気づいてみると、その事実はなんとも単純で……でも、だからこそ、俺は対応に困ってしまった。
リンのことが気になっていたのも、自分の活動にリンを巻き込んだのも、自分らしくないと思いながらもリンの力になろうとしたのも、リンに抱きついたコウにどうしようもなく腹が立ったのも、何かある度に触れたり抱きしめたりしてみたくなったのも、全部、リンのことを好きだったからなんだ。
……どうして、リンなんだろう。十月に劇場で会うまで、俺たちはただのクラスメイトに過ぎなかった。同じクラスではあったけど、ああ、そんな子もいるね、ぐらいの感覚だったのに。
クラスの半分以上は女子生徒だし、一年の時から同じクラスだった子もいる。何かあれば、普通に話もしていた。演劇部に至っては、男子より女子の方がずっと多いし、それなりに皆とは仲良くしている。接点のある女子なら、他にもたくさんいたんだ。
だけど、誰かに対して、今、リンに対して抱いているような気持ちになったことはなかった。
理由なんて自分でもわからない。ただ言えるのは、リンが俺にとって特別だということで。そう、たった二ヶ月足らずで、リンはとても大切な存在になっている。
けれど……俺がリンを好きでも、リンの方は俺をどう思っているんだ? 信頼してくれているのは、はっきりしている。好きか嫌いかで訊かれれば、リンは好きと答えてくれるだろう。でもその好きは、友達としてのものかもしれない。そこがわからない。そしてどういう行動を取ればいいのかも。
それでも日々は過ぎていく。俺は表面上は今までどおり、リンに接した。いきなり態度を変えたりしたら、リンはきっと不安がるだろう。ただでさえ色々と悩みを抱えているリンを、俺のことで悩ませるわけにはいかないんだ。
俺はリンの意識を悩みから少しでもそらそうと、自分の持っている音楽CDや本を貸した。俺のだけだと傾向が偏りそうなので、姉貴にも協力を頼む。何故か姉貴は突っ込みも入れずに、承諾してくれた。……たまに、変なのを混ぜようとするのが難点だが。
そうするとリンの方も、自分の持っているクラシック音楽のCDや、オペラやバレエのDVDを俺に貸してくれるようになった。普段そんなに積極的に聞かないジャンルだったけど、聞いてみると面白かった。DVDの方も。特に、舞台裏まで収録されているものは興味深かった。あんなすごいセットがあるのなら、一度実物を見てみたい。
学校で会う度、俺たちは本や音楽の話をした。リンと話すのは楽しい。それに、そういう話をする時は、リンもリラックスした様子だった。笑ってくれると、それだけで嬉しかった。
少し残念なのは、俺が貸したものより、姉貴が「これがいいんじゃない?」と言って渡してくれたものの方が、リンの評判が良かったことだ。特に、カードを貸した時の反応が似たような感じだったのは、ちょっとショックだった。
「あ……ごめんなさい」
「いや、いいよ……。感じ方なんて人それぞれだし」
「つまらないってわけじゃないの。とても深い内容だし、終盤の展開にはびっくりしたわ。けど……よくわからないけど、わたし、この本ってなんというか、どこかに大きい瑕があるように感じられてしまって……」
姉貴みたいに、はっきり嫌いって言われないだけまだマシか。
「あ、でも、あのね……短編集の方に入っていた『磁器のサラマンダー』って話、あれは大好き」
ファンタジー調の童話っぽい短編だ。なんとなくわかるような気がする。
「魔法使いは、サラマンダーは魔法のかかった磁器に過ぎないっていうけど、わたし、あの子には魂があって、ちゃんと主人公のことを愛していたと思うの」
そう言って、リンは柔らかく微笑んだ。……可愛いな。ガラス細工のように繊細で、取り扱い注意ではあるけれど……同時にひどく綺麗な何か。
「そういうふうに作られたものに過ぎないのに?」
「『ロボット』のロボットだって、そうじゃない?」
あれはそういう話じゃないぞ。
「あれはそもそも、人間に似せたものとして作られたし、怪我をすれば血が出るし……」
いやでも、チャペックじゃなくても、ロボットとかに感情や魂が宿るってSFは色々とあるよな。姉貴がリンに貸してみたらって言った『銀色の恋人』もそういう話だ。まだ貸してないけど。というか、あれは貸しちゃっていいんだろうか? 悲恋だし――ぶっちゃけ、俺は好きになれないタイプの話だ――身も蓋もないシーンも多いし。
「リンは、そういう話が好き?」
「ええ。……小学生の時にね、『人形の家』っていう童話を読んだの。その話を読んだ時、わたし、とても悲しい気持ちになった。人形の家で暮らしているお人形たちの話なんだけど、ちゃんと心があって、色々なことを思うのよ。遊んでほしいとか、家をちゃんとしてほしいとか。でも人形だから、願うことしかできないし、持ち主の子供に好きなようにされるままで……子供が鋭いと願いがちゃんと伝わるんだけど、そうじゃないことも多いし、ひどい時は壊されたり捨てられたりしてしまうの。あの本を読んで、色んなことを考えたわ。動けない存在だから、願う力が強くなるのかなとか、わたしはちゃんと願う気持ちを読み取ってあげられていたのかなとか……」
少し淋しそうな表情で、リンはそう話してくれた。心があるけど、自分の自由には動けない人形の話か……。
リンは、人形と自分自身を重ねているのかもしれない。リンの家は制限だらけで、例えて言うなら、イバラか何かでがんじがらめになっているようなもんだ。……一番上のお姉さんは、それが原因で窒息しているんじゃないのか?
