すまん姉貴、説得にちょっと利用させてくれ。姉貴がどう考えているのかなんて、例によって知らないけど。
「わたし、どうしたらいいの?」
「巡音さんは、初音さんや俺と一緒にいたくないの?」
ちょっと意地悪な質問かな……いや、仕方がない。大事なのはどうしたいかなんだ。
「……一緒にいたいわ」
ようやく聞き取れるぐらいの小さな声で、巡音さんは答えた。視線は伏せられたままだ。
「けど……」
言いかけたその先を、俺は待たなかった。
「だったらそれでいいんだよ」
大体、なんで巡音さんが、そこまでそのお姉さんを気にしなくちゃいけないんだ。自分を嫌ってる奴なんか、放っといてもバチは当たらないぞ。半分とはいえ、血が繋がっているからだろうか。
俺は姉貴のことを考えてみた。……イメージしにくいなあ。俺を嫌ってる姉貴って。結局、姉貴は姉貴だし。
「誰にだって人生を楽しむ権利ぐらいあるよ。だから俺や初音さんと一緒にいて、楽しいって感じることを後ろめたく思わなくてもいいんだってば」
俺には一度も会ったことのない巡音さんのお姉さんよりも、今目の前にいて苦しんでる巡音さんの方が大事だ。
「もう、お姉さんのことを気にするのはやめなよ。巡音さんは巡音さんで、お姉さんはお姉さんなんだから。巡音さん、できそうなことは全部やってみたんだろ? だったら、そこから先はお姉さんの責任だよ」
「ルカ姉さんのこと……見捨てた方がいいってことなの?」
肩を力なく落とし、視線を伏せたまま、巡音さんは淡々とそう訊いてきた。見捨てるというと言葉が悪いが、俺はそれでもいい……というか、その方がいいと思う。妬みから他人の幸せが壊れることを望むような人間なんて、勝手に自滅させればいい。
けど……巡音さんに、捨てろっていうのは無理だ。精神的な負担が大きすぎる。じゃあ、どう言えばいい?
「……そこまではさすがに言わないよ。一応家族なわけだし……だからさ、この先、お姉さんが助けを求めてきたら、その時は助けてあげればいいんじゃないかな」
そういう展開にはならないだろうが……いいや別に。希望を残しておかないと、巡音さんの心が壊れてしまう。
「だからさ……巡音さんはもっと素直になっていいんだよ。楽しいことは楽しいって思おうよ。でないと、肝心な時に動けなくなる。折れた翼が治ったら、どこにでも行きたいところに飛んで行けばいいんだ」
もう引き止めたりしないから。俺を置いて行ってしまっても構わないから。
「……ありがとう。いつも元気づけたり、話を聞いたりしてくれて」
まだ表情は晴れなかったけれど、声は普段に戻っているようだった。……良かった。
「これくらい、何でもないよ」
しかし巡音さんの家の中はどうなっているんだ……異常なまでに厳しい家だとは前から思ってたが、厳しいだけじゃなくて、相当ギスギスしていそうだ。そんな環境でよく窒息しなかったもんだ。
……ん? もしかして、下のお姉さんが引きこもってる理由ってのはそれか? まあいいか。そっちは姉貴に任せておこう。
「あの……」
俺が巡音さんの家庭環境について考えていると、巡音さんがおずおずと声をかけてきた。
「どうかした?」
「折れた翼って、どういうこと?」
軽く首を傾げて、巡音さんは俺にそう尋ねてきた。……こっちも興奮していたから、言わなくてもいいことまでつい口走ってしまったらしい。参ったな。
「あ~、えーと……」
まさか巡音さんの翼を折る夢を見たなんて、言えないよなあ。俺が危ない奴だと思われてしまう。
「あ、あの……言いたくないんなら無理に……」
「いやそうじゃないから」
ただでさえ普段から気を遣ってばかりの相手に、これ以上気を遣わせられない。えーいこうなったら……。
「ただ単に最近聞いた曲が頭の中に残っていて、そのフレーズが咄嗟に出てきちゃっただけでさ……なんかバカみたいだろ」
俺は鞄を開けて、携帯プレーヤーを取り出した。例の曲、実はこの中に入れてあったりする。
「これ、姉貴に聞かされた曲なんだけど、俺、ちょっと意味がわからないところがあってさ。そのことを考えていたら、つい出てきちゃったんだよ。何なら巡音さんも聞いてみる?」
曲のことで悩んでたってことにしてしまおう。姉貴に聞かされたってのは嘘だけど、いいやこの際。
俺は巡音さんにイヤフォンを差し出した。向こうがイヤフォンを受け取って、自分の耳に差す。俺は携帯プレーヤーを操作して、例の曲を再生した。あれちょっと待てよ、こんな曲聞かせて大丈夫か? また落ち込むんじゃ……いや、この曲は英語だから、歌詞カードが無けりゃ何を言ってるのかまではわからないか。意味を訊かれたら、あまり細々と説明しないようにすればいいんだ。
