7:30
休日の、穏やかな朝。
「あああああああああ!!!もう耐えられないいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」
それは、朝ご飯を食べている時の、ミクさんの急な叫び声から始まった。
「……ど、どうした?」
びっくりして箸を取り落としたまま、マスターが質問する。
私にも突如としてミクさんが叫んだ理由はわからなかったが、聞かれたミクさんは何故か私とルカさんの方を向いて怒り始めた。
「なんでハク姉もルカ姉もずっと敬語のままなの!?今だってそう。こんなの絶対おかしいよ!」
「い、いや、そう言われても……」
戸惑う私に、ミクさんは更にまくし立てる。
「おかしいったらおかしいの!同じ屋根の下に住んでるのに、四人中二人が敬語なんて絶対変!!マスターもそう思うでしょ!!」
「言われて見れば、確かに……うちのボカロじゃないルカはともかく、ハクは家に来てもう長いんだから、いい加減よそよそしくなくなっててもいいよな……」
「だよね!だから、ハク姉はこれから敬語禁止!!さん付けも禁止!!分かったね!!!!」
「ええええええっ!?」
こうして、理不尽としか思えないミクさ……ミクの指示によって、私は今までの話し方を改めなくてはならなくなったのだ。
8:30
週末、ご飯を食べ終わったすぐ後は、掃除の時間だ。
「うおおお!!秘技っ!ク○ックルワイパー大回転!!何という事でしょう見る見るうちにお部屋が綺麗に!!」
「大家さん、それでは部屋の隅の汚れが落ちませんよ?」
「な、なんだと!?よし、ミク、後は頼んだ!!」
「えーっ!?絶対やだーっ!!」
「……」
みんなの騒ぐ声を遠くに聞きつつ、私はひたすら風呂掃除に集中する。
ゴシゴシ、ゴシゴシ。
(綺麗になったかな……?)
ゴシゴシ、ゴシゴシ。
風呂窯をこする。余計な事は考えず、ただ一心に。今後敬語を使ってはいけないとかそういう事は一切忘れて。
私は、この瞬間が一番好きだった。
ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ、ゴシゴシ……
「あれ、ハク姉まだやってるの?」
「え?」
気付けばもう掃除を始めて一時間以上が経過していた。
私は慌てて立ち上がった。今日はこの後みんなで出かける予定なのだ、あまり迷惑はかけられない。
「す、すみません出かける準備します!!」
「ハク姉!!」
自分の部屋へ向かおうとする私をミクさ……ミクがいきなり呼び止めた。
「な、何!?」
「敬語!!」
「あ……」
振り返った私に厳しい表情でミクさ……ミクが注意した。出かけることに気を取られて忘れていた私は、とっさに謝ろうとする。
「ごめんなさ……」
「こらっ!!」
「……」
はあ……疲れる。
10:00
「よーし、着いたー!!」
大型デパートの駐車場に着き、ルカさんの運転する車からミク……が元気よく降りた。
「いやー、車って便利だなー!!今まではこんな所まで来れなかったもんな!!本当ルカには感謝してるよ!!」
「いえ、大家さん、そんな大したことではありませんよ……」
運転席のルカさんは、助手席のマスターに照れたように言った。
ルカさんはマスターの事を『大家さん』と呼ぶ。ややこしい言い回しになるが、マスターはルカさんのマスターではないのでどう呼ぼうか、という話になった時、部屋を借りているのでそう呼ぼうという話になったのだ。何故かマスターは実名で呼ばれるのを嫌う。
「マスターも早く免許取って下さいね……」
「ハク、敬語」
「……うう」
やりづらい。
口を閉ざして唸る私を見て、ルカさんが苦笑いを浮かべた。
「大変ですね……」
「何言ってるの!ルカ姉も本当はやらなきゃいけないんだからね!!」
「まあまあ、流石にうちの人以外には強要できないだろ?さて、じゃあそろそろ行くか。最初はもちろん……」
「「ゲームコーナー!!」」
「こら!二人とも!まずは買い物が先でs……だよ!!」
声を揃えたミクとマスターを私とルカさんが嗜め、食品売り場へ引っ張っていった。早く敬語を使わない事に慣れないと……
12:30
一通り必要なものを購入した私達は、お昼ご飯を食べるべく入った店内店舗で一息ついていた。
因みに、突然だが家には一回の外出で個人が使っていい金額に上限が設けられている。それが何を引き起こすかと言うと……
「うう……物足りないよぅ……」
「耐えろ初音隊員!!ここで誘惑に負けてはいかん!!」
この後ゲームコーナーで使うお金を増やす為に、良く食べる二人が100円ハンバーガー一個、特に食べない私とルカさんがセット料理を注文するという、なんとも奇妙な構図が出来上がる事を意味しているのだった。
「はい隊長……ううう……ポテトいいなぁ……」
マスターは目を固く閉ざし悟りの世界へ入ろうとしているが、ミクはまだ諦めきれないらしく、何度も私とルカさんのトレーに目線を泳がせている。
……そんな可愛い目で見ても、あげないぞ、私は!私だってゲームしたい気持ちを抑えてこれを頼んだんだ!!
