。この光景はよく覚えている。
泣きながら思った。
竹乃はあまり泣く子どもではなかった。だからたまに泣くことがあると、兄らはいつもどうすればいいか分からず困ってしまい、決まって二人で顔を見合わせるのだ。
この5年の間に、何か変わったか?
大和が大和であることは、柳二が柳二であることは、二人が竹乃の兄であることは、今も変わっていない。
「どないしよ」
「こうなったらおかんや」
「おかん今手ェ離されへんで」
「ほなどないするんや」
「……どないしよ」
いつまでも狼狽えている兄らの手を、竹乃は自分から握った。
右手には大和の手。左手には柳二の手。
よく知っていた、どこかに置き忘れてきたはずの温もり。
「……大和兄、ほん、ま……アホやで……」
竹乃が鼻を啜りながら言うと、大和は「ごめん」と言った。
「俺には?」
「柳二もごめん」
「あと、おとんとおかんにも謝りや」
「うん、年明けたらな。ちゃんと説明せなあかんやろし」
「ほな、帰ろか。な、竹乃」
「竹乃、よう見たら大きなったなあ」
「……よう見んと分からんのかい、ドアホ」
「うん、口も悪うなったな」
兄二人は笑っていた。
帰って来て良かったと大和が思えるような、そんな正月にしたい、と竹乃は思った。
これから押し寄せてくるであろう初詣の客が引いたら、三人並んでお参りをしよう。
手を合わせて祈るのだ。
もう誰の心も隠さないで。
明日の私たちにも、笑顔がありますように。
三人が小戸を潜って間もなく、振り続けていた雪は止んだ。
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