けど、リンは人形じゃない。ただじっと座って願う以外に、何かリンを外に出してやれる方法はないものだろうか。……いや待てよ、外に出たら俺を置いて飛んで行ってしまうかもしれない。
リンをずっと俺の傍に置いておきたいと思うのは、俺のわがままなんだろうか。
悩んでいたある時、俺は図書室でグミヤに会った。珍しく、グミが近くにいない。つきあうようになってから、うっとうしいぐらいいつも一緒にいたのに。
「珍しいな。お前、グミと一緒じゃないの?」
「グミは今日は、委員会の仕事だよ」
至って普通の口調でそう答えるグミヤ。委員会ね。あれ、グミヤがここにいるってことは、委員会は違うのか。グミのことだから、委員会もグミヤと同じのに入りたがりそうなもんだけど。
「お前らって、委員会は違うんだ」
「希望者が複数いて、グミはじゃんけんで負けたとか言ってた」
ああそうか、委員会は定員があるもんなあ。
「……なあグミヤ、一つ訊いていいか?」
「なんだよ」
「お前、どうしてグミとつきあうことにしたの?」
「……ノーコメント」
そう言って、グミヤはくるっと背を向けた。おい待てよ、それはないだろ。
「話せないような理由なわけ?」
俺がそう訊いてみると、グミヤははーっとため息をついた。
「そんなわけないだろ。……つきあうことにした理由なんて、大したことじゃないよ」
「俺からすると、わからないんだよ。だってお前、グミが入学してきた当初、嫌がって逃げ回ってたじゃないか」
ちょっと表現がオーバーだが、間違っちゃいない。何せグミは入部届けを持って来た日に――見学すらせずに、だ――「グミヤ先輩を追いかけてきたんですっ」って、宣言かましたもんなあ。あれでみんな唖然としたんだっけ。
そんな熱の入った告白の結果、グミヤは女子連中からさんざん「こんな可愛い彼女がいたなんてねえ」と冷やかされた。そしてグミヤが「グミは彼女でもなんでもないっ! ただの中学の後輩だっ!」と叫んで、グミが「あたし絶対諦めませんっ!」つって、その後は女子連中が「すごい、応援するわ」ってなって、収拾がつかなくなったんだ。
「あれは……ちょっと怖かったというか……」
「まあ、あの時のグミ、一つ間違えたらストーカーだったもんなあ……」
助けもせずに面白がって見ていた俺が言うのもなんだけど。いや、グミヤがあんな風に、冷や汗だらだら垂らしてるのって初めて見たんだよな。どっちかっつーと普段はのほほんとしてる奴だし。
「それなのに、お前もクオも俺を無視しやがって」
「あ~、悪い悪い」
頭をかきつつ詫びを入れる。確かに、もうちょっと助け舟でも出してやるべきだったかもな。
「で、どっちかっていうとグミに引いてたのに、なんでつきあうことにしたわけ」
グミヤは、またため息をついた。
「いいか、他の奴には言うなよ。特に女子には」
「わかった」
「グミのことだけど、あいつ、俺が中二の時に俺の近所に越してきたんだ。で、あいつって、重度の方向音痴でさ。家への帰り道がわからなくなって、途方にくれて泣きそうになってるとこ見つけちまって。顔は知ってたし、放っとくわけにもいかないから声かけて、自転車の後ろに乗せて家まで送ってったんだ。グミは気が強い方だけど、あの時は馴染みのない場所、それに自分のいる場所がわからないってことで心細くなってたんだろうな。俺の背中に、ぎゅーっとしがみついてきて」
……グミにそんな過去があったとは。結構意外な気がする。
「なんかさ……背中がずっとあったかいってのが、その時の俺には未知の感覚で」
それはわかるような。俺もリンにしがみつかれた時、似たようなことを考えていた。
「こういうのもいいなって……思ったんだよ。けど、次の日に通学路で会ったら、グミはすごくハイテンションになってて」
「あ~、想像はつくよ」
要するに今のノリになってて、それが普段のグミなわけね。グミヤは面食らったろうなあ。
「俺は唖然としてついていけなくなって、で、グミに追っかけまわされながら中学の残りの二年間を過ごした」
グミ……お前は、最初に見たものを親と思い込む雛鳥か?