「あ、あのー、宜しければ、どうぞ?」
「わあありがとむしゃごくん!!」
耐えかねたルカさん(勿論彼女は我が家のルールには縛られていない)が差し出したナゲットが一瞬で消滅した。それを見て(目を閉じていたんじゃなかったのか)黙っていなかったのはマスターだ。
「初音隊員!我が隊の鋼の掟を忘れたか!!」
「ひゃあっ!た、隊長!!」
「引かぬ!媚びぬ!!省みぬ!!!掟を破った罪は重いぞ!!!!よって制裁じゃああああああああ!!」
マスターは猛然と裏切り者に襲いかかり、凄まじい勢いで彼女の全身をくすぐり始めた。たまらずミクは逃げようともがくが、悲しいかな彼女の席は窓側、通路側のマスターの魔手を避ける事はできない。
「いやあああごめんなさいうひゃひゃひゃ!わ、脇腹はだめえうひゃひゃひゃひい!!」
「わ、ワタシ、もしかして余計な事を……?」
「ああ、大丈夫ですいつもの事なので」
私にとっては残念ながら見慣れてしまった光景だが、始めて見たルカさんはやはり戸惑っている。とりあえず気にする必要はないとだけ伝えておいた。
ルカさんが食事を終えるのを確認し、私は立ち上がった。
「じゃ、そろそろ行きま……行くよ、二人共」
「お、敬語にも意識できてきたみたいだな」
「今だっ!!」
「あ、こらまだ制裁は終わってないぞ!!」
一瞬意識が私に逸れた瞬間を狙って脱出したミクを、マスターがすぐさま追いかけていく。
「ふぅ……二人共、もう少しおとなしくしてくれないものかな……」
「賑やかなのも、素敵だと思いますよ?」
ゲームコーナーの方向へ走って行った二人を、私は溜め息をつきつつ、ルカさんは微笑みを浮かべながら追いかけたのだった。
18:00
「ただいまー!」
「ミクは底無しに元気ですよね本当……」
存分に外出を楽しんだ私達は、疲れた足取りで家に転がり込んだ。
一人だけピンピンしているミクが、私の言葉に目ざとく突っ込みを入れる。
「ハク姉、中途半端に敬語残ってるよ!!」
「ああ、うん……」
なんだか更に全身を疲労感が襲った。見逃してくれてもいいだろうに……
「あー、飯作らなきゃな……うあー腕いてぇ、あんなに太鼓の○人やるんじゃなかった……」
「大家さん、手伝いましょうか?」
「おお、助かる。今度ルカが当番の時は手伝うな」
夕飯を作るべく立ち上がったマスターと共に、比較的疲労度の低いルカさんが台所へ向かう。料理ができるまでやることのない私は、リビングのソファーにゆっくりと身を沈めた。
「ねえハク姉」
「何?」
テレビを眺めている私に、隣で漫画を読んでいたミクが話しかける。
「ハク姉はさ、なんでわたし達に敬語使ってたの?」
「それは……うーん……なんでだろう?」
聞かれてみれば、特に明確な理由があった訳でもない。最初ここに来た頃敬語を使っていたら、切り替えるタイミングを逃してしまったというだけだ。
ならば、何故私は二人に初めて会った時も、敬語を使っていたのだろう。
「……強いて言うなら、憧れてたのかもね」
「憧れ?」
「うん。最初ここに来たとき、マスターもミクも、自分というあり方に堂々と胸を張って生きているように見えた。それが、私にとっては凄くまぶしかったんだ」
何時でも後ろ向きな自分とは違う、前を見据えた歩み方。それはまさしく私の理想で、しかし私がボヤキロイド「弱音ハク」である以上絶対に成ることの出来ない姿で。
だからこそ、距離を置いていたのかもしれない。手が届くほど近くにあるのに掴めないなんて、余りに辛過ぎるから。
「うーん……わたしはそんな難しい事考えてる訳じゃないんだけどな……」
私の言葉を聞き、ミクは照れたように頬を掻く。その深く考えすぎない姿勢そのものが既に私の憧れだったと、彼女は気付いているのだろうか。
「うん、だけど今は勿論違うよ。一緒に暮らす中で、二人共、普通に悩んだり、怒ったり、泣いたりするのを見てきた。結局ミクもマスターも、私と変わらないんだって」
結局の所、物事に相対した時の考え方が少し違うだけなのだ。
そう気付かされてからは、大分楽になった。
「私は本当に幸せ者だよ。こんなにもいろいろな事に気づく事が出来て」
「うーん……難しくて良くわかんない……」
「ふふ、無理して理解しようとしなくてもいいよ、独り言みたいなものだから」
「いやー、今日は詩人だねーハク」
「ま、マスター!いつからそこに?」
眉間に皺を寄せて考えこむミクを見て微笑む私を、唐突にマスターが茶化した。その後ろには料理の乗った皿を持って苦笑いを浮かべるルカさんの姿も。
「割と最初の方から。いやあハクが随分いい表情してたもんだからイマイチ入りづらくてさー」
そこでマスターは明後日の方を見つめ、私を真似た口調で言った。
「……強いて言うなら、憧れてたのかもね……」
「そこから!?殆ど全部見てるよねそれ!!ていうか真似しないで本当恥ずかしいから!!」
「最初ここに来たとき、マスターもミクも自分というあり方に堂々と胸を張って生きているように見えた……!それが、私にとっては凄くまぶしかったんだ……!!」
「嫌あああああ本当に止めてえええええええ恥ずかしさで悶死するううううううううう!!!!」
マスターがやや感情をオーバー気味に込めて私の放ったクサい台詞を再現していく。
あまりの羞恥心に私は耳を塞ぎ目を閉じて叫んでいた。
頼むから誰かマスターを止めて……!!
