昨日見た夢が頭に引っかかっていたせいか、今朝の目覚めはすっきりしなかった。また、妙な夢を見なかったことだけが幸いかもしれない。夢の中とはいえ、巡音さんの翼を折るような真似はもうごめんだ。あんな風に泣いてほしくない。誰かが泣くのを見て楽しむなんて精神は、俺には理解不能だ。
 学校に着いて教室に入ると、巡音さんはもう来ていた。……大体いつも俺より先に来るんだよな。やっぱり本を読んでいる。当たり前だが、背中に翼は無い。
 声をかけようかどうか迷ったが、昨日のことがあったのに声をかけないのも変だ。
「おはよう、巡音さん」
「おはよう、鏡音君」
 本を机の上に置くと、巡音さんはにこっと笑った。
「あのね、部活は休むことにしたから、今日の放課後は作業の続きができるわ」
 巡音さんは、明るい表情でそう言った。多分、初音さんと電話か何かで話したんだな。
「初音さん、いいって?」
「ええ」
 ……嬉しそうだな。夢のことを引きずっているせいか、妙に気分が落ち着かない。巡音さんが俺の目の前で、首を傾げる。
「あの……本当に大丈夫だから。ミクちゃんも全然構わないって言ってくれたし」
 どうやら、俺が遠慮していると思ったようだ。作業はとっとと終わらせた方がいいのは確かだしな……。
「ああ、ごめん。ちょっと他のこと考えてて。じゃあ、放課後にね。」
 これだけじゃそっけないかな。何か他に言うこと……あ、そうだ。
「……あ、巡音さん、クッキー美味しかったよ。姉貴も喜んでた」
 ほとんど姉貴に食われたけどね。
「お姉さん、甘い物好きなの?」
 姉貴ねえ。大体何でも食うよな、美味しけりゃ。
「ん~どっちも好きだけど、チーズが入ってる奴の方が気に入ったみたい。昨日晩酌しながら食べまくってたよ」
 太ると思うんだが……。そう言ったらはたかれた。
「鏡音君は?」
「俺もどっちかっていったら甘くない方かな」
 甘い物も好きだが、この二種類に関してはチーズ入りの方が美味しかった。
「おはよう、リンちゃん」
 初音さんがやってきた。じゃあ、俺はもう退散しよう。俺は巡音さんに「放課後にね」と言って、自分の席へと向かった。席についてから巡音さんの方を見ると、初音さんと楽しそうに話をしている。
 その背中に、一瞬翼が見えた気がした。


 放課後になったので、俺たちはまたコンピューター室に移動して、作業の続きにとりかかった。余計なことは考えないようにして、とにかく作業に集中しよう。うっかり変なことを考えたり、しでかしたりしたら、ややこしいことになる。
「鏡音君? どうかした?」
 間近で聞こえてきた声に、俺ははっとなった。隣に座っている巡音さんが、心配そうにこっちを見ている。まずい、聞いてなかった。
「えーと……何だっけ?」
「ラストシーンの変更を、どういう形にするのかを訊いたの。原作だと教授のお母さんの家で終わってしまうでしょう。映画だと、そこから教授は自宅まで歩いて帰って、自宅でイライザの声を聞いているところに、イライザが帰って来るわ。一度幕を下ろして教授の家に場所を移すのか、それとも何か違う形にするのか、どっちがいいのかなって思って」
 巡音さんは怪訝そうな表情になりながらも、訊いたことについて答えてくれた。えーと、ラストね。
「違う形っていうと、例えば?」
「お母さんの家の応接室で教授が物思いに耽っているところに、イライザが心配になって様子を見に来るとか」
 演出的にはその方が楽そうだなあ。セットを動かすのは結構大変なんだ。
「でも、わたしとしては、映画と同じように教授の家に戻った方がいいと思うの。『スリッパはどこ?』って訊くんだったら、家じゃないとおかしいし。それに、教授がイライザの声を聞くのも、家じゃないとできないわ。携帯のプレーヤーとかがある時代じゃないもの」
 うーん……それもそうだな……。いいや、苦労しよう。
「確かに家に帰った方が、話の流れからしても自然だし、雰囲気が出ると思う。家に帰らせよう」
 俺がそう言うと、巡音さんは安心したように微笑んだ。つくづく、笑うと可愛いな。劇場で会った時から比べると、よく喋るようになったし、表情だってずっと豊かになった。
 巡音さんが変わったのは、いいことのはずだ。自惚れるわけじゃないが、きっかけになったのは俺だ。だから……。
 巡音さんは、信頼しきった瞳でこっちを見ている。……駄目だ。俺はPCの画面へと向き直って、編集作業を再開した。一度幕を下ろして、その間にセット変更。セット……どんなのがいいだろうか。凝るのは無理だから、素劇っぽくするとして……。
 ふと気がつくと、巡音さんが下を向いて、暗い表情をしていた。……はっ、いかん。
「あ、巡音さん、その……」
 声をかけると、巡音さんはぱっと顔をあげた。
「何?」
「あ……えーと、その……」
 なんか言わないとまずいぞ。
「短い時間でセット変更するの大変なんだけど、何かアイデア無い?」
「え……ええ。色を利用したらどう? シーンごとに色の基調を決めて、カバーとかを取り替えちゃえば?」
 ああ、なるほど。椅子を並べてカバーをかけて、テーブルの上にはクロスをかけて……使えそうだ。色が変わってれば、違う部屋なんだって見る側も認識しやすい。
「ああ、椅子のカバーやテーブルクロスを変更するわけね」
「そんな感じにしたらいいと思うの」
 俺はそれをテキストファイルに付け加えた。集中集中……。翼のことは考えないこと。翼の意味が夢や希望だとすると、手出しをしていはいけないはずなんだから……。
 ……考えないようにしようとしていたはずなのに、なんで俺は考えてるんだ? やめろってば。俺はちらっと巡音さんの方に視線を向けた。向こうもこっちを見ていて、瞳があってしまう。淋しそうにしていたのが、一瞬表情が明るくなる。そうやって表情が変わるのが……だから集中しろっての! 俺は慌ててPCの方を向いた。


 巡音さんが帰らなくてはならない時間になるまでやってみたが、作業は終わらなかった。巡音さんは暗い表情で「あの……鏡音君がいいんなら、明日もやってもいいけど……」と言って、帰宅していった。多分、気にしているな。作業が進まなかったのは自分のせいだって、変な落ち込み方してないといいんだが。……色々と不安になってきた。
 そもそも、俺は一体何をやってるんだ。向こうが都合をつけて協力してくれたのに、足を引っ張るようなことをして。せめて作業中ぐらいビジネスライクにできないのか。こっちが引っ張り込んだんだぞ。
 と、自分で自分を責めてみたが、それで問題が解決するわけじゃないんだよ。……俺はバカか? どうすればいいのかを考えないと。

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アナザー:ロミオとシンデレラ 第三十七話【それは普通でなくはない】

 いい加減に気づけ……。

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投稿日:2011/12/20 19:23:00

文字数:2,773文字

カテゴリ:小説

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