人知れず保たれた平穏に、火種を投げ込んだのはひとつの噂だった。

シンセシス国王妃の命を狙ったのはクリピアの手の者である、というものだ。

密かに囁かれるこの噂を知った王妃の父であるボカリア大公がクリピア王女へことの真偽を問い、それが真実ならば速やかに犯人を差し出し、シンセシス国王と王妃に詫びよと告げたのだ。

これに王女は激怒した。

証拠もなく噂だけで言いがかりをつけるとは何事か。民に無責任な噂を吹聴した、かの国の王妃こそ侮辱を詫びよという。

前触れもなく送り付けられてきた怒りも露な文に、その噂の存在すらも寝耳に水だったシンセシスの家臣たちは色を失った。

「どうだった」
「そのような噂があるのは事実のようです。城下のそこかしこで、民がクリピアを非難する声が聞かれます」

急ぎ、城下を探らせた家臣からの報告に、レオンは痛むこめかみを押さえた。

「わが国での噂を、なぜボカリアが先に知るんだ」
「この度の婚礼でボカリアへ新たに流入し始めた商人達が噂を運んだようです」
「その噂が、王宮には上がってこなかったんだな」
「は・・・その・・・申し訳ございません」

しどろもどろで平伏する家臣は面目もない有様だ。
あまりの情けなさにレオンはため息をついた。

「衛兵達の管理体制を見直せ。民の噂は馬鹿にならない。特に商人達の情報の早さは」

指示を出し、彼は一言を付け加えた。

「それと、王妃には今回の件は、まだ伏せておくように」
「畏まりました」

報告の家臣に下がるように指示を出し、座した椅子の背に深く凭れる。

「まったく情けない」

主君の止まない溜息に、大臣は隣国からの書状を眺めやった。

「しかし、ボカリア大公も、まず、わが国にことを問う前にこのような先走った真似を・・・」

いささか恨みがましい口調に、レオンは苦笑した。

「ボカロジア王家は一族の結束の強さで有名だ。跡目争いすら殆ど起きたことがなく、身内を害するものには一族を上げて報復をするという。特に現公女は大公の掌中の珠と言われていて、これまでどんな求婚者が近付くことも大公と兄公子が許さなかったという程だ。正直、私が結婚できたのが嘘のような話だな」

恐らく彼らなりの思惑と利害が一致することがなければ、この婚姻とて実現することは無かったのだろう。
そう思えば、例え利用されたのだとしても、彼女を得られたのはどれほどの幸運か。
鮮やかな少女の姿を脳裏に描き、レオンはつかの間、目元を和ませた。

「彼女に何かあれば、間違いなくボカリアは黙っていない。この噂を聞かなければ、ボカリアが件の事件の責任を問う先は、クリピアではなくわが国だったろう」

表向きは、と内心で付け足す。
レオンとて、ボカリアの手の内を垣間見た後では、既に彼らが感情だけで浅慮に動くとは思っていない。
これにも何らかの思惑があるだろうことは確かだった。

「さて、どうするか・・・」







「やられた・・・まさかクリピアをけしかけてくるなんて」

己の部屋で、窓から広がる城下と港の景色を眺め下ろしながら、ミクは悔しげに呟いた。

恐らく、今頃レオンは頭を抱えているだろう。
王女の要求通りに詫びれば、相手に付け入る隙を与えることになる。
かといって、突っぱねれば、クリピアは間違いなくこの国へ攻め込んでくるだろう。
突きつけられた二択の、どちらも選ぶわけにはいかない。

目前に迫った戦争を回避する方法はひとつ。
ミクがこの騒ぎの責任を取って国王と離縁し、ボカリアへ戻ることだ。

王女が名指しで糾弾する王妃が国を去れば、クリピアがシンセシスを攻める理由はひとまずなくなる。

「ミク様」

そっと控えめに掛けられた声に、ミクは視線を室内へと向けた。

「何、ローラ・・・?」

美しい金髪を堅く詰め、慎ましく傍に控える侍女を見やる。
もっとも古くからミクに仕え、ボカリアからシンセシスへ戻るミクにも唯一人つき従ってきた彼女は、いわばミクの腹心といって良い。
城内まで広まった噂話を拾ってきたのも、彼女だった。

「・・・やはりボカリアへお戻りになる気はございませんか。大公様がこのように取り計られた以上、そのご意思に背くのは・・・」
「お父様じゃないわ。シンセシスとの同盟が続くなら、それはそれでボカリアにとっては国益になるもの。私が襲われたことを逆手にとってシンセシスに圧力をかけることはあっても、わざわざクリピアを煽るようなやり方はしない。お父様なら、もっと機を見るはず・・・きっと仕掛けたのはお兄様よ」
「カイザレ様がなされたことでも、大公様はご承知の上でしょう。同じことではありませんか」

兄の打った手であっても、父の名が使われている以上、父は今回のことを承知している。それは、すなわちボカリアの意思ということだ。
心配そうなローラの指摘に、ミクは硬い表情で唇を引き結んだ。

これはミクのためだけに用意されたシナリオだ。
国同士の諍いを避けるための離縁であれば、世間の同情を買いこそすれ、ミクの名誉を傷つけることはない。
何よりも、このまま兄の元へ戻ればミクの身は安全だ。ミクだけは。

「・・・でも、この国はもう後がないわ」

たとえミクが離縁し当面の危機は避けられても、シンセシスが孤立すればクリピアはいずれ何かしらの理由をつけて攻めてくるだろう。何しろ王女自身が、この国の豊かさを目の当たりにしているのだ。
どちらに転んでも、この国はもう戦争を避けられない。それだけの口実を王女に与えてしまった。

「お兄様は本気でシンセシスを潰すつもりだわ・・・」
「それなら、なおのこと、このままこの国にいるのは危険です」
「あなたは戻って良いのよ」
「ミク様がお戻りにならなければ意味がありません。どうしてそんなにこの国の行く末を気にされるのです。国王陛下のためですか?」
「そんなんじゃないの。ただ」

先を迷うようにミクは口を噤んだ。

「・・・・・・少し一人にして」
「はい・・・」

思わしげな表情を浮かべたまま、忠実な侍女が頭を垂れる。
衣擦れの音が遠ざかり、部屋が静寂を取り戻してなお、ミクはいつまでもその場から動かなかった。




ライセンス

  • 非営利目的に限ります

「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第8話】前編

うわお。
前回の更新からとんでもなく間があきました。すみません、ちょ、ちょっと参加中のコラボが楽しすぎて・・・。
もう、前回の話も忘れかけた感がありますが・・・。ここら辺から、やっと色恋要素が加わってくるかも。あくまで、鴨。

中編に続きます。
http://piapro.jp/content/h1sjsgmdi6jhwt13

閲覧数:1,528

投稿日:2008/09/03 16:24:32

文字数:2,567文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

もっと見る

クリップボードにコピーしました