「大家さん、そろそろご飯にしないと……」
「私は本当に幸せ者だよ……あ、そうだったな。よし、ハクからかうのはこれくらいにしとくか」
「うう……助かった……」
追いつめられた私を救ったのはルカさんの鶴の一声だった。
マスターめ……今度私が料理当番の時はおかずは無いと思えよ……!!
「早く食べよー!わたしもうお腹ペコペコだよー!!」
「大家さんとミクさんはお昼殆ど食べてませんからね……」
「ま、自業自得だけどね」
「よし、じゃあ行くぞ!せーの……」
「いただきます!!」
これが、幸せな私の、幸せな日常だ。
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ご意見・ご感想
lunamark
ご意見・ご感想
こんばんわ、lunamarkです。
メッセージ見て、「あ・・・続き既にあったんだ・・・」と気づきましたorz
何で4で終わってると思ったんだか;;
にしても、この9話は、ハク姉さんが幸せそうで何よりです……!
カイメイの回も、のほほんとした感じが良かったですw
ネルの豹変っぷりには、ちょっと驚いたけどw
短編シリーズは区切られてて、割とどこから齧っても楽しめていいです。
こういうオムニバス形式っぽい話も描きたいなー==
それでは、次も楽しみにしてますね!ノシ
2011/09/18 17:49:58
瓶底眼鏡
こんばんは!
なんだかんだで9まで出てたんです、実は←
たまにありますよ、シリーズ物が『今はここまでしか出てない』と思う事←
この世でも10762番目位にはハク姉さんの幸せを願っている自分がハクさんが幸せでないお話しに堪えられる筈がない!いや、でもだからって白の娘が嫌いという訳ではなくてあのどんなに辛い目にあっても生を続ける健気なハク姉さんも大好きなんですが!!←
カイメイのめーちゃんサイドはリンレンに対し『大人な恋愛』を意識したかったのですが、どうでしょうか?カイト兄さんに関しては
ただ単に『変な方向に全力投球な兄さん』を書きたかっただけですが←
このシリーズのネルさんは人をからかうのが大好きなんです。そしてジェットコースターが大好きなちょっとミーハーなイマドキギャルなんです←
短編シリーズはその名の通り、一話完結式が基本です。何時でも好きな時に好きな話を読んで和んで頂けたら光栄です。
オムニバス形式だと、二人称視点でもグダグダしづらくて書きやすいです。ただし、複雑な設定が背景にあったり長編を書いたりする場合には不向きなんじゃないかと思われます。
はい、頑張って上げます!
2011/09/18 21:40:43
絢那@受験ですのであんまいない
ご意見・ご感想
ハク姉可愛過ぎます…!
あー可愛い可愛い可愛い可愛い(以下略)
お風呂掃除に夢中になるの、ちょっと分かりますwww
気付くとゴシゴシゴシゴシやってるんですよねw
え!? クイック○ワイパーって部屋の隅の汚れ落ちないんですか!?初めて知りました…
2011/06/05 10:41:04
瓶底眼鏡
ですよね!もう書いてる間に2828が止まらなくて大変←
はい、本当ああいう簡単な事をひたすらやる時って一度集中すると本当に他は何も見えなくなるんですよね……←
いえ、そういう意味ではなく、ただ単にこの話ではマスターがクイック○ワイパーを床にくっつけてぐるぐる回転するというおおざっぱな掃除法をとったが故に汚れが残ってしまっただけであり、クイック○ワイパー様自体はとても優秀なお方です。誤解するような書き方をしてしまいすみません。
2011/06/05 11:27:04