街も寝静まった夜中、ミクはひとり城を抜け出した。
どこか行きたい場所があるわけではない、ただ部屋でじっと考え事をしていることに耐えられなくなっただけだ。
外套に身を隠し、何かに追われるように人気の無い街を当て所なくさ迷う。
やがて、ひとつの場所でミクはその足を止めた。
「ここは・・・」
港と街を繋ぐ大橋の、欄干から夜の港に停泊する船を見下ろす。
ここで出会った人。
今は闇に沈む景色の中、ここから声をかけた自分を真っ直ぐに見上げた、その眸の鮮やかさ。
「メイコ・・・?」
今この国にはいない友人の名を呼ぶ。
呼べば、どこかから顔を出すのではないかと期待して。
呼びかけた声は、応えるものなく静寂に消えていく。
わかっていたことなのに落胆する気持ちは隠せなかった。
欄干の元、迷子の子供のように所在無く座り込む。
「・・・何してるのかしら、私」
考えに疲れた顔で、ミクはひとりごちた。
離宮で、兄はミクにこのままボカリアに留まるようにと言外に告げた。
その意味するところはミクにも容易に汲み取れる。
シンセシスの城下でミクが何者かに生命を狙われたことを理由に結婚を破棄させれば、公女をみすみす危険に晒した国をボカリアが見捨てるのは容易だからだ。
逆に言えば、ミクが王妃としてシンセシスにいる限り、そしてボカリアとシンセシスの和平を望む立場を見せる限り、ボカリアはそう簡単に同盟国の立場を崩すことはないだろう。
もし、この国が窮地を切り抜ける方法があるとしたら、ミクがこの国に留まり続けることで、三国間の均衡を保つことだ。そう思ったのに。
「結局、私がお兄様に勝てるわけがないわ・・・」
せっかく保ったはずの均衡は、兄の指先ひとつで、いとも簡単に崩されてしまった。
この国の行く先を憂えたところで、もはやこれ以上ミクがこの国に留まる意味はない。ローラの言うとおり、大人しく帰るべきなのだろう。
結局、自分のしたことなど何にもならなかったのだ。
「でも私は」
ミクは俯いた。
「このままお人形のように従っているしかないの?それで良いの?本当に」
思いつめたように、自分の手のひらをじっと見つめる。
この手を伸ばしても届かず、むなしく空を切った時の痛みが胸を刺す。
「・・・私はお兄様の何なの」
愛情は受けている。兄が昔から自分に対しては甘いことも、大切に扱ってくれていることも知っている。
けれど、家族としての愛情と政治の駒としての利用価値とを秤に掛けた時に、兄にとってはどちらがより重いのだろう。
まだ恋も知らず、結婚など遠い未来の話と思っていたミクが、クリピアを試すためにこの国に嫁げと告げられた時の衝撃を、彼はどれほど分かっているだろうか。
今、兄の元へ大人しく戻れば、彼は怒らないだろう。何事もなかったように迎え入れて、そして、また自分は彼の望むまま動く駒になるのだ。これまでと同じように。
ミクは抱えた膝に額を押し付けた。
海風に冷えていく体を庇うように小さく丸める。
「メイコ・・・、会いたいよ。教えて、私どうしたら良いの」
今は遠い故国にいるだろう友人が、無性に懐かしかった。
明るい笑顔が、揺ぎ無い眼差しが、暖かく背中を押してくれるあの声が。
今、会えれば、どれほど安心するだろう。
ただ一言、彼女が言葉をくれたなら、どんなにか心強いだろう。
「・・・弱いな、私」
呟いて、ミクは自嘲を浮かべた。
「メイコに答えを求めたって、そんなの、何の意味もないのに」
彼女にだって、きっと抱えるものはあるだろう。
言葉の端々に窺い知れる故郷での苦労、生活の苦しさは、ミクの悩みの比ではないはずだ。
それでも微塵も辛さを見せない彼女がまぶしかった。
「私もメイコみたいに強くなれれば良いのに」
『冗談じゃないわ、まったく・・・!』
突然、呆れた声が聞こえた気がして、ミクは驚きに顔を上げた。
『あなたねぇ、私の繊細な心臓を何だと思ってるの』
どこからともなく聞こえる声に、きょろきょろと辺りを見回す。
寝静まった夜の港には誰もいない。
その声を望むあまりの空耳だろうか。
それでも良い。
ミクは目を瞑り、今一番聞きたい声にじっと耳を澄ませた。
『悪い夢じゃないかと思ったのよ。毒なんて・・・もう本当に勘弁してちょうだい。次に会ったら、みっちりお説教だから憶えてなさいよ』
幾重にも幕の掛かった向こうから、波音のように遠く近く聞こえてくる、その言葉は、いつかどこかで聞いたもののような気もする。
『のんきな顔して寝てるんじゃないわよ。無事だから良かったものの・・・。父のことも心配だけど、あなたを見張ってられないのも心配だわ。何を仕出かすか、気が気じゃないったら』
いかにも彼女らしい、遠慮のない言葉に思わずミクの唇が緩んだ。
「ひどいわ、メイコったら」
『・・・でもね』
声がふわりと柔らかく調子を変える。
手のひらが温かい温度に包まれた気がした。
思い出される、堅い指先の感触が酷く懐かしい。
『それでも、あなたはあなたの思うようにすれば良いのよ』
「・・・メイコ」
『あなたは優しい子だもの。あなたのどんな決断も行動も、きっと誰かを心配させたり泣かせたりするだけじゃないわ』
「メイコ、でも・・・」
口を開いた途端に、声が震えた。
ひとりで押し殺していた不安が一気に込み上げて、儚い幻の声に追い縋る。
「私、間違ってないかしら。取り返しのつかないことにならないかしら。どうしよう、怖いの・・・でも・・・!」
『・・・どんな選択も、何が正しくて何が間違いなんて、それは誰にも分からないのよ。今の最善が明日も最善とは限らないし、その時は間違いだと責められても、逆にそれが良い結果を呼ぶことだってある。だけど、ミク』
ふわりと、すぐ傍でメイコが笑った気がした。
夢うつつに聞こえてくる温かな声は、確かに少女の胸の内に染み込んだ。
『あなたがそうすべきだと信じたものが、明日も明後日も明々後日も、百年後まで幸いに続く道であるように祈ってるわ』
「メイコ・・・」
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中編はメイミク(違)。
男の友情だけでなく、女の友情も良いと思うのですよ。
むしろ自分が書くキャラ中、一番めーちゃんが甲斐性あるような・・・。
ごめん、愛の差・・・。
後編へ続きます。
http://piapro.jp/content/fwhq94s246ye6uzj
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