私は瞑目した。


ああ神よ、何故かくも残酷な運命を私に与えられたのですか―――






<ティアラを投げ捨てて>






「もう一曲、いいかな?」

絡んだ指に、意図せずして胸が高鳴るのを感じた。
端正な顔立ち、優しそうな笑顔。今まで私が見たことの無い、ガラス細工のようなその姿。

綺麗な人。

多分それは一目惚れで、私は一瞬で彼に恋してしまったんだと思う。

「勿論です、王子」

夢みたいな時間。夢みたいな場所。
朝まで続く舞踏会、そこに紛れ込めた私。まるでお伽話のヒロインみたい。

はじめは嬉しかった。
だって、あれだけ行きたかった舞踏会に、何故か来ることができたのだから。
そのうえ王子に手を差し延べてもらえるなんて、夢かと思った。

でも。



『いいね、サンドリヨン』




よぎった声にかすかに不快感を覚えても、打ち消すことはできない。

少しずつ『思い出し』てきたその存在。

それが私に囁く。
飽くまで優しく、優しく、温かく。まるで母親のように囁く。




ころしてしまいなさい、と。





「・・・どうか、しましたか」

ダンスの音に紛れて優しい声が囁く。
それが誰のものか一瞬わからなかった。
でも王子が気遣ってくれたのだと気付いて、慌てて笑みを作る。

「いえ、お気遣いなく」


馬鹿げている。出来るわけがないのに。
こんな素敵な人を、殺す、なんて。

でも腿に当たる冷たい刃物の感触がそれを命令するかのようで。



『十二時の鐘だよ、魔法はそれまでだ』


びくり。

体が勝手に震えた。
同時に顔が青ざめたのが分かる。
怖い。怖い。
打ち消しても打ち消しても、この声が私の中のどこかに巣くって去ろうとしないだろうと分かってしまったから。
時間になれば、否応なく私は王子を殺してしまうんだ・・・

恐怖のせいで、ステップを踏む足が鈍る。
まずい、と思ったけれど、繕うことはできなかった。

きっと、逃げられない。

王子だけじゃない。私も、逃げられない。


―――どうしようもないの・・・?


瞳を伏せた瞬間、手首が強い力で掴まれた。

「こちらへ」
「え」

囁くような声。でも手を引く力は強い。
まさか、不審がられた!?
鼓動が速まったのに慌てて、掴まれていない左手で胸を押さえる。

ちらり、と王子が時計に目をやる。


「日が変わるまであと十分か。もったほうだろう、文句は言わせないさ」


独り言が微かに聞こえて、私は目を見開いた。
この人は、何をするつもりなの?


「え、あの、王子?」
「来て下さい」


導かれるままカーテンを抜けて赤絨毯の廊下へ。
兵士達が困ったように口を開くのを笑顔一つで黙らせて彼は進み、一つの部屋の前で立ち止まる。

「どうぞ」
「・・・あ、おじゃまします・・・」

踏み入れた瞬間、ふか、と足元が沈む感触がした。
毛足の長い絨毯にハイヒールが沈んだ感触、みたいだけどこれは桁違い。
靴は脱いだ方が歩きやすいかもしれません、という王子の言葉に靴を脱ぎ捨て、私は初めて新雪の上を歩く子供のようにおっかなびっくり足を進めた。

ええと、どこに行けばいいの?

「こちらへどうぞ」

示されたのはソファ。見るからにふかふかしたそれに少し圧倒され、でもなんとかそこにたどり着く。

座って、と目で示され逆らわずに腰掛けると、王子は私の前にしゃがんだ。

・・・なんで?

私は多分きょとんとした表情を浮かべた。
そう推測できるのは、彼がちょっと困った顔で私を見たから。

「大丈夫ですか?」
「えっ」
「具合が悪そうでしたから。ここは休憩室なので、ゆっくり休んでください」

それはつまり・・・私を心配してくれて・・・?
向けられる、無垢と言っていい笑顔。
その優しい笑顔に――――涙が出た。

「え、あ、ちょ、大丈夫!?」

慌てた王子が私を覗き込む。
私は言葉を紡ぐことが出来なかった。
細い指がためらうように私の目元を拭う。


何故私がこの人を殺さないといけないの。


「何かして欲しいことはない?」

案じるようにこちらを伺う彼の声に、別の声が重なって聞こえる。
彼と同じ優しい声。でもその温かさは絶対零度の温かさだ。
私を縛りつけて任務を遂行させようとする、魔女の囁きだ。




『おまえなら出来るよ、サンドリヨン。彼から全てを奪ってしまいなさい』




私は俯いて口を開いた。

これがどんな結果を招くことになろうとも、私の心は決まった。
二つに一つを選ぶなら、選ぶのは。

「なら、一つだけお願いが」
「なんだい?」

その優しい声に胸が痛くなる。
お願い、間に合って!