「それはわかるが……やっぱり『よくつきあうのOKしたな』としか思えない」
グミヤは、もう一度ため息をついた。
「さっきも言ったけど、俺とグミの家って近所だから、歩いてるだけでばったり会ったりするんだよ。だけど今年の夏休みに入ったばかりの頃、急にグミの姿を見かけなくなってさ。旅行に行くとかそういう話も聞いてなかったし、俺、なんだかすごく不安になって、グミの家に行ったんだ。そうしたら、グミの奴、ハシカにかかって寝込んでて」
「ハシカ? あれは小さい子がかかる病気だろ?」
「免疫がない奴は大人になってもかかるんだよ。しかも成長してからだと症状が重く出るんだ」
幼稚園の時に、ひととおり経験しといて俺はラッキーだったのかな。……というか、俺の記憶に間違いがなければ、ハシカ以外は姉貴がもらってきたんじゃなかったっけ。姉と弟が順々に寝込んで、今思うと父さんも母さんも大変だったろうなあ。確か、父さんが仕事休んで俺と姉貴の看病をしてくれたんだ。
「で、お前はグミを見舞ったの?」
「それが、グミには会わせてもらえなかったんだ。俺、ハシカは小さい時にやってるから平気だって言ったんだけど、グミ、俺に発疹だらけの顔は見せたくないって」
あのグミがねえ。そんなにひどい状態だったのか。
「けどな……調べたんだけど、ハシカってあれでかなり怖い病気で、悪化すると死ぬこともあるっていうんだ。だから、グミが起きて出て来れるようになるまで、毎日グミの家に通って、おばさんに容態訊いてた」
「そんなことをしたら、グミの気持ちがよけいヒートアップすると思うが……」
多分、こういうことが度々あったんだろうなあ。で、その都度グミに対する燃料になってたわけね。
「それはそうだけど……俺、あの時気づいたんだよ。なんていうかさ……グミはもう、俺の周りにいるのが当たり前になってたってことに。グミが俺の後を追いかけてきて『ねえねえグミヤ先輩』って言うのが、俺の日常なんだって」
グミヤが言い出したことがかなり意外だったので、俺は驚いた。グミヤって、こんなことを考えていたのか。
「気づいちゃったらさ……もう、つきあうしかないだろ。幸い、グミは最初から『好き!』って全開だったし。まあ、俺もなかなか踏ん切りがつかなくて、グミをそれから三ヵ月ぐらい待たせてしまったわけだけど」
「グミ喜んだだろ。お前に『つきあおう』って言われて」
「すごい勢いで飛びつかれて、俺はよろけてひっくり返って背中を打った」
つくづくアグレッシヴな奴だ。そんなグミと平然とつきあってられるこいつも、実は大した奴なのかもしれない。
「俺の話はこんなところだ。……いいか、女子連中にはするなよ」
「俺はしないけど、グミがもうみんなに喋りまくってるんじゃないの?」
グミって、本当によく喋るもんなあ。口から先に生まれてきたというのは、ああいう奴のことを言うんだろう。
「グミが喋るのはいいんだよ。けど、俺が喋ったってことが知られるのは嫌なんだ。重みが違うから」
ああ、まあ、確かにな。グミヤも色々と考えているらしい。実は結構お似合いの組み合わせなのかもな、グミヤとグミって。
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