「鏡音君、もう一度再生してもらえる?」
俺が考え込んでいる間に、曲が終わったようだ。そう言われたので、俺はもう一度同じ曲を再生した。巡音さんは真剣な表情で曲に聞き入っている。
不意に、巡音さんが悲しそうに視線を伏せた。
「折れた翼で歌い続ける、その瞳は空を見たまま、折れた翼で夢を運ぶ、さあ飛ぶのを見なさい」
え……わかったの? げ、巡音さん涙ぐんでる。この曲を聞かせたのはまずかったようだ。
「よくわかったね……全部英語なのに」
あ、巡音さんって英会話部だっけ。じゃあヒアリングも得意なのかな。『RENT』の時は意味まではわかってなかったけど、多分曲に驚いていたせいだろう。
「全部じゃないけど……聞き取れなかった部分もあるし。でもこの曲、かなり聞き取りやすい方だと思うわ」
うーん、まあゆっくりした曲だからなあ。聞きやすいのかも。
「悲しい曲なのね。折れた翼で飛ぼうとするなんて」
確かにその部分は悲しい。……その翼は巡音さんにもあるんだろう。俺を置いて行ってほしくはないけれど……それが望みなら、飛んで行けばいい。
「姉貴はさ、この曲は希望のある曲だって言うんだよ。巡音さん、どう思う?」
このままにしておくとまた沈んでいきそうだったので、俺はそう訊いてみた。
「どうして希望なの?」
軽く首を傾げて、巡音さんは聞き返した。
「最後は逃げ出せるからだって。同じ人の曲で、最後は死んでしまうものもあるんだよ」
姉貴に聞かされた説明をそのままする俺。そっちの曲も聞いてみたが、確かに救いのかけらもない悲しい歌詞だった。曲は綺麗だったけど。
「折れた翼で飛んだら、ずっと傷が痛むんじゃないかしら?」
……そう来るの?
「治らないと飛べないんじゃない?」
「治す暇なんてないと思うの。こういう人と一緒に住んでいたら。いつ破裂するかわからない、そんな爆弾が転がっているのと同じ状態だろうし」
巡音さんは淡々とそう言った。言われてみればそのとおりなんだが……。妙に実感のこもった口調だ。家庭環境のせいだろうか。
希望があるといえばあるが、だからといって全部解決とはいかないってことなんだろうか。うーん……。
あれこれ考えつつ、巡音さんの方に視線を向ける。あれ、なんで赤くなってるんだ?
「巡音さん、どうかした?」
「な、なんでもないわ……それより鏡音君は、この曲のどの部分がよくわからなかったの?」
上ずった声で巡音さんは答えた。げ、話がそっちに向いたか。どう答えたものか……。
「わからなかったというか……俺、この曲を聞いていてちょっと怖くなったんだよね」
巡音さんが俺の目の前で首を傾げている。えーと、慎重に言葉を選ばないと……。
「この曲に出てくる奴みたいに、自分が誰かの翼を折ったら嫌だなって……」
誰かというか、巡音さんなんだが。さすがにそれを言うわけにはいかない。俺の言葉を聞いた巡音さんはと言うと、また首を傾げている。しばらくそうした後、巡音さんはおもむろに口を開いた。
「鏡音君はそんなことしないでしょう?」
……信頼しきった瞳で、そう言われてしまった。全く、全然、俺のことを疑っていない。もちろん俺だって、巡音さんの翼を折りたいなんて思ってはいないが……。
「巡音さん、そんな無条件に人を信じるもんじゃないよ。詐欺に遭うから」
俺を置いて飛んで行ってしまってもいいとは思う。……けど、飛んで行ってほしくないという気持ちもある。どうなってるんだ一体。
「でも……鏡音君はそんなことしないと思うの。だっていつも、わたしの話をちゃんと聞いて、答えを返してくれたわ」
いやそんなの当たり前のことで、別にそんな大げさに感謝されるようなことでもないんだが……。って、ここでごちゃごちゃ言うと話が無駄に長引くな。
「あ……うん、ありがとう」
俺がそう言うと、巡音さんはぱっと笑顔になった。あ……やっと笑ってくれた。引き寄せてぎゅって抱きしめたら、きっと気持ちがいいだろう……だから、なんでそういうことを考えているんだ、俺は。
けど……。
「あのさ……」
「どうしたの?」
「巡音さんのこと、下の名前で呼んでもいい?」
「え……どうして?」
「名字にさん付けて呼ぶのって、堅苦しい感じで嫌なんだよ。俺たち友達なわけだし……」
別に下の名前で呼ぶぐらい構わないよな。実を言うと、親しい相手にさん付けは苦手なんだ。
「嫌だって言うんならやめるけど……」
「え……そ、そんなことないわ……」
頬を赤く染めて、そう言ってくる。あ……じゃあ、いいってことか。
「じゃあ、これからはリンって呼ぶから。あ、俺のこともレンでいいよ」
「えっと……それは……」
リンは例によって悩み始めた。そんなに呼び辛い?