「鐘を、十二時の鐘を鳴らさないでほしいんです」
「鐘・・・?」
「お願いです!」

不思議そうな声。私はその裾に取り縋った。
そんな、聞き返さないで。時間がないのよ!
「鐘」が魔法を解くのなら、それさえ鳴らなければ、もしかしたら。
早く!万に一つの可能性でもいい。
私はあなたを殺したくない!
この手で殺したくなんかないんです、王子―――!






その時。

―――ボーン、ボーン、ボーン、

鐘が、時を告げた。







『さあ、おやり』
頭に声が響いた瞬間、右手が勝手に動く。
慣れた動きで、


―――ボーン、ボーン、ボーン、

「・・・いや」


―――ボーン、ボーン、ボーン、

ドレスを無用とばかりに引き裂いて、


―――ボーン、ボーン、ボーン、

「まだ、ダメ・・・・!」

ナイフを引き抜いて、

ああ、あなたの不思議そうな顔が歪む。
ごめんなさい、せっかく拭ってもらったのに、涙が溢れ出すのを止められない!



―――ボーン、ボーン、








―――ボーン。




右手に伝わる異様な感触。

鐘が鳴り終わった異様な静けさの中、彼の青い服が、白いベッドが、私の腕が、全て真っ赤に染まっていくのを見て―――私は心の底から絶叫した。






「いやあぁぁあ―――――――――っ!!」






呆然としたまま彼がそこにくずれ折れる。
その脇腹には、私が突き刺したナイフ。
じわじわと広がっていく血溜まりに何も出来なくなる。
赤い。赤い。命の赤。
このまま放っておいたら、彼は、

「きみ、は―――」

がくり、と言葉を途切れさせて、王子は瞳を閉じた。
そんな、そんな、そんな・・・!

不意に彼の声が耳に蘇った。
大丈夫ですか?
そう彼は私に囁いてくれた。大きな意味はなくても、私を気遣ってくれた。

なんて優しい人―――なのに、私は!



「おう、じ、」
『よくやったね』



静かにあの声が告げる。
私は伸ばしかけた手をそこで止めた。
優しい、母親のような声なのに、何故こんなに恐ろしいんだろう。
あなたは誰。何故私にこんなことをさせたの。

『さあサンドリヨン、家に帰してやろう。大丈夫、ガラスの靴は私が処分しておくよ。だあれもお前を疑いやしない』

私はその声に頭を振った。
違います、違います。だって私は知っている。

私自身が犯人なのだと。



私は罪人だ。

















気がついたとき、私は家の中でいつもの服装に戻っていた。

―――戻って来た、のね。

所詮は一夜の夢、というか一夜の悪夢なのだ、と割り切れたならどれだけ良いだろう。でもこの手には、彼を切り裂いた感覚が確かに残っている。

私は床に膝をついた。

彼が拭ってくれた感触さえも奪うかのように、涙がとめどなく流れる。




悲しみを叫ぶことも出来ない。

私は、あの場所に何も残していかなかった。唯一置き去りにされた靴は、あの「誰か」に処分されるのだろう。
真っ赤に溶かされ、やがてその形をなくしてしまう。私の足を飾っただなんて、考えつかないような姿になる。

そして手掛かりは途絶える。

辿る道筋もないのだから、彼は私を見つけられない。

ううん、そもそも見つけられるはずがない。だって彼は、きっと、もう。









ごめんなさい。


私の鳴咽だけが火の気のない部屋の中に響いた。

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個人的にメインは(後)なのでこのタイトルですが、前編であるこっちはシリアスです。

閲覧数:2,055

投稿日:2009/11/22 00:11:51

文字数:3,368文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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