「男の子を名前で呼ぶのって、普段しないから……」
「クオは?」
確かミクオ君って呼んでたよな。
「だって、ミクオ君はミクちゃんの従弟だもの……」
要するにクオは初音さんのおまけなのか。……ちょっとほっとしたぞ。
「俺としては、名前で呼んでもらう方が気楽なんだけど」
そう言ってみる。リンは相変わらず俺の前で、赤くなって俯いている。
「じゃ、じゃあ……努力、してみるから」
うーん、努力がいるのか……。けど、今までを考えると進歩だよな。いい方に考えよう。
コメント0
関連動画0
ブクマつながり
もっと見るその次の日、夫は遠出する必要があるとかで、朝早く起きてきた。そしてあわただしく朝食を食べると、ルカを連れて出かけてしまった。その前に、リンを今日と明日は外出禁止にしたので外へ出すなとだけは言っていったが。……そういうことだけは、いつも忘れない。娘の誕生日を憶えているかどうかすら、怪しいのに。
普...ロミオとシンデレラ 外伝その十一【ほんの少しの優しさを】後編
目白皐月
「もういいこいつは埋める!」
「あ、手伝うわ」
「レン、落ち着けっ! 蜜音も煽るんじゃない!」
クオが俺の制服をつかんだ。なんで止めるんだよ。こいつは埋めた方が世の中のためだぞ。
「あのなあコウ、好きでもない男に抱きつかれて喜ぶ女の子なんかいないんだよ。グミがああ言うのは、グミが俺のことを好きだか...アナザー:ロミオとシンデレラ 第三十三話【見てもいいが触るのはいけない】後編
目白皐月
昨日見た夢が頭に引っかかっていたせいか、今朝の目覚めはすっきりしなかった。また、妙な夢を見なかったことだけが幸いかもしれない。夢の中とはいえ、巡音さんの翼を折るような真似はもうごめんだ。あんな風に泣いてほしくない。誰かが泣くのを見て楽しむなんて精神は、俺には理解不能だ。
学校に着いて教室に入ると...アナザー:ロミオとシンデレラ 第三十七話【それは普通でなくはない】
目白皐月
その日の夜遅く、わたしは自分の部屋でぼんやりとしていた。頭の中には、色々な考えがとりとめもなく渦巻いている。その考えは、大きく分けると二つ。片方は、鏡音君のことだ。どうして、今日は態度が妙だったというのかということ。何かした憶えはないけれど、わたしは人の心の機微には疎いから、気がつかないうちに何か...
ロミオとシンデレラ 第四十二話【辛すぎる忍耐は心を石に】後編
目白皐月
俺の肩にもたれて眠っていた巡音さんが、不意に身動きした。……あ、目が覚めたのかな? 見守っていると、巡音さんが目を開けて身体を起こした。二、三度まばたきをして、ぼんやりと辺りを見ている。寝起きで頭がはっきりしていないらしい。
「あ……巡音さん、起きた?」
声をかけると、向こうは弾かれたみたいにこ...アナザー:ロミオとシンデレラ 第三十一話【全て同じというわけではないけれど】
目白皐月
金曜の夜、なんだかよくわからない食事会の後で帰宅した俺は、自室のPCで柳影公園の場所を調べた。そこそこ距離があるな。巡音さんはよく知ってるみたいだから、彼女の家からすると行きやすいんだろう。
翌日、普通の時間に起きだした俺は、朝食を取って身支度をすると、ポケットに財布と家の鍵と携帯を突っ込んで、...アナザー:ロミオとシンデレラ 第三十話【折れた翼であの子は歌う】前編
目白皐月
クリップボードにコピーしました
ご意見・ご感想